第5話 逃げる道
「まさかなぁ、本当に勝っちまうとは」
控え室。表では既に次の試合が始まっている。
ローエンは服を着て、ロイの前に立っていた。
「ほい、賞金」
と、手渡されたのは1,000,000と書かれた小切手だった。
「………」
……意外とちゃんとしているな、とローエンはそう感じた。勿論、無法地帯なのは間違いないが、その中でもちゃんと秩序がある。今の所、問題のアレも行われていない。
まさかただの噂だったんじゃないだろうな、とそう思っていると。
「………さ、来いローエン、特別席に案内してやる」
「!」
「面白いもの見せてやるよ」
ロイがついて来るように指示するので、ローエンはその後に続く。
連れて来られたのは二階席だった。小さめのバルコニーになっていて、他には誰もいない。階下の歓声も少しばかり遠くに聞こえる。
「いいだろ?良く見える」
「………アンタここから見てたな」
「何だ、気付いてたのか」
「まぁな」
ふん、と小さなため息を吐いて、ローエンは階下に目を向ける。試合が終わって、一人、ひ弱そうな男が出て来た。
「……?」
「ここの名物さ、最高だぜ」
それを聞いて、ピンと来た。………例の。
『さぁーさ皆様お待ちかね‼︎始まるぜ‼︎“ザ・エスケープ・チャレンジ”‼︎』
盛り上がる観衆。リングの中の男は、少々怖気付いているようだった。
「…………エスケープ?」
ローエンの呟きに、ロイは頷く。
「勝っても負けても、クソったれな貧乏生活からさようなら。逃げる為の挑戦。………だからエスケープ・チャレンジさ」
「…………アレは志願者か?」
「………………さぁなぁ、管理はシルヴェスタ担当だから、俺は誰がどうとかよく知らねェ」
と、ロイはバルコニーのへりで頬杖をつく。
「ま、見た感じ連れて来た奴かね………」
「………」
志願者か攫って来た者か、そういう事を隠すつもりは無いらしい。という事は、ここにいる皆がそれを承知の上だ。
「………今まで成功した奴は?」
「ゼロ」
「………………」
「こちとらハナから、奴らが勝てるとは思ってねェよ」
通路から出て来たのは、見るからに屈強そうな男。先にいたあの男とは、比べ物にならない。
「……勝てる訳ねェんだよ、飯もまともに食ってねェ奴が」
『さぁ〜今回のチャレンジャーはスラム街第二地区のランザ!対するはファイター、ガレア‼︎さぁどうなる今夜のエスケープチャレンジ第一戦‼︎』
じりじりと、ガレアがランザに迫る。まだゴングすら鳴らない内に、ランザの方は戦意を失いかけている様だった。
「………そうだな」
ローエンは冷静に、そう返した。
『レディィィィ………ファイッ‼︎』
ゴングの鳴った瞬間に、ガレアの拳が、細い体を吹き飛ばした。ガシャン‼︎とフェンスに激突し、ランザは肋骨でも折れたのか体を抱え込み、膝をつくと吐血した。
その様子に周りは狂った様に湧く。「殺せ!殺せ!」というコールすら響いている。
ローエンはただ目を細めた。…………下らない。アクバールは闘牛のようなものだと言っていたが、それは違う。明らかな、ただの一方的な虐殺に過ぎない。
「………他にもいるのか、ああいう奴が」
「ん?あぁ、そうだな。地下の牢にざっと三十人くらいな」
(…………地下か)
あいつは助けられない。そもそも、アクバールの頼みがなければ、助ける義理もない。急いでも仕方がない。今このタイミングで行っては怪しまれる。
「何だ?お前もやりたいか?」
「………いーや、普段殺し足りてるんでね」
「…………はは、そりゃそうかい」
(楽しくなんかは無いがな)
この調子では、一度あのリングに入れば勝たない限り、生きて出る事は不可能なのだろう。さっきロイは成功した奴はゼロだと言ったし、もしもソニアの父親がここに来ていて、既にリングに上がったのならば、最早生きてはいないだろう。
(………って、俺は一体何の心配をしてるんだ)
はぁ、とローエンはため息を吐いた。ちら、とロイの様子を見る。彼はこの催しを楽しんでいるようである。少しでもまともだと感じた自分が馬鹿馬鹿しかった。十分にイカれてる。
『んーっ、残念だったな‼︎ランザ、エスケープ・チャレンジ失敗だぜェェ‼︎またのチャレンジは来世でな‼︎』
リング上では早くも決着がついていた。引きずられていくランザ。ガレアが誇らしげにガッツポーズをしている。
「…………俺は下で見てくる。アンタはここで見てていい」
「お?いいのか?ここの方がよく見えるぞ」
「少し遠い」
「………そうか。ま、好きにしな」
「あぁ」
ロイを残し、ローエンは二階席を出た。階段を降りて行くと、控え室の横に出る。そのドアの上に時計が掛かっている。時刻は九時五十分、十時には閉まる。それまでに地下への階段を見つけなければならない。
キョロキョロと周りを見渡すが、それらしいのは見当たらない。あるのは今降りてきた上り階段のみ。控え室の中には無かっただろうし……と、とりあえずリングを隔てた反対側へ回ってみる事にした。
「…………これか?」
受け付けの場所から反対側、リングと壁の間の入り組んだ場所、ローエンは怪しげな扉を見つけた。周囲に人はいない。少し狭くて、観覧するには適さないからだろう。
ローエンはちらりと後ろを振り返ってから、扉を開けて中に入った。中は思った通りの下り階段だった。両サイドに暗めのライトがついているくらいで、辛うじて足元が見えるくらいの明るさだ。入ってすぐは踊り場で、右を見ると暗い通路が続いていた。きっとあの、リングへの通路へと繋がっているのだろう。
ローエンは階段を降り始める。カツンカツンと、ただ足音だけが響く。表の喧騒は初めこそ聞こえてはいるが、数段下るうちに、全く聞こえなくなった。
(……静かだな)
人の気配はない。階段を降り切ると、目の前に重そうな扉があった。錠が掛かっているのを見つけ、ローエンは針金をポケットから取り出した。鍵のかかった所への侵入が必要になる時はいくらかある。その時のために、ピッキングくらいは出来るようにしてあるのだ。
鍵をあっさりと外し、扉を開けるとそこはもう牢だった。
刑務所のような牢が、両サイド各五つ並んでいた。
「…………こりゃあ…」
「あんた…………誰だ」
「!」
「ここのモンじゃねェな………?」
右側の一番手前牢の中の、一人の男が話しかけて来た。他にも二人いるが、彼らは元気が無さそうだった。
「…………あぁ」
「ま、まさか助けに来てくれたのか⁈」
「……そのつもりだが…………」
「た、頼む‼︎出してくれ!」
牢の柵を揺すって、男はローエンに懇願した。つられて後ろにいる二人の男達が、俯いていた顔を上げた。
「…………鍵は外せる。出口は他にあるか?」
「あ、ある。この通路を先に行った所だ。うんと長えけど…」
「他の出口があるならいい。……あぁ、でもそうだな、全員出すにはちゃんと鍵があった方がいいか…………」
「………か、鍵は白髪の兄ちゃんが持ってんだ………」
「………前髪だけ赤い奴?」
「そ、そうだ!」
(…………やっぱりシルヴェスタかよ)
はぁ、とローエンはため息を吐いた。奴を見つけ出さなければ、事はどうにも進まない。
「………分かった、とりあえずこっち側から俺が外して行く。開いたら速攻、その出口に向かって走れ。いいな」
「あ、あぁ、恩に着る!」
「ちょっと待てよぉ」
「!」
その向かいの牢から声がして、ローエンは振り向いた。
「連れて来られた奴らはまだしも…………俺らはヤだぜ?戦いに来てるんだよ、こっちは」
「………どの道ここは今日で終わりだ」
「はっ、兄ちゃん一人で何が出来るんだ」
男は鼻で笑うと、肩を竦めた。
「手下はごまんといるぞ、どうせ殺される」
「勝手に決めるな」
「なら、あんたも俺らの事勝手に決めるな」
「…………」
「出たってどうせ貧乏暮らしなんだよ」
と、そう言ってふん、とそっぽを向いてしまう。ローエンはイラッとして、彼に言う。
「………あぁそうかよ、俺だって好きで助けに来てるんじゃねェし。死にたいならそこにいな」
「…………あ?」
「志願なんて馬鹿馬鹿しいな、どうせ皆んな等しく死ぬぞ、ここにいる奴は。無惨に殴られて」
「……なん………だと」
「現実の見えねェ馬鹿は助ける価値は………」
「何、してるの」
「‼︎」
今度は通路の奥から声がした。いつの間にそこにいたのだろう、シルヴェスタが静かに、そこにいた。
「………ここは関係者以外立ち入り禁止」
「…………知ってるよ」
ローエンはそう返す。今度は遠慮は要らない。仕事に専念する。………殺して、鍵を奪う。
「………ターゲットがノコノコと、一人かよ」
「訊いてるのはこっちだよ」
シルヴェスタは淡々と、そう言う。武器を取り出すような素振りも無い。今なら殺れる。………そう思ったのだが。
「殺しに来たの?……一人で無謀なのはそっちじゃない?」
「!」
ばん、と背後のドアが開け放たれて、十数人の男達が銃を持って現れた。シルヴェスタの背後にも、同じくらいの人数が銃を持って立った。どの銃も殺傷能力の高そうなライフルだった。
「………邪魔者は、死んでね」
「……やけに用意周到な気がするけど、バレてたのかな?」
「ボスが見てたよ」
「………ハナから疑ってたってか?」
「悪魔のローエン、特徴はいつも白シャツに黒ズボン、黒髪の色男、ってなァ」
「…………!」
階段の方から、聞き覚えのある声がした。ずっと、あの実況で聞こえていた声だ。
「いィ闘い見せてくれたなァ、ディアボロ。直接会えるたァ感激だぜ俺ァ」
銃を持った男達の奥から、ローエンよりも随分と大きな男が、ぬっと現れた。肩まで伸びた金髪をオールバックにしたその顔には見覚えがある。幹部のアルテスタだ。
「知ってるぜ、その格好の時は、仕事の時だけだってなァ。街にいる時ゃ上着とか着てんだろ?」
「…………血で汚すのが嫌でね」
ローエンはアルテスタを見上げて答えた。
「………余裕だなァ、分かってンのかこの状況」
「敵に囲まれて八方塞がり、逃げ道はない」
「…………一個足ンねェだろォ」
アルテスタは部下達を押し退けて、前に出て来る。
「“絶体絶命”なんだよ、てめェは‼︎」
「……さぁ、どうかな」
「あン…………?」
どっ。鳩尾を狙ったローエンの蹴りが、アルテスタの太い腕に受け止められた。
「……背ェ高い相手は嫌いだよ、頭が狙えない」
ローエンはニヤリと笑ってそう言った。
「じゃあ先にお前の首、捻り折ってやろうか?」
アルテスタもニヤリと笑う。ローエンは飛び退いて、彼から離れる。と、アルテスタが後ろと前方の部下達に言う。
「てめェらは手ェ出すなァ‼︎コイツはこの俺様が仕留める‼︎」
「はっ、はいっ‼︎」
シルヴェスタも含め全員が下がり、アルテスタがローエンの方へとずんずんと進んで来る。
「ボスは初めから分かってたんだぜェ………それでもお前が試合に出るって言うから、お前の闘いには興味があったし、刺客としてジヨンを仕向けたが、奴はしくじった…………」
「………潜入は初めてでね、アドバイスをありがとう。まぁ参考にするよ」
服装でバレるのか、とローエンは感心して、なら汚れてもいい用の上着を用意しておこうかと、そんな呑気な事を考えた。
「チッ………気に障る奴だなァ、気に入りかけてたんだが、嫌いになってきたぜ‼︎」
ぐわっ、とアルテスタは突っ立っているローエンに向かって拳を突き出す。それをひらりと躱したローエンは、前屈みになって低くなったアルテスタの頭を、蹴ろうとして、その足を大きな手に掴まれた。
「!」
「うぉらァッ‼︎」
狭い通路の中で振り回され、ローエンは檻に激突した。
「…………っ……いっ…て…………」
横からぶつかった為、額の右側が切れて血が目元まで流れて来た。傷口に触れた右手が真っ赤に染まったのをちらりと見て、視線をアルテスタに移した。
「俺をそんじょこらのファイターと一緒にするなよ」
拳を鳴らして彼はそう言う。ふっ、とローエンは笑い返す。
「………何がおかしンだ」
「いや?…………別に」
柵を支えにして、ローエンは立ち上がった。と、同時に凄まじい速さでパンチが繰り出されたのを、ローエンは右に避けた。空振りした拳が柵を変形させた。それを見てローエンは口笛を吹く。
「……怖いね」
「…………檻壊さないでよアルテ」
「わーかってンよ‼︎」
シルヴェスタに釘を刺されて、アルテスタはそう叫んだ。
「………修繕費大変なんだからね」
「少し黙ってろシルヴェスタ‼︎」
アルテスタはなかなかローエンを捉えられない。自分から仕掛けずに、ただひょいひょいと避けてばかりいる彼に、アルテスタは段々と苛立ちを覚えて来た。
「…………このッ…‼︎」
ぶん、と蹴りを繰り出すも、ローエンはそれを掻い潜り、アルテスタの懐へ潜り込んだ。
「!」
ローエンの突き上げた掌底が、アルテスタの顎を打った。ぐら、と通路に倒れたアルテスタに、とどめを刺そう、とした所で、首筋にナイフを突きつけられてローエンは動きを止める。
「…………動かないでくれる?」
僅かに振り向いたローエンに、シルヴェスタが冷静に言った。
「……諦めて。状況が悪いのは分かるだろ」
「………悪いのは場所だけかな」
ふっ、とため息を吐いてローエンは、素早くシルヴェスタのナイフを持つ手を掴み、背負い投げた。背中を打って息を詰まらせ、シルヴェスタの手からナイフが落ちた。ローエンはそれを拾い上げ、右手で弄ぶ。
「………知ってるか?凶器が一つありゃ、誰でも傷付く可能性があるんだ」
「………………!……返せ…!」
「ヤだね」
ローエンはそう言って笑うと、前方と後方の下っ端達に向かって言った。
「……俺が頼まれたのは幹部の殺しだけ。………下っ端どもは、今逃げれば見逃してやる」
「…………!」
全員が息を呑んだ。しかしそこからは動けない。幹部を見捨てられないという気持ちと、生き延びたい気持ちが天秤に掛けられていた。だが自然と、ここに残って生き残るという選択肢は消えていた。
「……ふっ………ふざけるなっ‼︎これが見えてないのかっ!」
一人がそう声を上げた。手に持った銃を、ローエンに向けて構えなおした。それをきっかけに、皆の心は一つに決まった。それは新たな選択。……自分達には、強い武器がある。
「は、蜂の巣にしてやる!」
が、通路の奥側の、先頭にいた一人の男がそう言った途端、影が動いた。次の瞬間には、その男と、その後ろにいた男達が、両サイドにいた男達の視界から消えた。彼らには何が起こったのか分からなかった。
「…………これはただの飾りなのかな」
「!」
背後から声がして、振り向くと、ローエンが薙ぎ倒した男達から落ちた銃を、踏みつけていた。
「……見ての通り、君らが引鉄を引くまでに、俺は一度に五人くらいは倒せる。即死のおまけつきで」
に、と笑うローエンに、いよいよ彼らはすくみ上った。
「…………何をしてる………!早くやれ‼︎」
シルヴェスタが起き上がり、そう声を荒らげた。
「……銃殺は好みじゃないんだよね…」
ふぅ、とため息を吐いたローエンは、ナイフを片手に微笑んだ。悪魔の笑みだ、と、それを見た全員が思った。
彼が通り名として悪魔の名を冠している理由を、今、身を以て感じたのだった。
「アディオス、可哀想な鼠たち」
そう言って笑うローエンの顔が、男達の目に焼き付いた。
#5 END