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Strain   作者: Ak!La
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第49話 月に願いを

 赤らんだ顔のグラナートが、広いソファに体を預けている。その隣には、薄着のジークリンデがいた。

 ジークリンデ宅、夜。カーテンは締め切られ、照明も暗く落とされている。

 ぼうっとした目で天井を見上げているグラナートに、ジークリンデは苦笑して言う。

「……今日はやけに飲むじゃない」

「…………そうかな、いつも通りだよ……」

 微妙に呂律の回っていないグラナート。顔が赤らんでいるのはアルコールのせいである。

「大丈夫?」

「うん……」

 眠そうなグラナートは、体を起こしたかと思うとジークリンデの肩に寄りかかった。

「君の匂いは……何だか安心するな」

「あら」

「……うん、本当に」

 元気の無い声に、ジークリンデは思わずその頭を撫でた。サラサラとした銀髪が、とても愛おしく思えた。

「また何かあったの?」

「…あった……のかな。どうだろ……」

 グラナートはぼうっとした様子で答える。

「……僕は誰なんだろう」

「何、おかしな事を言うのね」

「分からなく、なるんだ。時々ね……僕が何者なのか」

「グランさんはグランさんよ」

「……そうだと、良いんだけれどね」

 グラナートはジークリンデに寄りかかったまま、続ける。

「………怖いんだ、僕は」

「え?」

「僕が僕じゃ無くなることが」

 グラナートの手が、ジークリンデの着ている薄手のドレスのスカートを握りしめる。その時、彼女はグラナートの体が小刻みに震えているのに気付いた。

「……グランさん?」

「………最初から偽物だったんだ、僕は。『どちらも本物』だなんて……嘘だ」

 ポタポタと、ジークリンデの肩に涙が落ちて来た。驚いて、ジークリンデは彼の顔を覗き見ようとする。

「グランさん、どうし…」

「違う……僕は…医者だから……グラナート・カテドラルだから……ウィリアムじゃ…ない……」

 ジークリンデに寄りかかったまま、呪文の様に繰り返すグラナート。不安に思った彼女は、その頭を優しく抱き締めた。

「……大丈夫、大丈夫よ」

 酔いのせいか、普段とは違う様子を見せるグラナートに、ジークリンデは戸惑っていた。以前から度々不安は口にしていた。きっとストレスが溜まっていたのだ。それが今日、とうとう爆発した。

「…………ジーク、僕はずっと君と一緒にいたい」

「えぇ、私も」

「クリスマスは君と過ごすんだよ、初めてなんだ、だから楽しみにしてる……」

「今日はもう寝ましょう、ね」

「……離れたくない……」

 近頃グラナートの精神状態が不安定なのには薄々気付いていた。酔っ払うと特に。だがここまでなるのは初めてだ。今日、か昨日か、何かあったに違いない、とジークリンデは思った。

「…………分かったわ、ね、隣にいるから」

「眠るのが怖いんだよ……」

 グラナートが顔を上げた。その目と目が合ったとき、思わずジークリンデはどきりとした。

 前髪の間から覗く紫の瞳は、何か不気味な光を宿していた。別のものがいる、とそう感じさせる目をしていた。

「……グラン…さん」

「…………僕はグラナートだよ、だよね、そうだよね」

「えぇ、そうよ。……それ以外の何者でもないの」

 深く事情は知らないジークリンデも、ひしひしと感じていた。グラナートの異常な部分を。それに対する彼の苦悩を。普通なら、とっくに彼の前から去っているだろう。だが、そんな事が出来ないくらい、ジークリンデはグラナートを愛おしく思っていた。いずれ別れる運命にあろうとも、最後まで、出来る限り側にいようと。彼には自分が必要なのだと、そう信じている。

「……ゴメン…ジーク、僕は君に迷惑をかけてばかりだ」

「いいえ、いいの」

「どうして……君は僕に優しくしてくれるんだい……?」

「今さらじゃない。……好きだから、よ」

「…………どうして、僕なんかを好きでいてくれるんだい」

「どうして……理由なんかいるのかしら」

「いるんだ」

「そう」

 ジークは真面目に考えた。考えた末に、ポツリと言う。

「……普通じゃ、つまらないもの」

「!」

「それに、一緒にいて、安心するの。あなたもそうでしょ。私も同じ。あなたは私を裏切らない。絶対に」

「…………どうして、そう言い切れるんだよ」

「どうして……うん……だって、そうでしょ?」

 口調が変わっているのには気付いたが、あえてスルーした。

「……僕はいずれ」

「分かってるわ」

 グラナートの言葉を遮り、ジークリンデは言う。

「それ以上は、言わないで。横を見て。私がいるの。それで十分でしょ」

 グラナートはまだぼうっとした顔で、しかしハッとした。そして、申し訳無さそうに笑った。

「…………そうだね」

「クリスマスはちゃんと予定を空けておくわね。私も楽しみにしてるから」

「うん」

「だから、ね。楽しい事だけ考えましょ」

「……うん、そうだね」

 グラナートはジークリンデから離れ、目を擦って目の前にあるベッドへ向かおうとする。

「あのね、グランさん」

「……ん?」

 眠そうな目で振り向いたグラナート。

「私……」

「何だい、ほら、一緒に寝よう」

 手を伸ばされて、ジークリンデは今言おうとしていた事を引っ込めた。代わりに手を差し出す。………今は、まだ。

「……えぇ、そうね」

「おいで」

 どうか、この時が永遠に続きますように。

 ジークリンデは心からそう祈った。何も心配事が無くなって、幸せに二人で暮らせるように。

 過去も何も、しがらみが無くなりますように……と。




 翌朝。ジークリンデは目を覚ました。隣ではまだグラナートが眠っていた。そうして見ていると、やはり歳上には見えなかった。整った顔をしているのがよく分かる。

(……よく寝てる)

 魘されたりしていないか、寝る前に少し心配していたのだが杞憂だったようだ。

 彼女はグラナートを起こさないようにそっと体を起こした。今日は特に何もする事がない。というか、最近は娼館での仕事を休んでいる。たまに昼間、他の所でバイトをしている。

(………いつ言おうかしら)

 サボっているのではない。行けないのだ。

 ジークリンデは平らな腹を撫で、ため息を吐いた。

(……でも多分、今伝えたら彼はまた気負ってしまうわ)

 彼女は壁にかかったカレンダーに目を向ける。今日は12月の18日。クリスマスまであと一週間。

(クリスマス。……その日に伝えたらいいわ)

 ベッドから降り、ジークリンデは普段着に着替えようと部屋の隅に置かれたタンスに向かう。

 さっさと服を選び、着替える。丁度、着替え終わった時。

「……ジーク」

「!」

 声に振り向くと、グラナートが横になったまま目を開けていた。彼は微笑むと、言う。

「おはよ」

「おはよう、グランさん。よく眠れた?」

「うん、君のお陰かな」

「それは良かった」

 と、グラナートは起き上がると頭を抑えた。

「……う…頭痛い……クラクラする……」

「昨日飲み過ぎるから……」

「飲み過ぎ……って僕、瓶の半分も飲んでないけど……」

「人によって適量は違うのよ」

 頭痛薬取ってくるわね、とジークリンデは部屋を出て行った。ぽつんとグラナートは部屋に取り残され、再び横になる。

(……昨日の事、あまり覚えてないな…)

 何か色々と口走っていたような気がするが、記憶が全体的にぼんやりとしている。

(ジークは何だか安心した様子だったし)

 漠然とした、不安な感情は覚えている。昼間の事が原因なのは分かっている。アクバールの事は……ずっと、信用し切っていた訳ではない。しかし、彼が嘘を吐いていたとハッキリ明言されて、自分は確かに傷付いている。傷付いた自分がいる。それが、何となくショックだった。

「お待たせ」

「あ」

 ジークリンデが戻って来て、むくりと起き上がったグラナートに水と頭痛薬の箱を渡した。

「どれくらい痛い?」

「………金槌で頭殴られた時と同じかな……」

「グランさん、本当に金槌で殴られた事あるの?」

「ある……」

 その答えに、思わずくすりとジークリンデは笑った。

「おっかしい、そんな答え初めて聞いたわ」

「普通の人はなかなかそんな経験はしないよ」

 一度に二錠を口に含み、水で一気に飲んだグラナート。残りの水も全部飲み干した。

「……ゴメン、昨日情けない所見せたかな」

「ううん、たまには甘えてくれた方が嬉しいわよ」

「あ、甘え……?」

「少しでもグランさんの心を和らげられるのなら、私は嬉しいわ」

 にこりと笑って、ジークリンデはベッドの縁に座った。

「強がる必要はないのよ。ありのままを晒け出せる相手でいたいじゃない」

「……そっか」

「ね」

「じゃあ、僕もジークの支えにならないと」

「今はいいわ。折れてしまいそうな人に寄りかかったら折れてしまうもの」

「君には……何でもお見通しかな」

「何でもは分からないわ。だって人間だもの。分からないから、教えて欲しいの。知りたいと思うの」

 まだ頭はガンガンと痛んでいる。再び横になると、グラナートは言う。

「……じゃあ君は、“グラナート・カテドラル”という僕だけを知っておいてくれ」

「どういう事?」

「そのままの意味だよ」

 グラナートは目を瞑った。

「それだけで十分さ」

「……優しくて、少しウブで、ミステリアスな」

「酒があまり飲めない」

「すぐに二日酔いして寝込んでしまうの」

「その度に僕は誰かに怒られる」

「私は別に怒らないわよ」

「君は心配してくれる」

「当たり前じゃない」

「……医者の不養生だね」

「……そのままね」

「あぁ、そうさ、僕は医者なんだ」

 自分に言い聞かせるようにそう言った。しかし、心の中で誰かがそれを否定する。

「命は奪わず、人を救う」

「優しい人」

「弱者の味方さ」

「そうなの?」

「……そう」

 アクバールの口癖である。かつては彼と共にスラムを回り、人々を助けていたのだから相違ない。今だって、形は違えど同じである。

「…………僕はやっぱり殺人鬼なんだろうか」

「……グランさんは優しい人よ」

「僕は、そうなのかな」

 不安そうに、グラナートは目を開けた。その額を、ジークリンデの細い指が触れる。

「グラナート・カテドラルという人は素敵な人」

「……そっか」

 グラナートは柔らかく笑う。

「君の為だけにでも、そうなれてるのなら嬉しいや」

「私が本当に好きな、ただ一人の人間だもの」

「……僕も君が好きだよ」

「知ってる」

 ジークリンデは微笑んだ。グラナートは体を起こし、そっと彼女の唇に口付けする。

 頭痛はだいぶ、小さくなっていた。




 三日が経ち、12月の21日。アクバールの教会はすっかりクリスマスの装いだった。礼拝堂の奥の壇上の右端に、大きなクリスマスツリーが出ていた。アクバールがいつも、一人で準備している。

「さてさて、集まってもらってすまないね」

 アクバールは手を叩く。彼は白手袋をしているので、ぱこんと鈍い音が鳴った。

「よ、久し振りだな」

 そう言って笑うのはルチアーノである。傍らには勿論ラファエルがいる。この場に集まっているのはアクバール含め五人、残りはローエンとグラナートである。

「……あぁ」

 ローエンは一応そう応えるが、彼らの正体を知っている今では以前のように反応はし辛かった。

「何だ、冷たいな」

「挨拶は軽くね。ワタシもまだ準備があって忙しいのだ」

「忙しいなら僕達を呼ばなければいいのに」

「いやいや、グラナート。クリスマスの前だからこそ、君達に一仕事……まぁ、掃除を頼みたい訳だ」

 掃除というのは言うまでもない。

「近頃、またスラムに麻薬売買が蔓延っていてね。それもチンピラがうようよと。蛆虫の様に湧いて出ている。……それの掃除を君達に頼みたい」

「……それくらいなら俺一人で十分だろ」

 ローエンが言うと、アクバールはチッチと指を振る。

「君一人でこのスラムを駆け回るつもりかい、それでは日が暮れてしまう」

「……じゃあ」

「君達を集めたからと言って、何もまとまって行って貰うんじゃない。分担さ。一人ずつね」

「分担……」

 ルチアーノが顎に手を当てて少し考える。

「まぁ確かにその方が効率はいいですけど……」

「僕なら平気ですよ」

 と、そう言うのはラファエルである。

「僕だってそろそろ一人前ですので」

「……そ、そうか」

「過保護も程々にしたまえよ」

「はい…」

 アクバールに言われ、ルチアーノは噛み締めるように頷いた。

「さて、では分担範囲だが。ルチアーノ、君は南東方面を、ラファエルは北東、ローエンは北西で最後にグラナート、君は南西地域を頼む」

「了解でっす」

 ため息混じりに、ルチアーノは首の後ろを掻きながら答えた。

「そんな満遍なく広がってんのか」

「だから困っているのだよ、ローエン。こうもスラムで薬をばら撒かれてはね」

「……そいつらの特徴は?」

「現場を取り押さえて貰うのが手っ取り早いかね。適当に逃して追うもよし。まぁ好きにやっておくれ」

「了解」

「では僕は先に行きます」

 と、ラファエルは足早に教会を去って行った。じゃあ俺も、とルチアーノも出て行く。

「……それじゃ俺達も行くか」

 と、ローエンはグラナートに言う。しかし、グラナートは答えない。ローエンが彼の顔を覗き込むと、グラナートはどこか物憂げな顔をしていた。

「……グラン?どうした」

「…………あ、いや、何でもない。行こうか」

 顔を上げて、グラナートはいつものように笑うとローエンより先に歩き出した。ローエンはその背中を立ち止まったまま見送り、首を傾げる。

「……どうしたんだあいつ」

「…………やはり不安定なのかね」

「!」

 アクバールの言葉に、ローエンは振り向いた。アクバールは腕を組み、そしてやれやれと首を振った。

「君も知っているのだろう」

「……」

「やはりね。“蛇”の事を調べたのは君か」

「…………だったら何だ」

「別にどうもないよ。まだ支障は出ない。ただ心配なのは、グラナートの事だね」

「!……俺のせい……」

「いいや。まぁ、引き金にはなったかもしれないがね。だがあれは放っておいても自壊しかねない」

「は……?」

「普通に馴染んでくれれば良かったのだがね。丸くなったと思ったらどうだ、どうも殺し屋としての一面をも保つために人格を分けてしまったらしい」

 ローエンは、リアンが言っていた事を思い出した。それは、そういう事か。

「昔はよく、医者になりきる前のグラナートに仕事を頼んでいたのだよ。君の様にね。だがしかし途中でやめさせた。その頃かな、ウィリアムが“死んだ”のは」

「…………」

「そして代わりに君を雇った。……君の噂を聞いたのはたまたまだがね」

「それが……俺を雇った理由かよ。グランの……代わりに」

 知りたかった事。それを、突然今知った。だが、スッキリしない。何かが沸き立つようだった。

「代わり……まぁ、そうだね。彼を少し休ませるのが目的だったが……少々逆効果ではあったようだ。もう少し早く気付いていれば良かったのだが。まさか人格が変わってしまうとは」

「……じゃあ何で……グランにこの仕事をさせるんだ」

「彼は遅かれ早かれ自壊するだろうよ。そうなってしまえばもう手には負えない。だから、その前に少しで」

 ブチッ、とローエンの中で何かが切れた。気付けば彼は、アクバールの胸倉を掴んでいた。

「…………ふざけんな」

「……君は相変わらずの様だね。短気で喧嘩っ早い」

 鬼の様な形相のローエンを前にしても、アクバールは余裕な顔をしていた。

「お前は……俺達を何だと思ってんだ」

「そうだね……グラナートは友人ではあるが、君は」

「俺は扱いやすい駒か。じゃあグラナートはどうなんだよ、これじゃあまるで使い捨ての駒じゃねェか‼︎」

「……壊れられては困るのはワタシも同じだよ」

「!」

「君達がいなくなったら、悲しいに決まっているだろう」

「……お前は…………」

「ワタシを血も涙もない何かだと勘違いしていないかね?失礼な。ワタシ程慈愛に満ちた者などいなかろうに」

「…………」

 ローエンは何だか力が抜けて、アクバールを放した。襟元を直すアクバール。少しだけ不満そうだった。

 慈愛?違う、お前には、そんなもの。

「……お前のそれは、違う」

「………」

「俺達に向けてるそれは違うんだ」

「何がだね?」

「お前には一生分からない」

 彼は狂っている。今更ながらそう感じた。どうしようもなく、手のつけようのない程に。……ソニアがいつも感じていたのはこれなのだろうかと、ローエンは思った。

「……俺は行く。…………さっさと準備済ませろよ」

 逃げる様に背を向け、ローエンは小走りで教会を出ようとする。

「今年は」

「!」

 出口に差し掛かった所で、そんな声がかかった。

「今年のクリスマスは、ここで過ごさないかね?」

「…………さぁ」

 ローエンは振り向かないまま答え、そして外へ走り出した。教会の中とは対照的な、外の寒さが心地良かった。


#49 END

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