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Strain   作者: Ak!La
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第48話 切っても切れないもの

 夕方、署を出たダミヤは立ち止まった。私服姿の彼は、一つ大きなため息を吐いた。

「……よう」

 屋根の下、柱に寄りかかって少女が立っていた。先日病室で見た姿だ。

「…ごめん、忙しいのに」

「かまへん、今日は特に仕事無いし」

 手にした鞄をくるりと肩に担いで、ダミヤは娘、ロジーの方へと歩いて行く。

「立ち話もなんやし、行こか」

「うん」

 ぎこちない距離。長年離れていたせいで、どう接していいのかお互いよく分からなかった。




 静かに音楽が流れるカフェ。二人はその一角にいた。

「時々来んねん、ここ。ええやろ」

「…うん」

 ウェイターが水を運んで来る。ダミヤはロジーに「コーヒー飲めるか」と訊き、彼女が頷くのでそれを二つ頼んだ。

 ロジーが縮こまって俯いているので、ダミヤは笑う。

「なんや、肩の力抜きぃな」

「……怒らへんの?」

「何でや」

「この前は怒ってたから……」

「……あー、でもロジーに怒ってもしゃあないやん」

 ダミヤはそう言って苦笑する。

「ちょっと苛立ってたのもあるな。無様にやられてもうて。……別れたんもよう考えたら悪いのは俺の方やし。寂しい思いさせたんちゃう」

 ロジーは答えない。答えられないのか。

「レーニャはどうしてるん」

「今日は仕事。……秘密で家抜け出して来た」

「怒られへんか?」

「大丈夫大丈夫、帰るのどうせ遅いし」

 と、そう言うロジーはどこか寂しそうだった。

「……はよ帰ればバレへん」

「もう6時前やで」

「うん」

「…………あいつ結局俺とおんなじ事…」

 ダミヤは何とも言えない気持ちになる。だがきっと、彼女がそこまで働かなければならなくなったのも、自分と別れたせいだ。自業自得だと思う気持ちが無いわけでもない。だが、ロジーはそれとは別の話だ。幼い子供に選択の余地などあるはずがない。

「…お父ちゃん、昔は髪そんな長なかった気がする」

「ん?……あー、そうやな。だいぶ伸びたわ」

 “お父ちゃん”と呼ばれる事に、大して抵抗は感じなかった。昔もこう呼ばれてたなと、懐かしくすら思った。

「切らんの?」

「なんかこの方が落ち着くんや」

 ロジーの髪は母親譲りの色をしている。軽くウェーブのかかった透き通った金髪である。目元にそばかすがあるが、それも可愛らしく見える。

「……俺の事、どれくらい覚えてたん」

「………見た時に、“あ、この人や”って思うくらい…」

「そぉか」

「お父ちゃんは?」

「そら見違えるわ。あんなちっさかったのが、立派になって」

 記憶にある娘は、まだ言葉も拙い少女である。その面影が重なって、ダミヤはきゅっ、と胸が締め付けられるようだった。

 それを解く様に、彼は丁度運ばれて来たコーヒーを受け取り、自分の分を一口含んだ。

「うわ、何も入れんの」

「ん?コーヒーはブラックが一番やろ」

「………無理やわ…」

 と、苦笑しつつロジーは自分の分に砂糖とミルクを入れた。

「まだまだ子供やな」

「お母ちゃんもブラックは飲まれへん」

「あー……そうやったな」

 元妻の事を思い出し、ダミヤは少し苦い顔をした。昔は恋しく思った。別れた後は、しばらく眠れなかった。しかし、今はもうそんな気は微塵も起きない。

「……レーニャも早う再婚すればええのに。あいつならすぐ見つかる思うんやけどな」

「………お父ちゃんは悔しないん」

「ん?」

「お母ちゃんとあたしを、他の人に取られて」

「……………」

 ダミヤは少し考える。自分の気持ちを探る。よく分からない。探っている間に、ロジーが言う。

「何でそんな事言えるん、あたしは嫌やで、家族が家族やなくやるの」

「ロジー」

「あたしはお父ちゃんと暮らしたい」

「!」

 そしてダミヤは思い出す、かつての幸せだった日々を。自分によく懐いていた、愛らしい娘の姿を。夜に眠れないとすぐに自分の所に来て…………。

 色褪せつつあるその記憶が、胸を酷く締め付けた。唇を噛み、ダミヤは絞り出すように言う。

「……無理やって、今さら。俺こそお前を一人にしてしまうかもしれへん。レーニャのトコにいる方がマシやろ」

「お父ちゃん」

「………もう帰り。俺には親なんて重過ぎるねん」

「…………」

「家まで送るわ。……今はどこに住んでるんや」

「……アザリアの北の高級住宅街。すごいで、同じ家ばっかり並んでんねん」

「そおか」

 あの辺りは治安は行き届いている。夕方に一人で歩かせてもそこまで心配は無いだろうが、せめて、追い返すのではなく歩く時間だけでも一緒にいてやろうという気遣いだった。

「お父ちゃんは昔の家に?」

「いや、署の近くに小さいの借りてるわ」

「そうなん」

「今度遊びに来たらええ」

「……いいの?」

「…………せめて、な」

 残りのコーヒーを飲み干し、ダミヤは席を立つ。ロジーもカップを空にし、ダミヤについて行った。




 すっかり東の空は群青に染まり、西の空に浮かぶ雲が僅かに朱色を残しているばかりだった。

「……綺麗」

「せやな」

 ロジーの呟きにそう答え、ダミヤは空を見上げる。深い青から朱色へのグラデーションになった空には、もくもくとした雲がかかっていた。

 ぎゅ、とロジーがダミヤの腕にしがみついた。

「何や」

「……寒い」

「……せやな」

 それからしばらく無言で歩いていた。静かな街並み、道行く人も寒さと暗さに帰路を急いでいるようだった。

「仕事はやっぱり大変なん?」

「ん?……まぁ、そうやな」

「怪我してたもんね」

「いつもはあんなやられへんのやで」

 ダミヤがそう言うと、ロジーはくすりと笑う。

「そっか。お父ちゃん強いんや」

「……その辺の奴には負けへん」

「そっかぁ…」

 ロジーはダミヤの背負っている刀袋に目を向けた。

「何で刀なん?」

「ん?」

「何で刀で戦うんかなって」

「あぁ……そうやな」

 ダミヤは答えを考える。もう体の一部のようなものだ。理由など、あまり考えてはいなかった。

「故郷のアイリスが、刀鍛治の盛んなところやったからかなぁ、レーニャもそこの出身やねんけど」

「……そうなん」

「せや。……んでまぁ、これは親父が親友の鍛冶屋から贈られたもの……って聞いた」

「へえ」

「親父……お前の爺さんも警察官やってんで。……当時はまだ銃も普及してへんかったし。これで充分やったんやろ」

「お爺ちゃん……か」

「……最期は銃撃にあって殉職したんやけどな」

 まだ記憶に残る、棺の中の父の顔。その頃ダミヤはまだ若かった。20歳になったばかりで、警察官になった所だった。配属されていたのはアザリアではなく、アイリスの署だ。こちらに異動して来たのは、レーニャと結婚してから……10年ちょっと前である。

「それがきっかけなんかな、俺は親父に憧れてたし……剣も少し教えてもろてたから」

「………そうなんや」

「……レーニャの家のトコやねんけどな、この刀の鍛冶屋」

「えっ⁈」

 今の今まで失念していた。ロジーとの会話の中で思い出した。この、体の一部とさえ思っていた刀は、レーニャの父が打ったものだ。………そうだ、初めから。

「なっはっは、切れるはず無かったわな」

「?」

「忘れてたわ、この刀の事。銘も昔聞いたっきりで」

 あーあ、とダミヤはため息を吐く。

「……銘は“縁故”。人と人の繋がり。………俺はこれがある限り、レーニャと縁は切られへん」

「お父ちゃん…」

「何より、お前がおるもんな」

 にこりと、ダミヤは笑う。

「一緒には暮らせへん。けど、縁は切らへん。お前がそう望まへん限り」

「………!」

「いつでも遊びに来たらえぇ、いつでも今日みたいに連絡し」

「うん!」

「……忙し時は分からんけど」

「お父ちゃん、あたし」

「ん?」

 ロジーがダミヤの顔を見上げ、満面の笑みを浮かべる。

「あたし、警察官なるわ!」

「………お」

 危ないで、という言葉は飲み込み、ダミヤは微笑む。

「そぉか、頑張り」

 その時、チラチラと暗い中を白いものが舞った。空を見上げ、ロジーは小さく叫ぶ。

「あっ、雪」

「……ほんまやな」

 ぎゅ、とダミヤはロジーを引き寄せた。

「何?」

「寒いやろ」

「………うん」

 二人は歩く、暗い雪の中を。日も沈み、すっかり空は濃紺に染まっている。

寒さを言い訳にくっ付いた一つの影は、暗闇の中に溶けて行った。




 教会。寒さに耐え兼ねて、礼拝堂の中には四隅にストーブが設置されていた。灯油の匂いが鼻につく。

「………本当に古いんだねこの教会」

「そうだとも。改装するにも金が無くてね」

「改装なんてする気ないくせに」

「それもそうだね」

 何となく教会を訪れたグラナート。アクバールに言いたい事が無いでも無いが、今はそれは押し込めて、暇つぶしとしてここにいる。

「最近は人は来るのかい」

「……時々かね。怪我をしたり病気になったりで」

「僕を呼んだらいいのに」

「余程の大怪我でなければワタシ一人で充分なのだよ」

「そうかい」

 礼拝堂を過ぎて、アクバールの部屋に入った。この部屋にも空調設備はない。同じ様に小さめの白いストーブが部屋の隅に置かれていた。この部屋のものは電気ストーブらしかった。

「何か飲むかね」

「んーん、いらない」

「そうかね」

 グラナートはソファに腰掛ける。アクバールはいつものように向かいに座る。

「最近はローエンに仕事は頼んでないのかい?」

「おや、そういえばそうだね。ここのところクリスマスの用意でそわそわしていてね」

「………そっか」

「今年も来てくれるかね、君は」

「……うーん、どうだろう」

「おや、他に用があるかね?」

「まぁね」

 グラナートは笑って肩を竦める。まだジークリンデの事は話していない。

「珍しい事もあるものだ、毎年君はクリスマスに来てくれるというのに」

「今年は少し訳が違うのさ」

「彼女でも出来たのかね」

「……………」

 グラナートが笑ったまま何も答えないでいると、アクバールは可笑しそうに笑った。

「君はそういう事は隠すのが下手なのだね」

「……分かった。白状しよう、今付き合ってる人がいる」

「ほう」

「僕はクリスマスはその人と過ごす。君と過ごすより何倍もいいと思うよ」

「辛辣だね、ワタシの身にもなりたまえ、そう言われては寂しいじゃないか。教会に彼女を連れて来るのも良かろうに」

「彼女を君と近付けたくないだけさ」

「……随分と嫌われたものだね」

 アクバールは困ったように笑った。

「そんなに嫌いならばここへ来なければ良いのに」

「まぁ、たまには君と話すのも悪くはないと思ってね」

「おやおや、嬉しいじゃないか」

「ローエンじゃ、色々と話せない事もあるからねえ……」

 ソファに背を預け、グラナートは大きく息を吐き出した。そして、真剣な顔になってアクバールを見る。

「…………僕に嘘をついていたね?アクバール」

「……何の事かね」

「“蛇”の事だ」

「…………」

 アクバールは一瞬真顔になり、そして笑った。だが、目が全く笑っていなかった。

「……それで、何か不都合があったかね」

「何故彼らは僕を襲って来ない」

「ワタシが抑えているからだよ」

「…………」

「まぁ、もしかするとその必要もないくらい、今は君の方が強いかもしれないがね」

「……何故わざわざ」

「君の様な逸材を、むざむざ殺させるのはね。折角苦労して探し出したというのに」

「何故嘘を吐いた」

「切り札は最後まで隠しておくものだろう」

「………君は本当にタチが悪いな。お陰で僕はもう君を信じように信じきれない」

「君に吐いていた嘘はそれだけだとも。これからもね。嘘も方便と言うだろう?」

「どういう方便だよ」

「…………言っていたら、君はワタシをすぐに殺していたような気がしてね」

 真顔で言うアクバール。グラナートは冷たい顔をして返す。

「まぁ、確かにそれはそうかもね。僕を差し出す可能性の高い相手に従うくらいなら、殺して逃げてまた姿をくらます方が遥かに安全だ」

 グラナートはふと表情を緩ませ、目を伏せた。

「……と、当時の僕なら考えてたろうね」

「今は?」

「さぁ。今さらな気がするね。もう僕は顔を合わせてしまっている訳だし。今となっては君を殺した方が危険だ」

「賢明な選択だと思うよ」

 うんうん、とアクバールは頷く。グラナートは少しイラッとする。胸糞が悪い。まんまとハメられていたのだ。

「僕も運が悪いな。いや、君の運が良過ぎるのか」

「いやいや、君も運が良いと思うよ?ワタシと出会えて」

「……どうかな。君と出会えて良かったのか悪かったのか?今の状況では何とも言えない」

「まぁ、ワタシの運が良いのは当然だとも。ワタシには神がついているのだから」

「そういう過信は危険だよ。とても微妙な、デリケートなバランスを保っているんだよ、今は。少しでも突けば簡単に傾く」

「さてさて、何によって傾くものやら」

 アクバールはクツクツと笑う。どうなろうと、彼は全てを受け入れるつもりでいるようだ。

「ところで、近々君達に大きな仕事を一つ頼もうと思っているのだが」

「僕達に?」

「ローエンと君と、後はルチアーノとラファエルにね。ローエン一人では少々面倒な仕事なのだ。アルダーノフの時とはまた違う意味でね」

「ふうん、そう」

「そういう心積もりはしておいておくれ。早くて明後日くらいかね」

「………そうかい、分かった。ローエンにも伝えておくよ」

「助かるよ」

 と、グラナートは席を立つ。部屋を出て行こうとするその背中に、アクバールは声を掛けた。

「……グラナート(・・・・・)カテドラル(・・・・・)

「!」

 ビク、とグラナートは肩を震わせた。突然フルネームで呼ばれたから、というわけではない。

「しっかり自己を保て。……君に壊れられては困る」

「……それは“友達”としてかい、それとも“駒”としてかい」

「さてね、どちらだろう。どちらでも良いだろう」

「僕は君のそういう所が嫌いだ」

「………それはどちらの君の思いだね?」

「……どっちだって良いだろう」

 バタン、とグラナートは部屋を出て行った。

 アクバールは大きなため息を吐く。

「……人格が分裂しているという自覚はあるのかね」

 そう呟いて、アクバールは目を瞑る。彼は彼なりに不安だった。築き上げたものの軋みを感じていた。……さて、一体どこで間違えたのだろう。

 天の父よ、とアクバールは神へ祈りを捧げた。悪い事が起こらないように。我らに祝福がありますように、と。


#48 END

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