第47話 浮浪の蛇
夜のアザリアの街。外の空気は冷え切っていて、コートを着ていてもそれは肌へと染み込んで来る。
白い息を吐きながら、ローエンはいつもの娼館の前に立つ。今夜から、ヴェローナが復帰しているのだ。ローエンも傷はほとんど治った。復帰祝い、と言ってはなんだが、しばらく来ていなかったこともあり、ローエンは今夜、ここを訪れた。
ドアを開けると、外の寒さが嘘の様な暖気が肌に触れる。素早くドアを閉め、ローエンはエントランスに立った。
「あっ!ローエンだ!」
「本当だ!久し振りじゃない!」
ラナとナターシャが彼に気付き、寄って来る。顔を見るのも随分と久しく思える。ローエンは笑って、答える。
「どーも。悪いね、しばらく来れなくて」
「本当よもう、寂しかったんだからね!」
「やっぱりローエンが一番よ、ほら早く早く」
本音なのか建前なのかよく分からない事を言って、二人は個室へローエンを連れて行く。いつもの事なので、ローエンは楽な気持ちで引かれるがままについて行った。
「……ヴェローナは?」
「他の人の接客してるよ?」
「…………そっか」
そういう日もあるか、とローエンが思ったその時。
「やっぱりすっごい人気者なんだねェ、ローエンや」
「!」
後方から聞き覚えのある声がして、ローエンは立ち止まった。振り向いて、思わず顔が険しくなった。
「やぁやぁ、忘れちゃあいないよね?その反応」
「………リアン」
情報屋。そして、蛇の……一員であろう男。そんな彼が、開いたドアの隣に、廊下を塞ぐ形で立っていた。
「………悪いね、お前の彼女取っちゃって」
そう言うリアンの横、ドアの陰からヴェローナが顔を出す。少しばかりバツが悪そうだ。
「…………別に構わねェけど」
良くない。本当は良くない。彼にだけは何だかヴェローナを取られたくない。何故だか分からないが、そう思っていた。
「ちょっとさ、話したい事があったんだ。……遊びに来たのを邪魔する様で悪いけど、ちょっち時間くれる?」
と、リアンは笑って玄関の方を指差した。
「二人でサ」
「……………」
嫌な予感だ。……だが、このままヴェローナとイチャコラ続けられるのも胸糞悪い。
「……分かった。…ゴメン、ラナちゃん、ナターシャちゃん、またね」
「えー」
「むぅー」
ふくれっ面になる二人を宥め、ローエンはリアンの方へと歩いて行く。ヴェローナの横を通り過ぎ際、彼女に囁く。
「……何もされてないな」
「え?あ、うん」
ローエンはそれには頷くだけで、そしてリアンと二人、寒い闇夜へ出て行った。
「……お前…前から思ってたけど寒くねェの」
「うんー?別に。年中これで平気よ」
「………」
「俺ちゃんあんまコートとか似合わんのよね」
外に出て、ドアのすぐ横。二人はまずそんな会話を交わす。
「ヴェローナちゃんって本当に良いコだね、おじさん羨ましい」
「お前みたいなのには渡さねェよ」
「言ってくれるね、これでも俺、女のコには人気な方なんだけど」
「俺の方が上だから」
「………お前本当にムカつくなぁー…」
って、そんな事話しに来たんじゃないよ、とリアンは手を振る。
「実は俺、今日はお前を待ってたんだ」
「……何でここで待ってんだよ」
「確実だから?」
「………」
「本題に入らせてくれよ」
「早く言えよ」
「……っ…」
高圧的な言い方にリアンは返す言葉を無くし、一つ咳払いをして言う。
「………あんさ、お前、俺達の事探ったな?」
「!」
「いやいや、だからってすぐに取って食ったりゃしねェよ」
警戒するローエンに、リアンは慌ててそう言う。
「その……何てェの?うーんと、どこまで分かってんのかなーって」
「………“お前ら”がアクバールの手下だって事」
「……“ら”って、あぁそう、やっぱ分かってんだ」
ふーん、と軽い様子で言うリアン。ローエンは少しばかり拍子抜けする。
「いやね?ハルっちが探られてたって言うからさ。……誰かに頼まれたっぽい……って言ってたから、もしかしたらお前かなーって」
首を傾げ、リアンは笑う。
「違う?」
ここは正直に答えるべきか。……嘘は、簡単に見破られてしまいそうだと、ローエンは彼の目を見てそう思った。
「………そうだ」
「お、ビンゴー!そうかそうか、やっぱそうなんだ」
嬉しそうなリアン。対して、ローエンは冷めている。
「で?ハルがやったって言う警官は死んだのかな」
「……さぁな」
「おっと、教えてくれないの?」
「知らねェよ」
実際会っているのだから本当に知らない訳ではないが、どうでも良いという意味でそう言った。だから、リアンもあまり深くは追求して来なかった。
「あぁそう。ま、いーや。で、知ってどうするつもりだったんさ」
「別に」
「敵か味方か、まだ計りかねてるな。まぁ、少なくとも俺は仲良くしてたいんだけど」
はぁ、とリアンはため息を吐く。
「俺ちゃんねー、実はそんなにあの神父さん事気に入ってないんだよね。ルチアーノは違うみたいだけど。仮にあいつがリーダーだから、俺達はそれについて行ってるって訳だ」
「………仮に?」
「あー、うん。もう知ってるんだろ、俺達には前にリーダーがいた。だが死んだ。俺達の見てないところで。………だから、直々にあいつが次のリーダーだとは言われてない」
「お前達で決めたんだろ」
「うん?まぁそうかな。俺達の中では一番、あいつが向いてたって事かな。自分ではそう思ってねェみたいだけんど」
こんなに喋って大丈夫なのか、とローエンはなんだか心配になる。第一、彼の真意が読めない。一体何を考えてるんだ。
「……んで、ウィリアムにはよろしく言ってくれたのかい」
急に声のトーンを下げて、リアンは言う。
「………死んだ男には伝えられない」
「そういう答えが返って来るという事は、お前は真実を知った訳だな?」
リアンは笑う。そして、頭の後ろで手を組んだ。
「ま、俺はまだ直接会った事は無いんだけどねぇ」
「お前達はずっと、あいつの正体を知ってたのか」
「んー、そうだね。見つけてからずっと。顔は見たよ、けど会わせちゃ貰えなかったね。というか、正確には会わなかった」
「……?」
ローエンが眉を顰めると、リアルは右の口角を吊り上げて笑う。
「会ったら、殺しちまいそうだったからさ」
「!」
「俺達は、あいつが憎い。分かるか?それこそ“家族を殺された”も同然さ」
「………」
「俺達は皆、アルヴァーロさんに恩がある。救われたんだ。だからその仇を討つ。何か筋の通らない事があるか?」
「無い」
「うん、だろ。だから俺達はウィリアムを殺したい。だがウィリアムはあの神父さんによって消されちまった。どうしたもんか」
「………?」
何を言ってるのか、よく分からない。理解しようと、ローエンが考えている間にリアンは再び口を開く。
「俺ちゃんね、人から情報を聞き出すのは得意なんよ。特に女のコからなんかはね」
「……!」
「彼も時たまここに通ってんだろ?聞いたよ、グラナート・カテドラルの事は」
「だから……何だ」
「アレはもうウィリアムじゃない。別人だ。直接会った訳じゃねェが断言出来る。じゃなきゃ女なんか作るもんか」
やれやれ、とリアンは首を振り、そして首を傾げて言う。
「直接見てるお前なら分かるだろ、“ウィリアム・ビアンキ”と“グラナート・カテドラル”は人格が乖離している。一種の二重人格みたいなモンさ。心当たりは?」
「…………」
無い、と言えば嘘になる。しかし、あれは決してそういう類のものでは………。
しかし、何か言う前にリアンは勝手に頷く。
「ある、と。オーケー、でも違う気がする。そうだな?」
「お前……心でも読めるのか?」
「人の顔色伺うのは得意でね。気を悪くしたのなら謝る。でも何か言ってくれなきゃ話が進まない。俺もそんなに時間は無いかんね。早くまたヴェローナちゃんと遊びたいし」
「ヴェローナはお前にやらねって言ってんだろ」
「やーだな、嫉妬?それは余裕の無い奴のする事なんじゃ無かったですかー?」
「…………っ」
勝ち誇ったような顔のリアンに、ローエンは返す言葉を無くす。そう言ったのは自分である。
「娼婦だろ。体売るのが仕事だ。そんなに彼女が大事なら、辞めさせるんだな、この仕事」
「……お前が、気に食わねェだけだ」
「あっそ。嫌われてんだ俺。ていうかライバル宣言?そういや、まだ入籍してないよねぇ君達、もしかしたら奪っちゃうかも…」
ローエンが右拳を、彼の顔へ鋭く突き出した。リアンは首を軽く曲げて避けると同時に、その首筋へナイフを突きつける。リアンは笑うと、茶化していう。
「怒ったらすぐ手が出る質?怖いね、元不良少年」
「………!」
「言っとくけど、スラムに行けばここなんかよりも、わんさかお前の情報は手に入る。有名人だね、羨ましい。誰もが恐れる悪魔さんや」
「てめェ……」
「喧嘩するなら相手になるけど、ここじゃあ嫌だな。目立つし。引っ込めるなら今だ。話もまだ終わってない」
静かだが、威圧感のある声。さっきまでのと温度差に、思わず体が震えた。
「……分かった」
「ん。話が分かる奴で助かるよ」
お互い、拳とナイフを引っ込めた。話を再開させようと、リアンは咳払いする。
「どこまで話したっけ?えーと、そうだ。今、ウィリアムはいなくてグラナートがいるって話。……俺達が殺したいのは別に医者のグラナートじゃない。アルヴァーロさんを殺した、殺人鬼のウィリアムだ。俺達は元々、奴を探してここへ来た。だが、先に神父さんに捕まり、ウィリアムとの間に壁を作られちまった。その隙にウィリアムは消え、グラナートが誕生した」
「……で?」
「俺達が復讐を果たすには、ウィリアムを取り戻さなきゃあならない」
「………つまり、どうしたい」
「どうもこうも。とりあえずお前との会話で、あいつが別人になってるってのを確かめたかったんだ。……けどなぁ、ここまで喋っちったからにゃあ少しは協力して貰わんと」
「そっちが勝手に喋ったんだろうが」
「そうだけど?」
悪びれもなくしれっとして言うリアン。ローエンはまたキレそうになるが耐える。
「……質悪いなお前」
「よく言われる。さて、という訳でお前にはウィリアムを呼び戻すのを手伝って欲しい」
「…………は?」
「奴の中に眠る、元の人格だよ。普段の状態だと無理かもな。戦闘中とか、名前を呼んでやるだけでいい」
「……何言って」
「簡単だろ?呼ぶだけだ。『ウィリアム』と」
リアンは肩を竦める。
「ルチアーノ曰く、戦闘時とその前後は、奴の精神は不安定になってる。神父さんが仕立てた人格が、剥がれかけるんだ。その隙を突く」
「………俺が協力すると思うか」
「どうかな。まぁ自由かな。じゃあここで消えとく?」
「!」
「なんてな。そんな事したら多分、俺が神父さんに消される。大事な駒を壊されんだから」
後半の言葉を、リアンは挑発気味に言う。手を出させたいのか。もしそれなら、正当防衛という事に出来るからか。
「まー、俺も正直出来るだけ女のコ傷付けるような事はしたくないし…あ、お前じゃねェよ?お前の事が大好きなコ達」
「………」
「あのコ達に非は無いもんね。まぁ、やるべき時には仕方なくやるよ?直接はやらないけど、間接的に傷付けてしまうのは時には仕方ない」
「……じゃあ」
「じゃあ?」
「協力しなくても何とも無いんだな」
「保証はしない」
「………俺は、友達を売るような事はしない」
「ほへぇ、そうか。まぁいいや。んじゃ一つだけ条件付けさせてくんな」
軽いな、とローエンは思い、そして警戒する。しかし、それは案外簡単なものだった。
「今俺と話した事、誰にも言うな」
「……は?」
「俺も誰にも言わね。内容はね。情報屋は秘密は売らない」
「………本当かよ」
「何でもかんでも売るような質の悪い情報屋じゃねーの、俺は。人格の質は悪くても」
「………」
「お前も分かるだろ、こういう人が関わってくる仕事の事は」
「……依頼人の事はターゲットに話さない」
「そそ。それと似たようなモンさ。良かったね、俺が真面目な情報屋で」
「信用していいのか」
「そこは勿論。情報屋としての俺は中立だ」
ニ、と笑ってリアンは答える。
「てな訳で。俺結構お前に情報売ったよね?」
「!」
「でもねー、お金で貰うんじゃつまんないかな。だから、ね、今晩だけヴェローナちゃん事貸して」
ねっ、とリアンはウインクして両手を合わせる。……そうお願いされても困る。
「悪いようにはしないって」
「………今日あいつ復帰したて…」
「知ってるよ、だから来たんだもん」
「………」
ヴェローナに会う為か、それともローエンに会う為か。何にせよ……ヴェローナが拒否していないようなら、自分が止める権利も無いような。
「……分かった」
「さんきゅー!んじゃまた何か欲しい情報があればどうぞ、今度は金で貰うよ」
「…じゃあ」
「ん?」
「お前……『仲間の情報売れ』って言われたら売るか?」
ローエンがそう言うと、リアンは一瞬きょとんとして、そして頭を掻くと困った様に笑った。
「……それは、“情報”じゃなくて“秘密”だから、無理かな」
ローエンは大きなため息を吐く。
「……………そうか」
真面目な情報屋か、確かにな。と、ローエンは思った。彼は一見して隙だらけだが、そんな事はない。むしろ、わざとそういう風に見せているのだろうか。だとしたら、敵としてはなかなかに厄介な相手である。
「さ。お前も続き楽しんで来たら?邪魔して悪かったね」
「……あぁ、いや、もう今日は帰る」
「ん?そう。……なんか悪いな」
「別に」
ラナもナターシャも人気の娘だ。もう既に他の客をとっているかもしれない。
「お前も行くなら早く行け。ヴェローナなんか人気No.1だからすぐ他のにとられるぞ」
「おう、さらっと彼女自慢?大丈夫大丈夫、また戻るって約束したし」
「………」
「も、勿論お前がダメって言うならキャンセルはしたよ!」
「………はぁ」
「な」
「いいよもう、張り合うの疲れた」
「……ん?」
と、くるりと踵を返すローエン。
「ただし、覚悟はしとくんだな」
「え?何」
「まぁ、やってみゃ分かるんじゃね」
スタスタと帰路についたローエン。リアンは唖然としたまま残される。
「………何を、か、ちゃんと言えよ」
頭を掻いて、リアンはため息と共に娼館の中へと戻って行った。
「まぁ、悪くはなかったわね」
翌日昼、ヴェローナの家。ローエンは遊びに来ている。テーブルに向かい合わせに座り、二人の間には二つのコーヒーカップが。
「40代にしては元気だわねあの人。あんたとはまた別の感じでこなれてる風だったわ」
「……あーそ、退屈しなかったんならいいや…」
「何よ、あんたにしては珍しく妬いてんの?」
机に突っ伏し、顔だけ上げているローエン。別に、と目を閉じる。
「妬いてない」
「………妬いてるでしょ」
「ない」
「あっそ……可愛くない」
「可愛くなくて結構」
心配して損した、とローエンは内心思う。普通か。普通だろ。普通に客取るのと変わんねェじゃん、と、そう自分に言い聞かせる。しかし何故だかモヤッとする。
「あ、でも」
「ん?」
「あんたに比べるとちょっと物足りなかったかな」
「………」
「帰る時あの人ヘトヘトそうだったし」
「……………」
「まぁ、大抵の人はそうなんだけどね」
(……よっしゃー‼︎)
机の下でガッツポーズ。顔は真顔である。
「そうだよなー、俺何心配してたんだろ」
「心配?」
「……いや、何でもない」
「やっぱり妬いてたの?」
「違うって」
「…………」
ヴェローナは徐ろにローエンと目線の高さを合わせると、その額を細やかな人差し指で小突いた。
「あんたが特別に決まってるじゃないの」
「!」
「ね、リタ。私は裏切らないわ」
「………俺、そんな事心配してない」
「嘘ばっかり」
「本当だよ」
しかし、ローエンは少し考えてから、同じ目線の高さのまま笑った。
「……ありがとな」
「礼を言われる程の事じゃないわよ」
ふふ、とヴェローナは笑い返し、しばらく二人はそのままでいた。
#47 END




