第43話 白の世界
翌朝。目を覚ましたローエンはゆっくりと裸の上体を起こした。ひんやりとした空気が体に纏わりつく。起こした時に傷が痛み、あいてててと呻いた。
「………あのまんま寝ちまった」
右隣で寝息を立てているヴェローナに目を向けた。布団から出ている滑らかな肩。こっちを向いている顔の瞼は動く気配がない。まだ熟睡しているようである。
(…寒っ、服着よ)
ぶるりと身を震わせ、ローエンは床に落ちていたTシャツに手を伸ばした。他の衣服は布団の上に脱ぎ散らかしてあった。
「…………うん…おはよ」
「おはようヴェローナ」
眠い目を擦る彼女に、ローエンはそう返した。
「あいたっ…」
怪我の存在を忘れていたのか、ヴェローナは右腕を使おうとしてそう小さく悲鳴をあげた。
「…慣れないものね」
「まぁ、まだ一晩しか経ってないから仕方ない」
と、ローエンはヴェローナの着替えを一式持って来る。
「ありがと」
「ん」
置いて、ローエンはヴェローナの怪我した腕を見て、言った。
「…………手伝うか?着替え」
「え?あ、そうね、ごめんなさい、頼めるかしら」
ローエンは頷くと、ヴェローナの後ろへ回り、慣れた手つきで着替えを手伝い始めた。
「あーもう、何でただの卵焼きがこんなに美味しいかなぁっ」
朝の食卓に並ぶローエン手作りの卵焼きを頬張りながら、オフェリアはそう言った。
「お褒めに預かり光栄です姫様」
「…………何それ」
「いや何となく」
しれっとして答えるローエン。オフェリアはもぐもぐしながらジトッとした目で彼を見る。
「なんかそーゆー無意識に女落とそうとするとこムカつくなぁー、この色男め」
「何だよ、嫉妬?」
「嫉妬ですう」
ホントこれ何使ってるのよ、と言うオフェリアに、卵とダシだけ、とローエンは答えた。そして彼は再びキッチンに戻る。
「ローエンに作ってもらうと安く美味しいの食べれるからいいや」
「おとーさんいっつも卵ばっかり」
オフェリアの隣に座るソニアがそう言った。と、卵焼きの横にサラダが並んだ。
「朝飯はこれくらいでいいだろ、なんか作って欲しいならリクエストしろよ」
「どれくらいレパートリーあるの?」
ヴェローナが訊くと、ローエンはうーんと考える。
「……俺が考えて出せるのはそんなに無いけど。レシピさえありゃ何だって作れる」
「そういうもんか…」
「お前が作れなさ過ぎなの」
言われてうっ、と首を縮めるヴェローナ。はぁ、とため息を吐いてローエンはヴェローナの隣に座った。
「…………私、あんたと親しくなれて良かったわ」
「オフェリアは料理は?」
「え、うーん、まぁお姉ちゃんよりはね」
普通だよ、とオフェリアは苦笑する。
「あっ、雪!」
「えっ」
窓を指差したソニアに釣られ、三人は窓の外を見た。チラチラと白いものが舞っている。次第に激しく、大きくなってきているようだ。
「………おっ、本当だ…」
「積もるわねこれ」
「今日は一段と寒いと思ったらこれか……」
ローエンは笑ってそう言った。窓の外を見るソニアの目は爛々としていた。
「雪遊びする!」
「お、いいけど風邪引くなよ」
「あっ、そーだ!ソニアちゃんにいいものをあげよう」
さっさと食べ終わったオフェリアが手を叩き、バタバタと自室に駆けて行った。すぐ戻って来た彼女の手には、大きな紙袋が。
「今期の新作!そろそろ寒いしなぁと思って、じゃじゃん!雪の日セットです!」
嬉々としてオフェリアが取り出したのは、柄の揃えられたニット帽と手袋とマフラー、そしてダウンコートだった。
「ある程度大きくなっても着られるように少し大きめに作ってあるから。ね、これ着て遊んでちょうだいな」
にししと笑うオフェリア。ソニアも椅子から降りて、嬉しそうに彼女のもとへ行く。
「すっかり仲良しねえ」
うふふと笑ってヴェローナが言う。
「オフェリア、俺のは?」
「ローエンは去年あげたじゃーん!」
「………んー、そうだよな」
言っている間に、外はみるみる白くなって行く。ソニアはわくわくが抑えられないらしい。
「おとーさん!遊ぼ!」
「わーかった、待てって、俺が風邪引いちまう」
………しかし防寒具類は全て自宅である。
「…俺一旦帰ってからまた来るわ」
「大丈夫?帰るまでに風邪引かないかしら」
「そんなに遠くないし平気平気」
昨日も(慌ててたのもあるかもしれないが)普通にコートも無しで大丈夫だったし、とそう思っていたのだが。
「へくしっ」
外に出た途端、ローエンは寒さにくしゃみをした。流石に雪があるのとないのとではかなり違うようだ。
「…………急ぐか」
頭の上に白い雪を積もらせながら、ローエンはまだ浅い雪道を走り出した。
しんしんと降り積もる雪の中、ソニアの黄色い笑い声がこだまする。
ヴェローナ宅の庭、ソニアが掴んだ雪の下から、花壇の花がぶるりと顔を出した。
「えい!」
「うわっ、冷たっ」
ソニアの投げた雪玉に当たり、ローエンはそんな悲鳴を上げる。ローエンの方は全く投げず、逃げ回っているが時々動きを止めては当たっている。どう見てもわざとだ。
「リタったら変なとこ優しいんだから」
「本気になったら全部避けられるくせに、ソニアちゃんに嫌われない様に手加減してるんだわ。………こうして見ると普通に父親やってるのね」
オフェリアがはぁ、とため息を吐いた。悪い事ではないのだが、自分が知っているローエンが段々と別人になっている様な気がして、何だか複雑だった。
「それっ」
「きゃー!」
ソニアに雪玉が当たり、ふわりと砕け散った。あまり固く握っていないようだ。
わいわいと楽しそうな二人を見ていたヴェローナ。だがそこへ唐突に雪玉が飛んで来た。
「ぶわっ!冷たっ」
「ほーらお前も来い」
ニッとローエンが笑う。ヴェローナはムッとして、足元の雪を掴み上げて立ち上がった。
「やったわね‼︎」
ぶん、とローエン目掛けて投げた雪玉はひらりとかわされ、落ちて地面の雪に埋まった。
「……か、可愛くない」
「可愛くなくて結構、せいっ」
「やめなさいってばもう!」
ヴェローナは体についた雪を叩いて、再び無造作に足元の雪を掴んで投げた。
「お姉ちゃんも楽しそう」
と、オフェリアが笑って見ていたその顔に、やや固めの雪玉がぶつかった。
「あだっ⁈」
「おねえさんもあそぼ!」
ソニアが笑顔でオフェリアを誘う。オフェリアは少しの間きょとんとしていたが、ははーんと笑うと雪を掴みながら立ち上がった。
「ふっふっふ、良かろう、覚悟しなさい!」
茶化した風にオフェリアは言うと、ソニアに雪玉を投げる。きゃーと笑って逃げたソニアには当たらず、オフェリアは追撃せんと再び雪を掴む。
白い世界に笑い声が響く。それはとても幸せそうで、冷たい冬にも関わらず、ただただ暖かい空気がそこに流れていた。
同日朝、とある民家の窓辺で、ルチアーノは外を見ていた。雪がはらはらと降って来る空を、ぼうっとした隻眼で眺めている。ただ何もせず、遠い目をして外を見ていた。
「……ルチアーノさん?」
その後ろから、ラファエルが声を掛けた。ルチアーノは応えない。怪訝に思ったラファエルは続ける。
「どうしたんですか、窓辺は冷えますよ」
「……思い出しちまうンだなァ」
「?」
「嫌な事。雪が降ると、色々と思い出しちまう」
ぎゅ、とルチアーノは手を握りしめた。そういえば、毎年雪が降るとこの人はこうなんだった、とラファエルは思い出した。
「………俺、やっぱりちゃんとやれて」
「大丈夫ですよ」
同じ様に、毎年繰り返すルチアーノに、ラファエルもまた同じ様に返した。
「僕にとっては、貴方しかいません」
「……そうかぃ」
ハハ、とルチアーノは笑って額に手を当てた。普段から時々、この人が何かに押し潰されそうになっているのをラファエルは見ている。出来るだけ表に出さないようにはしている様だが、それでもたまにこうして顔を出す。
「へーいへい、またブルーってますなぁ、ルチアーノ」
「!」
声に二人が振り向くと、部屋の入り口にリアンがもたれかかって立っていた。
「……お帰り」
「ん。…………テオちゃんは?」
「まだ帰って来てねェけど」
「あぁそ。この寒いのにどこほっつき歩いてんのかねえ」
リアンはやれやれと首を振った。お前も遊びに行ってただろと、ルチアーノが突っ込むが、リアンは相手にしない。
「何か収穫は?」
はぁ、とひとつ大きなため息を吐いてルチアーノは訊く。
「んー、たまにはあぁいう女のコと遊ぶのも新鮮だなぁと」
「そんな事は聞いてない」
ピシャリと言うルチアーノに、リアンは冗談だってと首を縮める。
「…………昨夜は残念ながらヴェローナちゃんはいなかったんだけど。ローエンと仲の良いコなら何人か会ったから……ちっと話は聞いて来た」
「俺が既に知ってる事だったら意味は無いからな」
「わーかってるよ、てか普通に神父さんに聞いた方が早くない?」
「あの人は時々はぐらかしたりするだろ」
「まぁそれもそうか」
頰を掻き、リアンは続ける。
「あーっと、そーね、聞けたのはローエンが殺し屋だって事と、めちゃくちゃ強いって事。あのコらちゃんと知ってて付き合ってンのね。偉い偉い」
「…………強いっつっても俺よか格下だぞアレは」
「ルチアーノはそうかもねぇ。でも俺はほぼ同格か…俺のんがちっと下かも」
リアンは先日の事を思い出してそう言った。
「………でもまぁ、こんなのは分かり切った事だよな」
「ん」
「あとは……そうだな、俺みたく女癖があるけど、俺とは違ってちゃーんと付き合いのあるコが何人かいるって事」
「ふーん。あいつ見た目良いとは思ってたけどやっぱりそういう。でもま、それを利用するような事はお前が許さねェだろ」
「勿論。まぁそんな事態にならない事を祈るけど?」
「そうだな。出来れば仲良くやりたい」
ふん、とため息を吐いてルチアーノは再び窓の外を見た。その背中に、リアンは思い出した様に言う。
「あと、そうだ。グラナートって奴の事」
「!」
思わずルチアーノの心臓が跳ねた、のをラファエルは感じ取っていた。実際は、ルチアーノはただ冷静な顔でリアンの方を振り返っただけだ。
「……聞きたい?」
リアンはニヤ、と笑う。ルチアーノは首を振る。
「………いい。あいつの事は見て大体分かった」
「そーお?……何で女のコから彼の話出たかは気になんないの?」
「……………」
大体察しはついた。だが、今は………あまり考えたくない。しかしリアンは、ルチアーノの返答を待たずに言った。
「……女がいるってよ?あの殺人鬼」
「……………そうかい」
ルチアーノは複雑な表情をして、小さな声でそう答えた。
へっくしょい、とグラナートは一つ大きなくしゃみをした。今起きたところだ。布団から出ると、部屋が冷え切っている。
「………雪…」
窓の外を見て、そう呟いた。ぼうっとした頭に、一瞬何かがチラついた。その正体は分かっている。グラナートは一つため息を吐くと、ベッドから降りた。近くにあった暖房のリモコンでスイッチを入れ、顔を洗いに行く。
洗面所で顔を洗い、鏡を見た。そこには寝起きの、荒れた髪の自分が映っている。眼鏡をかけていない、ありのままの素顔。……………それは様々な意味で、“ありのまま”だ。
「………もう何年になる?」
鏡の中の自分に問いかけ、グラナートは言った。鏡の中の自分は、己を嘲るような笑みを浮かべる。自分もまた、鏡の中の自分を嘲笑う。
「いい加減目を覚ませ。“お前”はいつまで経っても鬼のままだ」
分かってる。分かってるよ、そんな事は。どこかで自分がそう言う。
「……業が深いんだよ、簡単に拭えるようなものじゃないさ」
洗面台の脇の棚に置いてあった眼鏡を取り、かけた。
「雪は地面を覆っても、僕はむしろ露見する」
洗面所の窓から白い世界が見える。白銀の、静かな世界。その景色に、チラチラと紅の光景が重なる。あの日もこんな雪だった。だから、呪いのように思い出す。否、これは呪いに違いない。
(………まぁ、過ぎた事を悔いても仕方ない)
じぐりじぐりと、自分の中に眠っている“何か”が胸を抉る。ふと脳裏によぎったジークリンデの顔が、グラナートの胸を締め付けた。
「…………何を、人のせいみたいに。僕のせいだろう、自業自得だよ」
鏡の中の自分へそう言って、グラナートは朝食の準備をしにキッチンへと向かって行った、
#43 END




