第42話 本能の思い
夕方。グラナートによってちゃんと傷の縫合を受けたローエンは、小さな墓標の前に三角座りで座り込んでいた。ここはアクバールの教会の裏にある庭。簡易な墓地にもなっている。
その背中に、足音が近付く。
「大丈夫かい」
近くで立ち止まった足音の主……白衣姿のグラナートは、ローエンにそう声を掛けた。
「……ヴェローナは」
ローエンは彼の方を見もせずに、元気のない声で言った。
「大丈夫、筋が結構傷んでたけどちゃんと治るよ。……少し痛みの後遺症はあるかもしれないけど」
「そうか……ありがとう」
「ソニアちゃんの方は怪我は無いみたいだから。良かったね」
グラナートは笑うが、ローエンの様子は変わらない。一つため息を吐いて、グラナートは言う。
「……何を落ち込んでるんだい」
「……さぁ」
「良かっただろう、ようやく君は呪縛から解き放たれたんだから」
「解き放たれやしねェよ」
肩を抱き締め、ローエンは答える。
「一生……ついて来るんだ。名前と一緒に」
「………」
少し考えて、グラナートは問う。
「麻酔で眠ってる間に、夢でも見たかい」
「……母さんが、笑ってた」
「!」
「俺が、小さかった頃に………まだ何も分からなかった頃に見せてた顔で」
幼い頃の微かな記憶。今思えば忌々しいものが多いが、当時はどうだったろう、とふとローエンはそう思った。
「……幸せそうに。単純に………ただ、俺を、“娘”として可愛がってたんだ」
「……君は、どう思ったんだい?」
「………覚えてない」
この、込み上げてくる気持ちは何なのだろう?ローエンの心は混乱していた。……もし、あの母が消えたらどんなにスッキリするだろうと、そう思っていたのに。
ただ腕のみの埋まる墓に突き立った墓標を見ながら、ローエンはポツリと呟いた。
「俺…悲しいのかな」
「!」
「嬉しくはないんだ。変だな、あんな憎らしかったのに」
自嘲的に笑うローエン。グラナートは何とも言えない面持ちで彼を見る。
「曲がりなりにも母親だもんな、そりゃ……身内が死んだら悲しいもんか」
「………そうかもね」
グラナートは顔を逸らし、どこか遠くを見て答えた。
「考えたんだ。もし、母さんがごく普通に俺を育ててたら…あるいは俺が女に生まれてたら………今頃……普通に暮らしてたんだろうなって」
「……」
「父さんと、母さんと………もしかしたら兄弟がいて。戦うことなんか知らなくて……お前とも出会わないで」
「!」
「………ソニアともヴェローナとも……皆んなと出会わないまま…平凡に暮らしてたんだろうさ。幸せに」
「ローエン…」
「でも」
ローエンは顔を上げた。
「今の暮らしは嫌いじゃない」
と、そう言って笑うローエン。グラナートも笑い返す。
「………そうかい」
楽しい事ばかりではない。命を奪い、狙われ、時には残酷なものを目にする。………だからこそ、束の間の幸せなひと時が、美しく明るく輝くのだろうが。
「だから、今は少し母さんに感謝してるんだ。………あんな育て方されてなきゃ、俺はこの街になんか来てない」
「………そういう仮定は、無意味だと思うよ」
「そうだな」
グラナートの言葉に、ローエンは笑う。そして、また墓標を見つめた。そして、彼は唐突に訊いた。
「グランは?家族は」
グラナートは少し驚いたような顔をして、そして答えた。
「アクバールも恐らくだけど……僕は天涯孤独の身だ。他に血縁者はいない」
「………そ、そうか、悪い」
「別に何てことないよ。僕がそう望んだんだから」
「!」
驚くローエン。グラナートは少しだけ悲しそうな顔をして、続ける。
「……後悔なんかしてなかったんだけどなぁ、僕はこのまま一人で死んで行くものだと思ってたから」
「………お前」
「今は少しだけ後悔してる」
何故グラナートに血縁者がいないのか。その理由を、ローエンは察した。………でも、どうしてそんな。
「お前……自分の家族を」
殺したのか、とは言えなかった。だが、グラナートはその続きを肯定する様に目を伏せて笑った。
「“あの日”から僕はずっと壊れてるんだ。………今も。表面を何とか取り繕ってるだけでね」
どうして、グラナートはそんな事をしたんだろうと、ローエンは不思議に思った。何かやむを得ない理由があったのだろうか。
「………僕はいずれ自壊する。己の招いた愚かな因果によって。それは変えられない」
「死ぬ……つもりか?」
「命があってもなくても。……僕は、きっといなくなる」
二人の視線がぶつかった。ローエンは何か衝撃を受けた様な感じがして、固まった。彼の言葉の意味が、分からなかった。
「……今のこの不安が杞憂だったとしても……いずれは必ず来る運命なんだよ」
寿命まで生き抜けるなどと思っていない。今はまだ、護られている。だが、それも長くは続かない事は昔から分かっていた。
「今までは運が良かっただけ。………神に護られた彼に拾われたお陰でね」
「……自称だけどな」
「いや、あれは絶対何かついてるよ。本当に」
いつもの調子に戻って、グラナートはそんな軽口を叩いた。
と、そんな二人に新たな足音が近付く。
「ワタシには本当に神がついているのだよ、何故なら信じているからね」
「!」
アクバールがこちらに歩いて来ていた。彼は少しふてくされた様子で言う。
「全く、ワタシだけ仲間外れとは寂しいじゃないか」
そして、思わず身構えているローエンに気付き、困った様に笑った後、グラナートに言った。
「何を話していたのだね」
「別に。ローエンを慰めてただけさ」
「そこで何故ワタシが出て来るのだね?」
「君、一体どこから聞いてたの?」
「ふむ、運が良かっただけ、とかいう所くらいか」
「……嘘に聞こえるんだよなぁ」
そんな様子を見ていると、ローエンは段々と気が抜けて来た。心配していても疲れるだけかと、そう思って彼は立ち上がった。
「よぉーっし、今日は俺が晩飯作ってやろうっと」
「お」
「それは名案だね」
にっこりとアクバールが笑った。ローエンも笑い返す。
「リクエストは聞く」
「ワタシは何でも良いよ」
「僕も君にお任せするよ」
………何にも変わってないや。
ローエンはそう少し嬉しく思いながら、二人の横を通り過ぎて先に教会の中へと戻って行った。
その日の晩、ローエンとソニアはヴェローナの家に身を寄せていた。ソニアはオフェリアの提案により、彼女の部屋で二人で寝ることにした。オフェリアはわくわくした様子でソニアを自室へ引き連れて行った。
「ソニアもオフェリアちゃんとは仲良く出来てるみたいだな」
一方で、ヴェローナの自室。ローエンはそこでヴェローナと二人きりでいた。……もしかすると、オフェリアは気遣っていたのかもしれない。
「そうね。基本的には懐っこいみたいね、ソニアちゃんは」
「まぁ………オフェリアちゃんが嫌われる理由は思い当たらないし」
ヴェローナ宅に常備してある自分の寝巻きに着替えたローエンは、腕を怪我したヴェローナの寝る支度を手伝っていた。風呂上がりの彼女の髪をドライヤーで乾かしている。
「オフェリアはオフェリアで、ソニアちゃんの事大好きみたいね」
「何で?」
「ソニアちゃんにいっぱい服着せたいって言ってたわ」
と、苦笑するヴェローナ。
「………そっちか…」
「女の子のモデルがなかなかいなかったから嬉しいんじゃない。まぁ、単に可愛がってる節もあると思うけど」
ふーん、とローエンはドライヤーを止め、ヴェローナの髪を櫛で解く。その手際を鏡越しに見て、ヴェローナは口を尖らせる。
「……リタってば何でもできるのね本当」
「………俺も昔髪長かったから………多少は」
「あら。そうなの?」
「……家出してすぐ切ったけど」
と、少しローエンは苦い顔をする。
「ちょっと見てみたいわ、それ」
「もう伸ばさない」
「えー。………にしても自分のをやるのと他人のをやるのとでは結構違うわよ、私小さい頃オフェリアの髪を結うのを手伝った事があるけど、上手くいかなくて怒られちゃった」
「………お前は不器用なだけだよ…」
「そうね、器用さは全部妹に取られちゃったみたい」
自分のは出来るけどね、と、肩を竦めるヴェローナ。はぁ、とローエンはため息を吐いた。
「…全く、その怪我でさらに悪くならなきゃいいけどな」
「………皮肉なのか心配なのかイマイチ分からないわ…」
「バーカ心配してんだよ」
「…あんたは傷、大丈夫なの?」
「俺は別に………痛いけど、まぁ、大丈夫だ」
「結構辛そうにしてたじゃない」
「血が流れりゃそりゃ辛い」
お前は傷が出来なくて良かったな、とローエンは笑った。ヴェローナも微笑む。
「………ありがと、助けてくれて」
「当然だろ」
出来たぞ、とローエンは肩を優しく叩く。立ち上がったヴェローナはローエンへと片腕で抱きついた。
「おっと」
「……ごめんなさい、私、あなたの事止めた」
クローディアとの事を言っているのだと気付き、ローエンは
「………いいよ、俺の配慮が足りなかっただけだ」
ソニアの為に、ヴェローナといさせているつもりだった。だが……大人がついていても駄目だった。寧ろ愛する人を危険に晒してしまった。
「あなたがいなくなる方がずっと嫌なのに…私…馬鹿よね」
そう言うヴェローナの頭にローエンは手を置き、
「女は馬鹿でいいんだよ」
その方が可愛い、と冗談っぽく言った。
「もう」
と、ローエンから離れるヴェローナ。ふと、ローエンは思った事を言う。
「…お前………グランの事怖くなったか?」
「……分からないわ、まるで別人だったもの。治療してくれた時はとても優しかったし」
「いつもは可愛らしいのにね」と笑って言うヴェローナに、ローエンは「どこがだよ」と返す。
「………全部?」
「グランが女受け良いのってそういう事?」
「少なくともあんたとは違うわよ。ほら、女の子に囲まれるとタジタジになっちゃうところとか」
「……可愛い………のか⁇」
「弄り甲斐があるって意味」
「………俺は?」
「無いわね」
その答えをどう受け取って良いのか分からず、ローエンは複雑な表情をした。すると、ふふ、とヴェローナは笑う。
「嘘。あんたも可愛いトコあるわよ」
「可愛いって言われんのはあんま好きじゃない…」
「別に女の子らしいって言ってるわけじゃ無いんだから」
「⁇」
どう言う意味だろうとローエンは頭の上にハテナをたくさん浮かべた。
「…女のコの言う事って時々分かんない」
「あら、リタにもそういう所ってあるのね」
「全部分かるのはエスパーだけ」
「………まぁそうね、全部分かったらそれはそれで怖いわ」
「分からないから面白い」
そう言って笑うと、ローエンはヴェローナに口付けした。ヴェローナもそれに応じる。しばらくして、彼女を離してローエンは笑う。
「…まぁ分かることは分かるなァ」
「………あんた傷痛いでしょ」
「お前も腕痛いけれど、やりたそうな顔してる」
「最近溜まってるのよ」
「奇遇だな、俺も」
ローエンはヴェローナの怪我していない方の腕を引くと、彼女を強引にベッドの上に寝かせた。そして、ヴェローナの上でローエンは気障な笑みを浮かべる。
「んじゃ遠慮なく襲っちゃおう」
「怪我人なんだから加減くらいしなさいよ」
「俺もそこまでドSじゃあない」
グラナートが知れば必ず怒るだろうが、そんな事は構わない。
「…………つうか俺も痛いからいつも通りとは行かない」
「あら、これはチャンスかしら」
「傷が開かない程度に頑張る」
「……たまには身を委ねてくれてもいいのよ」
「エスコートするのは男の仕事」
と、ローエンは再び口付けをし、そしてヴェローナの着ている寝巻きのボタンを外した。
……一方。オフェリアの部屋。先にベッドに入っていたソニアの横に、オフェリアが座る。
「今日は大変だったね、怪我はない?」
「ソニアは大丈夫………でも」
しゅん、と心配そうな顔をするソニア。オフェリアは苦笑する。
「お姉ちゃんてば無茶するよね。大丈夫大丈夫、別に死んじゃったりはしないから」
きっと今日も構わずお盛んでしょうよと、笑って図星な事を言うが、勿論ソニアにその意味は分からない。
「……無事で良かった。まぁ、ローエンだもんね」
「ソニア……おとーさんに助けられてばっかり」
「いいんだよ別に、まだソニアちゃんは子供なんだし。ああいう人は大切な人を守ってこそだから」
「…………」
「……ローエンは優しいから。失くしたくないものの為ならどんな無茶だってすると思う。………ソニアちゃんはそれだけの存在って事だよ」
と、オフェリアはソニアの頭を撫でる。さらさらとした栗色の髪。勿論ローエンとは色も質も違う。だが。
「最初は嫌がってたらしいじゃん?でも今はローエンはちゃんとソニアちゃんのお父さんやってるんじゃん」
「………もうおとーさん、ソニアのこときらわないかな」
「……どうしてそう思うの?」
「ソニア、“じゃま”じゃないかな」
幼い顔に悲しそうな表情が浮かぶ。オフェリアは少し困って、考えてから答えた。
「そんな事…ないと思うよ」
「いつもおとーさん、ソニアのせいで痛そう」
「ソニアちゃんのせいじゃないよ、悪い奴らが悪いんだし、それにあの人は元々」
「ソニアもつよくなりたい」
「!」
少女の言葉に、オフェリアは驚いた。決意に満ちた目が、オフェリアの目とぶつかる。彼女はしばらく動揺していたが、やがて笑って言う。
「……ローエンみたいにはならなくっていいけど……そうだね、守れる力があるっていい事だよね」
「ソニアもつよくなれるかな?」
「今は無理だろうけど、大きくなったらきっとね」
真の親子ではないものの、ローエンとソニアには似ている部分があるとオフェリアは感じていた。まだそれ程長くはないけれども、少なからずこの少女はローエンから影響を受けているのだろうと。
「…………将来が楽しみですな」
「え?」
「あぁいや!何でもない!さ、寝よっか!」
「……うん」
明日はソニアちゃんにどんな服を着せてあげよう、とそんな事を考えながら眠りについたオフェリアだった。
#42 END




