第40話 盾
スラム南部工場跡。棟にはぼやけた文字でB-8と示されている。外装は朽ちてペンキが剥がれ、錆び付いている。
中も随分な有様である。元々製材場だったのか、古くなった木屑が散らばっている。ここの機材は未だ撤去されずに残っているが、丸太を斬ったであろう大きな機械はそのギザギザとした刃を錆びつかせていた。
そんな中に、五つの人影があった。全員女だ。うち二人は縛られていて、壁際に座らされている。
「あの色魔、ちゃんと来るかしら」
「………あんた、この前折られた腕は大丈夫なの」
「あら、心配してくれるの、ヴェローナさん」
ふふ、とクローディアは笑う。そして、黒コートに包まれた細やかな腕を上げて見せた。
「この通り。綺麗に治ったわよ」
「あぁそう、でも今度はそんなんじゃ済まないわよ…」
ヴェローナは拘束されながらも強気でいた。手足を縛られ、身動きは取れないが目はじっとクローディアを睨みつけていた。その隣で、ソニアはうずくまっている。少し、震えているようだった。その様子に気付いて、ヴェローナは言う。
「…ソニアちゃん、大丈夫。リタなら絶対助けてくれるわ」
「………うん」
「勝機がないのにわざわざこんな事する訳がないでしょ、……あいつが怒るのは計算済み。悪いけど、あなた達はここで終わるの」
クローディアが嘲る様に言う。と、その後ろから静かな声がかかる。
「………お喋りはそれくらいにして頂戴。挑発しても意味はないわよ」
初老の女性。メリンダだ。緑がかった黒のドレスを纏い、その上からさらに黒のフレアコートを纏ったすらりとした佇まいだ。その顔を改めて見て、ヴェローナは彼女がローエンの母である事を再認識する。……よく似ている。髪質などそのままである。
「今度こそ、終わらせて。次は無いわよ」
きつい口調で彼女は殺し屋の二人に言う。ミシディアはそれを聞いているのか聞いていないのかよく分からない様子で姉に言う。
「じゃあ私上に隠れて来るね!」
「……そうして」
製材場の二階へと登って行く妹の背を見送り、クローディアはメリンダの方を向いた。
「こんな事をしたんだもの、彼は必ず怒って本気で来るわ。絶対逃してなんかくれない」
「どの道終わりだよねん」
と、上からミシディアが欄干に頬杖をついて言った。
「……私は、もっと速やかにやって欲しかったのだけどね。貴女がどうしてもと言うから続けて雇ってあげてるの」
「あなたの息子さんなかなか鋭いんだもの」
「息子なんかじゃないわ、娘になり損ねたガラクタよ」
さも当たり前の様にメリンダは言う。
「………そうね。貴女みたいな娘なら良かったのに」
と、彼女はヴェローナの方を見た。その顔は無表情で、何の感情も感じられない。
「……っ!」
どうして、どうしてそこまで酷い事が言えるのだろうとヴェローナは憤った。ローエンはあんなに優しいのに。どうしてその母は。
「……仮にも血の繋がった相手でしょう……」
「だからこそよ。男なんか嫌い。夫は私が唯一愛した男だけれど、それも結局逃げて行ったわ」
それはどう考えても自分自身のせいなのだが、メリンダにその自覚はない。
「私の思う様に育っていたら、きっと今頃リタは貴女の様になっていたの。それを…………えぇ、そう。貴女はリタを誑かした悪い虫ですもの。消えて貰うわ」
この女性は狂っているのだと、ヴェローナのみならずクローディアも、ミシディアも感じざるを得なかった。ソニアもまた、言葉に出来ない嫌悪感を覚えた。
そんな事は知らずか、メリンダはクローディアに言い放つ。
「………後は好きになさい。私はそこで休んでいるわ」
カツカツとブーツのヒールの音を立てて、メリンダは工場の隅へと歩いて行った。彼女が残されている椅子を払って座るのを見届けず、クローディアはヴェローナに向き直る。
「……そうね。彼が来る前に少し痛めつけてあげましょ。その方がきっと彼は怒るもの」
「…………あんた達……リタを怒らせたいの?」
「えぇ。理性が少し飛んだ方が戦いやすいでしょうから。…子供の方はあまりやると死んじゃいそうだから、あなたにしましょ」
クローディアはぺろりと舌舐めずりすると、ヴェローナの腕の拘束を解いた。その右腕を取られた時、嫌な感じがしてヴェローナは抵抗する。
「………待って、やめて…!何をするの………!」
「おかーさん!」
そこで初めて、ソニアは声を出した。しかしクローディアは高揚した様子で、ヴェローナを転かし、その右腕をブーツの爪先の方で踏みつけた。それだけでも、痛みに慣れないヴェローナには辛い。
「………やめて……」
「大丈夫よ、運が悪くても二度と抱き合えなくなるだけだわ」
と、クローディアは笑ってもう一方の足を上げると、そのピンヒールを思い切り、ヴェローナの腕へと踏み下ろした。
スラムを駆けるローエンの耳に、悲鳴が届いた様な気がした。ハッとして彼は立ち止まる。
「………ヴェローナ……………?」
呟いて見回すが、辺りはしんとしている。人の気配はあるが、じっと身を潜めているようだ。きっとローエンの事を知って、身を潜めているチンピラ達だ。
ローエンはそんな彼らには気を止めず、再び走り出した。B-8棟はもう少しだ。早く、行かなければ。
焦る気持ちが、彼を追い立てる。空耳だったかもしれないあの悲鳴が、ローエンをさらに不安にさせていた。
ヴェローナは痛む腕を抱え、荒い息で涙を浮かべて動けずにいた。起き上がる事すら出来ない。吐き気がする。
「………辛そうね……ふふ、お返しよ。この前あの人が私の腕を折ってくれたから」
楽しそうな顔でしゃがみ込むクローディア。ヴェローナはその顔を睨み返す。痛みが頭を支配する。悔しさと、恐怖が身体中を駆け巡った。
「おかーさん………おかーさん」
「……ソニアちゃん………大丈……夫」
こんなに痛いものなのかと思いながら、ヴェローナはそう答えた。すると、クローディアはつまらなさそうな顔をする。
「………ふーん、そう。頑張っちゃうか。女の子の方が痛いのには強いっていうもんね。私いつも男しか相手にしないのだけど………平和に生きてる男ってすぐにへたっちゃうの。まぁ、痛めつけるより先に大体死んじゃうんだけどね」
と、クローディアは微笑んで、ソニアの方を見た。
「……さて………どうしようかしら、娘ちゃんの方も少し痛い事しようかしら」
「………やめなさい、私で十分でしょ……」
もう痛い思いはしたくない。気が飛びそうだった。だがそれでも、怖気付いて目の前でソニアが傷付けられるのを見てはいられなかった。
「……そう…いいわよ。じゃあ私と遊んで頂戴?」
大丈夫、すぐにローエンは来る。必ず助けてくれる。それまでは、自分がソニアを守らなければ。何の為に私がついているのよ、とヴェローナは精一杯笑う。
「………何笑ってるの」
クローディアはそれを見て忌々しそうに目を細めた。ソニアが不安そうにしている中、ヴェローナは痛みに耐え、言う。
「……母は強くなきゃいけないの」
「………」
クローディアが右足を一歩引いた。彼女がその足を上げようとした時、男の声が飛んで来た。
「おい‼︎」
「!」
皆が、開いている入り口の方を向いた。そこに立っているのは少し息の荒いローエン。
「……思ったより早かったわね」
と、クローディアはつまらなさそうに言った。
倒れたままのヴェローナは、その姿を見て思わず泣いてしまう。
「………リタ……!」
「……悪い、遅くなった」
と、ローエンはその腕の様子と、無傷のソニアを見て頷いた。
「よく頑張った。………後は任せろ」
そして、クローディアを睨み付ける。
「……俺は言ったよな?初めに」
「えぇ。………でも破るのは簡単」
「覚悟しろよ」
ローエンは低く唸るように言った。しかし、クローディアは笑って言う。
「可哀想にね。貴方なんかと知り合わなければこんな目に遭わずに済んだかもしれないのに」
「………てめェ」
「…………本当に忌々しいわ、その低い声」
「!」
はっとして、ローエンは声の方を見た。そこではメリンダが足を組んで座っていた。
「………母さん」
「久しぶりね、リタ」
にこりともせず、メリンダは言う。まるで汚い物でも見る様な、蔑みの目を向けていた。
「あぁ、本当に許せない。その顔も、体格も、声も」
「………もう来るなって言っただろ」
「えぇ、でもそうね。彼女の言葉を借りるなら、『破るのは簡単』」
「……」
「それで、どうするの。その大きな手で私の首をへし折るのかしら」
ローエンは少し迷った様子で目を伏せた。そして、メリンダからは目を逸らし、再びクローディアへ目を向けた。
「………あら、お母様の事はいいの?」
「妹の方はどうした」
「あら、私が目の前にいるっていうのにその話する?」
「いるんだろ」
「…………教えないわ」
と、クローディアが動いた。コンバットナイフ片手に襲いかかる。刺突攻撃と蹴り、そしてパンチを捌き切ると、ローエンも蹴りで反撃する。それをクローディアはひらりと躱した。
「………お?」
「そう簡単には当たらないわよ」
嗤うクローディア。ローエンがイラッとして一歩踏み出した時、不意に足元に弾丸が飛んで来た。
「!」
「………おっと、しくった………」
上から、そんなミシディアの声がした。
「…そこか………」
ローエンはミシディアの位置を捉え、二階へ向かおうとする。
「あら、浮気はいけないわよ」
「!」
クローディアが前に立ちはだかり、攻撃を仕掛けて来た。ローエンはそのブーツの蹴りをバク転して避け、舌打ちする。
「……行かせちゃくれねェか」
「ミシディア、続けて」
「あいさー!」
と、また銃弾が降って来た。だがローエンには当たらない。避けながら彼はクローディアへ攻撃を仕掛ける。だが、やはりミシディアの援護射撃のせいでなかなか上手く行かない。
「………鬱陶しい……」
「いつまで持つかしらね」
ふふ、とクローディアは笑う。勿論、ローエンの集中力が切れれば終わりである。
「いっ!」
ローエンの肩を、弾が掠めた。ヴェローナが思わず声を上げる。彼は僅かに怯んだ。クローディアはその隙を見逃さない。
真っ直ぐに、心臓を狙ってクローディアはナイフを繰り出す。だが、ぱし、とローエンは刃が自らの心臓を貫く前に、彼女のナイフを握る手を、ナイフと共に受け止めた。指の間に挟まれた刃。クローディアは忌々しそうな顔をする。
「ほんっと器用ね」
「………死ぬよか指切った方がマシだ」
と、ローエンは唐突に地面を蹴ってその場から下がった。直後、クローディアの足元を銃弾が穿つ。
「もう!何で分かるのよ………」
ミシディアはイラッとしてそう呟き、弾を装填した。姉の攻撃もあって、隙は出来そうなものなのになかなか無い。というか、上手くクローディアを盾にされている様な気もする。
「ミシディア!」
クローディアも苛ついているのか、妹に向かって怒鳴り声を上げた。
「ごめんって!」
と、ローエンへ照準を合わせ、また撃つ。しかしやはり、当たる前にローエンは動いてしまう。そのまま彼はクローディアへと襲い掛かる。
(……これじゃあわざわざ女の殺し屋を雇った意味が無いわね)
その様子を見ているメリンダは、そんな事を考えていた。
(本当に忌々しい子。男なら男らしく女に溺れていればいいのに)
ローエンは全く、クローディアに容赦する気は無さそうだった。否、今まではしていたのだ。だが、堪忍袋の尾が切れた。
そんな彼のペースが徐々に上がって来ているのを、クローディアは否応無く感じていた。………或いは、自分の方が体力が尽き始めているのだろうか。
(………ミシディアは何してるのよ)
生物的に、女の体力が男の体力に勝る事はない。ましてや相手は同業者、鍛えているならなおさらだ。
だから普段は奇襲や色仕掛けで相手を仕留める。だが、彼にはそれが効かない。効かないとなれば、自分一人ではなく狙撃手たる妹の力を借りるのが、彼女達の定石だった。
と、ふとクローディアは彼女の援護射撃が止んでいる事に気付いた。………何かあったのだろうか、とそんな不安が隙を生んだ。
ローエンの容赦のない蹴りがクローディアの脇腹を薙いだ。
「あうっ!」
辛うじて受け身を取ったクローディア。にじり寄るローエンを睨みながら、彼女は上へ呼びかける。
「ミシディア!何やってるの………」
と、その時上から何かがゴトリと落ちて来た。その場の全員が息を呑んだ。
「………ミシ………ディア」
それは上で隠れていたはずの妹の首だった。綺麗な切り口で斬り落とされた首。クローディアは現実に頭が追いつかない。………一体誰が、とそう思った時。
「二対一は卑怯じゃないかい?ここはフェアに行こうよ」
「!」
上から降って来た声。皆が見上げると、そこには返り血に染まった白いフードを被ったグラナートがいたのだった。
#40 END




