表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Strain   作者: Ak!La
37/56

第37話 戻れない道

 ある日。警察署の地下にある修練場で木刀を振っていたダミヤ。部屋は冬の寒さが染みてひんやりとしていたが、タンクトップ姿の彼の肌には汗が滲んでいた。

  朝早い為、誰もいない。というかそもそも、この場を使う人間は少ない。時折皆が集まって、近接格闘の練習をしている事もあるが、個人で使っているのはほとんどダミヤ一人である。部屋の端にはサンドバッグが並んでいるので、それを使いに来る者もたまにはいるが、こうして木刀を振るのは彼しかいない。そこには風を切る音と、彼の足が畳を叩く音だけが響いている。

(………床冷たいわぁ)

 と、顔は真剣だが内心ではそんな事を考えていた。そして、一際大きく振った途端、部屋の隅に置いていたタオルの上の携帯が鳴る。

「………何や何や」

 ダミヤは素振りを止めると、腕で顔の汗を拭いながらそちらへ歩いて行った。折り畳み式の古い型の携帯を開くと、知らない番号が出ていた。

「………誰やねん」

 訝しみながらも、彼は出た。

「あい」

『周りには誰もいねェか』

「………………⁈その声⁈おまっ」

『しっ、質問に答えろ』

 電話の主の声には聞き覚えがあった。しかし、何故ここに、どうやってかけて来たのか分からない。

「…誰もおらん。俺一人だけや。しばらく誰も来んと思うけど。………何のつもりやローエン、どうやってこの番号」

『どうやって知ったかは聞くな』

 電話の向こうのローエンは、ダミヤの言葉を遮って言った。

『今日時間があるのなら、一人で今から言う場所に来い』

「…………何やのん?どういうつもりや」

『それは会ってから話す。絶対来い』

「行かへんかったらどうなるん?」

『……』

 沈黙。しかしその微妙な様子を感じ取り、ダミヤは思わず笑う。

「行かへんくても別にどうもならんて、そりゃ脅しにしちゃあ優しいもんやな」

『別に脅してない。頼んでるだけだ』

「でも命令したやろ?俺よりも若い癖に偉そうなやっちゃ」

『俺の話を聞いてくれるなら敬意は示す。………正直言って危険かもしれない』

「………何なん?俺に何させようとしてるん?」

 ローエンの声色のただならぬ感じに、ダミヤは緊張した。だが、それに反してローエンはただ淡々とした様子で答える。

『来たら話す』

「…………あん?」

『前に会った路地。警察だと分からない格好で来い。いいな』

「あっ、待ておい!」

 そこで電話は切れた。ツーツーと音を立てる携帯を見つめ、ダミヤは大きなため息を吐いてそれを閉じた。

「…………ほんま何なん…」

 行くしかないか、とそう思った。念の為帯刀はして行く。戦闘になる様子ではなかったが、もしもという事もある。

 またアナスタシアに怒られるかもしれないが、二人を連れて行く気にもならなかった。そもそも「一人で来い」と言われたのだから。

 ダミヤは立ち上がり、携帯をポケットにしまうとタオルを拾い上げ、首に掛ける。そして、それで顔の汗を拭きながら、そのままシャワー室に向かった。




「あんたなら来ると思ってた」

 約束の場所。ローエンはいつもの白いワイシャツにベストと黒ズボンという姿で壁に寄りかかって待っていた。

「……ほんまに何考えてるん、敵なんやで」

 そう応えるダミヤは、Tシャツの上に黒のデニムのジャケットとジーパンという格好だった。それに刀を提げている。

「…………あんた私服思ってたよりアレだな」

「……アレって何やねん」

「悪い意味じゃない」

「褒め言葉やと思ってええんか…………」

「まぁそんな事はどうでもいい、本題に入る」

 ローエンは壁から離れると、ダミヤと対峙する形で立った。ピリリとした緊張感が走る。

「調べて欲しいことがある」

 と、ローエンが出したのは四つ折りにした紙。それを受け取り、開いてダミヤは目を細める。

「……何やこれ、蛇?」

「それについて調べて欲しい」

「こんなん見た事無いで、何のマークなん」

「ある男の手の甲に刻まれてた」

「………それは教えてくれへんの?」

「あらぬ疑いだった時に悪い」

「変なところで優しいなお前」

 ダミヤはハァ、とため息を吐いた。と、そこへローエンが茶封筒を差し出す。結構な厚みがある。

「…………何」

「ここに10万ユルある。足りるか」

「………何や賄賂もろてるみたいで嫌やわぁ…」

「そういうの気にするタチか?あんた」

「失敬な。気にするわ。俺は汚職警官にはなりたぁない」

「今俺と普通に会ってる時点でどうかとは思うが」

「お前ほんまに何がしたいねん…………」

 うんざりした顔のダミヤ。ローエンは封筒を引っ込める。

「分かった。じゃあコレは無し。ただ調べてくれるだけでいい」

「何で俺なん、警察に頼るまでもなくお前にゃ他の情報網が…………」

 言いかけて、ローエンの気まずそうな顔に気付いた。

「………“それ”が使われへんてか」

「……………そうだ」

「一体何なん、お前が調べたがってるコレは…」

「分からないから頼んでる。もしかしたら良くないものかもしれない。………何者なのか知りたい」

「…………」

 あの神父絡みだな、という事は察した。ダミヤは一つため息を吐いて、言う。

「……ひとつ言うとくわ。あの神父、経歴のほとんどが分からんねん」

「…………?」

「分かってるのは名前と年齢、顔と身長くらいやな。お前の周辺を調べてる時に気付いたんやけど、あいつはなんかおかしい」

 ローエンは何も言わない。ただ険しい表情でダミヤを見ていた。

「……そんな事分かってるゆう顔やな。だからこそ俺を頼った。…………ちゃうか?」

「あんたは話が分かる奴だと思ったから」

「仲良く出来る思われても困るんやけどな。お前を捕まえるんが俺の義務や」

「分かってる」

「………ほんまアホやわ、何で俺が受ける思たん」

「…………」

 俯くローエン。その眉間にはぎゅっ、と皺が寄せられていた。

「軽率やろ、サシで俺とやったらお前、多分死ぬで」

「あんたとまともに闘ろうとは思ってねェ」

「ほんまに、都合のいいやっちゃな」

 やっぱりダメだったか。ローエンが一歩退こうとしたその時。

「ええで」

「………!…………えっ」

「……なんか臭うねん、あの神父。よう分からんし今の所害も無いから放っといてたんやけどな。………ついでに調べたるわ」

 結局受けてくれるのかよ!とローエンは心の中で叫んだ。

「んで?連絡はどうやってすればええんや」

「…………え、朝電話しただろ俺」

「……捨て携帯ちゃうん」

「俺のだよ」

 しれっと言うローエンに、ダミヤはしばらく固まった後、恐る恐る聞いた。

「………それは…単に考え不足やったんかハナから断られる気無かったんかどっちなん」

「さぁな」

 ローエンはしてやったりという風に笑って言った。それに何故かぞわりとして、ダミヤは自分の体を抱きしめ叫ぶ。

「……んああぁぁもう!お前めんどくさ!怖いわ!」

「それはどうも」

「褒めてへん!」

 何がともあれ、交渉は成功した。ローエンの頼みの綱は繋がった。あとは、ちゃんと結果がついてくるかどうかだ。

「………んじゃ一つこっちも頼まれてくれへんか」

「…何だ」

「あの神父の情報、知ってるだけくれ」

「………分かった。お前がちゃんと連絡して来た時にやる」

「オーケー、信用するで。こっちは任しときぃ」

 どん、とダミヤは胸を叩いて笑った。

 ……とは言え、ローエンだってアクバールの全てを知るわけでは無い。むしろほとんど知らないと言える。ダミヤが言っていた通り、彼の経歴はその多くが謎だ。………だが、小さな事でも役にたつだろうか。

 と、そこまで考えてローエンは気付いた。

 ……これは、完全にアクバールを裏切る事になる。

 自分の収入源は100%がアクバールだ、もし彼が消えた場合、自分はどうなるんだ………と、そう思った。だが、もう後戻りは出来ない。

 殺し屋を卒業して、普通の暮らしを。いや、その前に刑務所だろうか……だが捕まったら自分は出て来られるのだろうか。………どうせ進むべき道は限られているのだという事に気付いた。こんな裏稼業をしていて、普通の暮らしに今更戻れるはずもなかった。

「……あ、そうだ」

「ん?何や」

 これも一応言っておくべきかと、ローエンは恐る恐る言う。

「どうやら警察内部に内通者がいるらしい。だから……気を付けて」

「………ご忠告どうも。まぁ内通者がいる事については薄々勘付いとったわ。どうせ俺の番号もそこからやろ」

「俺は直接は知らねェけど多分……」

「………お前、知ってて隠しとるんやったらぶった斬るで」

「本当に知らねェんだよ」

 ダミヤはローエンをじっと見て、それから肩の力を抜いてはぁ、とため息を吐いた。

「……分かったわ。んじゃあ俺は帰る。早よせんとセリンに怒られんねん」

「あぁ。助かったよ」

「………まだ過去形にするには早いで」

「……………そうだな」

 んじゃ、とダミヤは手を挙げて去って行った。一人残り、ローエンは拳を握りしめた。心臓が波打つ。罪悪感が覆い被さって来た。………もう、後には戻れない。




「ここがグランさんのお家なのね」

「………あまり良いところじゃないけどどうぞ」

「あら、そんな事ないわ、好きよこの感じ。病院の匂いがする」

「一応医者だから……」

 同日、昼。グラナートの傷も癒え、今日はジークリンデを初めて家に呼んでいた。

「白衣は着ないの?」

「いつもは着てるけど、君がいるから」

 コートを脱ぎ、ハンガーに掛けながらそう言った。今はTシャツの上にワイシャツを着ている。

「あら、見てみたいわ」

「………分かったよ」

 ちょっと待ってね、とグラナートは個室に引っ込むと、すぐに白衣を着て出て来た。赤面した顔を右手で覆い、小さな声で彼は呟く。

「……何でこんな恥ずかしいんだろ」

「恥ずかしがる事無いわ、だってとても似合ってるもの」

 ジークリンデはにっこりと笑ってそう言う。グラナートは照れ隠しにキッチンに向かってコーヒーを淹れ始めた。

「………グランさんはどうしてお医者さんになったの?」

「!」

 背中に掛けられた言葉。グラナートは振り返らないまま、答える。

「さぁ、どうしてかな」

「殺し屋さんだったんでしょ?」

「……なりたくてなった訳じゃないっていうか………」

 そもそも正規の医者では無い。その知識を持っているというだけだ。

「闇医者だし………」

「でも腕は良いんでしょ?」

「まぁ……ある程度はね」

 元々器用だったのもある。後は、自分にそれなりの知能があった事。

「ある人に、医者になるように勧められてね。身を隠す為にも……」

「“死神”としての?」

「………まぁね」

 グラナートに医者になるように、半ば命令の様な形で勧めたのは他でも無い、アクバールだ。彼に会って初日、そうなった。次の日与えられたのは、大量の医学書だった。

「結構苦労したよ、教えてくれる人もいないし。でも、そうだな、自分で怪我を治せたらそれはそれで便利かなって思って」

「そんな気持ちでなれるものなの?」

「いやぁ、多分普通は無理」

 グラナートは出来上がった二人ぶんのコーヒーをテーブルに置いた。ジークリンデを向かい側に座らせ、自分も座る。

「昔は知り合いが連れて来るスラムの子供とかを無償で診てたんだけど、最近はもうローエンしか診てないな……」

「子供?」

「ほら、スラム街には医療費が払えない人がたくさんいるだろ。特に子供は弱いから、あの不衛生さの中で病気になっちゃう子も多くて………」

 無論、時には大人も診た。ここに来る事もあれば、アクバールと共にスラム街を回る事もあった。

「…やってる内に、人を助けられる事が嬉しくなって来た」

 安心したような人々の表情。握った小さな手。温かかった事も、冷たかった事もあった。

「………それは償いの為?」

「!」

 俯いていたグラナートは、ジークリンデの言葉にハッとして顔を上げた。

「……いいや、違う、僕は……そんな善良な人間じゃない」

「私が知ってるグランさんは優しい人よ」

「きっと、君が僕の本来の姿を見たら驚くんだろうな」

「そうかもね。だって、本当に全てを知ってる訳じゃないもの」

ジークリンデは頬杖をついて、笑う。

「………でも、きっと私は貴方の手を離さない」

 と、彼女は机の上に置かれたグラナートの手に、自分の手を重ねた。

「こんな悲しそうな顔した人を、置いて行けるもんですか」

「ジーク…」

「貴方は欲の無い人みたいだから、本当は私なんかどうでも良いのかもしれないけど」

「!……そんな事………!」

「冗談よ。可愛い人ね」

 笑うジークリンデに、グラナートは赤面する。

「…か、からかうのはよしてくれ」

「あらあら、ごめんなさい」

 口ではそう言いながらも、ジークリンデは内心ではそんなグラナートを“可愛い”と思っていた。

 と、彼女は重ねた手を見つめ、感じていた事を言った。

「………貴方は最近、何かに怯えてるみたい」

「!」

「一体何に怯えてるの?」

 どうして、という顔をするグラナートに、ジークリンデはくすりと笑う。

「私ね、他人の細かい変化によく気付くの。外見であれ、内面であれ、何でもね。………貴方は隠すのが上手いみたいだけど、今こうしていて分かったわ」

「……大した事じゃ無い」

「そんな風には見えないもの」

 目をじっと見るジークリンデと、その視線から逃げる様に目を逸らしたグラナート。

「私には言えない事?」

「まだ………そうと決まった訳じゃないから。でも、本当に僕の考えている通りなら」

 グラナートの喉の奥で、言葉が止まった。言う事を躊躇っている。彼の目が、ジークリンデの視線とぶつかった。その瞳は、不安と、悲しみに揺れていた。

「……もう君とは会えなくなるかもしれない」

「………え?」

「僕は“あの日”、平穏に生きる事をやめてしまったから」

 グラナートの脳裏に残る、紅い記憶。鉄の匂い。あの時の感情。……それは。

「これは天罰なんだよジーク、僕は一生幸せにはなれない」

「………グランさん」

「でも、それを甘んじて受け入れようとは思ってない。精一杯抗うさ。その後は………」

 グラナートは笑った。その笑顔はどうしようもなく優しくて、悲しそうだった。

「……その後は、一緒に暮らそう」

 その言葉が、ジークリンデの心に突き刺さった。嬉しい言葉のはずだった。だが、どうしようもない不幸が、覆い被さって来ているような気がして。

「……はい」

 頷いた彼女。しかしその声は震えていた。グラナートの手を握りしめる。

「絶対に、そうしましょ」

 運命によって結ばれた二人は、また運命によって引き裂かれようとしていた。“どうしようもなく”、世界は残酷だ。

 「好きにならなければ良かったのに」と、そう思わせるなど。

  全ては、自分の所為だ。

「ごめん、ジーク」

「………どうして謝るの」

「きっと僕は……」

 『帰って来れない』、と言おうとして、言えなかった。例え命があったとしても、自分はきっと。

「いや、何でもないよ。ごめん、遊びに来たのに」

「ううん、いいの。悩み事は共有するものよ」

 ……運命を共にする者。戻れないのは、ジークリンデも同じだった。


#37 END

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ