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Strain   作者: Ak!La
36/56

第36話 恐怖と好奇心

#36 恐怖と好奇心

「じゃあねー」

「また明日ね!」

「気を付けてな」

 リノと別れ、ブンブンと手を振っているソニア。そんな彼女を見て、ローエンは微笑んで息をついた。

「……いい子だな、あの子」

「リノちゃんは、やさしいんだよ」

「そうか」

「今日もね、ソニアのこと守ってくれたの」

「…………!」

 何か危ない事でもあったのか、とローエンはドキリとしたが、その心配は次の言葉で別のものに変わった。

「今日ね、ルーシーって人にね、スラムのこときかれちゃった」

「………」

 ……それはそれで心配していた事だ。ソニアは特にその事にはデリケートであるから。

「…それで、どうした」

「答えなかったの。ライリー君は止めようとしてくれてたけど、ぜんぜん……」

 ソニアはしゅん、として俯く。ローエンが何を言おうかと迷っていると、彼女は思い出したようにばっと顔を上げた。

「もしかしたらルーシーたち、スラムに行っちゃうかも」

「………それは………心配だな」

「どうしよう、死んじゃうかも」

 今にも泣きそうな顔でソニアはローエンに言う。ローエンはしゃがみ、ソニアの頭に手を置いて笑って言う。

「………お前は優しいな。怒ってもいいんだぞ、別に」

「…二人は悪くないもの。………だって、死んじゃったらやだもん」

「……二人……って、そのルーシーって子と…ライリー?」

「うん。“ふたご”なんだって」

 ソニアは涙を拭きながら頷く。本気で心配しているようだ。自分も傷ついただろうに、本当にこの子は。

「ソニア、どうするかはお前が決めろ」

「…?」

「素直に話してやるか、話してやらないのか、それとも危険だとだけ伝えるのか」

「……………うん」

 ソニアは頷いた。そして、少し考えている様だった。ローエンはクス、と笑って、立ち上がった。

「さ、早く帰ろう。今日はオムライスだぞ」

「………うん」

「何だ、元気出せ。お前だけ悩んでてもどうにもならないぞ」

「…………うん、分かった」

「よし」

 すっかり日は落ちていた。西の空が燃える様な赤に染まっている。二人は長く伸びた影を連れて、家へと再び歩き出した。




 翌日。教室に入ったソニアは、早速ルーシーに捕まった。

「ちょっと人のいないところに行きましょ」

「…………」

 その隣にライリーはいない。ソニアは黙って頷いて、ルーシーの後をついて行った。

 連れて来られたのは一階の階段の裏のスペース。遠くで他の学生達が遊んでいる声が聞こえるくらいで、人の気配は他になかった。

「昨日は聞けなかったから。教えて」

 腰に手を当て、ルーシーは言った。その顔に浮かんでいるのは純粋な笑み。ただただ好奇心しか感じられない。ソニアにはやはりそれが恐ろしく感じられた。悪意無き悪意。そのタチの悪さを、ソニアは本能的に感じ取っていたのだろう。

「………知ったらどうするの?」

 ソニアはまずそう聞いた。

「知ってそれでおわり。ずっと気になってたの。あのカベの向こうには、何があるんだろうって」

「………」

「でも、できれば見てみたいの。パパもママも『あぶないからダメだ』って言うけど、一体何があぶないの?」

「…………ぜんぶ」

「ぜんぶ?」

「ソニアも怖かったもん。いっぱい。お父さんはどこにもいないし、お母さんも死んじゃった」

「……え?」

 ルーシーは、ヴェローナとソニアが義理の親子(ということになっている)ということすら知らない。彼女にとって、親とは当然いるものであり、いないはずのないものという認識だったからだ。“孤児”という言葉も、ルーシーは知らない。

「…………どういうこと?だってあんた」

「おとーさんもおかーさんも、本当のお父さんとお母さんじゃないの」

 ソニアは自分でも何を言っているのか分からなかった。言葉を発すると共に、心がぎゅっと締め付けられるようだった。

「………本当の…じゃないって」

 ルーシーは信じられないというような顔をして、首を横に振る。

「じゃああんた……ひとりぼっちなの?」

「…ひとりじゃないよ。だって、おとーさんとおかーさんがいるもん」

 大切な家族だ。大切にして貰っている。だが、実は壁を作っているのはソニアの方だった。心の何処かでは、赤の他人であるという意識は消えていない。

「…さみしくはないの。でも、さみしいの」

「?」

「なんにもないから。カベの向こうには、なにもないよ」

 ソニアはそう言った。ルーシーはしばらく黙っていたが、やがてつまらなさそうな顔で言う。

「ふーん……何もないんだ。そう。つまんないの」

「………!」

「あたしね、もうお家にあきてきちゃったの。だからつれていって。何もないならもんだいないでしょ」

「ちが………!そういうことじゃ」

「いいこと、あたしの“めいれい”はぜったいなの。聞かないとあんた、ひどい目にあうんだからね!」

「………っ」

 ソニアは言葉を詰まらせる。その時丁度、チャイムが鳴った。

「あら、もう始まっちゃうわね。行きましょ、先生におこられるのはイヤだもの」

 ルーシーはソニアを置いて、さっさと教室へと歩いて行ってしまった。一人になったソニアは、しばらくその場で動けずにいた。どうしよう、という気持ちが頭をぐるぐる回る。だが、しばらくしてハッと我に帰ると、授業に遅れてしまうと思い出し、ソニアは走って教室へ戻って行った。




 放課後。ヴェローナは校門でソニアを待っていた。ゾロゾロと出て来る生徒の波。ソニアにもそろそろ友達が出来たようだし、自分の迎えももういらないかな、とそう思いながらその光景を眺めていた。と、ヴェローナはその中にソニアの姿を見つけた。

「ソニアちゃ……」

 ヴェローナが手を振ろうと上げた時。彼女はソニアの手を引く存在に気が付いた。リノではない。知らない子だ。そこに男の子もついて行っているようだ。

 ソニアはヴェローナの前を通り過ぎて、手を引かれるままに離れて行ってしまう。その横顔が、不安そうである事に彼女は気付いた。

「………ソニアちゃん?」

 友達だろうか。三人はあっという間に走り去ってしまった。ヴェローナが呆けていると、不意に声がかかる。

「ソニアちゃんのお母さん!」

「!」

 校門から出て来たのはリノだった。酷く慌てた様子でいる。

「ど、どうしたの、何?」

「た、大変なんですっ…!」

 急いで走って来たのか、リノは弾んだ息でいた。

「……る、ルーシーがライリーとソニアちゃんを連れて…スラムに行くって!」

 それを聞いたヴェローナは、血の気が引いた。

「………何ですって?」




「待って……もう走れないよ…」

 ライリーがそう言う。既にスラム地区と市街の境の壁の近くまで来ている。

「なっさけないわねぇ、男でしょお兄ちゃんは!」

「……あぶないからやめようよ……ねぇ」

「何言ってるのよ、せっかくここまで来たのよ!おとなに見つからないように気をつけてまで来たのに!」

 ルーシーが怒った様子でそう言うので、ライリーは黙ってしまう。

 ソニアはオロオロとしながらもライリーと同じく逆らえずにいた。自分も怖い。だがそれ以上に、ルーシーとライリーが危険な目に遭うことが心配だった。

「さぁ行くわよ!」

 壁の間には何もない。ただ通り抜ける道を抜ければ終わりである。昔は多少規制されていたが、今はそれもない。

 ソニアにとっては見慣れた風景に出た。市街地と似たつくりの街並み。それはかつて、今のスラムこそが市街であったという事を示していた。寂れてはいるが、まだ市街に近い分、人の気配はある。

「………ふーん、何だか思ってたのとちがうみたい」

「……!」

「もういいだろ、帰ろうよ……」

 ライリーがそう言ってルーシーの腕を引く。だが、彼女はそれを振り払うと言った。

「何言ってるのよ!このまま行くに決まってるでしょ!」

「………えぇ…」

「さぁ行くわよソニア!こんな弱虫ほっといたってかまわないわ」

「ま、待ってよルーシー!一人にしないで!」

 ずかずかと歩いて行くルーシー。それに引っ張られるソニアと、慌ててついて行くライリー。ルーシーは何も感じていないようだが、ソニアは自分達に向けられた多くの視線を感じていた。

 彼女達は学園の制服を着たままで、裕福な家庭の人間である事は明らかだ。そんな少年少女が、狙われないはずがない。人質に取って身代金を要求すれば、一攫千金だ。犯罪だという意識を持つ暇もないほど、ここの人間は飢えている。ソニアはそういう事を嫌という程知っている。

 そんな事を思う間にも、ルーシーは二人を連れてどんどん進んで行く。このままあの教会へ連れて行こうか、とも考えた。だが、そこまでちゃんと行き着ける保証もない。子供の足では少々距離があるのだ。もう既に学園から歩いて来て疲れてしまっている。

「………これ以上はあぶないよ、帰ろう」

 ソニアは恐る恐るそう言った。ルーシーが立ち止まる。そして、きっ、と眉を吊り上げて、ソニアを睨みつけて来た。

「あんたまでそういう事言うの?本当に怖がりなのね!何にもないじゃない」

「だめだよ、もっと向こうの方はあぶないんだよ!」

 ソニアは思い切って、ルーシーの腕を引っ張った。

「いや!まだもどらないんだから!」

「おねがいだから帰ろうよ!」

 その時だった。大きな影が三人に覆い被さった。その気配に、ソニアは固まる。見上げれば、やつれた様子の男が三人立っていた。

「……な、何よあんたたち」

 ルーシーがただならぬものを感じてそう言った。

「………嬢ちゃん達、どこの子だ」

 男の一人が言った。低い声。何かを求める様な目で、彼は少女達を見つめていた。

「………どこ………って」

「面倒くせえ、どうせ市街の奴だろ。捕まえよう」

「そうだな、少なからず金は搾り取れるだろ……」

「!」

 男の大きな薄汚れた手が、ルーシーに伸びて来た。彼女は恐怖のあまり声も出ない。ライリーも男達に圧倒されて動けない。ルーシーの腕が掴まれた、その時。

「いっ!なっ、何しやがるこのガキ!」

 ソニアが男の手に噛み付いた。反射的に男はルーシーを放す。勢いで後ろに転け、はっと我に帰ったルーシーは思わず叫ぶ。

「………ソニア!」

「ちっ、クソガキが!」

「あぅっ!」

 ソニアは男に振り払われ、地面を転がった。それを見て、他のうちの一人が言う。

「おいやめろ、殺すなよ」

「……別にいいだろ、殺したって向こうにゃ分かりゃしねぇんだ」

 頭に血が上った様子の男は、ソニアにゆっくりと近付く。と、不意に今まで動けずにいたライリーが男の腕に必死にしがみついた。

「やっ、やめてくれ!友達なんだ!」

「うっせぇ!すっこんでろガキ!」

 ぶん、と男が腕を振っただけで、ライリーは振り払われて尻餅をつく。男はそんな少年には目もくれず、再びゆっくりとソニアの方を向く。そして、彼が一歩踏み出した時だった。

 突然、何かが飛んで来てその男を吹っ飛ばした。

「こ、今度は何なのよぅ…」

「………!」

 不安そうにライリーに身を寄せるルーシーに対し、ソニアは顔を輝かせた。黒のコートに身を包んだその姿は、これ以上なく頼もしいものだったからだ。

「無事か、お前ら」

 そこにいたのはローエンだった。彼は変装用の伊達眼鏡を外すと、ズボンの後ろポケットに入れた。

「………おとーさん!」

「……えっ」

「………なっ、何だお前っ」

 狼狽える男達。彼らにローエンは、暗い笑みを浮かべて言った。

「……うちの娘達に何やってんだ?あ?」

「………おっ、お前っ………“ディアボ…」

「馬鹿っ、逃げるぞ、殺される!」

 ローエンの正体に気付いた彼らは、先に吹っ飛ばされて気絶していた男を引きずり、慌てて逃げて行った。

 ふう、と息を吐いてローエンは振り向く。

「……怪我は」

 衝撃で肋骨が痛んだのか、その表情には少々苦痛が見えた。

「ちょっとすりむいたけど、大丈夫!」

 すっかり元気が出たソニアはそう言って笑う。そうか、とローエンは笑って答えた。そして、ルーシーとライリーの前でしゃがむと、言った。

「…………お前らは」

「……あたしはなんともないの。けど、お兄ちゃんが…」

「ぼくも大丈夫だよ、心配しないでルーシー」

 ライリーはそう言って強張った笑みを浮かべた。ローエンの表情が、いつの間にか厳しいものに変わっていたからだ。

「そうか。怪我が無いなら良かった。けどな、俺は大人として、お前らを叱らなくちゃならない」

「………ごめんなさい」

 ルーシーは素直にそう謝った。

「ソニアのことはおこらないで、あたしがわるいの」

「大体のことはヴェローナから聞いた。リノって子が知らせてくれたんだそうだ。俺が来なけりゃどうなってたか分かるか?」

「………」

 ルーシーは恐ろしさに答えられなかった、ライリーも再び恐怖を思い出したらしく、押し黙っていた。

 その様子を見て、ローエンはふっ、と笑う。そして立ち上がると言った。

「まぁ、これに懲りたらもうこんな所来るな。君達みたいな良い子の来る所じゃあねェんだよ」

「………ソニアはわるい子?」

「……そういう事じゃねっけども…」

 ソニアの指摘にローエンはぎくりとしてそう答えた。そして彼が何か言う前に、ルーシーが言った。

「助けてくれてありがとう、でも、一つおねがいがあるの」

「ん?」

「このこと、パパとママに言わないで。先生にも」

 ルーシーは今にも泣きそうな顔をしていた。ローエンはしばらく考えて、立ち上がる。

「分かった。じゃあ今あったことは無しにしよう。君達はスラムに来なかった。俺も助けに来てない。君達は何も見てない。………スラムに行ったらダメだって事だけを知ってる」

 にっこりと笑って言うローエン。そのなんとも言えぬ威圧感に、二人はこくこくと頷いた。

「言わないわ、ぜったい」

 ルーシーもライリーも、ローエンが思い切り一人の男を蹴りで吹っ飛ばしたのを見ている。しかも、男がその一撃で気絶した事も。

「そうか、良かった」

 ローエンの笑みが優しいものに変わった。途端に、ルーシーの顔がくしゃりと歪む。あっ、とローエンが思った時には、既に彼女は泣き出していた。

 緊張が解けたのだろう、今まで押さえ込まれていた恐怖が溢れ出した。

 ローエンはわんわん泣くルーシーにうんざりした顔を見せ、そして額を抑えた。

「………これだからガキは嫌いなんだって……」

 彼女達には嫌われはしなかったが、やはり面倒臭いものは面倒臭いなと、そう思うローエンだった。


#36 END

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