第34話 軋む世界
「…………派手にやって来たものだねグラナート、まぁ、無事で何よりだが」
教会にて。赤く染まった白の上着を脇に抱えたグラナートを見て、アクバールはため息を吐いた。
「……そんなに溜まってたかね」
「別に。久しぶりに動いたら楽しくなっちゃっただけだよ」
「…………まったく、君は何も変わってないね」
笑って答えたグラナートに、もう一つアクバールは大きなため息を吐いた。
「…………そんな事はないと思うけどな……」
「まぁ良い。成果を報告したまえ」
アクバールがそう言うと、ルチアーノが答える。
「俺とラファエルはそれぞれヘテロとミケーレを撃破、ローエンはヴィトを、グランはレオルーカとサルヴァトーレの二人を撃破…………以上、幹部は全員殺しました」
「構成員もおおよそ抹殺しましたが、何人か逃げ出した者もいるかもしれません」
と、そうラファエルが付け加える。アクバールは大きく頷いた。
「まぁ良いだろう。下っ端が数人逃げたところでもう大きな活動は出来まいよ。ご苦労様。ほら、報酬だ。受け取りたまえ。ルチアーノとラファエルのは一緒にしてあるよ」
と、アクバールは封筒を三つ差し出した。それぞれローエンとグラナートと、そしてルチアーノが受け取った。
「…………珍しっすね、うちにも報酬出してくれるなンて」
「まぁね。君達だけ出さないという訳にもいかんだろう」
その会話を聞いて、ローエンは疑問に思う。
「……いつもは貰ってないのか?」
「え?………ンあー…うん、まァ、いつもはボランティアみたいな」
「…………よくやりますね」
グラナートが少し呆れた様子で言った。
「まァ別に嫌じゃねェし暇潰しに」
「………普段は何を?」
「…………ンー、普通に殺し屋やってるぜ」
「……そうですか」
チリチリと、グラナートはやはり何か嫌な感じがした。脳のどこかが、告げている。…………彼らと深く関わってはいけないと。
「何を呆けているのだね、グラナート。君は医者なのだから皆の治療をしてあげたまえ」
「…………あ、あぁ、うん」
ハッと我に帰り、グラナートは皆を見回して言う。
「………じゃあ、ローエンから順番に」
アクバールに「部屋借りるよ」、と告げ、グラナートはローエンを連れて一室へと向かった。
アクバールの自室ではないもう一部屋。普段はほとんど使われていないが、きちんと掃除は為されている。そこには治療が出来るように、グラナートの家にあるものとそう変わらないくらいの設備がある。
「そこに座って」
抱えていた上着を床に放り、ローエンを椅子に座らせた。
「………怪我は切り傷だけ?」
「肋骨折った」
「そっか。じゃあしばらく安静」
「……またしばらく遊びに行けなくなんのヤだなぁ」
「……君もうヴェローナ嬢とちゃんと付き合ってるんじゃ」
「遊びとそれは別」
「……………理解出来ない……」
「お前のジークだって関係があるのはお前一人じゃない。あいつの本命はお前みたいだけど」
「………君ともあるかもしれないって事かい」
「俺はもうあいつとはゴメンだ」
「…………ジークの話はいいや。………ほら、傷見せて」
丸椅子に座り、ローエンの腕の傷を見る。消毒を始めるグラナートに、ローエンはぼそりと言った。
「……お前、今日一日変だった」
「…………そうかい?」
グラナートは顔を上げないまま答えた。
「二重人格なのか?」
「………違うけど…………まぁ、近いのかもね」
「俺………”ホワイトリッパー”だった頃のお前の事、全然知らないみたいだ」
「それは、そうかもね。君と僕が出会ったのは僕がそれでなくなってからだから」
グラナートは淡々として答える。ローエンはしばらく黙って、それから思い切ったように言った。
「………お前、一体何を恐れてるんだ」
「…………!」
思わず、グラナートは手を止め、顔を上げた。動揺した紫の瞳が、ローエンの闇のような瞳にぶつかる。
「……何の事だい?」
「心当たりがあるって顔してるぞ」
「…………僕は何にも」
「ルチアーノ達に出会ってからだ。それから何か違和感がある」
「…………………」
「……何を隠してんだよ」
言われて、グラナートは口を噤む。ローエンはただ彼を少しキツい目で見つめていた。
しばらくの沈黙の後、やがて、グラナートは重々しく口を開く。しかし、それはローエンが求めていた答えではなかった。
「………ごめん。君には言えない」
「…………」
「まだ確証がある訳じゃない。君にあらぬ疑いを持たせるのは嫌だから」
「……そうか」
………知らない事だらけだ。と、そうローエンは思った。アクバールばかりじゃない。グラナートの事も、実はほとんど知らないのだ。かつて、アクバールとグラナートの間に何があったのか。………ホワイトリッパーがどんなものだったのか。何故…………グラナートが今、こうして医者として生きているのか。
と、不意にグラナートは真面目な顔をして、こう言った。
「でも安心してよ、僕はどうしたって君の味方でいるから」
「!」
「………何があったって、この身が滅びることがあったって、それでも」
「…………待て、お前…」
不穏なものを感じて、ローエンは言った。しかしグラナートは首を横に振り、そして笑顔を作って見せる。
「……何でもない。さて、残りの傷もやってしまおう」
「…………」
………何かが。何かがおかしくなり始めた。ローエンはそう思った。いや、初めから何もかもおかしかったのかもしれない。アクバールという男に拾われた時点で、全てが………。
「………あいつ、ちょいと勘付いてますぜ」
「…………どっちの事だね」
「白の。……ずっと俺達の事を警戒してる」
ルチアーノはグラナート達が入って行った扉を見て、そう言った。
「気付かれたら元も子もないンじゃ」
「ワタシの言った事がただの脅しでは無かったと、良く分かるだろうさ」
ふふ、とアクバールは笑う。
「まぁ、ワタシは彼に一つ嘘を吐いているのだが」
「……………」
「君達は知らないふりをしたまえ。………彼を、ただの“グラナート・カテドラル”という男だと思って」
「……テオドラの奴が会ったらどんな反応すンでしょうね」
「さぁね。まぁ、まだ彼女は近付けないでおきたまえ。ワタシも出来るだけ友は失いたくない」
そう言って、アクバールは目を細める。ルチアーノは複雑な顔をして、うなじに手を当てた。
「…………あー……何だろうなァ、最初会った時は『何でこんな奴が』って思いましたけど、実際………殺ってンのを見たら…………納得しましたわ」
「……君は彼に勝てるかね?」
「正直言って自信ないですね、オルラントさんの手を借りたら分からないですけど」
「君達が彼に手を出す時は、ワタシはいない前提なのだがね」
「………そうでした」
はぁ、とルチアーノはため息を吐く。そして、どこか遠い目をして言う。
「……でも驚いたなァ、大人になった姿は今日初めて見ましたけど、本当にそっくりなんですもん」
「そうなのかね?」
「…………えぇ。目元とかそうですけど、何て言うか、性分が」
「……」
「…………おんなじ目ェしてンだもんなァ、本当、あの人の血を引いてンだって思うと、急に何だか恐ろしくなった」
ルチアーノは腕をさすり、アクバールの方を見た。
「……“白の死神”ってのは一体誰がつけたンすかね?」
「さぁね。知らず知らずのうちについた通り名だろう」
「…………偶々だとしたら………物凄い偶然すね」
「ほう?」
興味ありげにアクバールが訊き返す。ルチアーノは笑って、何かを思い出しているかの様な顔で、言った。
「…………あの人の通り名、“白の冥王”ってンですよ」
「……!」
「裏の世界じゃ有名なモンでしたよ。………表にゃあ全く出てなかったですけどね」
ふふ、と笑ってルチアーノは椅子に腰掛けた。
「…………本当に……恐ろしく強くて、カッコいい人だったンですけどねェ…………。まだあいつはそれには及ばなさそうですけど、いずれはきっとあの人の様になる。………雛のうちに狩っといた方が良かったんじゃないですか?」
「ワタシが見つけた時にはもう雛などでは無かったよ」
と、アクバールは苦笑する。そして、グラナートに出会った日を思い返して、おかしそうに笑う。
「…………雛なものか、あれはもう成っていた」
「それだのにオルラントさんはあいつを捕まえたんでしょ?どうやったンすか」
「獣なだけに、罠には容易くかかるのだよ」
「……なんか酷い言いようじゃないですか?一応友人なんでしょ?」
「上辺はね。………油断すれば手を噛まれかねない」
「はは、困ったお友達ですな」
「全くだよ」
再び苦笑して、アクバールはさて、とルチアーノ達に言う。
「グラナートはどうやら時間がかかっている様だからね、どれ、軽い傷ならワタシがしよう。こっちに来たまえ」
そして手招きして、アクバールはルチアーノとラファエルを自室へと連れて行った。
ローエンが自宅へ戻った時には既に日は沈みかけていた。家に入ると、玄関の音を聞きつけてかソニアが走って来た。
「おとーさん!お帰りなさい!」
「うおっと、待て、痛い痛い!」
抱きつかれてそう悲鳴を上げると、ソニアが心配そうな顔をして離れる。
「………おとーさん、どこかケガしたの?」
「…………肋骨何本か折っちまったからしばらく安静…」
「大丈夫?」
「まぁ、一週間くらいで治る。それより、ヴェローナは?」
家の中にソニアの他に気配が無いのを察して、ローエンはそう聞いた。
「おかーさん、疲れて先に寝てるの」
「………お前だけ起きて待ってたのか」
「だってソニアまだ眠くないもん」
「そうか」
ローエンは苦笑して、ソニアと共にリビングへと向かった。何だか物凄く安心感があった。そして、堰を切ったように疲れがどっと押し寄せて来た。
「……俺も眠いわ」
「えー!ソニアお腹空いた!」
「…………分かった。俺もまだ晩飯食ってない」
あー、平和だなぁ、としみじみ思った。今日の事が嘘の様に感じる。………確かに肋の痛みはあるが。
冷蔵庫を開け、ローエンは何が出来るか考える。野菜は一通りあるが肉の類はほとんどない。あるとしたらベーコンくらいだ。
「…………野菜スープにするか」
「やった!」
「……すぐに作るから待ってろ」
「うん!」
そしてローエンはせっせと料理の支度を始めるのだった。
夕食が済んだ頃には外はすっかり暗くなっていた。ソニアもうとうとと眠そうにしている。
「………そういやお前…学校はどうなんだ」
「うん?楽しいよ!」
「友達出来たか?」
「出来たよ!あのね、リノちゃんって言うの」
「へぇ。そうか、良かったな」
と、ローエンは笑う。上手く行っている様で安心した。
「勉強は?」
「面白い!」
「………偉いな、まぁ、行きたいって言ったのお前だしな」
「今日はね、この町のお話聞いたの」
「……………へぇ」
アザリアの話。…………かつてこの街は今のスラムの部分しか無かった事を、ローエンは知っている。実際に見た訳ではない。聞いた話だ。今のこの市街は昔ただの森であり、今スラムである所には、かつてここと同じ風景が広がっていたのだ。………今は、見る影もないが。
「…どう思った?」
ローエンはただそれだけ聞いた。粗悪な環境で育って来たソニアは、どんな風に聞いていたのだろう。……そもそも、教師は一体どんな風に教えたのだろう。
「…………ソニアが生まれる前はここは森だったって」
「………」
「どうして前の所からこっちに移動して来たのかなって」
「…………………何でだろうな」
その疑問には答えられない。そもそも考えた事などなかった。既成の事実として受け入れていた。“どうして”、などと、そんな理由…………ある事すら意識していなかった。
答えられないままでいると、ソニアはまた呟く。
「……どうして、ソニアはあっちに生まれたのかなって」
それはもっと難しい問題だ。誰にも答えられない。そういう運命だなどと、軽率に答えてはいけない。今までどんなに辛い思いをして生きて来たか…………不自由ない暮らしをして来たローエンには、理解しようにもしきれない。……でも。
「…………俺もまぁ、それと似た様な事は。どうしてこの家に生まれたんだ、どうしてこの親の下に生まれたんだろう…………って」
「………おとーさんも?」
「俺はまぁ、裕福な家だったけどさ。…………親は嫌悪の対象……大嫌いだったし、他の普通の家族を見てたら、自分の運命を疎ましく思った」
「………?」
「こんな話しても分かんねェか。ハハ、悪いな」
忘れたい過去。忌々しい母。どれだけ逃げだしたくても、それらは己の名前と共に纏わりついてくる。なんて呪いだろう。一生、自分はあの過去を切り離せない。
「さて、もう眠いだろ。寝るか」
と、ソニアの皿を自分が使っていたものに重ね、それを持って立ち上がる。
「ベッド、おかーさんが使ってるよ」
「………あぁいいよ別に、お前がヴェローナと一緒に寝ろ」
「おとーさんは?」
「……………適当にその辺で寝る」
正直折れている肋が心配ではあったが、疲れて寝ているヴェローナを起こすのも悪い。
「………いいの?」
心配そうにソニアが訊くので、ローエンは頷く。まさかソニアを床に寝させる訳にもいかない。三人で寝るには少々狭い。二人が限界だ。(別にローエンは自分がヴェローナとくっ付いて寝るのが問題だとは思っていない)。
「ほら早く寝ろ。明日もあるだろ学校」
「…………おとーさんしばらくお家にいる?」
「………多分な。しばらく派手には動けねェから」
アクバールもそれは分かっているだろうから、治るまでしばらくは仕事も来ないだろう。………ルチアーノ達について調べるのも、一応怪我がある程度治ってからの方がいいと、そう考えた。
ローエンはソニアと共に二階へ上がる。部屋に入るとヴェローナの微かな寝息が聞こえて来た。すっかり熟睡している彼女を見て、ローエンはため息を吐く。
「…………まったく、どんだけ疲れてたんだよ」
「おかーさん、今日やっと仕事お休み」
「……あぁそれでか」
「…………おかーさん何のお仕事してるの?」
「………お前にはまだ早い」
安らかな寝顔。それは起きている時とはまた違う風に見えた。ヴェローナはやっぱり綺麗なだけじゃなく可愛いな、とローエンはそんな事を考えていた。
その隣にソニアがごそごそと潜り込む。ヴェローナが起きてしまわない様に気を遣っているようだ。顔の半分まで布団に潜って、小声でローエンに言う。
「…………おやすみなさい」
「おやすみ」
目を閉じたソニア。ローエンは部屋を見回して、椅子の背もたれに掛けてあったブランケットを取った。そしてそのまま、ベッドの足元の方で、座り込んだ。体を起こしている方が痛みもマシだ。ブランケットを被り、ローエンはそのまま目を閉じた。するとあっという間に、睡魔が意識を連れ去って行ってしまった。
#34 END




