第31話 アルダーノフの柱
「侵入者は?」
「未だ始末出来ていないようですが」
「…………そうか」
屋敷のとある部屋。奥の壁に掲げられた幕。そこに描かれているのはアルダーノフ・ファミリーの紋章である。
その手前、立派な椅子に座った二十代くらいの男は、傍らにやって来た四十代くらいの男と会話していた。
二人とも険しい顔である。四十代くらいの男の左目の横には、厳めしい刺青がある。オールバックにした黒髪と、肩に羽織っただけのスーツが、その強面を強調していた。
しかし彼よりも年若い男は、物怖じせずにものを言う。それどころか、もう一人の方が敬語を使っている。
「ヴィトは何か手を打ったのか?」
「えぇ、まずはミケーレを行かせました」
「…………そうか」
「……俺は何をすれば?」
「僕の側にいろ、レオ」
「………分かりました」
レオと呼ばれた男は、頭を下げてそう答えた。
「どんな輩であれ、このレオルーカが若様をお守りいたします」
レオルーカ・リヴィンスキー、この組織の幹部の一人である。ローエン達が最も警戒する人物、その人だ。
そして、もう一人の男こそ、ボスであるサルヴァトーレ・アルダーノフだ。静かな水色の瞳と、肩まで伸びた癖毛の金髪。若さにそぐわない冷静さが、そこにあった。
「失礼します」
「………何だ」
と、入って来たのは眼鏡の男だった。歳はサルヴァトーレよりも少し上だろう。服装はスーツだが、足元はブーツだ。
「ミケーレが戦闘を開始したようです。しかし4人のうち3人はまだこちらへ」
「ヘテロを出せ。それでもダメならお前が行け、ヴィト」
「は。………レオルーカ、しっかりボスをお守りしろ」
「………言われなくとも分かっている」
ヴィトは一礼して、サルヴァトーレの前から足早に去って行った。
「………さて、誰の差し金かは知らないが、僕の代でファミリーを滅びさせる訳にはいかない。……死ぬ事は絶対に許さない」
「承知しております」
「……お前には感謝してるよ、レオ。お前がいなければ僕は今こうしてここにはいない」
「いいえ、全て若様のお力です」
「そんな事はない。四人が僕について来てくれたからだよ。特にお前はずっと僕の側にいてくれている」
と、サルヴァトーレは笑う。レオルーカは苦笑を返す。
「…………俺には若様をお守りする事以外は出来ません。だからその出来る限りの事をしているまでです」
「それだけで十分に心強いよ」
さて、とサルヴァトーレは机の上で手を組んだ。
「………敵の情報は?」
「こちらです」
と、レオルーカが差し出したのは、防犯カメラの写真。四人の顔がばっちりと映っていた。
「顔も隠さずに正面から堂々と。初めから戦うつもりだったか。腹立たしいな」
「…………この男、“悪魔のローエン”ですね」
「……ん?そうだな。…………しかし四人か?奴はいつも一人のはずだろう」
「いや、しかしコイツは確かに奴です」
「………ふむ。…………ならば他三人は?」
「………分かりません」
「……………。…まぁいい、ミケーレはどいつと応戦中だ」
「この金髪の奴です」
「そうか。………少々情報が足りないな。お前達を失うような事はしたくないのだが…………」
「心配ありませんよ、皆んなそうヤワではありません」
レオルーカはそう言って笑う。しかしサルヴァトーレは緊張した面持ちを崩さない。
「厄介な事だ。しかし奴ら、ただでは済まさないぞ」
「はい」
「まずはミケーレとヘテロが、無事に仕留めてくれると良いな」
そう言ってサルヴァトーレは、扉の方を見たのだった。
ローエン達は屋敷の中を進む。下っ端の姿は見えなくなった。広い二階。どこに他の幹部がいるか分からない。
「…………手分けして探すか?」
「いや、それだと面倒だ。いっぺんに二人出て来られても困る」
ローエンの提案にルチアーノが言う。ローエンも頷く。
「………まぁそうか、俺がヴィトじゃない奴に出会っても困るもんな………」
「そもそも僕ら、顔知らないけどね」
と、グラナートが言ったその時、前方に人が立っているのを見つけた。
「………あれは…」
「止まれ」
と、男がそう声を発した。道を塞がれているので、3人は彼の数メートル前で立ち止まる。
ローエンはそこでコソッと、ルチアーノに問う。
「…………誰だ?」
「………あいつは…」
「他人に勝手に名を明かされるのは不愉快極まりない。どうせ知られているのなら自分で名乗ろう」
言葉を遮り、男が言った。髪型は七三分けで、硬いイメージを与えている。
「私はこのアルダーノフ・ファミリーの幹部の一角、ヘテロ・ラドゥロフだ。ボスの命によりお前達を排除する」
「…………ハズレか」
「ハズレとはなんだ!」
ローエンの呟きにヘテロは叫び、そしてハッとして咳払いをした。
「………ここで皆消えて貰おうか。我らがファミリーに手を出した事、後悔させてくれる」
「よし、ここは俺が出る」
と、ルチアーノが言った。
「お前らは残るヴィトとレオルーカを探してくれ。あとボスもな。終わったら追う」
「………分かった」
「そう簡単に行かせると思うか?」
ヘテロがしかめっ面で言った。ルチアーノはそれに対して答える。
「お前こそ、一人で三人も相手する気か?」
「ボスの元へ行かせる訳にはいかんからな。必要とあらば私一人でも」
「…………大層なこったな。でもそんなにのんびりしてる暇はねェんだ」
「時間は取らせんよ、すぐに片付ける」
「グラン、走るぞ」
「分かった」
「!」
ローエンとグラナートが、ヘテロに向かって走り出す。ヘテロは一瞬驚いたようだったが、すぐに銃を構えた。
「行かせるものかっ!」
と、しかし放った銃弾はグラナートの刃に跳ね返された。
「何っ⁈」
そのまま走って来る彼ら。その時グラナートがヘテロへと刃を動かした。反射的にヘテロは避ける。するとその横を、ローエン達が駆け抜けて行った。
「しまっ……」
「おっとォ、お前の相手は、オーレ」
「!」
すぐ後ろで、ルチアーノの囁き声がした。振り向き、自分に向けられた銃口を見た瞬間、ヘテロは動いた。直後銃弾が床を穿つ。硝煙の上がる銃を手に、ルチアーノは笑う。
「お前反射神経いいなァ、避けるとは思わなかった」
「…………仕方ないな」
チッ、と舌打ちして、ヘテロは言う。それに対してルチアーノはヘラッとして肩を竦めた。
「まァなんだ、運が良かったと思え。三人で掛かっちゃ可哀想だもンなァ?」
「ナメて貰っては困る。私もファミリーを束ねる幹部だ。そう易々とやられやしない」
「そうかィ、ま、せいぜい楽しませてくンな」
そう言ってルチアーノはニタッと笑った。その細められた隻眼を、ヘテロはギリッと睨みつけた。
ローエンとグラナートはただひたすら屋敷内を進む。差し掛かった廊下には、ずらりと扉が並んでいる。
「………扉全部壊していい?」
そこでグラナートが立ち止まり、そう言った。ローエンも足を止め、首を傾げる。
「…………何でだよ、時間かかるだろ」
「どこにサルヴァトーレが潜んでいるか、僕らには分からない。一つずつ開けていったほうが早い」
「……いや、開けるにしても」
「君に手間は取らせない。すぐに終わるよ、君は下がってて」
「えっ」
と、ローエンが何か答える前に、グラナートが刃を手に、力強く床を蹴った。
何が何だかよく見えない内に、グラナートが廊下の向こうまで駆け抜けていた。少しして、何か音がした。ピシ、とヒビが入るような音。直後、ローエンとグラナートの間にある全ての扉が、音を立てて崩れた。
「…………えー……」
その光景に、ローエンは何も言えずに「え」の口のまま固まった。先でグラナートが振り向いて、ローエンに言った。
「早く。…………ここはハズレみたいだから」
「………どうやったらこうなるんだよ」
「木の扉くらいすぐに斬れるだろ」
「問題はそこじゃあねェんだよ」
ハァ、とため息を吐いて、ローエンは軽く走ってグラナートに追いつく。
(グランって中々のチート人間だよな……)
と、内心そう呆れつつ、元いた方を見た。人が出て来る気配はない。部屋は全て無人だったようだ。
「…さ、この調子で探して行こうか」
「…………無駄な労力な気もする」
「そうかい?」
「無駄、と言うより迷惑です」
「!」
と、新たな声が前方からした。見れば、眼鏡の男が立っている。スーツに編み上げブーツ、何だかちぐはぐだ。
「……幹部かな?」
「そうだろ」
「ヘテロはしくじりましたか。………まぁいいでしょう、一人減っただけでも十分です」
「…………お前、誰だ」
ローエンが訊いた。彼はハッ、と笑って答える。
「人に名を問う時は、自分が先に名乗るのが道理でしょう」
「……ローエン」
「グラナートだ」
「…………まぁ、ディアボロの方は知っていましたが」
「何なんだよ」
ローエンはムカッとしてそう言った。すると、グラナートが首を傾げ、言う。
「………僕の事は知らない、と」
「えぇ。今ミケーレとヘテロが相手をしている者達もね。あなた達の今までの行動は全てカメラで見ていました。……特にそっちの、白い方。…………何なんですか」
「………そんな聞かれ方されたの初めてだなー」
アッハハハとグラナートは笑う。そして、下ろしていたフードを、被る。
「……………これ」
「……おや、まさか“死神”ですか」
「………フード被らないと分かんないの?今眼鏡も掛けてないのに」
呆れた様に言うグラナート。その様子に、ローエンは確信を持つと共に、少し引いた。
(…………グランの奴、変なスイッチ入ってやがる)
いつもの温厚な様子はどこへやら、戦闘になるといつもこうだ。しかし、敵に対してキツい言い方をしていると言うよりかは、別人格が取り憑いている様な、そんな感覚になるのだ。今目の前にいるのは、いつものグラナートではない、とそうローエンは感じてしまう。
「“白の死神”の噂は………昔はよく聞きましたが今は聞きませんね。てっきり死んだものかと。……容姿についてはおおよそしか聞いてませんので。顔までは知りませんよ」
「………武器とかだいぶ特徴的だけどな」
と、ローエンはボソリとそう呟いたが、誰にも聞こえていない様だった。
「…………っていうかこっちが名乗ったんだから名乗れ」
ローエンがハッとしてそう言うと、彼は右手を腰に当て、答える。
「アルダーノフ・ファミリーが一角、参謀ヴィト・ジャルコフです。あなた達を排除します」
「………あ、お前か」
「何です?」
「うん、そうだね、じゃあ後は任せたよローエン」
「なっ⁈」
フードを取り、一人駆け出すグラナート。ヴィトは驚き、通り過ぎるグラナートの横で動けなかった。
「…………なっ、どっ」
「すまねェな、俺始めっからお前探してたんだわ」
ローエンはニッ、と笑って言う。しかし、すぐにフッと表情を消した。
「……まー俺はお前に何っの恨みもねェけど、仕事だから死んでくれ」
「…………ハナから狙いは僕ですか」
「……ていうか何でお前丁寧語なの?」
「目上の人間と赤の他人にはこう喋る事にしています」
「………ふーん、まぁいいや」
律儀に答えてくれんのかよ、とローエンは心の中でツッコんだ。
「…………しかし、ターゲットの顔も知らなかったとは」
「お前らの事名前しか知らなかった。実を言えばお前らのボスの顔も知らねェ」
「………」
「けどお前が参謀で、ナイフ使いだって事は知ってる」
「…………そうですか」
と、ヴィトは腰につけていたベルトポーチからコンバットナイフを取り出した。それを手の上で弄び、言う。
「………元から知られていては、隠す意味もありませんね」
「…………ナイフってそれかよ……」
「あなたは素手だと聞いていますが」
「…………」
と、周りに何か使えそうなものもない。何もない廊下だ。
「……手加減はしませんよ?」
「してたら死ぬぞ」
「そうですね」
先に動いたのはヴィトの方だった。あっという間に間合いを詰め、いきなりローエンの心臓を狙って来る。冷静に、彼はそれを躱す。引いた左手で、そのまま拳をヴィトの顔へ打ち込む。が、そう簡単には当たらない。ざっ、と下がったヴィト。ローエンは伸ばした左腕を戻し、首を鳴らす。
「…………いきなりは急ぎ過ぎだろ」
「……左利きでしたか?」
「いや?」
「……………そうですか」
「別にどっちの手だっていい」
ローエンは構える。ヴィトも腰を低くして、ナイフを構えた。
「…僕に甚振る趣味はありませんので」
「俺もない」
「ならお互いさっさと決着はつけたいでしょう?」
「長引くかどうかはお前の力量による」
ふん、とローエンはため息を吐いてそう答えた。そして、今度はローエンから仕掛ける。
頭を狙った蹴り、ヴィトはしゃがんで避け、下からナイフを突き上げる。それを躱したローエンは、姿勢を屈め、足払いをかけた。
「!」
ぐるっ、とヴィトの体が回る。背中から床に落ち、息を詰まらせた彼に間髪入れずローエンが拳を繰り出す。ヴィトは辛うじて横に転がり、避け切ったかと思われたが反撃に出ようとしたところでローエンの腕に首を捉えられ、壁へぶつかった。
「…………かはっ………!」
「……このまま締めてもお前は死ぬが、さっき言ったように苦しめんのは趣味じゃねェんだ」
「………ふっ……このまま…やられるわけな…」
と、ヴィトがナイフを持った手を動かそうとした時、ローエンの膝蹴りが腹にめり込んだ。
「ゴハッ!」
「俺も長引くのは好きじゃない、疲れるからな」
ヴィトが吐いた血が、ローエンの腕にかかった。白いシャツの袖に点々と赤いシミが出来る。
「……ハハッ、気が合いそうですねぇ…」
「なら、お互い利害が一致するよな?お前がさっさと死ねば」
「…………あなたはマトモな方だと思ってたんですが、十分イかれてますね」
「……仕事にゃ情は持ち込まない」
「なるほど、ターゲットに敬意を払う気持ちも、軽蔑する気持ちも…………どちらも無いという事ですか」
「誰も自分がマトモだなんて思っちゃいねえよ」
「…………そうですか、そうですね、この界隈にマトモな人間などいない」
と、ヴィトが不意に前蹴りを繰り出した。狭い空間で器用に、ローエンを後ろへ吹っ飛ばす。
「!……がっ…」
二、三歩後ろへよろめくも、持ち堪える。
「ンのやろっ…………」
ヴィトは一歩大きく踏み出し、ナイフをローエンの首筋目掛けて突き出した。間一髪、ローエンは避け、連続して回し蹴りを繰り出す。ヴィトもそれを避けつつ、ナイフを何度も繰り出す。その一つが、ローエンの肩を掠めた。しかし傷は浅く、眉ひとつ動かさない。そして、ローエンの拳がヴィトの頬を打ち、倒れさせた。手放しかけたナイフを握りしめ、すぐ体を起こした彼は、目の前に立つローエンの顔を見上げる。次の瞬間、彼の足がヴィトの顎を打ち、彼は後ろへ吹っ飛んだ。
#31 END




