第3話 親子の定義
翌朝。ローエンは再び、息苦しさに目を覚ました。
前とは違って、胸に重りを乗っけているようだった。肺が潰される。………なんだか声が聞こえる。
「……さん………おとーさん!」
「……!」
「朝‼︎起きて!」
ようやく覚醒して来た耳に飛び込んで来た声に驚いて、起き上がろうとしたが起き上がれない。なんとか顔だけ体の方に向けて、思わず叫んだ。
「うわっ!」
「あっ、起きた」
「………なっ、何やってるんだお前……」
ソニアが自分の胴に跨って、その小さな手を胸辺りに置いていた。前のめりになっているので、息苦しさの原因はそれだろう。
「……早起きだな」
「お腹空いた!」
「…………あーはい」
時刻は午前7時。ローエンは息を深く吸えないまま、浅いため息を吐いた。
昨晩帰って来ると、ソニアはローエンのベッドで布団に潜って寝ていた。特に何かした形跡はなかったが、一度は目覚めたようだった。
他に寝られるようなところもなく、ソニアを追い出す訳にもいかなかったので、仕方なくソニアをそっと端に寄せて自分も布団へ潜り込んだのだが………。
「………ベッドもう一個買わなきゃいけないのかよ」
重なる出費に、はぁ、とローエンはため息を吐いた。
朝食を作りつつ、ふと昨日ソニアの為に買った服の事を思い出した。………未だソニアはピンクのシャツをワンピースのように着ている。身長186cmもあるローエンの服は、ソニアには随分と大きい。丈は良くても、袖がかなり余ってしまっている。……そもそも、ずっと貸している訳にもいかない。
服もまた、一着だけという訳にはいかないし、とうーんと頭を悩ませながら、ローエンは出来上がった目玉焼きとサラダを両手に持ってテーブルに向かった。
「…………ソニアに?」
「気に入るか分かんねェけど、着てみろ」
ソニアに服の入った紙袋を渡した。ソニアは小さな手でそれを受け取ると、中を覗き、そして袋を床に置くと、中の物を取り出した。
ピンク色の、フリルのついたワンピース。しばらくソニアはそれをじっと眺めていたが、不意に顔を輝かせて、ローエンを見た。それに少しローエンは戸惑い、そして苦笑した。
「…気に入ったみたいだな」
「今着ていい?」
「あぁ」
ローエンがそう答えると、ソニアは着ているシャツのボタンを一生懸命外そうとした。が、慣れていないのか、なかなか上手くいかない。今綺麗に留まっていたのも、一度ローエンが留め直したからである。その時に下に着ていた汚い布切れも脱がせた。
ソニアが手こずっているのを見て、ローエンは一つため息を吐くと、しゃがんでソニアに手を伸ばした。
「…………仕方ねェな」
一つずつ、素早くボタンを外して行く。全部外して脱がせると、ワンピースをソニアの頭から被せた。自ら頭と腕を出したソニアは、自分の姿を見下ろして、笑った。
「おぉー…」
「……サイズあってて良かったぜ」
ローエンは相手の体の、大体のサイズが見て分かる。……これも、多くの女性相手にプレゼントを選んできた経験の賜物である。サイズは聞かずに、見て知る。…………趣味は観察と、話で知る。ずっとそうしている。
(まさかガキ相手に役立つたぁ思ってなかったが…)
目の前でソニアはくるくると嬉しそうに回っている。ずっとスラムで暮らしていたのだとしたら、こんな服を着る機会など無かったのだろう。
「………今日は出掛けてみるか」
「!」
「その服だけじゃ駄目だろ」
「………行く!」
キラキラとした目を向けられて、ローエンは思わず顔を逸らした。
「中にもう一つ上着があるからそれ着とけ」
「うん」
真っ赤なカーディガン。それにソニアは腕を通す。出来上がった姿を見て、少し大人っぽ過ぎただろうか、とローエンは思った。普通に子供服から選んできたつもりだったのだが。……まぁ本人が気に入っているならいいかと、そうも思った。
買い物帰り。ローエンは黒のロングコートを着て、手に果物の入った紙袋と、食料品類の入ったビニール袋を持っていた。一方ソニアは右手にショートブーツの入った袋を提げ、スキップしながらローエンの横を歩いていた。
「………家具屋も見てくか」
「?」
ソニアがスキップをやめてローエンを見た。
「ベッドいるだろ」
「………ソニア、一人で寝たくない」
「何でだよ」
「お父さんと一緒がいい!」
「俺が嫌なの」
そう言うと、ソニアがローエンの左袖を引っ張った。
「…………何」
怪訝な顔をして言うと、ソニアが泣きそうな顔をして言った。
「ソニアの事、きらい………?」
「…………」
ローエンはため息を吐いた。答えにくい事を訊くな、とそう思った。
「……好きではない」
「きらいって事?」
「…………そうじゃない」
「ソニアは」
ソニアが立ち止まったので、ローエンも立ち止まった。ソニアはスカートの前で拳を握って、俯いていた。
「………どうした?」
「…………ソニアは、やっぱりいらない子?」
「!」
その言葉を聞いて、ローエンは大体の事情を察した。
きっと、それは彼女の母親かあるいは父親に言われていた言葉なのだろう。
だとしたら、彼女の今までの態度にも納得がいかなくもない。親に十分な愛情を注がれて来なかったのなら。
ローエンは一つため息を吐いて、ソニアと同じ目線になるまでしゃがんだ。
「………自分で自分をそんな風に言うな」
「!」
ローエンの大きな手が、ソニアの頭を撫でる。
「心配しなくても俺は、お前に暴力振るったりしないし、無理に追い出したりもしない。………怒りはするが」
「…………」
「母親に、何かされてたのか」
「……お父さんがいなくなったのは、ソニアのせいだって。今の暮らしはソニアのせいだって」
つまりは、両親の間に何かしらトラブルがあったのか。元はそこまで、貧乏な暮らしでも無かったようだ。
「…………そうか、辛かったな」
自然とそんな言葉が口から出た。ソニアの頭を撫で、もう一度口を開こうとした時、携帯がポケットで鳴った。
「………あい、ローエン」
『ワタシだ。今どこにいるかね』
「…………街中。何か用か」
電話の相手はアクバールだった。彼がアザリアかと聞くので肯定した。
『………すまないが、すぐに教会へ来てくれ。仕事だ』
「…………電話越しじゃダメか」
『会って話したい。………それとも何か他に用が?』
「いや、帰るところだが」
ちら、とソニアを見た。………荷物もあるし、彼女を一度家に連れ帰ってから行くべきだろうか。またスラムに連れて行くのも心配なものである。
一度電話を顔から離し、ソニアに言う。
「…………俺、用事出来たけどどうする?帰るか?」
「ううん、一緒に行く」
「………そうか」
…家に一人にするのもまた心配か。手元に置いておくのが一番いい。そう考え、ローエンは荷物も持ったまま、アクバールの教会へ向かう事にした。
「おや、ソニアちゃんも一緒かい」
「………一緒に来たいって言うんで」
「ふむふむ」
教会に着くなり、アクバールは二人を交互に見て、笑った。
「なかなか仲良くやっているようだね」
「ほっとけ」
「まぁ、こちらへ来たまえ。座って話そう」
と、アクバールは二人を奥の部屋へと連れて行った。アクバールの個室である。
「適当に座ってくれ」
アクバールがそう言うので、ローエンとソニアは並んでソファに腰掛けた。初めて座るのか、ソニアは少しその上で跳ねていた。
「…………はしゃぐな」
「……ごめんなさい」
「ハッハッハ、すっかり父親してるじゃないか」
「そんなんじゃない」
ふん、と腕組みをして、それからローエンは足を組んだ。
「で、用件を言え」
「そんな怒るんじゃないよ。………今回君に頼みたいのは、ファイトクラブだ」
「……ファイトクラブ?俺に出ろってんじゃないだろうな」
「違うよ。………まぁ、その方がボスには近づきやすいかもしれないがね」
「…………殺しの依頼?……なんでファイトクラブなんだ、ほっとけよそんなもん」
スラム街の地下にはいくらかファイトクラブがある。暇と力を持て余した男達が集まる場所だ。もとより無法地帯なので、誰も取り締まりはしないし、ローエン自身、それくらいの娯楽はあっても良いんじゃないかと思っている。…最も、ローエンはそんな所へ行ったりはしないが。
「………闘牛のようなものだよ」
「は?」
「無論、牛などではなく人だがね」
アクバールはふう、とため息を吐いて、続ける。
「力のない、金のないスラムの男達を、そのクラブの強者が殺すという見世物をしているそうだ。もし生き残れば、その生き残った男には多額の賞金を…………。貧乏に耐えられなくなった奴が行ったりする」
「………それなら死んだって個人の責任だろ」
「そうだねぇ、まぁ、聖職者としてはこれも赦すまじ事ではあると思うがね」
……なら俺に殺しを依頼するのも駄目じゃねェか、とローエンは胸中で矛盾を指摘したが、口には出さなかった。彼からの依頼が無くなれば、ほとんど収入は無くなる。
「問題はその後だよ。ワタシが聞いた話によれば、道端で暮らしている男を、無理矢理そのクラブに連れて行って、同じように見世物にするのだとか」
「!」
「………殺してしまった後では、それが本人が望んだ事なのかも分からなくなってしまうしね」
「………また人攫いかよ」
「ここは法の力が届かない。人権すら薄くなってしまっている。………彼らを救ってやってくれ」
「………」
いなくなったソニアの父親。…もしやこれに関連しているのではないかと、ふとそんな事を思い浮かべた。
ソニアから話を聞いたところ、どうやら父親が死んだところを見た訳ではない、というかそもそもローエンが勝手に“死んだ”と解釈していただけなのだ。ソニアは「いない」としか言っていなかった。
…………だとしても、もしもそこに行ったのだとしたら、もう既に死んでいてもおかしくない。
ソニアの両親が別れたのは金銭の問題だったのだろうか、とそんな風に考えた。
「…………分かったよ。引き受ける」
「そうかい。助かるよ」
「報酬は?」
「そうだね………まぁ、さっきは否定したが、折角ならローエン、試合に参加して来たらどうだい」
「はぁ?どういう事だよ、だって…」
「さっき言ったのは余興の一つ、普段は普通に、他と変わらずやっているさ」
「…………えぇ」
何でそんなに詳しいんだ、と思ったが、恐ろしくて聞けない。知ってはいけないような気がした。
「君は十分に腕が立つ。報酬はその賞金という事にしよう。いくら稼いでも、君の好きに使うがいいさ」
「………殺しは」
「オーナーと幹部さえ潰せばなんとかなるだろう、そのうち出てくるさ、彼らだって闘士だ。別に、きみがやりたいというのなら他も殺してくれて構わないが」
あっけらかんとそう言って、アクバールはメモを差し出した。
「所在地と、オーナーと幹部三人の名前と写真。参考にしてくれたまえ」
「………今日中か?」
「夕方に開く。夜まで続くだろうから、報告は明日で良いよ」
「了解。…………あ、それじゃあ」
と、ローエンはソニアを親指で指した。
「コイツ預かっててくれ。あと荷物も」
「ほう?」
「一人で置いとくよりいいだろ」
「ワタシは構わないが、ソニアちゃんは………」
アクバールはソニアを見る。ソニアは少しローエンの方へ身を寄せた。ローエンはその頭に手を置く。
「怖がらなくていいぞ、少し胡散臭いが悪い奴じゃない」
「胡散臭いとは何かね」
「俺が戻ってくるまでここにいろ」
「…………ワタシの話聞いてる?」
アクバールを無視し、ローエンはソニアに言い聞かせた。ソニアは不安そうな顔をして、ローエンを見上げる。
「………絶対戻ってくる?」
「あぁ、心配するな」
「………分かった、ソニアここにいる」
ソニアがそう言うので、ローエンは頷いて立ち上がった。
「じゃあ下調べして来るわ。………野郎ばっかの所に行くのは少し気が引けるけどな」
「あぁ、捕らえられた人々の解放も忘れないでおくれよ」
「はいはい」
スラムに建ち並ぶ建物の間の路地に、地下へ続く階段を見つけた。ここがメモの場所だな、とローエンは確認する。
今はクローズの看板が出ている。今は十一時、開場は四時だ。昼食を食べなければ、とふと思ったが、それには一度アザリアへ戻らなければならないので、まずは下見を済ませる事にした。
階段の上は屋根が付いているのみで、上に建物が建っている訳ではない。地下にしか空間はなさそうだ。出入り口も一つ。スラムの男達が連れて来られるのは別の入り口かと思っていたが、ここからなのだろうか。それとも、また別のところへ繋がっているのか。
裏へも回ってみたが、入り口らしき所は無かった。下見で捕らえられている場所を見つけられればと思ったが、どうもそう簡単にはいかないようだった。
もう一度表へ戻って来て、階段を降りてみた。中は真っ暗でほとんど見えない。階段が終わり、すぐにドアがあった。手を掛けてみたが、鍵が掛かっていた。
「………駄目か」
諦め、地上に戻る。光が眩しくて目を細めた。不意に腹が鳴った。…………まずは昼食にしよう。そう思って、一度ローエンはアザリアへと向かった。
#3 END
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次回更新日は12月7日の予定です。
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