第28話 恐るるなかれ、愛する人よ
クローディアは大型のナイフを手に、ローエンへと襲いかかる。だがローエンは余裕げな顔で、それを捌き、顔へ拳を突き出した。彼女は間一髪のところで避けると、下からナイフを突き上げる。ローエンには当たらない。続けて横へ振ったが、またしても避けられた。
「………真っ向の戦闘は向いてないんだ?」
「!」
「奇襲とか不意をつく方が得意なんだろ」
ローエンの言葉に、クローディアは一層素早く、短剣を突き出した。首を曲げたローエンの横髪を刃が掠め、顔の横を通り過ぎた腕を、ローエンは捕まえる。慌てて振り払おうとするクローディア。しかし、女の力ではローエンの握力から逃れられはしなかった。
「………つーかまーえた」
「……………放しなさい!」
「だーめ。…………お前さぁ、まだ母さんの依頼で動いてんの?」
「………⁈」
「何でそれを、って顔だな。…まぁ、勘だったんだが、たまたま当たってたってだけだ」
ローエンは暗い笑みを浮かべると、ギリ、と手に力を入れる。痛みにクローディアが顔を顰め、ローエンはその顎に指を添えた。
「………今、動いてるのは半分くらい私情だろ?」
「………………そうね」
「なら情けは要らないよな」
「!」
メキリ、とクローディアの腕が音を立て、激痛が走った。
「あああぁぁっ‼︎」
「……と言いたい所だが今日はこの辺で勘弁しといてやる」
腕を離され、クローディアは膝をついて痛む右腕を抑えた。そのまま動けないでいるクローディアに、ローエンは鼻で笑う。
「……………何、折られたこと無かった?」
「………うぅっ……!」
涙の滲む目を向けられ、ローエンは困ったような笑みを返す。
「何だ、そんな顔すんなよ、俺が悪者みたいだろ………?」
ローエンはしゃがみ、クローディアと目線の高さを合わせ、言う。
「………俺は街では出来るだけ穏便に暮らしたいんだよ。ここがスラムならお前の命はねェ」
「………………」
「これでもまだ懲りずに来るなら結構だが、ヴェローナや皆んなに手を出そうものなら、俺は絶対どこだろうとお前を殺す」
初めに会った時と同じような事を言い、そして立ち上がった。クローディアは体が動かなかった。足には何の支障もないはずだが、立てなかった。
踵を返して立ち去るローエン。その後ろ姿を、クローディアはただ見ていることしか出来なかった。
クローディアが動く気配がないのを確認しつつ、ローエンは後ろへ下がっていたヴェローナへ寄って行った。
「………行くぞヴェローナ」
そう声を掛けても、目が合わなかった。こちらを見ているのだが、視線がローエンを通り抜けてしまっている。
「ヴェローナ?」
「!……あ、えぇ、ごめんなさい、何?」
ハッと我に返り、ようやくヴェローナと目が会った。しかし穏やかな目ではない。………怯えている目だ。
「…………大丈夫か」
「えぇ、うん!」
「はやくここ離れるぞ」
「………分かった」
と、そう答えるヴェローナから荷物を受け取り、ローエンは彼女の手を引いて、走り出した。
「……………待って……疲れた」
少しして、手を引かれたままヴェローナがそう言った。気付けば人通りも多い大通りに出ていた。学園に近い場所である。
「………あぁ、悪い……もうそろそろ大丈夫だな」
と、ローエンは足を止め、ヴェローナの手を放した。ハァハァと息を切らすヴェローナ。ローエンがその肩に触れると、彼女はビクッとした。ローエンはその反応に驚いて、言う。
「………お、おう…?悪い、びっくりさせたか」
「……………ごめんなさい………ちょっと、うん、びっくりした、って言うか…」
「?」
「……分かってるんだけど……リタは怖い人じゃないって」
「………………!……あっ」
「いいの。逃げなかった私も悪いし、ね」
と、よろけたヴェローナを、慌ててローエンは支える。と、その時彼は、ヴェローナの体が震えている事にようやく気付いた。
「………ヴェローナ」
「……ちょっと、力入んなくって………あはは」
そう頼りなく笑うヴェローナに、ローエンはとても申し訳ない気持ちになった。
「………気が利かなくて悪い、そりゃあ、怖えか」
「ううん。………腕、大丈夫なの?」
「ん?………あぁこれは別に、そんな深くないからもう止まってるよ」
ちょっと痛ェけど、と、切れた袖を上げて見せた。
「…………分かってたつもりなんだけどなぁ、いざ目の前にすると駄目ね」
「それが普通の反応だよ」
「でもソニアちゃんは平気じゃない」
「うーん、あいつは特殊なんだよ。色々と」
と、そこでローエンはふと思い出して、言う。
「……そうだ、時間潰すんだよな………?」
「え、えぇ。そう」
「じゃあ一度俺ん家来て、昼飯食べてから、その後二人で街ぶらぶらするってのは…………?いや、お前さえ良ければなんだが」
「…………いいわよ、どうせする事も無かったし。デートも久し振りだものね」
「頑張ってエスコートさせて頂きますよ」
茶化すように、ローエンは首を傾げて笑った。そして彼は腰を下り、ヴェローナへ手を差し出す。
「さて。ではお嬢さんお手を」
「もう、すぐそうやって調子に乗るんだから」
「…………少しぐらいいいだろー、今日はめでたい日だ」
「………そうね」
コホン、とヴェローナは咳払いすると、自然な笑顔を作り、ローエンの手を取る。
「…………よろしく頼むわよ騎士様」
「………いいね、悪くない」
「何よ」
「まぁ俺は騎士ってガラじゃあ無いけど」
「うるさいわね、さっさと行きましょほら」
「仰せのままに、お姫様」
「もう」
ため息を吐きながらも、ヴェローナはローエンに今度は優しく手を引かれて行った。
「お姉ちゃん!」
意識を取り戻したミシディアが、先程のローエンと同じように飛び降り、下でうずくまっていたクローディアへと駆け寄った。
「どうしたの⁈大丈夫?」
「…………ミシディア………無事で良かった」
「………腕………」
「………片手で折られたわ、私ももう少し鍛えなきゃね…」
「お姉ちゃんはそのままでいいよ。…………立てる?」
「………えぇ、足はどうもないから…」
「じゃあどうして追わなかったの?」
「…………何だか力が入らなくて………」
「あぁ、分かる、なんか体が動かなくなるのね」
うんうん、とミシディアは頷いてそう言った。
「………どうする?なんか、思った以上なんだけど」
「…………あんたがいるのも早々にバレてたみたいね」
「何、超能力者なの、あれ」
「………ただの女たらしよ」
「えぇ、キモい」
クローディアは立ち上がり、腕の痛みに顔を顰める。
「……どんな握力してんのよまったく……」
「ただの女たらしは嘘だね」
「ふん。………いいわ、こうなったらこっちも出るとこ出るわよ」
「と言いますと?」
ミシディアの問いに、クローディアは不敵に笑う。
「…………あの女を、利用してやるわ」
「えー、でも手ぇ出したら怒られるんでしょ?」
「どの道同じよ、それに、いざ人質を取られたら普段通りには動けなくなるわよ」
「そーかなぁ」
「………もう頭来たわ、あの男、タダ殺してやるんじゃ済まさないんだから」
ふふふふと笑うクローディアに、ミシディアは言う。
「ねぇお姉ちゃん、そろそろ一回依頼主と合流しない?」
「……そうね、それに、手を貸してくれるかもしれないわ」
クローディアはそう言って、笑う。高まる復讐心に、もう痛みなど、どうでも良くなっていた。
その日の夕方。何だかんだでローエンも、ヴェローナと共に学園の前に来ていた。ぞろぞろと、初等部から高等部までの学生が門から出て来る。その脇で、ローエンとヴェローナは立っている。じっ、と影のように佇んでいるローエンに、ヴェローナは言う。
「堂々としてなさい、大丈夫だから」
「………だけどよ…………」
「おかーさん!」
「!」
校門から、ソニアが駆けて来た。まっすぐにヴェローナへ駆け寄り、抱きついた。と、そしてその後ろにいるローエンに気付く。
「あれ、おとー……さん」
語尾が小さくなった。恐らく周りの事を気にしているのだろう。ローエンは苦笑し、応える。
「よ。楽しかったか」
「うん!」
晴れ晴れとした表情で、ソニアは答えた。
「あのね、お友達出来たんだよ」
「あのリノっていう子?」
ヴェローナが聞くと、ソニアは大きく頷いた。
「うん!他にもね、たくさん」
「そう、良かったわね」
「………思ったより馴染めてて良かった」
ほっ、とローエンがため息を吐いた時、前方にニコラスが現れた。あっ、と表情を緩めるヴェローナ。
「学長さん」
「おやおや、旦那さんも一緒かね」
「!」
その言葉に、ローエンは彼を警戒したが、ニコラスはヒラヒラと手を振る。
「冗談だよ。肩の力を抜きたまえ。私は敵ではないよ、ローエン君」
「………何で俺の名前」
「話は聞いているからね。………悪魔の噂も知らん訳では無いが」
「……………話って」
「アクバールさんとお知り合いなんですって」
ヴェローナがそう言うと、ローエンはさらに眉根を寄せる。
「アクバールぅ?」
「ますます信用ならんというような顔だね」
やれやれ、とニコラスは肩を竦める。
「私はニコラス・プレイスト。この学園の学長だ。よろしく頼むよ」
「………あんた学園のトップだろ?」
「さよう、だからまぁ、安心してここへは来たまえ。多少の事はなんとかなる」
「……………なんとか…って……」
アクバールの知り合いらしいな、とローエンは思った。アクバールよりかは幾分かマシだが、ローエンにしてみれば十分に怪しいと感じられた。
「………アクバール君についてよく分からないのは私も同じだよ。だが深くは詮索せんようにはしている。根は悪い人間では無いのだよ、彼は」
「………逆だよ、根が悪い奴なんだ」
「ほう」
「善人っぽく振舞ってはいるけど」
ローエンがそう言うと、ニコラスは愉快そうに笑う。
「はっはっは、なるほど、一理あるかもしれんな」
「………何が可笑しいんだよ」
「いや、その方がしっくり来ると思ってね。彼は信頼してもいいが」
「信用してはいけない」
「………おやおや、これは」
「俺もそう思ってる」
ニ、とローエンはそう言って笑った。
「どうちがうの?」
ソニアが訊いた。
「………んー、頼ってもいいけど裏切られる覚悟はしとけって事」
「………そうなの?」
「……多分」
そう、曖昧に答えるローエン。ニコラスは柔らかな笑みを浮かべている。
「さて、ではそろそろ私は仕事に戻るよ。また明日。気をつけて帰りたまえよ」
「さよならせんせー!」
ソニアが元気にそう言った。ニコラスに見送られ、ローエン達は帰路へついた。
三日後、仕事の為にローエンはアクバールに教会へ呼ばれていた。
いつもの部屋、仕事の話に入る前に、アクバールは目の前に座るローエンに言った。
「そう言えば君、ニコラス神父に会ったのかね」
「……本人に聞いたのか?」
「質問に質問で返さないでくれたまえよ。先に答えるのは君だ」
「………なんか責められてるみたいだな」
会ったよ、と答えると、アクバールはふむ、と足を組み、言う。
「君はてっきりあの学園へは行かないものだと思っていたが………どうだった?」
「どうって………」
「ニコラス。彼にどういう印象を受けた」
「………別に……いい人そうに見えたけど」
「ワタシとは違う?」
「違う」
きっぱりと、ローエンが即答するとアクバールは少し落ち込む。
「………神父=胡散臭いというイメージという訳でもないのだな」
「アクバール=胡散臭いだ」
「ワタシが何かしたかね?」
「あの人も同じように思ってるみたいだった」
「………それは心外だね」
「でもいい人だって」
「神父に悪い人間はおらんよ」
「それはどうかな」
肘掛で頬杖をつくローエン。真顔で見られ、アクバールは僅かばかり身を引く。
「………どういう意味だね?」
「お前は底なし沼。…うっかり踏み込んだらもう戻れない」
「……分かるように言いたまえ」
「そういう………何にも物怖じしない態度とか。お前が誰かに「さん」付けしてるのとか聞いた事ない。……女性はともかく」
「何が言いたい?」
「お前は悪い人間だ」
「………」
「俺を“殺し屋”として見て付き合ってるし……普通神父はそんな事しない。俺が知る限り、お前が怖がったのは警察だけ。………でも警察にも内通者が」
「ワタシは一言もそんな事は言ってないがね」
「………」
「……踏み込めば戻れないと言ったのは君だよ、ローエン。ワタシは別に止めはしないが、自分でそう思うのならそれに従う方が身の為だと思うがね?」
少々威圧的に言われ、ローエンは口を閉ざす。アクバールは小さく笑い、両手を肩の横で広げた。
「さて、まぁ“冗談”はさて置き、仕事の話に移ろうか」
と、しれっとしてアクバールは本題へ移った。ローエンもそれ以上追及しようとは思わなかった。
(……やれやれ、牙を剥くのは死神ばかりと思っていたが)
話しながら、アクバールはそんなことを思う。
(グラナートの言葉を借りれば、悪魔も時には魔王へ牙剥く、というところか……)
内心、アクバールは可笑しそうに笑ったが、顔には出さない。表ではごく普通に、仕事の話をしている。
「さて、では、よろしく頼むよ」
(ずっと隠しているのも面倒だ、少しくらいネタばらしした方が、彼も落ち着くかね………?)
ローエンが立ち上がり、いつもの様に出て行く。それを見送りながら、アクバールはそんな事を考えていた。
#28 END




