第27話 出会いと再会
ソニアの登校初日。制服を着て緊張気味のソニアは、ローエンに文字通り張り付いていた。もうすぐ出る時間だ。ローエンは困った顔をして、ソニアに言う。
「…………ソニア、そろそろ行かねェと」
「……うん」
「な。大丈夫だって。心配すんな」
「うん。がんばる」
ソニアはローエンから離れ、それでも心配そうにローエンを見ていたが、やがてその向かい側に立つヴェローナの方へ行った。
「…………いってきます!」
「おう」
ローエンは笑って、ソニアにそう答えた。
国立アザリア学園は、初等部・中等部・高等部からなる大きな学園である。その広大な敷地はアザリアのまさに中心に位置し、街の中は勿論、外からも生徒がやってくる。
「ようこそ諸君、我がアザリア学園へ。途中からだが、大いに歓迎するよ。存分に学び、共に切磋琢磨したまえ」
学園の中心にある立派なチャペル。人はとても少ない。ソニアとヴェローナの他に編入生とその保護者が合わせて六人、そして壇上には白髪の眼鏡をかけた神父らしい男が立っていた。学長のニコラス・プレイストである。
アクバール以外の神父というものを見た事が無かったソニアは、これが本当の神父というものなのだと言うことを、子供ながら感じていた。
「ここには数多の施設があり、数多の人間がいる。その環境に来られた事の、神への感謝を日々忘れぬよう。そして、これから君達に訪れる日々に、神の祝福のあらん事を。……さて、挨拶はこれくらいにして、早速君達のクラスへと案内しようかね。初等部の二人は同じA、中等部の君はD、高等部の君はBへ。良いかね。初等部へは私が案内しよう。中等部は先生、高等部へはブラック先生。よろしく頼むよ」
と、端に控えていた二人の教師が出て来た。一人は女性、もう一人は男性だった。女性の方は眼鏡を掛け、気難しそうな雰囲気だった。一方男性は、気の良さそうな顔をしている。
「さて、行こうか諸君。仲間達が待っている」
ニコラスはにこやかに笑って、そう言った。
「ねえ、あなた、名前は?」
「!」
ニコラスに連れられて校内を歩いている途中、一緒にいた少女がソニアに話しかけて来た。ソニアは少し困ったようにヴェローナを見てから、彼女に答えた。
「…………ソニア」
「そっか、ソニアちゃんっていうんだ。私リノ。よろしくね」
リノはふんわりとした笑顔で、ソニアにそう言った。
「これからおんなじクラスだね。私ね、他のまちから転校して来たんだ。ソニアちゃんは?」
「…………うーん」
「?」
「ソニアはね、スラムで育ったの」
「?………へえ」
「だからね、学校に行けなかったの」
その様子をヴェローナは内心はらはらしながら見守っていたが、リノもその母親も、特に嫌そうな顔はしなかった。
「そうなんだ。じゃあ、良かったね!」
「?」
「学校、来れるようになったんだ!良かったね」
少し、間が空いてから、ソニアは笑って頷いた。
「うん!」
ソニアはクラスに案内され、ヴェローナはする事も無いので適当に校内を散策していた。ヴェローナは中等部から、この学園の出身である。懐かしいな、という気持ちで歩いていた。
「デルファイアさん」
「!」
そう声を掛けられ、振り向くとニコラスがにこやかな表情で立っていた。彼はヴェローナが在学していた当時もここで学長をしていた。今より随分と若かったが、その面影は今も残っているように感じた。
…………だが、ヴェローナが覚えていても、ニコラスの方も覚えているとは限らない。
「少しお話しできますかな」
そう言われ、緊張しながらも、ヴェローナは「はい」と答えた。
彼は近くのベンチにヴェローナを手招きし、隣に座らせた。顔を見れないでいるヴェローナに、ニコラスの方から話しかけた。
「…………そう緊張せずとも良い、私には何も隠す必要はないからな」
「!」
「オルラント君は私の長い友人でね。………大体の事情は彼から聞いているよ」
驚きのあまり、言葉が出なかった。そして、安心感というよりも、妙な警戒心が芽生えてしまった。
「………それで……私に何か」
「いいや。特にどうという事もないがね。ただ、知っておいて欲しかったのだよ。私は君達の味方であると」
「…………」
「ローエン君、だったか。彼の事もよく聞いている。悪い人間ではないとオルラント君が言っていたから、それほど心配はしておらんよ。………君は娼婦だそうだが」
「……お恥ずかしながら」
「いやいや、良いのだよ。神の前では皆平等、そこには身分も職業も、何も関係ない。…………そういう風な教育を心掛けているのだが、どうも行き届いていない輩もいるようだ。まぁ皆人間なのだから仕方のない事だとは思うが、君やソニア君が辛い思いをせぬように、精一杯取り組むとしよう。何、そういう事情の子は彼女だけでもない。それに、一緒に入って来たあの子の様に仲間も出来るだろうな」
これが本当の神父か、と思うような表情でニコラスは言う。そして、彼ならば、任せても良いと感じられた。
思い返せば、自分が在学していた当時も、彼はこんな感じであった。強面とは裏腹に優しい人柄で、学生であった自分が彼に抱いていたのは好意だった。
…………今も、この人は変わらない。そう思った。
「警戒は解いて貰えたかね」
「………えっ」
「いやはや、顔に出ていたよ。………まったく、オルラント君は信用されていないのかね?」
「……えぇ、いや………そういう事では」
「まぁ分からんでもない、私自身、彼が本当に何者なのか分からんしな」
「それでも………えっと………協力を?」
「まぁな。同じ神父の仲間としてかね。彼のしている事はいささか違法ではあるが、弱者の味方には変わりない」
「…………」
「少し変な奴ではあるが、悪い奴ではないよ彼は。…ただ、信頼してもいいが信用は駄目だ。実に何を考えているのか分からない」
「………よく分かりません」
「はっはっは、いや、おかしな言い方をしてしまったね。まぁ、彼はともかく私は信用してくれていい。……などと自分で言っても信じて貰えんだろうがね」
「あぁ、いえ、大丈夫です」
何が大丈夫なんだろう、と思いながらもヴェローナはそう返した。しかしニコラスは、太陽のような柔らかな笑みを浮かべ、言う。
「………そうかい、ありがとう。困った事があったらいつでも言ってくれたまえ。贔屓に見られる事は出来ないが」
「…………いえ……こちらこそありがとうございます…」
「さて、では私は行くよ。君は今日終わるまでここにいるのかね?」
「………帰りが……心配なので」
「家は街の中だろう?」
「そうですけど…………」
「ならばきっと大丈夫だよ。まぁ、結構時間もある事ですから街で時間を潰して来てはいかがかな。ここでは退屈でしょう」
「…………あぁ、そうですね、そうします」
ずっとここにいても時間は潰せそうだったが、近頃あまり街にも出歩いていなかったので、その提案に乗ることにした。
「じゃあ………ソニアをよろしくお願いします」
「勿論だとも」
ぺこり、と頭を下げ、ヴェローナは学園を後にした。
一方その頃、ローエンは。
一人で街へ買い物に来ていた。手には既にいくらか紙袋が抱えられている。
「………帰って来たら何作ってやるかな…………」
と、夕食の献立を考え、そんな事を呟きながら街を歩いていた。ついでと言っては何だが、久し振りにヴェローナへプレゼントでもあげようかとも考えていた。
(………ソニアにも入学祝いに何か買ってやるか)
と、そう思った時、不意に帽子を目深に被った女がぶつかって来た。
「おっと」
「あら、ゴメンなさい」
「…………あぁ、いや」
と、過ぎて行こうとする女を、何を思ったかローエンは突然その腕を引き止めた。
「………⁈」
「…………気付かねェとでも思ったかこの女狐」
女の手には血のついたナイフが握られていた。そして、ローエンのコートの袖が切れ、腕から血が出ていた。
「………腕で………防いだのね」
「通りすがりに脇腹切り裂いて終わりのつもりだったか、クローディア」
女………クローディアは、忌々しそうな顔をしてローエンを見る。人通りが多いが、事態に気付いているひとはいない様である。
「……お久しぶりね、二度目も失敗するだなんて思わなかったわ」
「殺気立ってんだよ」
「…………あら」
「やるならもっと上手く隠せ」
「…どうしてそんな、敵にアドバイスするの?馬鹿みたい」
「これで成功すると思ってるんだと思うとムカつく」
「………普段ならこんな事する前に色仕掛けで終わるわよ」
「ま、得意技が効かねェんじゃ、しょうがないよな」
ハハッ、とローエンは意地悪げに笑った。クローディアは不快感を顔で示す。
「……掛かったフリなんかしてくれちゃって」
「俺、女のコと遊ぶのは好きだかんね」
「殺し合いが遊び?」
「いーや、嫌いな女を虐める事」
「最っ低」
「君にそんな事言われる筋合いは無いね。………今の所嫌いなのは君とあと一人だけだよ」
「…………」
「じゃあ、遊ぼうか?」
「!」
何を仕掛けてくるのか、とクローディアが警戒して身を引いた途端、ローエンは彼女のいる方とは逆方向に走り出した。要するに、逃げたのだ。
「………ちょっ………待ちなさい!」
片手で荷物を抱えて走るローエンを、クローディアは追う。
人混みを掻き分け、器用にローエンは走って行くので、クローディアは徐々に距離を離される。
苛立ったクローディアは、耳につけた小型無線機に向かって言った。
「ミシディア!」
『駄目だよお姉ちゃん、路地に入った。ここからじゃ見えないよ』
上で待機していたミシディアは、クローディアの呼び掛けに対してそう答えた。
「…………探して!」
『了解。見つけたらどうする?』
「居場所を教えて。私がやるわ」
『はーい、じゃあ足止めしとくね』
ミシディアが移動を始めた気配を感じ、そしてクローディアは走るのをやめ、歩いてローエンを探す事にした。
ミシディアは建物の屋上を、身軽に跳んで渡りながらローエンを探していた。背中には狙撃銃を背負っている。
キョロキョロと人混みを見渡すが、探している姿は見当たらない。完全に見失ってしまったようだ。
「…………どこ行っちゃったんだろ」
はぁ、と肩を落とし、ミシディアは呟いた。彼女は目は良い方である。遠くからでも人の見分けはつく。本当にそこにいれば、彼女に見つけられないはずはない。ともすれば、本当に煙のように消えてしまったのだ。ローエンは。
「……まさか私に気付いてるとか」
「まぁね」
「‼︎」
突然耳元で声がして、振り向くより先に背後から口を抑えられ、羽交い締めにされた。思わぬ恐怖に悲鳴が喉に張り付いた。………どの道、声は出なかった。
「…………」
「………初めまして、どうも。俺の事探してた?」
ローエンは柔らかい声でそう言った。だが、ミシディアは何だか心臓を握られているような気分だった。
「流石の俺も二人一度に相手するのは大変だからさ………先にスナイパー片付けちゃおうって思って」
「…………っ!」
「だぁいじょうぶ、殺しはしないからさ」
悪魔の囁き。ミシディアはそう思わざるを得なかった。全く気配に気付かなかった。それなのに、彼はこちらに気付いていた。離れた場所の、自分に。
無線機で姉に助けを求めようにも、声が出せない。自分は一体何をされるのだろう、とそんな恐怖が体を駆け抜けた。
「………俺もさ、無抵抗のコを痛めつけるような趣味は無いんだけどさ。情に流されて自分の身を危なくする程、俺も甘くない訳よ。…………今やらなきゃ俺がやられんだから仕方ないよね」
「!」
「とりあえず寝てて貰おうかな」
と、ミシディアは頸を強く打たれ、がくりと崩れ落ちた。だがローエンは彼女の体を支えると、そっと下ろした。そしてしゃがんで口に人さし指を当てると、ミシディアへ囁く。
「…………今回はサービスね」
よいしょ、と彼は立ち上がると、後ろへ置いていた荷物を抱えなおした。それから屋上の欄干へ足を掛けると、何の躊躇いもなく飛び降りた。
三階程の高さを一回転を挟み、ダン、と膝のクッションを最大限に使って着地した。
「ひゃっ⁈」
「うぉ⁈」
唐突に聞き慣れた声がしたので、ローエンは驚いて振り向いた。と、そこには驚いた顔をしたヴェローナが立っていた。表通りからは離れているので、彼女の他には誰もいないようである。
「………な、何やってんのよ!」
「それはこっちの台詞だろ…………ソニアはどうした」
「ソニアちゃんなら学校だから!終わるまで時間潰して来たらどうだって学長さんに言われて………」
「そうか。…………まぁ丁度良かった。これ持っててくれ」
と、ローエンは持っていた荷物をヴェローナへ手渡した。
「えっ⁈」
「今追われてるからさ。出来れば今、俺と一緒にいない方がいいんだけど………」
「追われてるって…………誰に」
と、そう訊かれて答えようと、ローエンが口を開きかけた時だった。
「見つけたわよ悪魔」
「………あらら、なんとも間の悪いこって」
ローエンの背後側から、クローディアが姿を現した。
「…………えっ、クローディア⁈」
「前話しただろ。あいつはただの殺し屋なの」
驚いているヴェローナに、ローエンは落ち着いてそう言う。
「………それは…………分かってるけど」
「……誰かと思えばヴェローナさんじゃないの。ま、元から正体がバレてるのなら取り繕う必要もないってね」
ばさ、とクローディアは手で後ろ髪を跳ねた。
「…………ところで、妹と連絡が取れなくなったんだけど」
「………あぁ、あの子?名前なんていうの?」
「………教える必要ないでしょ」
微笑んでいるローエンに、クローディアは眉間にしわを寄せて答えた。
「あの子に何したの」
「彼女ならこの上だ、君と二人になるには少し邪魔だから寝てて貰った」
「…………ちょっと、リタ」
「………お前がいると調子が狂うな」
はぁ、とローエンは苦笑してヴェローナにそう言った。
「何よ」
「お前はそれ持って逃げろ」
「嫌よ!」
「何でだよ」
「………は、離れたくない」
「…………」
「怖いから」
「………そうだな、もう一人が復活してお前の事狙ったら大変だしな」
じゃあ下がってろ、とローエンは言うと、切れたコートの袖を指差してクローディアに言う。
「……これお気に入りだったんだけどどうしてくれんだよ」
「…………命より服の事?余裕ね」
「お前如きにやられたりしない。………少し気は進まないけど」
「女だからって手を抜いてると痛い目見るわよ?」
「お前だって俺の事、ただの女たらしとか思わない方がいい」
「…………思ってないわよ」
「あ、そう?」
タッ、と唐突に、ローエンはコンクリートの地面を蹴った。一瞬にして間合いを詰め、クローディアの腹へ蹴りを叩き込んだ。
「………っ!」
咄嗟に腕で防ぐも、クローディアは後ろへ飛んだ。地面に落ちる前に受け身を取ったが、それでも背が痛かった。
「俺手加減は出来ないからさ?………可哀想じゃん、今逃げるなら見逃してあげるけど」
「………ナメないで!」
「……威勢の良いコは嫌いじゃない」
ローエンはそう言うと笑って肩を竦める。その表情は後ろのヴェローナからは見えなかったが、どうしてか腕に鳥肌が立っていた。
「………リタ………」
不安げに呟いたヴェローナの声は、ローエンには届いていなかった。
#27 END




