第25話 届かない気持ち
それから一週間が経ち、11月に入った。まだ昼間はマシだが、夜になると急に冷え込む。街の人々は冬がもうすぐそこまで来ていることを感じていた。
また、ローエンとヴェローナは最近気が気でない。何がかと言えば、ソニアの編入試験が控えているのだ。
編入試験の受付は常時、空席さえあれば受け付けられている。今回希望者はソニアの他にも数人いるらしく、その子らと同じ日に受けることになっている。無論、ソニアと同じ歳の子供ばかりではないし、学力に応じて入れられる学年も違う。この国では、飛び級が認められているのだ。
「…………気が付いたらもう明日じゃないの」
「大丈夫だよ、多分……ソニアなら」
「そういうあんたも自信なさそうね」
「…………俺を信じる必要は無いだろ」
「……そう言えばそうね、って、そういう事じゃないわよ」
昼、ローエンの家。ソニアは最終追い上げの勉強に疲れ果てて、ローエンのベッドで寝ている。このリビングには二人だけだ。
「…………ていうか俺はどうしてこんなに不安なんだ、不安なのはソニアの方だろう」
「……あなたグラナートさんの時にも似たような事言ってたわね」
けどそれとはまた別だわ、とヴェローナは言う。
「………子供の事は心配になるものなの。親ってものは」
少しの間の後、ようやくその意味を解したローエンは、何だか複雑な顔をして言った。
「……………そういうもんか」
「そういうものなの」
そして二人の間に妙な、しかし決して悪いものではない空気が流れたのだった。
少しして、ドアベルが鳴ったのでローエンは出た。すると、そこにいたのはオフェリアだった。
「あれっ、久し振り」
「やっほー、元気?お姉ちゃん来てる?」
「おぉ。……今日仕事は?」
「オフ!暇だから遊びに来ちゃった」
「そっか。まぁ上がれよ」
「うん」
リビングへ来て、妹と目が合ったヴェローナは驚く。
「あら、どうしたの」
「何よー、用がなきゃ来ちゃダメみたいじゃん」
「………そんな事ないわよ」
しかし、内心ヴェローナは二人の時間を邪魔されたのが不服だった。だが、近頃妹も忙しそうにしていたので、たまにはいいかと思い直した。
「えっと……ソニアちゃん?は?」
「寝てる」
「えー、残念」
「明日編入試験なんだよ。………勉強疲れで」
「あぁ、それは大変だね……。……うーん、どうしよう、折角ソニアちゃんに、と思って服持って来たのに」
「それじゃあ俺が渡しとくよ」
「駄目!着てるところ見たいの!」
「…………あぁ」
その迫力に気圧されて、ローエンは伸ばしていた手を引っ込めた。その様子を見て姉の方はクスクスと笑う。ローエンがそれに気付いて、怪訝な顔をして言う。
「……何」
「…………えぇ、いや、何でもないわ」
「……………」
「あ!そうだ!じゃあローエンの分だけでも今合わせて!」
「えっ」
「ていうかこの前のパーカー着てくれてるの⁈」
「……部屋着に…」
「えー、似合うのにさ!外でも着てよ!」
「…………外へ着て行ったら汚すかもしれないし……」
「泥汚れくらい………って、あ」
「……そう、そっち」
街でもスラムでも、100%襲われないという保証はない。いつも動き慣れた格好でいなければ、ローエンは落ち着かなかった。
「…………お出掛けの時くらいいいじゃない」
「俺が落ち着かねんだよ……」
「それの上でも似合うから!」
「……昔腰巻きにしてた時期はあったんだけど」
「それでもいいから!」
「…………俺が自分で買ったならともかく、オフェリアちゃんがくれたのを汚すのはな…?」
「!」
「やっぱり俺が気持ち的に嫌なんだよ。でも、着ないのはやっぱり駄目だからせめて部屋着にしてるんだ」
「………そう」
「……傷付いたならゴメン」
「…………ううん!いいの!ローエンなりの気遣いなんだもんね!それより、ほら、これ」
と、オフェリアは手に持っていた大きな紙袋から黒いニットのタートルネックのセーターを出した。左胸にメーカーのロゴが小さく刺繍されている。
「じゃーん、これから寒くなるでしょ、下に着ても暖かいから」
「おぉ、ありがとう、確かにこれの上にコートじゃあ寒いんだよなー………」
「でしょ?ね、今着てみて」
「分かった」
と、ローエンはあっという間に着ていたワイシャツを脱ぐと、素肌の上にセーターを着た。
「お、暖かいな」
「わぁ、似合うよやっぱり」
「リタって本当何でも似合うんじゃないの………」
「あまりチクチクしないな」
「そうなの、裏地の素材は毛糸じゃないから」
「………あー、本当だ」
と、首元をめくってローエンは呟いた。
するとオフェリアは、ぱん、と手を叩いて嬉しそうに言う。
「うん!良かった!あ、そうだ、お姉ちゃんにもあるの!」
「え?」
「はい!」
と、取り出されたのはローエンのと色違いの、白いセーターだった。
「ペアルックだよん」
と、ドヤ顔で言うオフェリアに、ヴェローナは慌てる。
「ちょっ、オフェリアっ」
「えへへー、どうだ、嬉しいでしょ」
「うっ、いいっ、けど!」
「ちなみにこれがソニアちゃんのねー。サイズ合うかな?」
「あいつ120cmちょっとだよ」
「そっか、じゃあちょっと大きいくらいかも」
と、ローエン達のより少し小さい、グレーのセーターが出て来た。
「皆んなお揃い!」
「いいのか?こんなに貰って」
「いいのいいの!記念だから!」
「…………あ」
と、ローエンはハッとしてヴェローナの顔を見、そしてオフェリアの顔を見た。だがそれに対してオフェリアは明るく笑ったまま言う。
「なんて顔してるのよ、気に入らなかった?」
「え、あぁ、いや。そうじゃなくて………」
「………分かってるよ。私の事が心配なんだ」
「…………オフェリアちゃん」
「でもいいもん、ローエンはお兄ちゃんみたいなものだもん」
「え、おい」
「だからね!ローエンも私の事呼び捨てで呼んで!」
「……えー」
「私はお兄ちゃん呼びにしていい?」
ローエンは思考が追いつかないまま、オフェリアの勢いに押されて思わず答えてしまった。
「…………お前がいいんなら別に俺は」
「じゃあお兄ちゃん」
「………………」
「あれ?」
「……いや、そういう呼び方一度もされた事なかったから」
どう反応していいのか分からない、と、やっと思考が追いついて来たローエンはそう言った。
「そういえばローエンって兄弟いないの?」
「……一瞬で元に戻ったぞおい」
「お兄ちゃんは兄弟いないの?」
「…………いない。一人っ子」
「そっか」
ヴェローナはローエンのその顔が暗いのに気付いた。恐らく母親の事を思い出してしまったのだろうと、彼女は明るく話題を切り出す。
「ねえ!折角だしお茶にしましょ!ソニアちゃんも起こしてくればいいわ」
「……お、そうだな」
「私とオフェリアでケーキ買って来るわね。何か希望ある?」
「いや、特に。好きなの買って来いよ」
「分かったわ。オフェリア、行きましょ」
「え、う、うん」
半ば強引に引っ張られるようにして、オフェリアは姉に連れ出されて行った。
「…………別に気遣いなんかいらねェのに」
と、ヴェローナの考えに気付いていたローエンは、二人が消えてからそんな事を言った。
「……オフェリア、あなた本当は悲しいんでしょ」
道を歩きながら、ヴェローナはオフェリアにそう言った。だが、オフェリアは笑ったまま訊き返す。
「…………どうして?」
「だって、あなたもリタの事好きだったじゃない」
「……そうだけど、お姉ちゃんの幸せを素直に祝福出来ないほど、私も我儘じゃないよ」
「…………まぁ、私達籍を入れる訳じゃないんだけど」
「でもさ、正式に付き合うって事でしょ?」
「……それは…………そうね」
今まではそういう気持ちで共にいた訳ではなかったのだ。ただ自分も、ローエンの数多いる彼女の一人だったのだ。
「リタってああ見えて一途な所があるっていうか」
「あの人を落としたお姉ちゃんって凄い」
「落とされたのは寧ろ私の方よ」
「両思いって事じゃない?」
「…………そうかしら」
「そうだよ」
と、ふとヴェローナは、その声が震えている事に気付く。
「…オフェリア?」
「………」
「どうしたの」
オフェリアの前へ回り込み、妹の顔を見たヴェローナは思わず息を詰まらせた。彼女の顔は、涙で濡れていたのだった。
「…………ちょっと!どうしたの」
「わっ………私だってっ……!ローエンの事好きだもん!」
「!」
ぽろぽろと泣き出すオフェリアに、ヴェローナは戸惑う。
「本当はっ……!兄妹よりも恋人の方がいいもんっ……!」
「…………オフェリア……」
「でもっ……ローエンが本当に好きなのはお姉ちゃんだからっ…………私……」
「……リタは皆んな好きだわよ」
「私はお姉ちゃん達とは違って普通の女の子だもん!」
「!」
きっとオフェリアには悪気はなかったのだろうが、その言葉はヴェローナの心にぐさりと刺さった。傷付いた、というわけではないのだが、僅かながらショックを受けた。
それに気付いたオフェリアは、ハッとして言った。
「…………ごっ、ごめん………」
「……いいの。そうよね、あなたは私達とは違うものね」
ヴェローナはそう言って苦笑すると、オフェリアの頭に手を置いた。
「…………でもねオフェリア、リタはあなたの事何とも思ってない訳じゃないわよ」
「……うん」
「だから、大丈夫。…………私だってね、リタは完全に自分のものになる訳じゃないのよ」
「…………え?」
「だって彼、『俺は誰のものにもならない』って言ってたもの」
と、ヴェローナがそうローエンの声真似をして言うので、オフェリアは可笑しくて笑った。
「……ローエンらしい」
「でしょ?」
「…………でも、それじゃあ…」
「………本気でも縛るつもりはないのよあの人は」
「え?」
「自分も縛られるつもりはないみたいだけど。まぁ、それでおあいこだから私も文句は言えないわ」
はぁ、とため息交じりに言うヴェローナ。オフェリアは苦笑して、言った。
「……やっぱりお姉ちゃん達のそういうのって分かんない」
「分からなくてもいいわよ。ほら、早く行かないとリタとソニアちゃんが待ちくたびれちゃう」
「うん」
ごし、と目元を拭いて、先に歩き出した姉を、オフェリアは追いかける。重かった気持ちは少しばかり軽くなった。やっぱり姉には敵わない、とオフェリアはそう思ったのだった。
「たっだいまー、買って来たわよ」
「おう、丁度ソニアも起きた所だ」
「ケーキ!」
ヴェローナが手にしている箱を目にして、ソニアは目を輝かせた。
「ソニアちゃんはケーキ食べた事あるの?」
「ない!」
「そうだな、今度誕生日に……って、誕生日いつだ」
「4月14日だよ!」
「………それはちゃんと分かってるんだな」
ローエンは何だかホッとした。まぁ、自分の誕生日が分かっていたのだから、当然と言えば当然である。……と、ふとローエンはある事を思い出して訊いた。
「…………それ、アクバールに言ったか」
「うん、前にきかれたの」
「そうか、ならいい」
やっぱりあいつ抜かりないな、とローエンは感心した。行政の手続きには生年月日が必要だ。アクバールの事だから分からなければ捏造してしまうのではと心配したが、杞憂だったようだ。
「ソニアちゃんどれがいい?」
オフェリアが、屈んでソニアに箱の中を見せた。
「…………どれが何?」
「これがチョコレート、これがイチゴショート、これがモンブラン………栗のケーキ。これがフルーツ」
「イチゴにする!」
「おっけぃ、じゃあ私フルーツにしよっと」
「じゃあ私モンブラン」
「えっ、俺残りかよ」
別にチョコレート嫌いじゃねェけど、とローエンはため息交じりにそう言った。
「じゃあリタ、お茶いれて」
「あいよ」
と、ローエンは一人キッチンに向かってポットの用意を始める。
「………あれ?お姉さんだれ?」
ソニアが不意に、オフェリアにそう言った。さっきはケーキに夢中で気が付かなかったようだ。
「あ、そういえば初対面だったわね」
ヴェローナはそう言って、ソニアにオフェリアを紹介する。
「オフェリアよ。私の妹なの」
「よろしくね」
「おふぇりあお姉さん」
そう名前を反復するソニアに、三人分の紅茶と一人分のジュース、それから四人分のフォークをトレイに乗せて戻って来たローエンが言う。
「ほらソニア、お前も自己紹介しろ」
「うん!えっとね、ソニアはね、ソニアっていうの!」
「そっかあ」
うんうん、とオフェリアは笑って頷いた。ソニアがとても可愛く思えるのだった。
「ロー……お兄ちゃんはいいなぁ」
「………無理して呼ばなくていいんだぞ」
「いいの!お兄ちゃんは無理じゃないでしょ!」
「…………まぁ呼び捨てなら楽でいいけどよ…」
はぁ、とため息交じりにトレイを机に置くローエン。
「……⁇…………きょうだい?」
「違うよ、そういう事にしてくれって」
「まぁねー」
首を傾げるソニアに、ローエンとオフェリアはそう言った。
「結婚したらそうなるけどね」
と、紅茶に手を伸ばしながらヴェローナが言った。
「…………しねェよ」
「分かってるわよ。色々と面倒なんでしょ」
「別に嫌って訳じゃないからな」
「はいはい」
ぱく、とモンブランを一口食べたヴェローナは、幸せそうな顔で「おいしい」、と呟いた。
その隣で、オフェリアがはっとしてソニアに言った。
「あ、ねえ、ソニアちゃん明日頑張ってね」
うん!…………と、大きな声で返してくるのかと思いきや、ソニアはケーキを食べようとした手を止め、しゅん、としてしまった。
「………ソニア、がんばれるかなぁ」
「お前が心配になってたら俺らも心配になるだろ………」
「大丈夫よ、ソニアちゃんなら」
ローエンとヴェローナは、ソニアにそう言った。オフェリアは少し心配になって訊く。
「学校には行きたいんだよね?」
「うん」
「じゃあ、きっと頑張れるよ。やりたい事はね、自然と頑張れるの」
「…………そうなの?」
「そう。結果は気持ちが一番、やれると思っていれば出来るよ!だから、前向きに行こう!」
オフェリアの明るさに釣られて、ソニアの表情も明るくなった。そして元気よく、「うん!」と答えるのだった。
#25 END




