第23話 夜の恋人達
再びその日のうちにローエンは、ソニアを連れてアクバールの元を訪れた。礼拝堂では相変わらず、昼間助け出した子供達がうろうろしている。
「…………夜遊びの為にワタシを使うのは感心しないね」
「いいだろ別に。グランに預ける訳にもいかねェんだ、今日は」
「まぁ、今既にこれほどいるのだから一人増えたところで何も変わらんよ」
さ、おいでソニアちゃん、と手招きするアクバールに、ローエンは軽くソニアの背中を押した。
大人しく歩いて行ったソニアは、アクバールの横を素通りし、礼拝堂で遊んでいる同年代の子供達をぼうっと見ていた。
「………仲良く出来るといいが」
ローエンはその様子を見て少し心配そうに言う。
「まぁ大丈夫だろうよ、友達が出来るといいな」
にこ、と笑ってアクバールはソニアの後に続いて子供達の方へ行ってしまった。
「……………何もない事を祈る……」
はぁ、とため息を吐き、ローエンは踵を返して娼館へと向かうのだった。
ローエンは娼館へ入った途端固まった。
目の前に一番会いたくなかった人がいたのだ。
「あら、ローエン、お久しぶり」
「…………久しぶりジーク」
何でエントランスにいるかなぁ、とローエンが心の中で思っていると、そんな事はつゆ知らず、彼女はローエンの方へやって来る。
「今まで偶然、私がいる日と合わなかったみたいね」
「……今日ぴったり合ったけどな…………」
目を逸らし、ローエンはそう答える。
「…………なぁに?他の子と全然反応が違うじゃないの」
「………今日は会えて嬉しいよ」
ヴェローナの奴、絶対こうなるのを分かっててジークのいる日を選んだな、とローエンは舌打ちした。そして、ヴェローナに早く来て欲しかった。
「……あれ以来冷たくなっちゃったわね」
「一種のトラウマだお前は」
「うふ、そうやって本性を包み隠さないローエンも好きよ」
「…………………」
「他の子の前では一生懸命演じてるみたい」
「……全部本心だよ」
と、そうボソリと答え、ローエンはジークリンデに問う。
「…………グランの事は」
「あら、誰から聞いたの?」
「……………ヴェローナ」
「そう」
ふふ、とジークリンデは笑うと答える。
「あなた、私が彼を誑かしているとでもお思い?」
「正直言うとそうだ」
「心外ね。………私は本気よ?グランさんの事」
そうは言うが、やはりローエンはにわかに信じ難かった。
「もう本当に一目惚れだもの」
「…………俺の時もそうじゃないのか」
「やぁね。あなたとはその後ダメだったじゃない」
と、思い出したくもない忌々しい記憶が出て来そうになったので、ローエンはそれを無理矢理頭の奥へ押しやる。
「でもね、グランさんは良いの。私の事、ちゃんと受け止めてくれるわ」
「…………それで、あいつのどこが気に入ったんだ」
「そうね………強いて言えばミステリアスなところかしら」
「………」
「謎が多いじゃない?彼。医者だって言うけどあんなに強いんだもの。体だって綺麗に引き締まってるし。……それにあの人、時々あなたみたいな目をするの」
「?」
「愛と一緒に命まで刈り取られてしまいそう」
…………彼女は気付いている。グランの本質に。
その上で一緒にいるのなら、などと考えていると、不意にジークリンデが首に腕をかけて来た。身長差のせいで、ローエンは少し下に引っ張られる。
「うわっ」
「ねーえ、やっぱりあなた見てるとムラムラして来るわ」
「俺はしない!………っと、そうだ、今日はヴェローナに用があって来たんだよっ!」
「あなた達いつも一緒にいるでしょ?ね?たまには刺激が」
「…お誘いは嬉しいけど残念ながらお前とは………っと」
「あら」
丁度その時、ローエンの視線の先にはヴェローナが、そしてジークリンデの視線の先にはグラナートがいた。
「…………しばらくお預けね」
「本気になるなら浮気はやめろ」
と、ジークリンデはローエンから離れてグラナートの方へ駆け寄って行った。解放されたローエンに、ヴェローナが寄って来る。
「………大丈夫?」
「…………俺は大丈夫だけどグランにはどう見えたか」
変な誤解産んでそうだなーとローエンは振り向いた。と、するとすぐそこまでグラナートが近付いて来ていた。
「……君がいるとは思わなかったよ」
声に心なしか怒気が篭っているように思えた。
「…………ここは俺のテリトリーつったろ」
「今日、いるとはね」
「……あの、お怒りですか…………?」
「何が?」
「さっきのは誤解だ。俺はジークとは何の関係もない」
「分かってるよ。彼女がそういう人なのは知ってる」
「…………」
「君に一度惚れた事も」
「………でもなんか怒ってる」
「…………好きな人が友達とイチャついてたらどう思う?」
「………別に俺はなんとも」
「君に聞いた僕が馬鹿だった」
と、ため息を吐くグラナートの腕を、ジークリンデが引く。
「さ、グランさん!行きましょ、美味しいワインを用意してるのよ」
「あ、うん」
半ば引っ張られて去って行くグラナート。ローエンはしばらく先のグラナートの問いの答えを考えていたが、ふと直前のジークリンデの言葉を思い出し、ハッとする。
「………待て!そいつに飲ませちゃダメだ!」
「そんな事とっくに知ってるわよあの人は」
「!…………ヴェローナ」
「面白がってやってるの。まぁ、死ぬ程飲ませはしないから大丈夫よ」
「…………いや止めろよ」
「それにしてもあんた…………『なんとも』って何よ」
「……へ」
「もしかして私じゃなくて他の子達で考えてたんじゃないの」
「…………あー、好きな人がなんたら、って………いや、俺はちゃんとお前で想像したけど」
「………で?」
なんで怒ってんだと思いつつ、ローエンは答える。
「別に、お前が他の奴と寝ててもそりゃ仕事だろうし、お前ならちゃんと線引き出来てんだろうなーっていう」
「………………要するに?」
「……今までそれでずっと来て、それでもお前が俺の事好きだってんだから信用してる」
「…………」
「なんだ、不服かよ」
「あんたって………器が大きいのか単に馬鹿なのか」
「?」
「よくもそんな小っ恥ずかしい言葉がすらすらと出て来るものね」
呆れた様子で、ヴェローナはため息を吐くが、すぐに笑った。
「じゃあいいわ、私も信用する」
「ん?」
「実はね、私もうここ辞めようかなと思ってたのよ」
「………え」
「だって、ソニアちゃんの為にも違う職を探した方がいいかなって…………」
「でも今の状態で安定してるんだろ」
「あんたの為にも考えてたの」
もう、とヴェローナはローエンの腕を取り、引く。
「ほら、行くわよ。お腹空いてるでしょ。とりあえず何か食べましょ」
「…………へーい」
「俺は、何でここに通い始めたかって言うとさ……自分が男なんだっていう証拠………というか自信が欲しかったんだよ」
いつもの部屋で、しかし今日は二人きりで料理を食べていた。
「………お母さんに女装させられてたせい?」
「そ。一人だけじゃ飽き足らず、何人もの女の子に囲まれて……俺は彼女達とは違うと自身に証明したかった。それで結局、自然と俺はこういう人間になってしまった訳だけど」
と、自虐しながらも、ローエンは笑う。
「そうでなけりゃ、お前とは出会ってなかった訳だ」
「…………そうなるのかしら」
「でもさ、よく考えりゃもうそろそろ来なくてもいいかなって思うんだよな……あぁ、でも俺が良くても他が良くないか」
「そうね、皆んなが寂しがるわよ」
「じゃあお前も辞めたら皆んな寂しがるんじゃないか?」
「そうかしらね、稼ぎ頭がいなくなるっていうならそうかもしれないけど、一番がいなくなったら他の子が人気になれるっていう意味では喜ぶんじゃない」
「………そういうもんか?」
「そういうものよ」
と、ヴェローナはそう言って肩を竦める。
「…………私がいなくなったらジーク姐さんよ、多分ね」
「……アレは上級者向けだろ」
「寧ろ初心者向けなんじゃない」
「…………身を任せてればあいつは教えてくれるってか」
「私だって初めての人には教えてあげるのよ」
「一々対抗しねェでいいから」
「こっちはこっちでプライドがあるのよ、あなたには分からないかもしれないけど」
「………分かるって軽々しく言ったら怒られそうだから分からないことにしとく」
「もう」
ヴェローナは苦笑し、ローエンの腕を取る。
「それじゃ、行きましょ」
「………ご馳走様でした」
机の上の空になった皿にそう言って、ヴェローナに腕を引かれてローエンはその部屋を出て行った。
「…………ローエンと何を話してたんだい」
「あら、もしかして怒ってるの?」
「……怒ってるんじゃない、気になってるんだよ」
グラナートはワイングラスを手に、仄かに色付いた顔でジークリンデに言った。
「私的には、怒ってくれた方が嬉しいのよ」
「…………どうして?」
「だって、それくらい私の事好きでいてくれてるって事でしょう?」
うふ、と笑うジークリンデ。グラナートは目を伏せる。
「……まだ僕にはよく分からない」
「…………あなたの事本気なのかって、訊かれたのよ」
「!」
「お節介だわね。………他人の色恋なんて、あの人には関係ないのに」
グラナートの向かい側のソファに座っていたジークリンデは、立ち上がって彼のすぐ前へ来て、しゃがんで彼の顔を下から見た。グラナートは少し酔っているのか、ややぼうっとしているように見える。
「ローエンには………私嫌われちゃってるみたいだし、彼とは何でもないの。ちょっとちょっかい出してみただけ」
「………ローエンは君の事、少し忘れてたみたいだ」
「あら、そうなの?」
「今朝やっと思い出したところだったよ」
かくん、とグラナートは首を傾け、肘掛けに肘をついて、額を抑えた。
「…………でも、ローエンの思う君と僕の思う君は、随分と違うんだ」
「そう?」
「ローエンは君の事が嫌いだけど、僕は君の事が好きなんだ」
その言葉を聞いて、ジークリンデは可笑しそうに笑う。
「あら、さっき『まだ分からない』って言ってたじゃないの」
「そうだったかな……?でも、だって、君はとても魅力的だもの………」
「…皆んなそう言うの。あのねグランさん、好きだというのなら誓って」
「…………何を?」
「片方だけ本気なのは具合が悪いでしょ?だから、ね、あなたも私を本気で愛して」
グラナートは赤い顔で、ジークリンデの顔をじぃっと見ていた。照れているせいではない。………酔いが回って来ているのだ。
「………駄目だよ………君はまだ僕の事を本気にしちゃいけない…」
「…………どうして?」
「君はまだ僕の重大な秘密を知らない」
眼鏡の奥の紫の瞳が、どこか危ない光を帯びているのに、ジークリンデは気付いた。
「………君がもしそれでも僕を拒絶しないのなら………僕も君の事を本気にしよう」
グラナートは体を深く折り、ジークリンデの鼻先と自分の鼻先を突き合わせた。間近で見つめられたジークリンデはその時、体がこわばるのを感じた。それでも、笑みは崩さない。
「…………何かしら」
「…………僕は今は人を救う側だけど、昔はその逆だった」
「………!」
「君は言っただろう、僕は殺し屋なんじゃないかって」
と、そう言ってグラナートは変な笑みを浮かべる。
「……僕は死神だ。人の命を刈り取る、恐ろしい奴だよ」
「…………あなた、白の?」
「その通り」
グラナートの手がジークリンデの頰に添えられ、その小指が首筋に触れた。手が冷えている訳でもないのに、ジークリンデは何だか首に冷たい刃を突き付けられているようだった。
「………でもあなたは悪い人には見えないわ」
「表面なんていくらでも取り繕えるよ。………僕が好きなのは人間のそういうところなんだけれど」
と、グラナートは上体を跳ね上げるようにして、ソファの背もたれに首を預けた。
「今もそれは変わらないし僕が医者になったからって殺す力が無くなった訳でもない。………前と違うのは僕が今“殺し屋でない”という事実だけ。仕事は受けないし、必要もなしに手出しはしない。それでもやっぱり怖いって言う人は言うし、或いは………」
「私は怖くなんかないわ」
「!」
ジークリンデは立ち上がり、グラナートの体にのし掛かるようにして、その顔を上から覗いた。
「少なくとも、あなたは自分で思ってるほど悪い人では無いわ。それだけは分かる」
「…………まだ出会ってそんなに経たないのに?」
「そんなに経たないのに分かるのよ」
と、ジークリンデはそのまま、グラナートに体を預けた。グラナートはぼうっとした表情で、彼女の体にそっと腕を回した。
「………知ってる?一度好きになってしまえば、どんな部分だって好きだと思えるのよ」
「……………そうかもしれない」
「殺し屋の男なんて、ヘタレの弱虫男より数倍マシよ」
「……あっはは」
と、グラナートは背もたれの上で首を右へ転がした。
「…………ねえジーク、さっきから世界がおかしいんだ」
「あら」
「ぐるぐる回ってる………」
それに眠い、と言うグラナートの頰を、ジークリンデはペチペチと叩く。
「駄目よ、寝たら。まだやる事やってないじゃないの」
「無理…………寝る…」
「じゃあ無理にでも起こしてあげる!」
「!」
強引にジークリンデはグラナートに口づけをした。グラナートは僅かに覚醒し、彼女を引き剥がして言う。
「………待って………ジーク…あぅわ!」
「ふふ」
「……ちょ、待ってくれ、せめてベッドに移動させてくれ」
「目、覚めたでしょ?」
「…………一気にアルコールが抜けた気がする」
そんな訳ないけど、と呟くグラナートから降り、ジークリンデは彼の腕を取って引いた。
やはり酔いが回っているのか、グラナートはふらりとしたままベッドに倒れ込んだ。その横にジークリンデは座り、グラナートの腹に人差し指をくねらせた。
「ぶはっ!やめっ、くすぐったい!」
「…………今のあなたは嘘のあなた?」
「?」
「違うでしょ?」
彼女は体を横たえると、彼の目を見て言った。
「本当のあなたは、怖くなんかないもの」
「…………」
「少なくとも、今はね」
グラナートは赤い顔で、少し考えた。そして、ふっと笑う。
「……ありがとう。なら僕も君の事を本気にしよう」
「やった!」
と、ジークリンデは寝転んだままグラナートに抱きついた。そして、可笑しそうに笑う。
「…………変ね、これじゃあ何だか交換条件みたいだわ」
「………確認しただけだよ」
「…まぁ言い出したのは私だものね」
「あれ、本当だ」
グラナートはそう言って笑うと、彼もまた彼女を抱き返した。
#23 END




