第2話 アザリアのドンファン
「……あいつの趣味分かんねェじゃん……」
帰宅。バタンと玄関のドアを閉めながら、ローエンはそう呟いた。
手に持っているのは数日分の食料と、子供の衣服。
女性相手のプレゼントならば手慣れたものだが、子供相手、しかも出会ったばかりの相手がどんなものが好きかなど分からない。起きてから共に買いに行くという手もあったが、あの汚らしい格好のまま歩かれても困る。スラムならまだしも、アザリアの表町の方では目立つ。
だから適当に、ローエンの感覚で女の子が好きそうな服を選んで来た。
「……ソニアー」
とりあえず食料の袋はリビングの机の上に置き、二階へと向かった。
「起きたかぁ」
部屋のドアを開けて、ベッドの方を見てギョッとした。
「…………どこ行った」
布団の上には膝掛けのみが残されている。そして、ついでにその左側に置いてある箪笥の一番下が開けられ、中の色付きシャツが乱れている事に気が付いた。
「あいつっ……」
と、ベッドの隣まで来てふと、布団が上下している事に気付いた。じっ、とそちらを見て、ローエンは眉を顰めた。そしてゆっくりと布団に手を伸ばす…………と、もう少しで手が布団に触れるかと思った時。
「ばあ!」
「わ‼︎…………とっ…………っ……」
がばっ!、と布団の下からソニアが上半身をびっくり箱の様に跳ね上げた。ローエンはしばらく硬直し、そして段々と冷静になって来て、状況を把握し始める。
驚いたローエンを見て笑っているソニアが着ているのは、薄く色の付いたカッターシャツ。大き過ぎて、ワンピースの様になっているし、ボタンも掛け違えている。その隙間からは初めに身に付けていた服が見えた。
…………目覚めたソニアは、ローエンの箪笥を物色し、どうやら気に入ったらしいピンクのシャツを着て、そして布団の中で息を潜めてローエンの帰りを待っていたらしい。
「………元気そうだな……」
やや怒りに震える声で、ローエンは言った。きゃっきゃっと笑って、ソニアはローエンに飛び付いた。
「ちょっ、くっ付くな!」
「おかえり!」
「………………!」
不意に掛けられた言葉。それに、一瞬怒りが吹き飛んだ。無邪気な言葉。悪気は無いのだ。何も。
「……一旦離れろ」
ローエンはソニアを引き剥がし、ベッドの上に座らせた。
「俺は言ったよな、荒らすなって」
「………………うん」
やっとローエンの心の内の怒りに気付いたのか、ソニアの声が小さくなった。と、そこでローエンは何故か、怒鳴るつもりでいたのに、どう怒っていいのか分からなくなった。
……分からなくなって、ただ言った。
「いいか、ここは俺の家だ。荒し…………ぐちゃぐちゃにしちゃダメだ。あんな風に」
と、少しだけ言葉を簡単にして、ローエンは箪笥の一番下の引き出しを指差した。
「いいな」
「…………分かった」
しゅん、としたソニア。そして、小さな声で「ごめんなさい」と言った。
はぁ、とローエンがため息を吐いた時、ぐうぅとソニアのお腹が鳴った。
「…………」
「……腹減ってるよな。飯作るから降りて来い」
「うん!」
途端にケロッとしたソニアに、ローエンは少しばかりイラっとした。感情の起伏が激しいというのも、彼が子供を嫌いな理由の一つだった。
…………が、その気持ちを何とか抑え、ローエンはくるりとソニアに背を向けて、一階へ降りて行った。その後を、とたとたとソニアがついて来る。
(………服は後でいいか)
と、そこで、乱れた箪笥の中身の事を思い出したが、何にせよ自分自身も空腹なので、とりあえず食事にする事にした。
「…………」
出来上がったオムライスを机に置いた瞬間、熱心に食べはじめたソニアを見て、ローエンはふうとため息を吐いた。まるで子犬か何かに餌をやっているような気分だった。無論、言葉は通じるし、立って話すし、ソニアを犬だと思っているわけでは無い。
「無くならねェから落ち着いて食べろ」
そう言って、ローエンは自分の分も作りにキッチンに戻る。
料理は慣れたものである。今まで一人暮らしだったし、招いた女性を軽くもてなす事だってあった。二人分作るくらいは、何でも無い。
自分の分を作り終え、それを持ってソニアの向かい側に座った。相変わらずがっついているソニア。もう無くなりそうだ。品が無いな、とローエンは少し顔を顰め、そしてソニアに問いかけた。
「…………今までどうしてたんだ」
「?」
「俺と会うまで」
ソニアが食べる手を止めた。ローエンは机に頬杖をついた。
「スラムで暮らしてたのか」
「…………うん」
「それで、あいつらに捕まったのか」
「うん」
答えて、ソニアは食べる事を再開した。
「…………そうか」
それ以上ソニアは話す気が無いようなので、ローエンもオムライスに手をつけた。
昨日潰した人攫い集団、彼らは住処のないスラム街の女達を攫って、娼婦として扱っていた。…………だからあそこにいた女達はほとんどが若い年頃の女ばかりだったのだが、何故子供であるソニアまでいたのか………。母親も一緒に捕まっていたようだから、ついでに捕らえられてしまったのか。
まさか、娼婦として利用されてはいないだろうが。
(…………それにしても…)
と、ローエンは食べ終えて満足そうなソニアを見た。
あんな酷い所にいたにも関わらず、明る過ぎる。母も失って、本来ならもっと沈んでいるだろうに…………。
そんな、ソニアの異常性をローエンは薄々感じていた。初めに、返り血を浴びた自分を見た時も、彼女は怯えすらしなかった。していたとしたら、ただ警戒していただけだろう。
…………普通の反応じゃない。
(……スラムのガキってのは皆こうなのか?)
無法地帯であるスラムでは、一つ路地に入れば死体が転がり、それに烏が群がっているような所も珍しくはない。慣れてしまっている、なんて事も無い話ではないだろうが。
「お父さん」
「…………」
「お父さん!」
「…………あ、俺か」
二回目の呼び掛けで、やっと気付いた。
「ごちそうさま」
「…………おう」
と、そう答えてからローエンはやや口ごもりながら言う。
「………なんつーかその、その呼び方やめろ」
「?」
「俺はお前の父親じゃない」
「……おじさん」
「おじさんゆーな、せめてお兄さんだろ」
「…………?」
ソニアが首を傾げるので、ローエンはため息を吐く。
「…じゃあ名前。ローエンて呼べ」
「…………ろえん」
「ロエンじゃねーよ、ローエン」
「…お父さんがいい」
「何でだよ」
「ソニアのお父さんだもん」
「……意味分かんね」
頰を掻きながら、ローエンがそう呟くと、ソニアが声を震わせる。
「お父さんだもん…………!」
と、その目に涙が溜まっているのを見て、ローエンの心の中に、薄れ掛けていた「めんどくさい」という気持ちが爆発した。
「………いっちいち泣くな‼︎俺は誰の親でもねェよ‼︎」
「…………っ!」
思わず怒鳴ったローエンに、ソニアはピタリと固まった。泣き止んだのか、とローエンが思った途端、大きな声でソニアが泣き出した。
「…………あーもう、うるせェっ‼︎」
耳を塞いで、ローエンは叫んだ。立ち上がって、食器の片付けもしないまま、逃げる様に二階へと向かった。
部屋に入って、ベッドの上にダイブした。まだ泣き声が聞こえて来る。…………ふと鼻についた臭いに、さっきまでここでソニアが寝ていた事を思い出したが、今洗濯する気持ちにもなれず、構わずそのままうつ伏せで布団に顔を埋めた。
(…………どうすりゃいいんだよ………)
とにかくローエンは困っていた。出来る事ならソニアを追い出したい。無理にでもアクバールの所へ連れて行きたい。それが無理なら、時間を戻して、ソニアと出会う前まで戻りたい………。
(………時間なんか戻せる訳ねェけど)
先に進む他、道はない。とにかくこのままではいけない。
そう考えていると、眠気が襲って来た。まだ昼間だ、夕方には目が覚めるだろう。気付けば疲労も溜まっている。
一眠りして、それからまた考えよう…………と、ローエンはただ睡魔に任せて眠りについた。
重い。息苦しい。
そんな気持ちで、ローエンは目を覚ました。天井。………寝返り打ったんだな、とふとそんな事を思い、そして今は何時だろうと視線だけを部屋の壁掛け時計に向けた。四時。窓から夕焼けの光が見えていた。
体を動かそうとして、謎の重さと息苦しさを思い出した。体の右側に何かある。右手を動かすと、温かいものに触れた。そして視線を動かして驚く。
「⁈…………そ、ソニア」
ローエンの肩を枕にして、右腕と胴の間で、ソニアがぐっすりと眠っていた。予想外の出来事に、困惑する他ない、肩が頭で抑えられているので、動く事も出来ない。動いたら目を覚まさせてしまうかもしれない。
どうすべきか思案している中で、ふと手に触れるソニアの体が気になった。
(…………女の体だ)
勿論まだまだ未成熟な子供の体ではあるが、ローエンはそう感じた。
(……育ちゃあ美人にゃなるんだろうが…………)
それと自分が育てるのは別の話だ、とローエンはため息を吐いた。
(…………髪綺麗だな本当に)
空いている左手で、ソニアの頭を撫でた。ふと、いつもの癖が出ている事に気付いて、慌てて手を引っ込めた。
……いつもの相手とは違う。間違えるな。
ふう、とため息を吐いた時、ズボンのポケットに入れっぱなしだった携帯が不意に鳴り、ビクッとした。
寝ながら反応したソニアが動いて、右肩が解放されたので、そっとソニアの頭をベッドに下ろして体を起こした。
「………うぃ」
『はーい、リタ』
「……リタってゆーなよ、ヴェローナ」
電話の相手に向かって、ローエンはそう言った。
『何でよう、可愛いじゃないリタって』
「可愛いらしいから嫌なんだよ。俺は女じゃないかんね」
ローエンのフルネームはリタ・ローエン。つまりローエンはファミリーネームで、個人の名前はリタである。
だがローエン本人はその名が嫌いなので、知り合い全般にはローエンと呼ばせている。………しかし、このヴェローナは。
『愛人を名前で呼ぶのは当然じゃない、貴方は私の事名前で呼ぶのに』
「俺にとっちゃローエンが名前だ」
『もう』
ヴェローナが電話の向こうでぷす、と膨れたのを感じ、ローエンはため息を吐いて言った。
「………で、何の用かな?」
『これから会ってくれない?貴方の家でもいいわ』
「………家は駄目だ」
『あら、どうして?』
「今は言えない。話すなら会ってからだ」
『そ。じゃあ私の家で会いましょ』
「はいよ」
ピッ、と携帯を切って、ローエンは一つため息を吐いて、未だ眠っているソニアを見た。………放って出かけて大丈夫だろうか、とそんなことを思った。
「…………置き手紙しときゃ大丈夫か」
静かにベッドを降り、ローエンは伸びをする。さっと机の上のメモ用紙を取って、全てひらがなで伝言を簡単に書いた。
そしてふと、昼間の食事の片付けをしていない事を思い出した。片付けてから行くか、とメモを書き終えたローエンは、とんとんと階段を降りて行った。
「………リタ、元気無さそうね」
「……んあ」
「口説き文句にキレが無いわよ、何か悩み事でもあるの?」
ヴェローナの家。ダブルベッドの上で、二人は裸でいた。
ローエンは汗ばんだ額に手を当てて、はぁ、とため息を吐いた。
「……本当、お前には隠し事は出来ないな」
「当たり前でしょ、何年の付き合いだと思ってるのよ」
豊満な胸をリタの胸に当てる様に、ヴェローナが擦り寄る。彼女はアザリアの隅の娼館の人間である。美しい長い銀髪とそのスタイルの良さから人気は高い。
「…………誤解しないで欲しいんだけど」
「なぁに?」
「……実はガキを一人、世話する事になって…………」
「えぇ?」
「俺の子じゃない。………色々あってな」
「…あぁ、そういうこと。それで貴方の家は駄目だってね」
ヴェローナはローエンから体を離し、そう言った。そして苦笑し、ローエンの鼻を小突く。
「貴方子供嫌いだものね、大変でしょ」
「………面倒臭くてしょうがない」
「あらあら」
ふふ、と笑い、ヴェローナはローエンの顔を覗き込んで言った。
「なら、もういっその事結婚しましょ」
唐突なプロポーズに、ローエンは一瞬きょとんとした後、苦笑した。
「…………こりゃ驚いたな、お前の方から来るとは」
「自分達の子供もいれば、可愛く思えるわよ。男の子?女の子?」
「女」
「あらそう、そりゃいいじゃない」
「……ならお前が預かるか」
「…………そうねぇ、そうしたいのは山々だけど、私あまり家にいないから、一人で面倒見るのは無理ね」
「あーそうですか」
ローエンはさら、とヴェローナの美しい黒髪に触れた。
「……残念ながら、俺は誰のモノにもならねェよ」
「んもう」
「でも、お前は俺のモノ」
「やんっ、あっ」
自分の上にいたヴェローナを、自分ごと体をベッドに倒して、自分が上になる。「形勢逆転」、と舌舐めずりして楽しげに呟いたローエンは、彼女に熱く口づけした。
「………ちょっと」
離れたローエンに、文句ありげにヴェローナがそう言った。しかしローエンは悪戯っ子の様な笑みを返す。
「ここからが本番だぜ?」
「………えっ、まだやるつもり?」
「まだ帰んない。さっきのは練習」
「嘘っ、待って二回目は」
「何だよ俺はまだ物足りねェぞ」
彼女に覆い被さって、ローエンはその首筋を舐めた。
「ひゃっ」
「…………ちゃんと相手してくれよ?」
ローエンはそう、ヴェローナの耳元で囁いた。
「……あんたは手加減てものを覚えなさい」
「やだ」
ローエンはワイシャツのボタンを閉めながら、そう答えた。既にその身はいつもの服に包まれていた。
一方ヴェローナはシーツを羽織って、ベッドの上にいた。
彼女はふうとため息を吐くと、言った。
「………今日こそあんたをぎゃふんと言わせてやるつもりだったのに」
「はは、まだまだ無理だな、そりゃ」
そして、そうだなぁ、とローエンは少し考えてから、に、と笑った。
「俺より上手になったらそんときゃ、嫁にしてやんよ」
「……所詮あんたにとって女は遊び相手でしか無いわけね」
「愛してはいるよ、ヴェローナ。けどそれは恋仲とは違う」
「どういう意味よ」
「均等に愛を注いでいれば、そりゃ友人となんら変わらない。…………その上に行きたいなら俺に勝ってみせろ」
「………」
「じゃあな、また遊びに来るわ」
と、ローエンが部屋を出て行き、ヴェローナはまたね、と手を振って見送った。そして一人残されて、一拍遅れて赤面した。
「………全くあの女たらしは………こっちだってプライドってもんがあるのよ」
娼館ではヴェローナは攻める女として人気なのだが、彼を相手にするとどうしてもその隙を奪えず、寧ろ奪われてしまう。彼女の中では、一種の勝負なのだ。
…………それが数ある男関係の中でも、特にローエンに気持ちを置いている理由でもあるのだが。
(気障な台詞吐いちゃって。…………燃えるじゃない)
自分は遊ばれている。いつかそれを、仕返ししでやりたい……。それが出来なければ、一緒彼とは釣り合わない。
(…………あ、そういえばオフェリアもリタの事好きそうだったけれど)
と、ふとヴェローナは妹の事を思い浮かべた。
(…………あの子にだけは負けたくないわね)
ふう、とため息を吐いてヴェローナは、服を着ようとベッドから降りた。
「あっ、ローエン、来てたの」
「おっほぅ……オフェリアちゃん」
ヴェローナの家の玄関で、ちょうど帰宅したオフェリアとローエンは遭遇した。
「ビックリした。どっか出掛けてたの?」
「うん、仕事の関係で」
オフェリアはヴェローナの三つ下の妹である。職業は姉と違って、ファッションデザイナーという職についている。まだ売れてはいないが、近頃少しずつ人気は出ているようである。
「そっか。オフェリアちゃんもまた遊ぼうね」
「あー、やっぱりお姉ちゃんが呼んだのね」
「彼女少しテク上がってるね」
「………そりゃ本職だもの」
「そーだね」
少しばかり固まった表情をするオフェリアに、ローエンは苦笑して言った。
オフェリアはしばらくローエンから目を逸らしていたが、やがて、ぽん、と手を叩いて彼の方を向いた。
「…………あっ、そうだ、ローエンに渡そうと思ってたものがあったの!ちょっと待っててくれる?」
「おっ、俺にプレゼント?嬉しいね」
すぐに取ってくる、と靴を脱ぎ捨ててリビングに入って行くオフェリアを見送り、ローエンは笑った。
既に時刻は9時を過ぎ、外は暗くなっている。ソニアはどうしているだろう、とふとそんな事が脳裏を過ぎった。
「お待たせ!はい!」
「ん」
戻って来たオフェリアに渡された紙袋。中を覗くと、白いパーカーと黒いTシャツが入っていた。
「…………これは?」
「ローエン、いつもワイシャツばかり着てるでしょ。たまにはそういうのもいいかなって」
「……へぇ」
「着てみてね」
「分かった。ありがと」
「ふふっ」
オフェリアは嬉しそうに笑う。
「じゃあ俺帰るから、またね」
「また……あっ」
ローエンが軽く口づけをして、オフェリアの言葉を止めた。そしてにこ、と笑うと玄関から出て行った。
「………」
「ズルい男よね、本当」
「!」
オフェリアが唖然として唇を抑えていると、不意に姉の声が聞こえて、振り向いた。
「……お姉ちゃん」
ヴェローナは寝巻き姿でいた。彼女はふぅ、とため息を吐いて、言った。
「誰にでもあんなだけど、彼自身に腹は立たないのよね、不思議と」
「………」
「けど、今の見たら嫉妬しちゃうわ」
「……………私に?」
「そう。……まぁ、どうしようという気もないのだけれど」
はぁ、とため息を吐いてヴェローナは首を振る。
「もう寝るわね。あなたも早く寝なさいよ。疲れてるでしょ」
「うん」
「おやすみ」
自室へと消えて行ったヴェローナを見送ると、オフェリアはさっきまで忘れていた睡魔に襲われた。
明日も早い。疲れていては、良い案も浮かばない。
(………私も寝よ)
目をこすりながら、オフェリアもまた自室へと向かって行った。
#2 END