第19話 遅咲きの花
「ワタシに頼めばなんとでもなるとでも思ってるのかね、全く無責任な」
「………ならねェのか?」
「なる」
「なんのかよ」
昼。教会のアクバールの部屋。ソニアとローエンは、アクバールの向かいに並んで座っていた。
「途中からでも、編入試験の成績次第では何とかなる。ソニアちゃんのような子供も珍しくはないからね」
「………珍しくない?」
「そうとも。街には孤児を保護している、もの好きなボランティア団体もいる。スラムでは子供をそういう所に手放す親もそう少なくはない。…………ワタシの所にも時々来るがね」
「子供が?」
「子供だけが来る時も、親が連れて来る時も。一時的に預かってやる事はあったが、ワタシも善意だけではやっていけないからね。大抵はしばらくすればそういう団体に引き渡していた」
と、ふとアクバールは首を傾げる。
「…………そう言えば近頃めっきり減っているようだね」
「……いい事なんじゃねェの?」
「そうだといいがね。………だがそうやって子供を連れて行くのは、君も知る通り善人ばかりではない」
「………あ」
そうだ。ソニアも元はそうだった。
スラムでは悪意が渦巻いている。ボランティア団体の手は、その中に垂らされた“蜘蛛の糸”だ。
「……まぁそれはさて置き、編入と……あとは養子縁組の件はワタシが何とかしよう。ヴェローナ嬢と母子家庭という事で良いのかね」
「…………あぁ」
「そちらに住むのか?」
「………どうする?」
ローエンはソニアに訊く。ソニアはうーんと考える。
「…………おとーさんと一緒がいい」
「……ややこしいな」
「ならその辺りの“設定”もワタシが適当に考えておくよ。君は名前さえ知られなければ、街中ならば殺し屋であるとは知られまい」
「…………分かった。助かる」
「………あぁ、それとだ。グラナートに頼まれていた例の警官、ちゃんと調べておいたよ。彼とまた見ておいてくれたまえ」
と、アクバールはローエンの前に茶封筒を放り出した。
「……仕事早えな、もうちょっと掛かるかと」
「そう手間のかからん所にワタシの……おっと、これ以上は言えない」
と、アクバールは目を逸らして手で口を塞いだ。
「…………お前もしかして警察内部に」
「安全な情報提供の為にも、情報源の事は誰にも漏らさない。シークレットだ。前半の事も聞かなかった事にしたまえ」
君はなかなかに勘が鋭いからね、とアクバールはため息まじりに言った。
「………さて、この情報についてはグラナートに免じて今までの働きの報酬に上乗せするとして、ソニアちゃんの分の手間分は君に働いてもらおうかね」
「……………それはつまり」
「金の報酬はいつもの三割」
「………」
無いよりはマシかとローエンはそう思った。まぁ色々としてもらうのだ。それくらいは仕方ないだろう。
「…………で?」
「何、ただの不良退治だ。君に絡んで来た奴らも勿論、スラムの住人に集っている奴らを片っ端から」
「………ノルマは」
「ノルマは無い。……今日の夕方までの人数に応じて払う」
「…………」
「その一人当たりの報酬がいつもの三割だ」
不良………とアクバールは簡単に言ってしまっているが、そんな甘っちょろいものではない。好きな様に無抵抗の無力な人間を痛ぶって楽しんでいる様な人間だ。時には殺してしまう事もある。アクバールにとって彼らはただの害獣である。
「………俺が人数誤魔化したらどうするんだ」
「君は仕事には正直だろう、いくら報酬を削られているからといって、そんな狡い事をするとは思ってないさ」
ハハハ、とそう言ってアクバールは肩を竦める。信用している、とあからさまにそう表現されてはローエンは騙す気にはなれなかった。…………第一、彼を騙せば後で何かしらの形で帰ってくるに違いないのだ。
「……分かった。じゃあソニアの事頼む」
と、ローエンは立ち上がった。
「おとーさん頑張ってね」
ソニアが言うと、ローエンは苦笑する。
「…………なんか複雑だな」
本当にソニアは自分の仕事の事を分かっているのだろうか、と時折思う。………それとも、ソニアはただローエンの事を『悪者を倒す正義の味方』とでも思っているのだろうか。
そんな事を考えて、ローエンは思わず笑う。
まさか。自分には甚だ似合わない。巷では悪魔とすら呼ばれているのに。
「さてさて、それじゃあワタシが少し勉強を教えてあげよう。おいで、ソニアちゃん」
「はーい」
二人のそんな会話を聞きながら、ローエンはスラムの街へと出て行った。
グラナートは一人、街にいた。服装は白衣ではない。Tシャツの上にコートを着ている。
単なる買い出しだ。とは言えグラナートは料理はそんなに得意ではないので、ほとんどは出来合いのものを買ってしまっている。今日もいつもの弁当屋へ行くところだ。
「………こっちは相変わらず平和だなぁ」
スラムの殺伐とした雰囲気にすっかり慣れてしまったグラナートは、そんな事を呟いた。
かつて殺し屋として活動していた頃、グラナートの拠点はスラムではなく街の方だった。一見して平和な中に潜む人の闇、そんなものが彼は好きだった。
歩いている間、暇潰しに人間観察でもしようか、と丁度顔を上げたその時。
「きゃあぁぁ‼︎ひったくり‼︎誰か捕まえて‼︎」
「!」
前方でそんな女性の悲鳴が聞こえた。人垣がわやわやとそちらの方を向いたかと思うと、男の怒鳴り声がして、道が丁度グラナートの正面に開いた。
「………おやおや」
グラナートがそう呟いて苦笑すると、女物の鞄を脇に抱えた男が彼に気付いて叫ぶ。
「退け‼︎」
「……………白昼堂々……何やってんだか」
「あん⁈」
と、グラナートの手が伸びて来たかと思うと、男の視界がぐるりと縦に回った。彼には何が起こったのか分からない。何だかよく分からないうちに、頭を打ってあっという間に気絶してしまった。
「…………おっと」
グラナートは宙を舞って落ちて来た鞄を、両手で受け止めた。ふう、と安堵していると、周囲に野次馬の人垣が出来ているのに気付いた。
「………今あの人動き見えなかった…………」
「何やったの………」
そんな声が聞こえて来て、グラナートは少し焦る。注目を集めるのは良くない。警察が来るのも、なおさら良くない。と、その時前方から息を切らした女性が走って来た。
綺麗な金髪。まずそう思った。
「…………あ……あの、ありがとう……ございます」
その声を聞いて、さっきの悲鳴の主だと確信し、グラナートは鞄を差し出す。
「………あ、どうぞ。じゃあ僕はこれで」
と、そそくさと去ろうとすると、女性がグラナートのコートを掴んだ。
「……お、お待ち下さいな」
「なっ、何ですか…………」
長居はしたくない。早く弁当屋に行きたい。と、あからさまに迷惑そうな顔をして振り向いた。だが、彼女はそれに気付いていないのか、こんな事を言うのであった。
「…………あ、あのっ………お昼はまだですか…」
「…………はい?」
何を言っているのだこの人は、昼はとっくに過ぎている、などという事を考えていると、彼女が言う。
「…よければご馳走させて下さい…お礼がしたいんです…」
「…………はぁ」
これは断っても無理だなとそう思い、グラナートは仕方なく彼女の方へ向き直った。それに、腹も随分と減っている。弁当を買わずに済むのならば、それほど悪い話でもない。
「……それじゃあ、遠慮なく…………」
そう答えながら、グラナートは我ながら「実にベタな展開だ」と思うのであった。
連れて来られたのはアザリアの中心街のレストラン。なかなかに高級そうに見える。………実際にグラナートはメニューを見てギョッとした。
「…………すみませんこんな所………」
「いえ、私がご馳走したいので気にしないで下さい!」
そうは言われても、こういう所に慣れていないグラナートは落ち着かない。しかも、よくよく見てみれば相手の女性はなかなかの美人である。歳は三十は超えていそうに見える。澄み切ったグレーの瞳、整った鼻、豊かな胸…………。
「あの」
「は、はいっ⁈」
声を掛けられ、あらぬところに目が行っていたことに気付いて思わず声が裏返った。だが彼女は特に気にする様子もなく、言った。
「遠目から見てたんですけど………お強いんですね」
「え?あ、いえ、それ程でも……」
「何か格闘技を?」
「…………少し………」
「少しっていう腕前じゃなかったですよ」
じゃあ何て答えればいいんだ、正直に元殺し屋だと言えばいいのかと心の中でグラナートは対応力の無い自分に文句を言い、どうかこの状況から早く解放して下さいと神に祈った。
何を隠そう、グラナートは女性が苦手である。
「……えっと…………」
まず何から話そうか、と思い口を開こうとすると、彼女は何かを思い出したように鞄をゴソゴソとする。
「あっすみません、名乗りもせずに………」
と、両手で名刺を差し出した。それを受け取り、グラナートは名前だけ読む。
「………ジークリンデ……さんですか」
「あら、名前で呼んで下さるの、嬉しいわ」
「…………あっ」
ローエンの癖が移ったかな、とグラナートは内心舌打ちする。初対面の女性は基本ファミリーネームで呼ぶものである。
「……ルナティアさん」
「あら別に構いませんのよ」
「…………ジークリンデさん」
「ふふ」
ポケットに名刺をしまい、グラナートはとりあえず自分も自己紹介せねばと頭を下げる。
「……グラナート・カテドラルです。医者をしてます」
「えぇ!お医者さん!やだあまりに上手にひったくり犯を倒されるものだから私ったらてっきり殺し屋さんか何かかと」
と、冗談っぽく笑って彼女は言う。
「…………いえいえまさか」
ハハハと笑って誤魔化すが、グラナートは内心冷や汗を掻く。元殺し屋だとは口が裂けても言えない。
と、その時、料理が運ばれて来た。グラナートは到底選べそうになかったので、ジークリンデに選んで貰ったのだ。
「グラナートさん、お歳は?」
「………36です」
「あら、歳上だったんですね。………歳下だとばかり」
「え?」
「だってグラナートさん、あまりにウブなものだから」
「はえっ⁈えっ、あのっ」
「うふふ、可愛い」
何だこの人は、初対面の相手に何を言っているんだ、まるでヴェローナ嬢みたいだな、と思ったところで、案外自分が嫌だと感じていない事に気付いた。
………何だこの気持ちは。初めての感覚だ。
「あのね、グランさんと呼んでも良いかしら」
「…………えっ」
と、気付けば彼女の口調からは敬語が抜けていた。
「だってグラナートさんって長いんだもの」
ジークリンデはそう言って笑いながら、料理を口に運んだ。
「私のことはジークと呼んで」
「……ジークさん、随分と男性に慣れていらっしゃるようですね」
「…………あら、女性は苦手?」
「………正直………」
だがふと、自分に疑問を投げかけてみる。………果たして本当に嫌なのか?
そんなグラナートの迷いを察したのか、ジークリンデは可笑しそうに笑った。
「あのね、変な事言っていいかしら」
「…………はい?」
「私グランさんの事好きみたい」
「…………………はい?」
と、いつの間にか彼女は料理を食べ終え、立ち上がった。
「よければ今夜また会えるかしら」
何を言われているのか分からず、グラナートは頭を整理する。そしてその、整理がちゃんとつく前に、口から言葉が出た。
「………はい」
あれ、自分は何を言ってるんだと思っている間に、その言葉を彼女の笑顔が回収して行く。
「良かった!じゃあ今夜」
お勘定は私がしておきますね、とそれだけ行って去ろうとするジークリンデを、慌ててグラナートは呼び止める。
「…………あの!………どこに行けば」
そう訊くと、彼女は意地悪げに笑った。
「あら嫌だ、名刺に書いてあったじゃないですか」
「………………?」
と、グラナートがポケットからさっきの名刺を出している間に、ジークリンデは歩き出してしまった。
「………‼︎」
そしてグラナートは一人、名刺に描かれた文字列を見て戦慄する。
「………サテュリオン………」
それは先日行ったばかりの、ローエン行きつけの娼館の名前であった。
どういう訳か家に戻ってからも彼女の事が頭から離れない。どうせ仕事も無いので何ら支障は無いのだが、どうもぼうっとしていけない。
家のソファに体を預け、グラナートはただ天井を見つめていた。
「………どうしたんだ僕は」
そう呟いて腕を目の上に乗せると、先刻のことが次々と浮かんで来る。
長い睫毛、艶のある長い金髪、細い指先…………
「………って全部容姿!」
と、全力で自分にそうツッコみ、体を起こした。そして頭を抱える。
らしくない。らしくない。どうかしてる。
大体…………彼女はローエンの知り合いかもしれない。それに娼館の人間、娼婦だ。好きだなんてのは彼女にとってはただのお世辞かもしれない。
「…………娼婦ならあんなこなれてるに決まってる……」
もっと早く気付いてれば。
罠にハマった。そんな気分だった。
だが何かモヤモヤとする。このモヤモヤが何なのか分からない。実に気持ち悪い。しかし、どこか気持ちの良い気持ち悪さだ。…………訳が分からない。
「………今夜行くしかないか………」
一人で。ローエンを引っ張っていく訳にはいかない。というか連れて行きたくない。
もう一度会ったらスッキリするだろうか。
そう思いながら、グラナートはうずくまった。
胸が痛い。鼓動がいつもより大きく聞こえる。その意味を、まだグラナートは知らなかった。
#19 END




