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Strain   作者: Ak!La
18/56

第18話 名無しのローエン

 ………嫌な夢を見た。

 ローエンは目が覚めた時、まずそう思った。

 だが実際、本当にそんな夢を見たのか、それとも昨晩の記憶を夢だと思いたがっているのかは分からなかった。

 ただ、「嫌な夢を見た」という気持ちが心の中で渦巻いていた。

 天井は見た事のないものではないが、自分の部屋のものではない。………そして寝ているベッドもやたら広い。さらに隣に誰かの気配を感じ、少しばかり嫌な予感がした。

「………!……ヴェ」

 顔を横に向けると、寝ているヴェローナの顔があった。慌てて起き上がってみると、ちゃんと服を着ていたので安心した。

「…………えーっと」

 昨晩の記憶を辿ってみるものの、どうやってこの部屋に来たのかは全く覚えていない。そもそも、ヴェローナに倒れ込んだ所で記憶は途切れている。…………後は微かにグラナートが何かずっと自分に言っていた様な気がするだけである。

「………おはよう」

「!」

 むくり、とヴェローナが目をこすりながら体を起こした。

「……………おはよう」

 なんと言っていいのか判らず、ローエンはとりあえずそう答えると、ヴェローナがくすりと笑う。

「なんて顔してるの」

「なっ」

「酷い顔」

 と、そう言ってヴェローナはローエンの肩にもたれかかる。

「…………変な話。あなた昔女の子だったの?」

「……うえっ………おっ……聞いてたのかよ」

「途中からね。………あなたのお母さん、どうかしてるわ」

「…………それは同感」

 ヴェローナの背中に手を回し、ローエンはそう答える。

「あなたはどこからどう見ても、素敵な男性なのにね」

「………ありがとう」

「どうしてお礼を言う必要があるの?当然の事じゃない」

「…………俺には十分救いの言葉だ」

 ふぅ、とため息を吐き、ローエンはそう言うと、ポツリポツリと語り始めた。

「…………俺は物心ついた頃から10年程……よく人前で女装させられてた」

「…………お母さんに?」

「そ。親父はそんな母さんを気持ち悪がって、俺が生まれてすぐに離婚して出て行ったらしい」

 その時に俺も連れて行ってくれれば良かったのにな、と冗談っぽくローエンは笑った。

「それで俺はもう母さんの好き放題、声変わりする前は本当に声高かったし、小柄だったしまぁ少女に見えただろうな」

「本当?想像つかないわ」

「本当本当。………まぁ小さい頃はよく分からなかったし、多少の恥ずかしさはあれど、母さんが怖いのもあって嫌だとははっきり言えなくってさ…………」

 仕草も言葉遣いも、何から何まで女の様に教育された。…しかし、それも長くは続かない。

「でもさ、反抗期ってあるだろ?俺もいい加減自分が男だって分かって来た。普通に女の子が好きだしな?…………それで12の時にめっきり母親の言うことを聞かなくなった」

「女装をやめた?」

「そう。………んで俺は男らしくなろうと………始めたのが喧嘩で」

「えっ」

「近所の悪ガキぶん殴ってただけなんだけどな。初めはそりゃあよく鼻血とか出してたり、顔にあざ作ってたなあ」

 ハハハ、と笑うローエンに、ヴェローナも思わず笑う。

「家に帰りゃ、こっ酷く母さんに怒られたけど、まぁ悪い気はしなかった。そのうち喧嘩も負けねェようになったし」

「………あなたもやんちゃ坊主だったのね」

「まーそうだな。…………そんで、とうとう母さんが嫌になって、18の時に家出して、このアザリアに来た」

「!」

「元はウィスタリアの生まれでな。………言ってなかったっけ?」

「…………えぇ。てっきりここの生まれなのかと」

「アザリアは良いところだな。…………あぁ、でもスラムの方は酷いもんだ……」

 と、ふとソニアの事を思い浮かべた所で、昨日ヴェローナに言おうとしていた事を思い出した。

「…………あ、そうだ、お前に頼みたい事が………」

 と、ローエンはヴェローナの体を離して言う。

「そう言えば昨日そんな事言ってたわね。なぁに?」

 ローエンの過去の話が中断されてしまった事が少し残念だったが、二人きりで話したい事だと言うので、重要なのだろうと聞く事にした。

「………あの…………実は……ソニアを学校に通わせてやりたいんだが」

「…………あら、そうなの?いいじゃない」

「それが………親が俺だと色々不都合があるかと思って」

「………そう?」

「ソニア自身が良いと思ってたとしても、多分色々面倒な事になる」

「………それで?」

「…………お前の名前を貸してくれ」

 と、ローエンが真剣な顔をして言うので、ヴェローナは可笑しくなる。

「……あっはは!あなたそれ、結婚してくれって言ってるようなものよ」

「籍は入れる訳にはいかない!」

「…………でもソニアちゃんはあなたの娘って事に……」

「…………いや………実は戸籍上はそうなってなくて」

 さすがに公的機関に入れるとなると、今のままでいる訳にはいかなくなる。

「……それで………仮にお前が母親に………なってくれればと。養子っていう事で。ソニアも、それならいいって言うし…」

 俺は一体何を頼んでいるんだろう、と思ってきた時、ヴェローナが笑い混じりに言う。

「仮にってのは寂しいわね。………別にいいわよ。でもそれだとソニアちゃんは“ソニア・デルファイア”になっちゃうけどいいの?」

「………俺は別に構わない」

「そう。………そうね、あなたにとってはローエンの方が名前のようなものなのよね」

 ふう、とヴェローナはため息を吐くと、言う。

「……ごめんなさい。そりゃ嫌よね。リタって呼ばれるの」

「…………あー……いや、別に、俺が言わなかったのが悪いんだし」

「でもね、リタはリタよ。………名無しのローエンなんかじゃないわ」

「!」

「グラナートさんがね、言ってたの。『だから名無しのローエンだったんだ』……って」

「………」

「でも私はそう思わない。………出会った時からあなたは男のリタ・ローエンだもの。女の子なんかじゃないわ」

「……………ヴェローナ」

「それにあなた、ローエンは大嫌いな母親の名前じゃないの?」

「……………?……それも、そうだな……?」

 うーん?と考えるローエンに、ヴェローナは笑う。

「あまり深く考えてなかったのねそこは。別に私はどっちでもいいわよ、あなたが納得するようにすればいい」

 “ローエン”も駄目なら俺は本当に名無しだな、とそう苦笑し、ローエンは言う。

「………じゃあいいよ、お前はリタって呼んでも」

「あら」

「…………そんなに悪い気はしない」

 知らない奴に呼ばれるのはやっぱり嫌だけど、とローエンが言うと、ヴェローナは彼に飛びついた。

「やった!初めて許してもらえた」

「特別だぞー、二人きりの時とかならいい」

「そんなの嫌よ」

「………じゃあ既に知ってる奴の前ならいい」

「そ」

 と、そしてヴェローナは嬉しそうに言う。

「………そっか、私はあんたの特別か」

「…………へ」

「嬉しい」

 ふふ、と笑うヴェローナ。

「まぁ、でなきゃこんな事頼んで来ないわよね」

「………他の奴には頼めないからな」

「言っておくけど私も娼婦だからあまり期待はしない方がいいわよ」

「…………殺し屋よりはいくらかマシだ………」

「……でも養子ってそんな簡単に組める?」

「そこは………多分アクバールのツテで何とか」

「………あの神父さん何者なの?」

「俺にも分からん」

 少なくともただの神父ではないな、とローエンは肩を竦めた。

「………分からないと言えばグラナートさんも……」

 と、その時コンコンとドアが叩かれ、開いたドアからグラナートが顔を出した。

「……お楽しみのところすまないね」

「…………別に」

「気分はどうだい?」

「普通」

「そう。大丈夫そうだね」

 ヴェローナ嬢が添い寝してくれたお陰かな、とグラナートが言うのでローエンはそうかもな、と笑って返す。

「…………なんて言うか、盗み聞きしてたみたいで悪いんだけど」

「……昨日の事か」

「うん」

「いいよ。………あそこでお前が出て来なけりゃ俺は……」

 されるがままに殺されてたんじゃなかろうか、と思った。少なくとも正気じゃなかった。そんな自覚があった。

「まぁ、これで君がかたくなに本名を教えるのを拒むのが分かったよ。………アクバールには言ったんだ?」

「あいつ無駄にしつこいから…………」

「そう。まぁ、そういう所あるよね彼」

 僕も経験ある、とグラナートはため息を吐いた。

「…………君のあんな取り乱した姿、初めて見た」

「………情けない所を見せたな」

 と、ローエンはヴェローナの方をチラ、と見た。

「まぁ仕方ないよ、トラウマくらい誰だってある」

「………お前は?」

「…………アクバールにハメられた事くらい」

 チッ、とローエンが舌打ちするのでグラナートは何で⁈と思わず叫んだ。

「……この前の殺し屋…………母さんの手先だった」

「………らしいね」

「絶対また来る」

「そうだね」

「…………待って、殺し屋って………何」

 ヴェローナが入って来るので、ローエンは少し考える。

「この前クローディアって女性が来たでしょう」

「!」

「グラン!」

「黙っている理由はない。話しておいた方が安心だと思わないかい?」

「…………」

 そう言われ、ローエンは口ごもる。

「……彼女が?」

「そうです。…………ローエンを狙って潜り込んでたみたいですよ」

「………俺は初めから気付いてたけど」

「!…………あんたあれ全部嘘だったの⁈」

「全部じゃない………」

 あんまり巻き込みたくなかった、とローエンは言い訳した。

「………だから……万が一あいつが家に来ても………入れるな」

「他の子達にも言っておいた方がいい?」

「…………いや、多分大丈夫」

「どうして?」

「基本狙われるのは俺だから………」

「そんなの全然良くないわよ‼︎」

「………大丈夫だって」

「油断は禁物だよローエン、誰しもが君のように単純な手を使う訳じゃない」

 と、グラナートがそう言うのでローエンはそちらを見る。

「…………お前だって単純な手だろ」

「罠くらい張る時は張る」

「………」

 その会話を聞いて、ヴェローナは「あ」と気付く。

「…………グラナートさんってもしかして」

「元同業者。………俺よりも遥かに強い」

 ローエンの言葉に、グラナートは笑う。

「でも僕は武器がないと」

「素手でも強いのは知ってる」

 まぁ心得くらいはあるよ、とグラナートは肩を竦めた。

「…………じゃあもしかしてあの神父さんも」

「いやあ無いと思うなぁ、アクバールは戦闘力皆無だからね」

「その辺のチンピラに絡まれたら終わりだな」

 あんなに色々と恨みを買いそうな事をしているのに、よく今まで生きていたものである。

「………なんて言うか………あいつゴキブリみたいだよな」

「生命力が強いって言いたいのかな」

「そこにいるだけで害悪」

「………お世話になってるのに酷い言い様だね」

「俺は利用されてんの」

 コレで、とローエンは右手でO.Kマークのようなものを作って見せた。

「……そういえばリタ、ソニアちゃんを学校に行かせるのは良いけど、お金はどうするのよ」

「…………俺が出すから大丈夫」

「………全部とは言わないわよ、私も半分……」

「お前は名前を貸してくれてるだけで充分だって」

「そんなの私が納得しない!」

「…………っ……ヴェローナ」

「出させて。伊達にNo.1やってないわよ、あなたよりは貯金あるつもりだから」

「………ヴェローナ嬢No.1だったんだ⁈」

 グラナートが驚いたように言う。

「あら、良ければ今夜どうかしら」

「…………えっ、あのっ」

「よせヴェローナ、あいつそういうの慣れてないから」

「……あらあら」

 ごめんなさい、とヴェローナは笑って言う。

「………友人の彼女に手を出す気はありません…………」

 と、グラナートは赤くなって俯く。それを見てローエンは笑う。

「本気にすんな馬鹿、第一こいつらは仕事でやってんの」

「そうよ」

「………ならなおさら無理です」

「これだから童貞さんは」

「誰彼構わず手を出す君の気が知れない…………」

 そう言ってグラナートは大きなため息を吐いた。

「俺だって節度くらいある」

「………もういいよこの話は。僕は一生独身で構わない」

「お前モテると思うんだけどなー、実際昨日好評だったし」

「あんなのお世辞に決まってる………」

「あら、あの子達本気であなたの事気に入ってたわよ」

「!」

「特にフィーリアなんか、ミステリアスなところが気に入ったみたい」

 ふふ、とヴェローナが笑うが、グラナートは頭の上にハテナを浮かべてローエンに助けを求める。

「………フィーリアってどの子?」

「最初に出迎えてくれた金髪の女の子」

「……あぁ…………」

 と、しばらく考えてから彼は慌てる。

「いやでも彼女、君より若いだろう⁈」

「年の差なんか関係ねェよ」

「僕の方が先に逝くに決まってる………」

「そんな先のことまで考えるのかお前は」

 現実的な奴め、とローエンは舌打ちした。

「………じゃあヴェローナ、適当に30代の女の子見繕って紹介してやってくれよ」

「お安い御用よ」

「40代でも可かな」

「ちょっと待って何勝手に決めてるんだ‼︎」

 冗談だよ、とローエンが言うと、冗談なの?とヴェローナが少し残念そうに言った。

「…………余計なお世話だよ。大体僕にそんな余裕はない」

「そうですかい。人生の半分以上損してるな」

 その顔も、と付け加えると、グラナートはあからさまに嫌そうな顔をする。

「………どこが?」

「そうだな…………俺が女なら惚れてるかな?」

「⁈」

「えっ、ちょっとリタ」

「お前の腕の中気持ち良かったな」

「………………⁈」

「なんてな」

 ニヤ、と意地悪げに笑うローエンに、グラナートはわなわなと震える指を突きつける。

「き、君は男もいけるクチか⁈」

「んなわけねーだろバーカ、萎えるわ」

 女ならって言ったろ、とローエンはため息を吐く。

「て言うか君昨日の記憶どこまで………」

「倒れたところまでしかほぼ覚えてねェけど、お前が丁寧に介抱してくれた事はなんとなく」

「…………」

「別に変な意味はねェし」

 と、ローエンはまた一つ大きくため息を吐くと、ヴェローナの方を向く。

「それじゃあ、また詳しい事が決まったら頼むな」

「えぇ」

 と、軽く彼女の頰にキスをすると、彼は意味ありげな顔をした。そしてベッドから降りると、グラナートに「行くぞ」とうながして先に部屋を出て言った。

「………全く、僕までローエンにたらし込まれるところだった」

「あら、本当に惚れかけたの?」

「そんな訳ない………」

 はぁ、とため息を吐くグラナートに、ふふ、とヴェローナは笑う。

「………あの人、私に仕返しをして行ったわ」

「?」

「ソニアちゃんに教えたの、バレちゃったみたい」

「…………⁇」

「………ごめんなさい、こっちの話」

 そして可笑しそうに笑うと、グラナートに言う。

「いいんですか?彼行っちゃいますよ」

「え?あ、あぁ。そうですね。………お世話になりました」

「お礼なんて別に………上にも許してもらってますし。リタは常連さんだから」

「…………そうですか」

「………また来てくださいね、今度はお一人でも」

「…………考えておきます」

 では、と頭を下げ、グラナートはローエンを追って部屋を出て行った。


#18 END

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