第16話 歪な関係
「ただいまー」
「あら、お帰りなさい」
ある日の事。またヴェローナが来ていたので、ローエンが仕事に行っている間、ソニアと二人で家で待たせていた。
「お帰り!」
テーブル上でトランプを手にしたソニアが言った。どうやらババ抜きらしいが、カードの枚数はソニアの方が少ない。
「………何だヴェローナ、負けてるじゃないか」
「この子凄いのよ、もう5回目だけど全然勝たせてくれないの」
「へぇ」
「天才なんじゃないかしら」
ふふ、とヴェローナは笑う。思ってみれば、ソニアは字もすぐ覚えたし、もうトランプのゲームも何種類か出来る。
「……俺も勝てねェんだけど、まぐれだと思ってた」
「あらあら。凄いわね」
と、言っている側からソニアがまたカードを捨てる。
「あっ、もう」
「…………すっげぇな。………じゃ、俺着替えてくる」
「……そうね。その方がいいわ」
と、ヴェローナはローエンの血のついた服を見てそう言った。
ローエンが浴室へと向かったのを見送り、ヴェローナはソニアへ切り出す。
「………ねえ、ソニアちゃんはリタの事が怖くないの?」
「…………なんで?」
心の底から「何故?」と思っているような顔でソニアは訊き返した。
「お姉さんは、おとーさんの事怖いの?」
「……うーん、全くと言えば嘘だけど………別に……いや、そういう事じゃなくて…………」
何て言えばいいんだろう、と少し思案した後、彼女は言う。
「…………ほら、リタってば一応殺し屋じゃない。私達の前では、あぁだけど、多分本当は………」
「ソニア知ってる、おとーさん、鬼みたいになるの」
「!」
ヴェローナはローエンの仕事の時の様子を知らないので、その答えに驚く。
「その時ね、体がぶるってしちゃうんだけどね、でも……」
ソニアは俯いて、少し考えているようだった。
「…………でも?」
「………おとーさんはソニアに痛い事しないもん」
まっすぐと、ヴェローナの目を見てソニアはそう言った。
「おとーさんはね、優しくてね、強くてね、ソニアのことも守ってくれるし、ご飯もおいしいの」
「……そうね」
何も、ローエンが自分達に危害を加えて来る訳ではないのだ。何も恐れる事はない。ヴェローナだってそうだ。
「おかしな事訊いちゃったわね、ゴメンなさい」
「ううん。…………お姉さんはおとーさんといつから友だちなの?」
「え?………うーんと、そうね、5年くらいかしら」
「最初は怖かった?」
「…いえ、別に……ただ初めはなんて言うか……可愛い感じだったわよ。………同い年だけどそう思ったわ」
「…………おとーさんが?」
「初々しいって感じね。………既に相当な場数は踏んでる感じはしたけど」
「?」
「………何でもないわ」
第一印象は単純に「顔の良い青年」だった。一目惚れだったかもしれない。だが、今思えば、あれはタチの悪い小悪魔だったのかもしれない。自分はその甘言に勾引かされたのだ。だが、そうだとしても好きなものはやはり好きなのだから仕方ない。
「…………今や立派な淫魔ね」
「………?」
「ソニアちゃんはあぁなっちゃダメよ」
と、かく言う自分も娼婦ではあるのだが、それが良いとは思っていない。………第一、近頃はローエン以外の相手をするのはなかなか気が進まないのである。
「………お姉さんはおとーさんの事好き?」
ソニアがそう訊いてきた。ヴェローナは少し戸惑う。
「あなた大胆な所あるのね。………まぁ、そうね、好きよ」
「……お姉さんは、おとーさんと恋人じゃないの?」
「………さぁ、どうなのかしらね」
この前は否定されてしまった。………結局ローエンにとっては自分は女友達の一人でしか無いのだろうか。
ずっとモヤモヤしていたのは、どうも自分だけではなかったらしい。
「ソニアちゃんには、どう見える?」
「…………うーん」
子供には難しい質問だっただろうか、とそう思っていると、予想外の答えが返ってきた。
「わかんないけど、お姉さんがおかーさんだったらいいなって思った」
「!」
「だからね、恋人だったらいいなぁって」
ソニアが頰を赤く染めて、嬉しそうに言う。だが一方で、ヴェローナの気持ちは沈む。
「………そうね、それが出来たらいいわね」
「…………お姉さん?」
「でも多分それは無理」
もう自分と彼の間に普通の恋なんてものはない。ヴェローナ自身、既に恋が何なのか分からなくなっていた。確かに好きであるはずなのに、ローエンが他の女と何をしていようが、何も文句が出ない。嫉妬しない訳ではない。………だが、何かが欠けている。もはやお互い、性欲を満たす為だけの相手でしかない。いくら自分がそれ以上を欲しても、彼は既にそこで満足してしまっている。…………歪な仲。その歪な部分を直さない限り、自分達はいつまでもこのままだ。
「…あれはとんでもない男よ、とても私の手には負えない」
「子供に何吹き込んでるんだ」
「!」
いつの間にか、黒ズボンとTシャツ姿のローエンが立っていた。まだ髪が濡れていて、肩に小さめのタオルが掛かっている。
「………貴方の話をしてたの」
「…まだコイツ小せえんだから何言っても分からねェぞ」
と、ローエンは冷蔵庫からワインとぶどうジュースを出して机に置いてから、グラスを三つ出した。
「どうかしらね、ちゃんと貴方の本質に気付いてるわよ」
「…………本質って、どれの事だ」
「あら、自分がお子様にいけない人間だっていうのは自分でも分かってるのね」
「アクバール曰く、ソニアと暮らす事になったのはそれに対する報いだそうだ」
あれ、それを言ったのは俺だったかな、などと言いつつ、ローエンは椅子に座るとワインを二人分、そしてぶどうジュースを一人分注いだ。
「あら、いいの?」
「遠慮なく。ソニアの事見て貰ってたお礼だ」
「………私の好きな銘柄じゃないの、流石ね」
「当たり前だろ」
得意げにするでもなく、ローエンはそう答えるとそれを一口含んだ。
「…………で?何が出来たらいいって?」
「………貴方どこから聞いてたの」
「その、それが出来たらいいなっていう所から」
「…………」
「………『面倒な所から聞いてたわね』って思ってるだろ」
「分かってるなら詮索しなさんな、女子の話よ」
と、しれっとした顔をして、ヴェローナはワインを一口含んだ。美味しい、と呟いたところでローエンが言う。
「じゃあ俺とお前が恋人かどうかってところだ」
「!」
と、変な所に入ったのか彼女はゲホゲホと咳き込んだ。
「…………大丈夫か」
「………意地悪な人!本当は全部聞いてたんじゃ無いでしょうね」
「さすがにそれは」
と、変わらぬ表情で言うので、本当なのか嘘なのか見分けがつかない。…………が、ふと彼女は気付く。
「………あんた、怒ってるの?」
「…………何で」
「不機嫌そうに見える」
「……確かに機嫌は良くないが怒ってはいない」
「どうしてよ」
「一つ言っておく」
コト、とグラスを机に置くと、ローエンは言う。
「俺はアイドルじゃない」
「………?」
「……だから平等じゃない」
何が平等じゃないのか読み切れず、そしてもうすぐで答えが出そうだと思ったところでローエンが立ち上がる。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「…………」
無言で、ローエンは二階へ行ってしまった。ヴェローナは追いかける事も出来ず、しばらくそこで呆けていた。
「……おとーさん傷付いてる」
「え?」
ソニアの言葉に、ヴェローナはどきりとした。
「悲しそうな顔してた」
「………そう?」
てっきり怒っているのだとばかり思っていたが、そうなのだろうか。子供の方が、感情には敏感な様である。
「お姉さん、なぐさめてあげなくていいの?」
「…………私が原因なら、私が行った方が逆効果よね…」
「でもソニアわかんない」
「?」
「お姉さんが行ってあげて!仲直りしなきゃ」
「………………えーと」
別に喧嘩した訳じゃないわよ、とそう言おうとして、ふと思い止まる。………確かに、自分たちの間で何か拗れ始めている様な気がした。
「…………分かったわ。ソニアちゃんはここで待っててね」
「うん」
ヴェローナは椅子から立ち上がると、ローエンを追って二階へ上がって行った。
「………勝手に入ってくんな」
扉を開けようとドアノブに手を伸ばした途端、そんな声がした。
「…………私まだドアノブに触れてもいないわよ」
「……入って来ようとしただろ」
と、ドアの奥から物音がして、内側から開いた。顔を出したローエンの目が、どことなく怖い。
「………何」
「どうしたのよ」
「どうもしてない」
「何か気になる事があるんでしょ」
「…………別に」
「嘘。今のは丸分かり」
と、ローエンを押し退け、ヴェローナは部屋へ入り、ベッドの端に座った。
「言いたい事があるならちゃんと言いなさい」
「…………」
ローエンは黙ってヴェローナの横に座った。しばらくずっとそのまま黙り込んでいると、徐ろに口を開いた。
「……………お前といると、モヤモヤする」
「え?」
「俺の気持ちがはっきりしない」
彼はヴェローナの目を見ない。どこか違う方向を向いてしまっている。
「………俺とお前が恋人なら、俺には何人も恋人がいる」
「……………」
「そんなの違う」
ゆるゆると首を振るとローエンは、ヴェローナの方を向いた。
「だから友達としてそこまでで置いてたんだ。……でも」
「………平等じゃないって、そういう事?」
すると、ローエンは目を伏せる。
「……………偏りが出るのは当たり前だ」
「でも皆んなの前では」
「好きなのは偽りじゃない、だけど平等に見せてるのは演じてるだけ」
「!」
「………正直言えば、お前が一番好きだ」
「…………リタ」
「でも家族にはならない。ソニアの為にも」
「……え?」
意味が分からなかった。…………だって、当のソニアは。
「ま、待ってよ、ソニアちゃんは………!」
「ソニアは良くても俺が良くない」
「!」
「………やっぱりどこまで行っても、ソニアは赤の他人だ」
「…………」
「だから、ゴメン。俺達が来れるのはここまで」
そう言ってローエンは困った様に笑う。だが、ヴェローナは深くため息を吐く。
「……馬鹿ね、なら三人で暮らせばいいだけの話でしょ」
「!」
「…………まぁ、貴方が嫌なら強要はしないけれどね」
じゃあ私帰るわね、とヴェローナが立ち上がろうとした時、不意にローエンがその腕を引いた。
「きゃ⁈」
バランスを崩して倒れたのをローエンが支え、強引にその唇を奪った。
しばらくしてローエンは彼女を放すと、いつもの顔をして言った。
「ありがとう、少し考えてみるよ」
「………娼館に来るのは遠慮しなくていいわよ、お客が来なくなるのは困るから」
「……そうする」
「別に私じゃなくてもいいからね。…………それじゃ」
あぁ、と答えたローエンを後に、ヴェローナは部屋を出る。階段を降りると、ソニアが待ち構えていた様に訊いて来た。
「どうだった?」
「………うーん、大丈夫そうよ」
と、ヴェローナは唇を撫でながらそう答えた。何故だか心臓がバクバクしていた。
「…………お姉さん顔赤い」
「えっ」
「熱ある?大丈夫?」
「あぁ、いや大丈夫よ」
心配そうに首を傾げるソニアに、彼女は慌てて顔を背ける。そしてふと、何かを思いついてハッとした。
「………お姉さん?」
「…………ソニアちゃん」
と、ヴェローナはまるで悪戯っ子の様な顔をして、ソニアに言った。
「お姉さんがいい事教えてあげる」
「………いいこと?」
「そう」
そして、ヴェローナは座っているソニアの目の高さまで視線を下げてくると、口に人差し指を当てた。
「リタには内緒ね」
そう言ってウィンクすると、ヒソヒソとソニアに話し始めた。
「楽しかったか、ヴェローナと遊ぶの」
「うん!」
「そうか。気が合うみたいで良かった」
夜。先にベッドの上にいるソニアに、ローエンは笑って言った。もっとも、初対面時の反応から、特に心配はしていなかったのだが。
そう言えば、とふと思いついた事をローエンは口に出す。
「…………お前賢いんだな、折角なら、学校行くか?」
「学校?」
街の子供は普通、皆んな学校に通っている。ローエンが住んでいるのも街の方であるし、行くのが自然である。
「街中にな。大きい立派なのがあるんだ。俺じゃ教えてやれない事も教えてくれる。……あぁ、でも」
俺が親じゃあ行けないか…………と思ったが、それを言う前にソニアが言う。
「学校!行きたい!」
「…………お、あ、あぁ、そうか…んーと、じゃあ」
街中じゃそれ程顔も知られていない。………だが学校なんていう国の機関なら、すぐに正体は知れる。
……親は自分名義ではまずいだろうし、そもそもソニアとは公的に親子関係を結んでいない。
「………となると……他に形式的に親になって貰わないとまずい…………んだが」
「何で?おとーさんがいい!」
「俺じゃお前に迷惑が掛かるんだ、頼むなら………アクバールとか」
「おじさんはやだ!」
「………うーんと、じゃあ」
と、ローエンが困っていると、ソニアの方から言い出した。
「お姉さんならいい!」
「!」
ヴェローナ。………その手があったか。彼女なら、もしかすると引き受けてくれるかもしれない…………。
「…分かった。今度頼んでみるよ。今日は寝ろ」
「ありがとうおとーさん!」
「うわっ……と!」
ソニアはローエンの首に飛びつくと、その頰にキスした。すとんと布団の上に座りなおしたソニアを、ローエンは唖然として、まだ感触の残る頰を撫でた。
「………どっ…」
「いいこと!」
にぱ、と笑ってソニアは、「おやすみ!」と言ってあっという間に頭まで布団に潜り込んだ。
ローエンはその様子を見て、ふ、と笑った。
「…………ヴェローナの奴、余計な事教えやがって」
そして彼は電気のスイッチの方へ行くと言った。
「……将来有望だな、大物になるぞお前」
「ソニアはゆーぼー」
意味は分かっていないのだろうが、ローエンの声色を察してかソニアは嬉しそうに布団から顔を出してそう言った。
そうだな、と笑い返し、そしてローエンはパチリと灯りを消した。
#16 END




