第12話 医者と殺し屋
「遅い」
「………すみませんでし………いった‼︎」
深夜。グラナートの家の前に着いて彼に迎えられるなり、ローエンは頭を叩かれた。身長はグラナートの方が低いが、手が届かない距離ではない。
「もっと早く戻って来い」
「……時間足んねェんだよ」
「ならもっと早く行くか、そもそも行くのをやめろ」
「それはもっと無理だ」
「君もいい年なんだからそろそろ身を落ち着けたらどうだい」
「三十路超えたシングルに言われたかねー……ってぇな!」
また叩かれ、ローエンはグラナートを抗議の目で見る。
「僕がそんな結婚なんて出来る身分だと思うかい?」
「…………顔は整ってる方だろ」
「立場の話をしているのだけれど」
はぁ、とグラナートはため息を吐くと、ローエンを家の中へと招き入れた。
「まぁ君だって殺し屋な訳だしね………けど僕と違ってその気になれば、いつだって………」
「その気がねェからいつまでもしねェの」
どかっ、とローエンは椅子に座った。グラナートは冷蔵庫から酒を出し、それから戸棚からグラスを出してそれらをテーブルに置くと、自身はその向かい側に座った。
「………お?いいね」
「折角だ、付き合ってくれ」
「俺の好きな奴じゃーん」
嬉しそうにローエンが注がれたグラスに口をつけると、グラナートは唐突に言った。
「で?誰とやりあったんだい」
「!」
思わずローエンは噴き出した。げほげほ、と咳き込む彼に、「勿体無い」、とグラナートは零す。
「………何の話……」
「とぼけたって無駄だよ、その手の傷は?」
「…………あーこれ……」
すっかり血が止まっていたので忘れていた。……というか、傷自体はかなり小さい。
「……紙で切っただけだ」
「どう見たって刃物の傷だろ」
「…細かいなお前は」
「ほら、白状したね」
「…………敵わねェなぁホント」
はぁ、とため息を吐いてグラスを置くと、ローエンは訊ねる。
「……クローディア……って、殺し屋、聞いたことあるか」
グラナートはしばらく考えた後、首を横に振った。
「………いや、無いね」
「そうか、お前なら詳しいかと思ったんだが」
「フルネームは?」
「聞いてない」
「…………使えないなぁ」
「何でだよ!」
ダン、とローエンが机を叩くと同時に、グラナートは酒が溢れないように、ひょいとグラスを持ち上げた。
「……まぁ、でも最近の子達ならあまり知らないよ」
「………そりゃそうだよな」
「一応容姿は聞いとこうか?」
「あー………まぁ、一言で言えば美女だ」
「………もっと具体的に」
呆れたような顔で、言うグラナートに、ローエンは冗談だよ、と言って続けた。
「長い黒髪で……睫毛が長くて、瞳も黒くて………。年齢は多分俺くらいで身長は160cm、スリーサイズは」
「そこまではいい」
「………言わせろよー」
「君の観察眼の凄さは知ってるよ」
ため息を吐いて、グラナートはゆらゆらとグラスを揺らす。
「………もう一人いなかったかい」
「?………いなかったが」
「僕の推測が正しければ、彼女の他にもう一人いるよ」
「……どういう事だ」
「一つ、クローディアは偽名だ」
彼の言葉に、ローエンは首を傾げる。
「………偽名?」
「少し前から有名な、二人組の殺し屋さ。姉妹らしくてね。一人は黒ずくめの女、もう一人は迷彩の女………二人共定期的に名前を変えているようで、素性はよく分からない」
「…………苗字も?」
「勿論。そこは二人共合わせているようだけど。………恐らく君が会ったのは、姉の方だ」
「……ふうん」
ローエンは頷き、酒を一口飲む。
「活動開始時期は三年前くらいかな」
「…………俺が六年前だから、キャリアの差があるのは当然か……」
「で?今回はどうして来たの?」
「適当に脅して、放したよ。………出来る事なら彼女にしたい」
「……本当に、君って人は…」
やれやれとグラナートが首を振る。
「とりあえずヴェローナ達と………お前とアクバールとソニアには、危険が及ばないようにはしたつもりだ」
「僕まで…………」
「別に、俺以外に手出しすんなっつっただけだし」
「彼女達がそれを守る保証は?」
「正直言って、無い。だが俺の方は守る」
「………先に消してしまった方が良いんじゃないか?」
「わざわざ探し出してまで殺るのは嫌だ」
そう言うローエンに、ため息を吐いて、グラナートは言う。
「……君が嫌なら僕がやってもいい」
「やめとけよ」
「心配はいらない」
「…………お前はもう医者なんだよ」
「………」
二人の間に沈黙が流れる。グラナートはやや険しい顔をしていたが、やがてふっとその表情を和らげる。
「…………その通りだね、自分が襲われたならともかく、自ら襲うのはいけない」
「てめェの事はてめェで何とかするさ」
「………少しばかり心配だね」
「…………は?」
「君は少し、周りが見えなくなる所があるから」
「………それはお前もだろ」
「まぁ、そうかもしれないね」
空になったグラスに、グラナートは酒を継ぎ足した。
「……いい加減、体を動かさないと僕も鈍ってしまう」
「いきなり何言い出してんだ」
「ローエン、少し僕に付き合いたまえ」
「………………お前、もしかして酔ってんの?」
ローエンが下からグラナートの顔を覗き込む。ほんのりとその頰が色付いている。
「酔ってないよ……」
「……お前が酒弱いの忘れてた」
「僕は下戸じゃない…………」
「…………少しにしとくんだったな」
「あぁっ」
ローエンは酒瓶を取り上げると、グラナートの手からもグラスを没収した。
「返したまえ」
「………酔うとアクバールみたいな口調になるな」
「いいから返したまえ!」
「今日は寝ろ!俺も今日はここに泊まる」
「返し、あー」
グイッと、グラナートの分を飲み干してしまったローエンに、彼は力無く手を伸ばした。
「………いけず…………ローエンのいけず……」
「子供かよ」
「僕は子供じゃないっ」
段々と酔いが回って来たのか、彼は机に突っ伏してしまった。
「…………子供じゃ……ないっ……」
「はいはい」
うじうじとしていたかと思うと、グラナートはそのまま寝てしまった。
「…………おい?」
「………」
「……ったく」
はぁ、とため息を吐き、ローエンはその辺にあった毛布をグラナートの背中にかけた。
「……………無防備だなぁ……こういう時は」
そう呟いて、ローエンはソニアが寝ていると思われる部屋へ向かった。
部屋に入ると、ベッドの上で、ソニアが安らかな寝息を立てていた。ローエンはベッドの側まで行き、ソニアの頭を撫でた。そして、そのままベッドに背を向け座り込むと、腕を組んで、目を閉じた。
「………ローエン、僕の眼鏡知らないかい?」
「…………頭の上」
「……あぁそうか、自分で上げたんだった」
翌朝。グラナートは眼鏡を頭の上から下ろし、額を抑えた。
「何であんなけの量で二日酔いなんだよ…」
「君が酒豪なのがいけないんだよ」
「いやあの瓶まだ半分は残ってるぞ……」
「君は一人で飲んでいても、いつも顔色一つ変えない」
「………」
「君が酒豪なのには違いない」
やれやれと肩を竦めるグラナート。その時、ローエンの腕をソニアが引く。
「何だ」
「おとーさんどこも怪我してない?」
「…………ん?あぁ、大丈夫だ」
その会話を聞いて、グラナートがローエンを引っ張って耳打ちした。
「何でソニアちゃんが怪我の心配を」
「………仕事行くって嘘吐いた」
「…………」
「だって女の所に遊びに行くとは言えないだろ」
「…………色々文句を言いたいけど、どうにもならなさそうだね」
「あ?」
「おとーさん?おじさん?」
ソニアが首を傾げているのに気付き、グラナートはローエンを放す。
「………朝ご飯は」
「うちで食べるからいいよ」
「………………」
「何だその目は」
「……うち、材料だけは揃ってるんだ」
「…………」
その言葉で、ようやくローエンはグラナートの考えに気付いた。
「一晩ソニアちゃんの事預かってあげたんだから、それくらいのお礼はしないと」
「………はいはい」
要するに、グラナートはローエンに朝食を作れと言っているのだった。
「ご馳走さん、また来てね」
「………飯作らせる為だけには呼ぶなよ」
「君、殺し屋よりもシェフに転職した方がいいんじゃない?」
「…………今さら無理だよ、アクバールに止められる」
「あっはは、そうかい」
と、その時ローエンの携帯がポケットで鳴った。
「おやおや」
「………噂をすれば…だな」
ローエンが電話に出ると、アクバールの声がした。
『おはようローエン、今大丈夫かね』
「まぁな」
『すぐ来てくれるかね、ソニアちゃんも一緒で構わん』
「……………仕事、長くなるか?」
『……そうだね。どうしてだい?』
「…………いや、ソニア預けるならお前よりグランの方がいいかなって」
『………手間じゃないかい?』
少しばかり棘のある声で、アクバールが言う。
「グランなら今目の前にいる」
『あぁそうかい、ならそうすればいい』
ブツッ、と電話が切れた。
「…………何怒ってんだあいつ」
はぁ、とため息を吐いて、ローエンはグラナートに言う。
「………悪いなグラン、こいつの事もうちょっと預かってて貰えねェか」
「僕は構わないけど…………ソニアちゃんは」
「おとーさんまたお仕事?」
ソニアが見上げて来るので、ローエンは屈むと彼女の頭の上に手を置いた。
「…………ゴメンな、またグランとこで待っててくれるか」
「………………怪我しないでね」
「大丈夫だって」
一度、ローエンが死にかけたのを目の当たりにしたので、ソニアは心配なのだろう。
「それじゃ、頼むな」
「気を付けてね。おいで、ソニアちゃん」
ソニアがグラナートの白衣を、心配そうに掴む。
去って行くローエンの後ろ姿を見送り、グラナートはソニアに言う。
「大丈夫だよ、ローエンは強いから」
「………うん」
「全く、ワタシは悲しいよ、ソニアちゃんに嫌われて」
「…………お前に預けるより安心なんだよ」
「……確かにワタシは戦えないけどね…………」
かけたまえ、とアクバールが言うより先に、ローエンはソファに座った。文句ありげにアクバールは眉をひそめるが、ローエンは、つい、とそっぽを向いた。アクバールはため息を吐き、ローエンの向かいに腰掛ける。
「………まぁいい、とりあえず今回の依頼の件だ」
アクバールは手と足を組んで、背もたれに体を預ける。
「ここら一体で麻薬を売買している、小規模なグループがあってね」
「……そんなん警察に任せりゃいいだろ」
「こんな所じゃ、警察もなかなか動かんよ。待っている間にも被害者はどんどん増えていくのだ」
「まぁ…………そりゃそうか」
ローエンは膝の上で頬杖をつく。
「…………で?」
「うむ。………これだ」
と、番号の書かれた紙切れを差し出す。どうやら電話番号らしい。
「ここに通うスラムの住民から貰ったものだよ。ここにかけて、君が客となって接触してくれ」
「…………俺の顔、ここらじゃ割れてるぞ」
ローエンがそう言うと、ふむ、とアクバールは顎に手を当てる。
「……そうか、なら他に囮を使うのはどうかね」
「囮ぃ?………その辺の適当な奴に頼むのかよ」
「とんでもない。弱者にそんな危険な事はさせまいよ」
「…………なら」
「いるだろう、君とも親交の深い適任者が」
「お前が囮になるのか?」
「ワタシはそんな怖い事するのはヤだよ」
何を言っているんだ、とアクバールは両手を肩の横で広げる。
「…………じゃあ」
「彼なら顔もそこまで割れてはいないし、万が一の時にも対処出来る。………適任だと思わないかね」
「……まさか」
「そのまさかだよ」
アクバールは笑うと、人差し指を立てた。
「グラナートに頼もうと思う。…………その代わり、報酬は二人で山分けだがね」
「…あいつはもう引退したんだろ」
「保険だよ。言っただろう、万が一だと。基本は君一人でやれば良いさ」
「…………………」
「勿論その間は、ワタシがソニアちゃんを預かるよ」
「…………」
「何だねその顔は」
「……お前さっきの根に持ってんのかよ」
ローエンが呆れ半分でそう訊くと、アクバールは肩を竦める。
「グラナートばかりズルいではないか」
「…………」
そう言われて、ローエンは深いため息を吐いた。
#12 END




