第1話 出会い
カツン、カツンと、足音が響く空間。それ以外はしんとして、生き物の気配も、足音の主であるその男以外には無かった。そこは元々、倉庫として使われていた場所らしく、廃材がそこかしこに放置されていた。
その廃材と一緒になって、多くの死体が男の背後に転がっていた。その辺に転がっているような金属の棒を突き刺された男や、首をへし折られた男。数十人はいると思われるが、その誰もが一概に、一撃で殺されているのは確かだった。
そんな屍達を背後に、男は口笛を吹きながら、目の前に立ててあるみすぼらしいテントへと進んでいた。
えらく整った顔立ちの、短い黒髪の男は、その頰や身に付けた白いカッターシャツに紅い返り血を浴びていたが、さして気にする様子もなく、目の前のテントの幕に手を掛けた。
中を覗いてすぐに、彼は落胆した表情をする。中には女の死体がたくさん転がっていた。どれも若い女のもので、みすぼらしい布を着せられていた。皆、刃物で切りつけられたような傷痕があった。
「……口封じか……可哀想な事しちゃって」
はぁ、と男はため息を吐くと、テントから身を引こうとした。が、その時、ごそ、とテントの奥で何かが動く気配を感じ、彼はテントの奥に目をやった。
「誰かいるのか?」
そう声を掛けると、はっと息を呑む気配がした。警戒してるのか、と男はそう思うと、言う。
「何もしねェよ、外の奴らならもう大丈夫だ」
「…………」
しばらくして、奥から誰かが這い出てきた。その小さな姿を見て、彼はまた、ため息を吐いた。
「……なんだガキかよ」
齢十歳かというくらいの少女だった。ひどく痩せ細っていて、その腕は今にも折れてしまいそうである。死んでいる他の女と同じ様に、彼女もまたみすぼらしい布を着せられている。
「…………生きてるのはお前だけか」
少女はコクリと頷いた。男はもう一つため息を吐いて、少女に手を差し出す。
「立てるか」
その大きな手を、少女はじっと見つめた後、おずおずと自分の小さな手を伸ばした。男はその手を掴むと、引き上げて立たせた。よろめいた彼女の体を支え、男は少し考えた後、彼女に言った。
「…ま、とりあえず外出ようや」
ここはレイゲン国、その首都ウィスタリアの、隣街アザリアの隅にあるスラム地区。貧しい人々が集まる地区。家という家はあるにはあるが、その路地にも人が住み着いている。
基本的に、余程貧乏な人間でない限りこの地区には近寄らない。だが、明らかにここの人間ではない装いの人間がちらほらいる。それらは大体人攫いや、あるいは援助者だが、彼はまた、それとは異なる種の人間である。
「ふーん、そうかい、娼婦は皆殺されてたかい」
「あぁ。ま、人攫いは大体殺した。……何人か逃げたっぽいけど」
スラム街の小さな酒場。客はほとんどいない。その店の隅に、男ともう一人、神父らしき男が相対していた。神父らしき、というのは、それらしいのはカソックと首から下げた十字架だけで、その金髪は赤いメッシュが入れられ、表情も少しばかり胡散臭く、聖職者には見えづらいからだ。
「そうかいそうかい……攫われた娘達は可哀想だったけど、まぁこれで目の上のたんこぶは一つ消えた訳だ。残党共もいい加減懲りただろ」
「分からねェぞ、そいつらじゃなくても、そんなのすぐにまた湧くだろ」
「害虫が増えれば駆除する他無い。また頼むよ、ローエン」
「金さえ払うなら仕事はする」
ローエンと呼ばれた男は、ふん、とため息を吐いてグラスの水を飲んだ。そのぶすっとした表情に、神父は言う。
「………不機嫌そうだね?」
「当たり前だろ、折角女のコと遊べると思ったのにさ」
「女遊びもほどほどにな」
「代わりに誰か紹介しろ、アクバール」
「ワタシは女性との付き合いはほとんど無いからねえ」
アクバールと呼ばれた神父は意地悪そうに笑った。
「さて、ところでその少女はなんだい」
「……あぁ」
と、アクバールに言われて、ローエンは傍らに座っていた少女の存在を思い出す。
「………コイツは」
「隠し子かい?」
「んな訳あるか」
「アッハッハ、まぁそうだねぇ、“たらし”の君が子供を作る訳が無かったねえ」
「るせぇ」
チッ、とローエンは舌打ちすると、机に頬杖をついた。
「……生き残りだ」
「おや、さっき皆んな殺されたと」
「こいつだけ奥に隠れてたんだ。………一人だけ体が小さくて助かったんだろ」
「そうかいそうかい、こんな小さい子も攫われてたんだねえ…」
ふんふん、とアクバールは少女を見るが、少女はおず、と僅かばかり身を引いた。
「それはそうと、親の元へ返さないのかい?」
「母親はあそこで殺されたらしい。父親ももうとっくに死んでるって。………適当に置いて行きたかったんだが、付いて来ちまった」
「こんな子を置き去りにして行く気だったのかい、なんて可哀想な」
「そう言うならあんたが引き取ってくれ。教会に空きくらいあるだろ」
ローエンがそう言うと、少女が彼の腕を掴んだ。
「………やだ。このおじさん怖い」
「おや」
「……触るな」
「おじさんがいい」
「おじっ…………」
40近いアクバールと違って、まだ20代のローエンはショックを受ける。そんな様子を見て、アクバールが笑う。
「“お父さん”がいいって」
「おまっ………余計な事言うなっ」
「…………お父さん」
「やめろ」
ぺし、とローエンは少女の手を跳ね除けた。
「…俺はガキは嫌いだ。世話なんかしねェ」
「お嬢ちゃん、名前は?」
「……ソニア」
「おい聞けよ」
勝手に話を進める二人に、ローエンはそう言うが、アクバールは気にも留めずに、ソニアと名乗る少女に言った。
「ソニアちゃんか。まぁ、姓はこの際どうでもいいね。ワタシはアクバール。アクバール・オルラントだ。このスラムの教会で神父をしているよ。何かあったらワタシに相談するといい」
「…………」
「アクバール!だから俺は………」
「君が見つけたんだから、責任持って育てたらどうだい」
「んなっ…………」
急に真剣な目をするアクバールに、ローエンは言葉を詰まらせる。
「もうこの子は君に懐いてしまっているようだし、どうもワタシの元へ来る気も無さそうだ。君にだって、幼い少女をこんな危険なスラムに独りにしないくらいの仁徳はあるだろう」
「………俺は、ガキは嫌いだ」
「何だかんだ言ってここに連れて来ただろう、本当に嫌なら気絶させてでも置いて来たはずだ」
「………それは……あんたが引き取ってくれるかもって」
「ま、そう思うだけの良識はあるって事だね」
と、アクバールは肩を竦めた。
「諦めたまえよローエン。それも日頃の行いに対する神の恵みだと思いたまえ」
「…………こんな時だけ神父らしくするな。恵みじゃなくて天罰だろ」
「おやおや、そう思ってるっていう事は反省はしてるのかね」
そう言われて、はぁ、とローエンはため息を吐くと、ソニアを見た。栗色の髪は、痩せている体とは対比的に艶があり、綺麗だった。無垢な青い瞳は、とても澄んでいた。とても、あの殺伐としたところにいたとは思えない程に。
「……………」
「何だいローエン、そんな怖い顔をしてはいけないよ」
「………責任持たねェぞ」
「それは駄目だよ、育てるからには親としての責任は負わないと」
「はぁ?ならお前が引き取れよ」
「ヤだよワタシは。その子にも嫌われてしまったしね」
「…………コイツは俺に嫌われてるんだよ」
「君がその子に悪くしないのは分かっているからね」
「何だよそれ、何の根拠が………」
「ソニアちゃんは仮にも“女のコ”だし」
「………」
「まぁ、何かあれば相談したまえ。乗れる範囲で乗ってあげるよ」
と、アクバールは立ち上がった。
「じゃあねえ、また仕事が入れば連絡するよ」
「おい、待………」
ローエンが引き止めようとするが、アクバールは聞かずにスタスタと店を出て行ってしまった。
「…………ふざけんなよ………」
額を抑え、そしてソニアを見やる。彼女はきょとんとした顔でローエンを見ていた。それを見て、ローエンはただため息を吐いた。
スラム街から出て少し、アザリアの街の一角。そこにローエンの家はある。特に何の変哲も無い、小さな一軒家だ。
「…………荒らすなよ」
家に着いて真っ先に、ローエンはソニアにそう言った。
「うん」
ソニアはローエンを見て頷いた。
はぁ、とため息を吐くと、ローエンは返り血を隠す為に着ていた上着を脱いだ。くん、とワイシャツの袖に鼻を当てて「臭い」、と漏らした。
「…………そろそろ廃棄かね、これ」
何度も返り血を浴びたせいで、すっかり血の匂いが染み付いてしまった。少しくらいならば気にはしないのだが、あまり濃くなり過ぎると、いい加減捨ててしまう。
彼は殺し屋である。この街を拠点とし、主にスラム街で仕事を受けている。主な依頼人はあのアクバールであるが、時には別の依頼人から仕事を受ける事もある。名は知れた方だ。一切武器を使わない、凄腕の殺し屋である。時折報復の為に狙われたりもするが、そんな事は屁でもない。
「………おい…」
ふと室内を見ると、ソニアが見当たらないことに気付く。しばらく部屋を見渡して探していたが、気配すら感じないので、舌打ちした。
「……あいつ………どこ行った」
ローエンは子供が嫌いである。理由は二つある。一つ、女遊びに邪魔である事。ローエンは女癖が悪い。黙っていても向こうから来るというのもあるが、普通にローエンの方も女性が好きである。だが、子供を連れていると近寄られ辛くなる。だから、ソニアを預かるのが嫌だった。そして二つ目、単純に子供の相手が面倒臭いのだ。
「勝手に動き回るんじゃねェよ……」
一階はリビングの他は浴室しかない。二階に行ったのか、とそう思い、彼は二階へと向かう。
「ソニアぁ」
と、階段の途中で、二階が見えた所で自分の部屋のドアが半開きになっている事に気付いた。
「……………」
眉を顰め、ローエンは荒い足取りで階段を登り切ると、ばん、とドアを開け放……そうとして、彼は小さな寝息を聞いた。
「………なんだよ」
はぁ、とため息を吐いて、彼は静かにドアを開けた。開けてすぐ目に入るのは自分の机、右手側に視線を向けると、ベッドが目に入る。その上に小さな姿があるのを見て、ローエンはしばらくどうするべきかとその場で思案した。
自分のベッドのど真ん中で、掛け布団の上からソニアが寝ている。怒鳴り起こすのは簡単である。…………だが、自分はさっき「荒らすなよ」とだけ言って、「動き回るな」とは言っていない……と、そういう事に気付いて、ローエンはあちゃあ……と頭に手を当てた。別にソニアは何も荒らしてはいないし、怒る理由は無い。これで怒っては理不尽過ぎる。下手に泣かれても厄介である。
「 ……面倒くせえな…」
相当疲れていたのか、ソニアはすっかり眠りこけている。ちょっとやそっとでは起きないだろう。安らかな寝顔を見て、彼女が安心しきっている事を感じた。汚れたままベッドの上にいる事が少し気になったが、そこまで怒る気にはなれなかった。今まで、安心して眠る事さえ出来なかったのだろうから。
「……風邪引くぞ」
細い手足がボロボロの服から出ている。そのまま掛け布団の上で寝てしまっているのでそれを掛けるわけにもいかず、いつもひざ掛けに使っている布を掛けてやった。
ふう、とため息を吐いて、ローエンはまた考える。……コイツが起きるまでに出来ること。……何をすべきか。
ふと脳裏に今しがた見た細い手足が浮かんだ。
「……何か買いに行くか」
食べ物と、服も必要になる。…………そう考えたローエンは、街に出掛ける事にした。
#1 END