6.飽和
リビングに入ると、相変わらず美味しそうな朝飯が用意されていた。危ない危ない、一瞬夫婦かと思ってしまった。
あと少しのところで、一人息子を置いておしどり夫婦が海外に旅行に行くところだったぜ。まだ子どもいないし、主人公の座は渡さないけどさ。
今日の朝飯のメニューはこれだ。(今日のって毎日作って貰うつもりかよ)
・目玉焼き
・ツナサラダ
・ハムを焼いたやつ
・食パン(ジャムはピーナッツ、イチゴ、ブルーべリー、マーマレード、チョコ、リンゴ、はちみつ。最後のなんの隠し味だ)
・牛乳
流石だと思った。まるで絵に描いたような料理。色とりどりのコントラスト。食材の合奏曲。とか適当に言って美味しさを表現しとく。まあとりあえず美味しそうだ。
目玉焼きに手をつける。
かかっているのはしょうゆだ。よく分かっていらっしゃる。塩とマヨネーズまでは許容できるが、酢をかけるとか言ってた奴は邪道。
まずは卵白の部分をきれいに食べ、卵黄部分だけを残す。はしで薄膜を切ると、とろりと中身が飛び出す半熟卵。真ん中の固まった部分を少しだけ食べて、ぽっかり空いた穴にしょうゆを数滴垂らすと、黒と黄色の絡まる湖を作り出す。それをはしで持ち上げ豪快に。
いつも通りに食べてしまったが、これならば食パンと一緒に食べていてもよく合っていただろう。
次に食パンを手に取り、ジャムを選ぶ。
ジャムが多彩なところを見ると、こいつは飽きっぽい性格なのか、それとも日々の変化を好む性なのかと考える。
俺はマーマレードを選び、フタの開けてパンに塗る。ここでつけすぎると豪胆だと思われかねないので、ほどよくつける。
マーマレードの皮は格別うまい。
みかんとかの柑橘類の皮らしいが、普通に食べてもおいしくないものを加工して、ここまでの味を出してしまう人類の食欲はとどまることを知らないらしい。
そういえば、この容器はあまり見慣れない。俺の家で使っているジャムとは別物だ。スーパーに買いに行くときもこんな容器は見たことがない気がする。断言はできないが。
「うまいなこれ。どこのジャムなんだ?」
「…手作り」
なんと! そうだったのか。
どこかで仕入れた情報だが、ジャムはとても繊細に扱わねばならないし、かつ時間と手間を要する料理だった気がする。てか皮、どうやって作ってるんだ。
「まさかこれ全部?」
氷月は軽く頷く。
おいおいまじかよ。苺とかはなんとなく想像がつくんだが、もうピーナッツとか未知の領域だろ。つってもピーナッツは素材の味があんましないから、試行錯誤を繰り返したんだろうな。
「お前マジですごいんだな。家に持って帰りたいくらいだよ」
一家に一台のひょ……ジャム。
家か……。
俺の家は今どうなっているんだろうか。
「趣味でやっていることだし、それほど苦にならないわ」
彼女はそう言って、顔をうつ伏せた。
あっれれー、おかしいなー。何か変なことでも言ったかな。
このあまりいいとは言えない雰囲気を持ち直そうと、気になっていたことを何気なく聞いてみた。
「氷月はこれからどうするんだ? もしよかったらこれから一緒に……」
氷月は少し驚いたような顔をして目を閉じる。何か考えているのだろうか? これは聞かないほうがよかったかな。続けて暮らそうなんて言おうとしていたことは言えまい。そもそも言えないか。
「これから一緒に……何をしたらいいか考えてくれないか?」
「そうね。そのことについてはいずれか話そうと思っていたところだわ」
そのこと? 氷月は何か知っているんだろうか。いずれにしても話は聞きたい。早速何か聞こうと口を開けた瞬間に言葉で遮られた。
「ただし、朝ご飯を食べ終えてからね」
気づけば俺も氷月も食べる手が止まっていた。俺は分かったと頷き朝食をかみしめた。もしかしたら氷月の料理を食べることができるのはこれで最後かもしれないと。
「ごちそうさま」
俺はそう言って、食器を片すのを手伝った。ここでしっかり好感度を上げておく。氷月は少し不思議そうな目でこちらを見ていたが、視線を返すと俯いてしまった。
ぺろりん。
愛の共同作業(仮)を終わらせたのち、先ほどと同じ対面上の席に座った。
先ほどいい感じの雰囲気が流れていたリビングはほんの少しだけギスギスした雰囲気が流れていた。この雰囲気を突破しようと、開口一番に言い放ったのは……。
「さあ、では今後の会議を始めましょう」
氷月はそう言って、俺に向かって少し佇まいを直した。その動作は美しくかつ、儚げなものだった。そうだよな、少なくともこいつは家族を失っているはずだ。さっきの歯ブラシの件ではないが、この家に一人で住むのは少しばかり広すぎる気がする。
まあ氷月だって聞いてほしくないことの一つや二つくらいあるだろう。俺だってもちろん何個かある。妹のこととか、妹の事とか、いもうとのこととか。
妹がかわいいのは周知の事実ではあるが、妹のかわいいところを知っているのはお兄ちゃんだけ十分です。
ことが起こるまで妹と二人暮らしをしていたわけではないので、もし両親が生き残ってたとしたら、妹のことはさぞや心配していることだろう。
俺? くっ……目から水が出てくるぜ。両親は俺の事を、妹の側近くらいにしか思ってない感じだった。それはもう、ザ〇ボンさん、ド〇リアさん、みたいに。
「ところでお前はこれからどうするんだ?」
こんなことばっか考えていても仕方がないのでとりあえず気になっていることを聞いてみた。
「私は旅に出ようと思っているわ」
うん? それは俺と結婚したのち、新婚旅行にでも行かないかと誘っているのか? うん、違うね。
いやだがしかし、答えが若干的を得ていない。疑問に思い聞き返そうとするも、氷月は語る。
「私は元の世界が好きだった。だから、ちゃんとした世界に戻したい」
なるほど。氷月はそっちの考えなのか。俺だったらそんな最強みたいな能力持っていたら、別に戻れなくてもいいと思ってしまうだろう。だが……。
「この能力を授かったのも、運命なのかもしれない。でも……」
「一人では世界を変えることはできない」
そう。問題はそこだ。いくら物理法則を覆せるような、常識はずれの能力でもたった一人の人間の力で世界をどうこう出来るわけなどない。それにこういった能力を持っている奴もいるかもしれない。
俺はさっきから黙って彼女の話を聞いていた。何も役に立たない俺が口出ししていい問題でもないし、俺の意見なんてたかが知れている。だが、もうそろそろ意見は出したほうがいいだろう。
「ああ。多分そこまでとなるといくらお前でも無理があるだろう」
いくら大事無理でも、小事ぐらいならできる。例えば、能力者を集めて組織を作り、少しでもこの世の改善をするとか。
だがこの方法にもデメリットがある。集められる能力者たちは、全員氷月と同じ考えを持っている奴らでないといけないし、仮に集まったとしても、相手が世界レベルとなると能力が弱ければ意味はない。
俺の言葉を聞いたのか、氷月は少し考えるようにしてから口を開いた。
「だからそのために影斗くん」
「はひっ!?」
そりゃいきなり名前を呼ばれると困惑するのは当たり前のことだ。めちゃくちゃへんな返事になってしまった。
「あなたには旅についてきてもらいます」