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交差世界の無能力者  作者: 湯豆腐
第一章
3/19

3.感情

 カラスの眼をじっと見つめてしまうと襲われるという、そんな迷信めいた話を、おばあちゃんから聞いたことがある。だが今のこの状況を鑑みるに、この女の目から目を離してしまうというのは、どうも命の危機的なものを感じるような気がする。


 俺と女は一歩も引くことなく睨み続けた。その拮抗状態が何秒、あるいは何分時間を進めていたのか、この部屋には時計がないので知りようがないし、あったところで見る暇もない。


 相手が微動だにしない時間は俺の考える時間になった。なぜ体が動かないのだろうか。 考えられる線は毒だ。先ほどまで自由に動き部屋を物色できていたが、女が来てからは指の一本すら動かない。そして女はマスクをしていることから、即効性のある麻痺毒を散布され、それを吸い込んだことにより、全身が動かないと考えた。


 しかし、解せないことが一点だけあった。それは俺の知識不足なのかもしれないが、麻痺というのはまったく体が動かなくなることなのかどうかだ。


 麻痺というのは体を動かそうとしても痙攣してうまく動かせないことだと思っていたが、これは体中をがんじがらめに固定されているように自由が利かない。


 今のままでは布団と包丁、もしお互いの道具を取り替えることができたとしても、体が動かないのだから俺の劣勢は揺るがない。


 今俺ができる有効な手立ては、走馬灯を見ることでも、妄想に華を咲かせるでもなく、この麻痺状態が治るまで煌びやかに光る包丁を持ったこの女を絶対に近寄らせないことだ。


 こんな睨み合い、敵対した状態では、俺の痺れが切れる前に女が痺れを切らして、刺されるのがオチだ。


 だからこそ、俺がやるべきことは一触即発のこの流れを変えること。相手の機嫌を損ねないよう話し合いで時間を稼ぐことだ。


「なあ」


 先ほど、女にバレないように口を少し開き発声して、動けなくても声だけは出せることは確認した。


「お前、俺をどうする気だ?」


「……」


 女は何も答えない。しかし、突然刺しにきたりしないところをみると、このまま会話を続行してもいいだろう。


 変わらず包丁を握る彼女はホラー映画に出てきそうな佇まいで俺を見ている。そんな女に一抹の恐怖を感じながらも、それを堪えてさらに質問する。


「なんで俺は動けない。ここはどこだ?」


 女は無表情のままこちらに音もなく近寄ってくる。やばいな。今のは少し押しすぎたか。


「質問が多いわ、訊くなら一つずつにしなさい」


 やっと喋ったな。質問に答える気はあるようで、危害を加えられる心配は今のところなさそうだ。


「じゃあまず、なぜお前は包丁を持っている?」


「……」


 女は一度、手を上げて持っている包丁を眺め、それから下ろした。それを見て返答を待っていたが、答えが返ってくることはなかった。

 

 その無言が意味することは『持っていて当然』なのか、それとも『言わなくても分かるでしょ』なのか俺には判別がつかない。


 前者であれば、他人の俺を警戒して強行に走ったときの防衛手段として携えていると捉えることができるが、後者であった場合は……。


 普段ならここで冷や汗を流していてもおかしくないはずだが、体が停止しているのと同様、服の背中が湿ることはなかった。


 女は先ほどと同じ体勢で待っていた。先ほど上げた三つの質問とは別の質問をすることで、意表を突こうという魂胆だったが、動揺のどの字も見せない。少しだけ効果を期待していたので、少しだけ残念だ。


 答えられないものを執拗に問いただすことはしない。ここは尚早に切り替えて次の質問だ。相手を刺激せず、かつ核心に迫れる内容はなんだ。やはり、自分が今いる場所だろうか。


「ここはどこなんだ?」


「そうね、ここは地球。四角くて青い」


 なんだこいつ。ここにきてとぼける気なのか。それとも何かをはぐらかしているのか。安堵と猜疑の気持ちが込みあがるも、ここで相手のペースに乗せられてはいけない。緩んだ緒を締めなおし、追及する。


「もう少し具体的にどの辺か教えてくれないか?」


「ここは、私の家」


 なるほど。大体予想はついていたが、その線だったか。この部屋の天井がとても気になるが、今はそんなことどうでもいいだろう。取るに足らない話を聞くよりは他に知りたいことがたくさんある。


「じゃあなんで俺はお前の家のベッドで寝ていたんだ」


「倒れていたあなたを運んできたのよ」


 倒れていた。あの大雨の日の出来事だろう。


 ベッドの上に寝かせてくれたみたいだが、女の両親は見知らぬ男を連れ込む娘に対して何も言わなかったのか。とりあえず、あとで女の両親にお礼を言わなければ。


 妙な引っかかりを感じつつ、俺は ’’いつの間にか動くようになっていた手’’ を頭の後ろにまわして空に目を向ける。


 手だけは動くようになったが、それだけでは女が襲いかかってきたときに対処することはできないだろう。助けてくれたことといい、会話をして既にそんなことをする奴ではないと分かっているが、念には念を入れておくべきだろう。


 しかしなぜ手だけが動くようになったのだろうか。麻痺というのは、そんな都合よく局部的に治るものではないだろう。重傷を負った人がリハビリを経て本調子に戻るように、治ったからといって、その瞬間から自然に動かすようなことはできないはずだ。


 思えば不思議なのは手だけではない。全身が硬直しているのに、脳は機能し、口を動かせる。いかに浅学だとしても、こんなことはありえないと分かる。

 

 それにカラスだ。羽ばたかないカラスが、なぜ空に飛んでいたのか。飛んでいたというよりも浮かんでいたに近いそれも変だ。


 そこで先ほど見たときと空が変わっていることに気がついた。間違い探しを見比べるように些細な違いだった。


 まるで、美しい絵画のように天井に縁取られていたカラスが、空から消えていた。小さな黒がなくなった夕焼け空は、その赤みを沈ませ、一日を締めくくるために暗く染め始めていた。


 いったい何が起こっている。


 空に接着されたカラス。一部を除く止まった全身と、動かせるようになった腕。持ち合わせの常識では考えられないことが矢継ぎ早に起こる。


 常識的ではない。


 一度は立て、そんな馬鹿なと切り捨てた、これらの現象すべてを納得させうる荒唐無稽な仮説が真実味を帯びてきた気がした。


 これを訊くべきだったのだ。核心に触れる質問はこれだったのだ。カラスを見たときから、頭の隅にくっ付いて片時も離れなかった一語を女に尋ねるべきだった。


 俺は質問するべく目線を上から前に変え、女のほうを向いた。


 そして驚いた。

 マスクを外していた女の顔に見覚えがあったからだ。


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