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交差世界の無能力者  作者: 湯豆腐
第一章
2/19

2.時間

 目が覚めると、眼前には夕陽に焼けた赤い雲があった。それは、いつかテレビで見たマグマのように爛々と存在感を示し、今まで見たどんな光景をも上書きしてしまうほどに美しい色調の空だった。


 一面に広がる赤と少しの翳りのあるコントラストに見惚れていた俺だが、視界の四隅に映る壁の白を見ることで我に返り、初めて自身がベットの上に寝かされていることを認識した。


 ひとつ情報を手に入れた脳は、途端に意識が鮮明になり始め、芋づる式のように次から次へと記憶が蘇る。


 ああ、そうだ思い出した。じゃあここはどこだ。

 俺はベットに座り込み、状況を確認するために周囲を見渡した。


 目測で六畳ほどになる部屋には、家具や生活用品といった必需品がなく、吹雪いたように壁から床まで白い部屋の隅に、このベットがただひとつ場違いに配置されているだけだ。窓や換気扇はなく、ひとつの木の扉が簡素な部屋を閉じていた。上には、昔はここに天体望遠鏡が置いてあったと言わんばかりか天井がなく、頭上には先ほど見た夕方が佇んでいた。雨が降った日には異動を真剣に悩む、そんな不憫な造りだ。


 ベットから立ち上がり、唯一の出入り口となる扉を開けようとするも、接着されているのではないかと疑うほど、文字どおり微塵も動かない。押して引いて叩いて蹴って声をあげても、鍵とは違う別の何かで施錠された扉が開くことはなく、それは木製とは思えないほどの硬度を誇っていた。


 叩く都度、鋼鉄を殴っているような感覚があり、手に響く鈍痛に半ば諦める形でベッドの上に戻った。


 自分でも不思議なぐらいに冷静でいられた。もしこんな事態が1日早くやってきていれば、このうえなく発狂していたかもしれない。


 壁を背にしてベットで楽に座っていると、ほんのすこし前に、テスト週間に課題として出された問題集をこんな体勢でやっていたことを遠い昔のことのように思い出した。

 あれは確か漢字の問題集だったはずだ。その中で同音語の問題を解いていた。ケントウと、読みの書かれた3つの四角にそれぞれ検討、見当、健闘と書いた。


 現在の事柄について深く検討する。

 考えて見当をつける。

 彼の健闘を祈る。


 まるでその問題がこの状況のためにあったように思えた。変わらずそれは懐かしく。


 あの日、階段で倒れ、この場に連れてこられたのは間違いない。ならここは常識的な流れで病院の一室か。それはないだろう。明らかに医療現場とかけ離れている。異様現場だ。器具も天井も消毒液のにおいもない。押せば人が駆けつけてくれるコールもなければ点滴もない。


 もちろん、そんなものがない病院だって少し探せばあるのかもしれないが、俺の感性は小学生の頃にひとりで造った秘密基地に似た雰囲気をこの場から捉えた。断言はできないがここは病院ではない。

 

 病院の線が消えたことで、俺に思いつく場所はひとつしかなかった。いや、場所ではなく状態か。


 ──監禁。何度も脳裏をよぎる言葉。気絶したのではなく、気絶させられた線が色濃く浮かぶ。からだのどこからも痛みを訴えることはないので、薬で昏倒させられた可能性が大いにある。


 それともうひとつ。確信があるわけではないが相手に殺害の意思はないはずだ。殺すならばわざわざ俺を泳がせる必要はなく、気を失っているときに抵抗を受けずに事を済ませばいい。それは相手が健常者であった場合に限られ、痛みに顔を歪める姿が堪らない。欠損していくからだに死を渇望する瞬間が楽しい。そんな異常者であれば違った話になるのだが、洗剤の香りを漂わす洗い立ての布団を眠っている人にかける良心。その善行からは到底殺されるとは思えなかったからだ。


 ではいったい誰が何のために犯行に及んだのか。ある推理小説の探偵は『悪意ある行動の、誰にどんなメリットがあるのか。それを考えることが真実への近道だ』そう言った。誰にも迷惑をかけないようにと空気と同化することだけを日々心がけ、恨まれることなく、羨まれることなく、平穏無事に生活をしていただけの俺を、犯罪者の烙印を押されるリスクを伴ってまで拘禁することでメリットを得られる者。そんな人間が存在するのだろうか?


 無理だ。わからない。

 考えればその分だけ、もし、たとえば、しかし、仮に、と“どツボ”にはまり特定できない。


 お手上げとばかりに目覚めた時の姿勢と同じようにベッドに倒れると、再び赤空が目に映った。


 カラスが飛んでいた。

 それは不意に動かなくなった。

 しかし落ちることなく滞在している。

 戸惑う鳴き声だけが聞こえる。

 悪寒の走る背中に風がふわりと撫でた。


  その風は生ぬるく、全身を這う吐息のような風。

 身の毛がよだつこの状況と、''それ''を後押しする様に吹いてくる風によって、

 俺の精神はかなりカオスになっていた。その元凶のほうに目をやる。



 あれほど暴力的にこじ開けようとした扉が抵抗もなく開いていた。


 人が、立っていた──女性だ。

 台所から出てきたような格好をしていた。腰まである長い髪を後ろでひと束にまとめており、赤いエプロンに身を包んでいる。マスクを着けているため顔はうかがえない。


 彼女の背が俺より頭ひとつ分ほど小さいことが、扉を定規に見立てて知ることができた。

 ただ部屋側に開け放たれた扉の廊下側、つまりは外側には鍵らしき機構が見当たらない。


 そして今までの考察がまったくの見当外れだったことを理解した。目を付けるべきところはベットの有無ではなかった。家の中で気絶させられて見知らぬ所に閉じ込められたこと、そんな当たり前のことに刮目すべきだった。そして、目覚めてすぐに天井がないこの部屋の壁にベットを立てかけて脱出するべきだった。あまりにも状況が突飛すぎていて、平和ぼけしていた。高を括りすぎていた。


 常人が台所から包丁を持ち出して、今まで眠りこけていた人物に会いに来るはずがない。


 柄の黒い刺身包丁を見て、襲われたときの対策を講じた。いかに相手を欺けるか。近づいてきたら布団で相手の視界を遮り、その隙に背後に回りベルトを巻きつけて昆布巻きにする。


 相手は女だ。たとえ凶器を持っていたとしても、それを封じ込めることがさえできれば、あっさりとこちらが優勢に傾く。凶器は己の力になりえない。狂気を孕んでいなければ。


 所持しているだけで相手に与えるのは恐怖だけではない。命惜しげに沸く、保身のための慎重さ。それを相手は見誤った。


 さあ、来い、犯人。俺はそんなものには屈しない。先ほどの俺のように、高を括った慢心という穴から崩してやる。


 いつでも寝首をかけられるように布団を掴もうとしたときに気づいた。


 からだが動かない。

 空に固まるカラスのように。

 マスク越しに笑みを見た気がした。

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