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交差世界の無能力者  作者: 湯豆腐
第一章
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1.青春

 夏に差し掛かり春には終わりを告げる季節。

学生や社会人などが新たな環境に身を馴染ませて、ここぞとばかりに謳歌し始める季節。それは何も、人間に限った話ではない。近くの田に棲んでいる蛙も、雨雲に隠れた月夜の下で一斉に恋歌を響かせていた。

   

 網戸越しに振り込んでくるパラパラとした心地よい雨に打たれていると、その雨は天付きで押し出されるところてんに似ているな、と感じた。


 雨の匂いや音の風情を楽しみながら、それでも明日の天気は晴れが良いとやや欲張りになりつつ、俺は何をするでもなく、ただベットの上に寝転がっていた。


 きっと同級生たちは今頃、突然の雨でナイトトレーニングをタオル片手に一時中断したり、店で肉を焼きながら窓を伝う雨を見て、友達同士で帰りの事を考えているのだろう。


 しかし俺はとくにやることもないので、テレビを点けておもしろくもないバラエティ番組を電気代の無駄だと知りながら聞き流して、あり余る青春を消費していた。


 最近はちょっとませ始めてか、料理とかもしたりするがあまりうまくいった試しがなかった。クッ○パッドのレシピを真似しようとするも、材料に普通の家庭にないものがあり、他のものを代用して使っているからできないのは当然なのかもしれない。バニラエッセンスなんてあるわけないだろ。はちみつでじゅうぶんだ。


 こんな自分に、未来の自分なら一度しかない青春を惰性に過ごすなんてもったいないと注意する。普通の人はそう考えて自身を見直して立ち上がるかもしれないが、俺は違う。俺は今の生き方に微塵も後悔なんてしていない。幸福を噛みしめているし充実している。だから──。


 そんなどうでもいいことを考えていたが、下からふと声がしたので思考を中断して耳を傾けた。


「かーげーにー、ごっはんだよー」


 晩飯である。窓をスライドして閉じてから起き上がり(布団が雨で湿っていたのは秘密)テレビを消して、敷かれたカーペットに落ちていたチョコレートの銀紙を拾い上げ、勉強机に置かれていたものをポケットに入れてから電気を消して、階段を降りてリビングへと向かった。


 銀紙を捨てて定位置に着くと机上にはごく平凡な料理が並べられていた。それらを口へ運ぶ、うんいい。自分の作るのとはやはりちがう。なかなかどうして親の料理というのは美味いのだろうか? うちの親が特別なのだろうか、隠し味に愛を込めたからだろうか。


 最近1人暮らしに憧れていたが、こんなにクオリティの高い料理が毎晩無料で頂けるのであれば、1人暮らしはやはり考えさせられる。


 隣の妹はおいしそうにご飯を頬張っている。ハムスターみたいだ。そのかわいさに思わずつんつんしたくなるが、先週に手痛い目に遭ったばかりなので自重。

 そんな妹に今日は昼飯を作ってやったのだが、妹は出来のよろしくない料理でも喜んで食べてくれた。健気な妹がいてくれて、それだけでお兄ちゃんのお腹はいっぱいです。


 きっと親もこんな感じに喜んでくれたら同じことを感じるだろうなと思いつつ、最後のトマトを口に運ぶ。俺の食べ方としては、野菜から始め野菜に終わるだ。後味がいい。


「ごちそうさま」


 俺は基本的にはいただきますは言わないのだが、ごちそうさまだけはきちんと言う。

 なぜかというと……(かた)るも涙の深い事情があるのだ。騙すのかよ。


 まあしかし彼女が出来て、ましてやその子が奥さんに、そして母親にでもなった日には、子どもの手本となるようにいただきますもちゃんと言うのだろうな、と思いつつ自分の食べ終わった食器を片す。もちろん蛇口を捻り、水に浸す。

 それぐらいは自分でもする。基本的には自分でできることは自分でやるってのが、俺の主義だ。まあ、できないことはすべて丸投げするのだが。


 食器を片した俺は、リビングのお菓子が置いてあるところを探り、自分の食べたいお菓子を自分の部屋に匿おうとする。そうしなければお菓子がごっそり消滅して胃に入らないからだ。


 我が麗しの妹には友達がたくさんいて、そのご友人と遊ぶ時に大量に消費する。記憶違いがなければ、その大半は妹が食べていた気がするが……。


 目に入れても痛くない妹だとしても、それとこれとはねじれの位置であり、俺のポリシーでモットーでヒエラルキーとアイデンティティーの確立のためには仕方のないことだ。


 最近、黒糖の使用量が減少したふ菓子を手に戻すか否か迷っていると2階から気圧差でドアが閉じる音が聞こえた。産まれたときからこの家に住んでいるので分かるが、あの音は俺の部屋のドアだ。出るときにしっかり閉めていなかったから、開いたり閉じたりするのだろう。


 ドアはあとで閉めるとして、そんなことより今日はラッキーなことに炭酸があった。それも二種類だ! お菓子はポテチの塩味なので、ファンタジーグレープをチョイスした。もう一つの唐辛子パウダー入りと書かれたラベルの炭酸は遠慮しておいた。以前にこれを飲んだ時、味こそ普通のサイダーだったが、その後三日間ほど喉を痛めたからだ。

 

 ジュースをコップに注ぎ、選び抜いたポテチと一緒に自分の部屋へ運ぶために持った瞬間、ドアの閉じる音とともに後方から声が聞こえた。


「かげにー! それは私のポテチだ! よこせ! それとドアがうるさい。ポテチを置いて閉めてこい」


 妹である。食器を持っているということは食べ終わってしまったのだ。こいつは食べてる時だけはおとなしいから夕飯を早めに食べて、まだ食事中の妹を横目にお菓子を掻っ攫おうという魂胆だったのが、どうやら食べ始めた時間の違いがこのような結果を生んでしまったようだった。


「おいおい妹よ、お菓子は早いものがちだぞ、欲しかったらもっとはやく食べることだな」


「う~!!」


 少し挑発すると妹が威嚇してきた。それに便乗するように三度目のドアが閉まる音。妹の口にチャームポイントの八重歯が見えた。これ以上はまずい。俺の中の危険感知センサーが警報を鳴らし始めた。


 去年の秋に与えられた少林寺3段の称号はこじんまりとした体躯には似つかわしくないが、技術は本物だ。一度だけ練習を覗いたことがあったがやはり妹はかわいい。したがって、兄貴としてやむなく妥協した案を提示する。決して怖がっているわけではない。


「そうだな、今度2袋買ってきてやるよ」


「本当ー? やった! じゃあ今日はこれでがまんしよーっと!」


 俺は心にもないことを言い、心もとない妹がスナック菓子を掴んでから、ちょこちょこと階段を上る音が聞こえた。昔から変わらずかわいい妹だ。でもいつかは変わってしまうんだよな。


 高校に入学すれば知らない学区の人たちと出会い関わることになるし、自由も効くようになる。そして当然恋もする──離れていく。


 階段を踏み鳴らす。

 ただそれだけの動作音がなぜかいつにもなく切なく聞こえた。


 俺は自分の部屋に行く前に、ずっと持っていてぬるくなってしまったジュースに、冷凍庫から氷を出して入れた。カランと音を立てるコップを持ってリビングを出た。


 廊下の窓から外を見ると、先ほどより雨が強く風雷が轟いた。どうりでドアがうるさいわけだ。階段の電気をつけ、上る。湿度で木の階段は嫌な熱を帯びているようだった。


 踊り場まで来ると視界がチカチカした。それは最初、雷だと思ったが階段の電球が切れかかっているのか明滅を繰り返していることに気がついた。今、家には予備の電球はないので、不本意ながらそのまま素通りして階段を上り終えた時だった。

 

コップの割れる音。


 氷の散らばる音。


 床に気泡の立つ音。


 袋が落ちる音。


 ポテチを押し潰す音。


 俺は意識を失った。

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