見限り
...守ってくれる、って言ったのに。
おみつは、ただ困惑するしかなかった。
お糸は一人で遊んでいたと言う。
誰にも毬などかしていないと言う。
赤い絣の着物を着た子供など誰も知らないと言う。
赤い絣の着物を着た子供など、どこにもいなかった。
結局、裏庭の掃除に来たおみつが落ちていた毬を見つけ、仕事を怠けて遊んでいたということで落ち着いた。
おみつには色々と反論もあったが、そこは主人と奉公人、ましてや大人と子供である。言えるはずもなかった。
だから、お前に暇をやると言われても、何も言い返せなかった。
「おみっちゃん、大丈夫?」
泣き腫らした目にまだ涙をため、しゃくりあげるおみつに、女中頭のお富が優しい口調で声をかける。
「たかが毬ぐらいで、お糸のお嬢さんも困ったもんだねぇ」
背中をさすりながら声を潜めて言う。
「旦那さんはお嬢さんを溺愛してるんだがら、しゃあんめえよ」
「お嬢さんが首と言ったら首にされちまうんだもんねぇ...昔はこんなじゃなかったのにねぇ」
同部屋の女中仲間、お花とお松が口々に、やはり声を潜めて言い合う。
「きっとお店が大きくなりすぎたのがいけなかったんだよ」
「そうすぺ。旦那さんはお嬢さんの言いなり、女将さんはお金の言いなりでさ」
「この店も、危ないんじゃないかねぇ」
「しっ。...滅多なこと言うもんじゃありゃしないよ」
お富に言われ、二人の女中は黙って顔を見合わせた。
「ねぇおみっちゃん。あんた行く宛は?」
丸顔の女中、お花が手拭いで涙をぬぐってやりなから問いかける。おみつは黙って、首をふった。
「おとっちゃんもおっかちゃんも、どこにいるかわからん...」
やっとそれだけ口に出すと、またぽろぽろと泣き出した。お花はまた黙って拭いてやる。
「そうだ、おみっちゃん。浅草へお行きよ」
ふと思い出したように、お富が声をあげる。
「あたしの妹がね、浅草で小間物屋してるから頼んであげよう。どうだい、行ってみないかい?」
そりゃあいい、とお花が続ける。
「うん。お富さんの妹なら、おらたちもよぉぐ知ってるよ。そうしたらよかっぺさ」
おみつは黙って頷いた。何度も何度も、ただ頷いた。
~~~~~~
その日の夜のことだった。
横になったものの、おみつは眠れぬ夜をぼんやりと過ごしていた。
あの子は結局、誰だったんだろう。
答えのでない問いを繰り返しては、ため息をつき寝返りを打つ。
ふとおみつは、部屋のすみに誰かいるのに気がついた。
赤い絣の着物、黄色い帯。
間違いなく昼間の子供だった。
おみつが気づいたのと同時に、子供はゆっくりと這って近づいてきた。明らかに人ではないとわかったが、不思議と恐怖は感じなかった。
「守れんかった。ごめん」
頭の横にちょこんと座り、悲しそうな顔をする。
「痛かった?」
子供は言いながら、昼間、お糸に叩かれた左頬をそっと撫でる。予想に反して、手は暖かかった。
おみつは黙ったまま、首を横にふった。声を出すとこの子は消えてしまう、そんな気がしたのだ。
子供はにっこり微笑むと、ゆっくりと部屋を見渡した。
「もうここはおしまい」
ポツリと、しかしはっきり呟く。
「あんたは大丈夫。これお守り」
言いながら子供は、よしよしとおみつの額を撫でた。
おみつはそっと目を閉じた。手の温もりが心地よかった。
翌朝早く、まだ日が上らないうちにおみつは店を出ていった。
小さな背中に風呂敷包みを背負い、懐にはお富の書いた手紙を入れて。