毬は無し
おてらの おしょさん
まりは つきたし まりはなし
女の子の毬つき歌が、どこからか聞こえてくる。
ここは江戸の日本橋辺り、料亭「翠月亭」の裏庭である。
つい最近、店を立派に改築したばかりで、なかなか立派な料亭である。この半年であっという間に大きくなった。奉公人も多く、客の出入りも多く、もちろん儲けも多い。
ねこのこ かんぶくろに ほりこんで
ポンとけりゃ ニャンとなく
毬をついているのは、年は十かそこらの女の子。頭には櫛と花簪、桃色の着物に水色の帯を締め、足袋に草履履き。この家の娘らしい。
もう一人、近くで庭石に腰掛け一緒に歌っている子供がいる。やや年下らしい雰囲気だ。頭に飾り気はなく、赤い絣の着物に土色の半幅帯を締めている。奉公人のような風貌である。
「お糸のお嬢さん!」
若い女中が、廊下から声をかける。毬をついていた女の子はその手を止め、そちらを見やった。
「旦那さんがお呼びです、ちっとこっちさ来てくだせえな」
どこかよそから奉公に上がってきたのだろう、女中は訛りのある口調で早口にそういうと、そそくさと廊下を歩いて行く。
「待って...待ってお松!おとっつぁんが?何て?」
お糸は慌てて毬を置くと、女中の後を追った。
後に残された絣の着物の女の子は、転がった毬を拾うとつまらなそうに辺りを見渡した。
おてらの おしょさん
まりは つきたし まりはなし
ねこのこ かんぶくろに ほりこんで
ポンとけりゃ ニャンとなく
仕方なしに、一人で歌いながら毬をついてみるが面白くない。毬を抱えて、何をしようか考えたその時だった。
「あんた、何してんの?」
背後から突然声をかけられ、びっくりして振り返った。はずみで毬が地面に転がる。
「何してんの」
七つ前後だろうか、同じ年頃の女の子である。紺の着物に緑の半幅帯、たすきと前掛けをし、箒を持っている。
「それお糸の嬢さんの毬よ、何してんの」
きつい口調で責めるように、箒の子供は言う。
「借りた。一緒に遊んでたけど、旦那様に呼ばれて行っちゃったから」
ぼそぼそとそう言うと、うつ向いて毬に目をやった。ぽつんと地面に転がって、毬も寂しくうつ向いているように見える。
「借りたの?本当に?」
盗ったんじゃないかと言いたげな口ぶりである。
「借りただけ」
言って毬を手に取った。すぐにポンポンと二、三度ついて見せる。
「しよう」
はい、と毬を差し出す。が、両手にしっかりと箒を持ち受け取らない。
「掃除しないと」
「大丈夫」
「お嬢さんの毬だし...」
「借りるだけ」
「...叱られるよ...」
「守ってあげるから」
「でも...したことないから...」
「簡単。ほら」
ポンポン、と毬を弾ませる。手に吸い付くように、毬は跳ねる。
「...じゃあ...少しだけ」
誘惑に負けたのか足元に箒を置くと、辺りを見渡して、一度ついてみる。毬は手に返ってきた。
「上手」
にこりと笑って言われると、嬉しくなった。もう一度、今度は続けて何度かついてみる。
「おてらの、おしょ、さん、ま...りは、つき、たし、まり、は、なし」
毬つきに合わせて、にこにこしながら歌う。拙い手つきながら様になってきた。合わせる歌も、次第に滑らかになっていく。
おてらの おしょさん
まりは つきたし まりはなし
ねこのこ かんぶくろに ほりこんで
ポンとけりゃ ニャンとなく
調子に乗っていると、毬が爪先にあたり転がって行ってしまった。あっ、と小さく声をあげ、紺の着物の女の子は毬を追った。
てんてん、と小石に跳ねながら、毬は裏庭の隅の方、家屋敷の方へ行ってしまう。茂みの向こうへ行くのを、赤い絣の子供は見送っていた。
すぐに女の子の大きな怒鳴り声が聞こえた。続いて、謝りながら泣く女の子の声。重なって、肌を叩く高い音。
「この泥棒!仕事もしないで...おとっつぁん!おとっつぁん聞いて頂戴よ!」
そんな言葉を最後に、ついに女の子は戻ってこなかった。家の奥へ、連れて行かれたらしかった。
「...まりは、つきたし...まりはなし」
残った竹箒を手に取り、赤い着物の子供は、ただただ家屋敷の方を見つめていた。