噂話
朝からしとしとと降り続けた小雨は昼前には本降りになり、やがて桶をひっくり返したような土砂降りになった。
駆け出し大工の常吉は、開いた戸口から久しぶりの雨をぼんやりと眺めていた。雨が降っては、大工の仕事は休まざるを得ない。休みはいいが、これといった趣味もなく退屈だ。
そうこうしているうちに、雨は次第に小降りになってきた。そういえば丁度腹も空いてきた。
常吉はこれ幸いと、馴染みの居酒屋で昼間から一杯引っかけることにした。
雨のせいもあり、いつも賑わう居酒屋に客はまばらである。
「おーい、冷くんな」
いつもの席に腰掛け、ひとまず酒を頼む。店の奥から、うら若い女の返事が聞こえた。ほどなく冷や酒が運ばれてくると、常吉は適当に食べる物を頼み手酌で一献やり始めた。
「...しかしなんだ、随分と突然潰れたもんだな」
不意に、斜め向かいに座った客が話し出す。二本差し、どうやら同心らしい。向かいに座った男は岡っ引きのようである。
「商売ってヤツは難しいらしいですからねぇ」
「奉公人も大変だな、店は潰れるわ主は自害するわ...」
どうやら、つい最近潰れた絹問屋の話らしい。江戸屈指の大店が潰れたとあって、江戸中がその話で持ちきりだった。主が米だか小豆だかの相場に手を出し、店の金を使い込んだあげくに首が回らなくなったとか。結局、主と女将、二人の娘は首をくくったという話だった。
「いやそれがねぇ旦那。...実は見たって奴がいるんですよ」
岡っ引きは声を潜めるが地声が大きく、正直筒抜けである。なにやら面白そうだ。なるべくそちらは見ないように、常吉は耳を澄まして聞くことにした。
「下手人か?」
こちらの同心の声は、辛うじて聞き取れた。
「違いまさぁ。ありゃ自害で間違いねぇです」
「じゃ何を見たって言うんだ」
「...出ていったんですって」
「何が」
「小さい子どもですよ」
「奉公人か?」
「いやだから...もう旦那、鈍いなぁ」
次第に岡っ引きの声が大きくなる。
「座敷童ですよ、ざしきわらし!」
しん、と店が静かになる。雨音が増した。やくざ風な三人組と、町人風の中年も、思わず同心達に目をやる。
「阿呆。そんなの居るものか」
ぐい、と杯を傾け、同心はちらりとこちらを見た。常吉はあわてて視線をそらす。
「でも旦那、もっぱらの噂ですぜ。あの福富屋が一代であれだけ栄えたのは座敷童がいたからで、それが出てったから潰れたんだって」
「噂だ。そんな物が居てたまるか」
「でも今江戸中で」
「迷信だ」
岡っ引きの言葉を遮ると、同心は懐から財布を出した。
「馬鹿な事を言ってないで、そろそろ行くぞ」
代金を払うと、二人は小雨の中に出ていった。
座敷わらし、ねぇ。
そんなのがいるならお目にかかりたいや。
...いやダメだ。
商家に出るっていうからな、大工じゃそうそう見れないか...。
冷奴をつまみながら、ぼんやり考える常吉だった。