序幕
俺の人生は全て否定でできている。
どこへ行っても認められることは無い。
俺が持っている最初の記憶、それは母親からの否定。
「透馬、あなた年長さんになったのに、まだ一人でお使いにもいけないの。なんでそんなに弱虫に育っちゃったのかしら」
この記憶から、俺の否定の歩みが始まる。
小学校に入って、俺は苛められた。クラスではいつも一番背が低く、「お前はいつになっても背が伸びないな、チビめ!」が挨拶のようなものだった。
「お前に触るとチビがうつる」
そう言って、俺の周りの席のクラスメートは、俺のそばから席を離した。授業中はどこからかともなく、消しゴムを細かくちぎったものを投げつけられた。他のクラスの児童たちや、同じ委員会のメンバーたちも、いつも俺から離れた位置にいた。
「君が皆との間に心の壁を作っているから、仲良くなれないのよ」
担任の教師からそんなことを言われたこともあった。
小学六年生のとき、中学受験をした。友達が一人もいなかった俺は、これでもかというくらい、勉強をしていた。だから、通知表の結果は毎回、これ以上は上がりようがない成績だった。その成績を見て、両親は私立の進学中学校を俺に受験させた。
落ちた。受験当日、俺は緊張のせいで、お腹を下してしまった。試験中も腹痛に悩まされ、ほとんど問題を解くことができなかった。気がつくと、試験時間が終わっていた。
「なんで本番になるとちゃんとできないのかしら」
「お前は本当に気が弱いな。男のくせに」
両親から責められた。
結局中学は公立校に行った。地元の中学は世界が狭かった。『いじめられっ子』のレッテルを貼られた俺は、中学でも周りから避けられた。
高校はそれなりのレベルの公立校に行った。別に、県内でナンバーワンの偏差値の高校ではない。小学受験の失敗をトラウマにしている両親は、今度は『合格』を求め、俺が確実に入れる高校を受験するよう指示してきたからだ。
「君ならもっと高みを目指すと思っていたのに、残念だ」
受験前に、クラスの担任教師との二者面談で、俺は担任から一方的な感想をぶつけられたのを覚えている。
そう言えば、この頃だ。周りの景色が微動だにせず、ただ時間だけが過ぎていくように感じるようになったのは。
そしていつの間にか、俺は大学四年になっていた。理系の研究室で選んだ卒論テーマを、教授が「つまらない」と一蹴した。
俺は最低の成績で大学を卒業し、気づけばフリーターになっていた。
そんな俺を両親は嘆いた。
「なぜ自分達の子どもが定職に就けなかったのか。まさか自分達の子どもが、フリーターになるなんて。期待を懸けただけ損だった」
両親は、俺が実家に戻ることを拒絶した。俺は実家からできるだけ離れ、家賃が安い築四十年の二階建てアパートの一室で、密かに暮らすことにした。
昼間はスーパーのバックヤードで魚をさばき、夜はコンビニでレジを打った。スーパーでは「下手くそな野郎だ」と上司から蔑まれ、コンビニでは「会計が遅い」と客に怒られた。
それが毎日繰り返された。否定から生まれた、今の俺。時間が過ぎるのを、ただただ見送るだけの俺。
そんな俺のたったひとつの楽しみ。毎週月曜日の午前二時から放送されるラジオ番組。パーソナリティーとリスナー達が、メールと電波を使って会話をする番組。この番組に俺が投稿したメールは、毎回必ずパーソナリティーが読んでくれる。そして俺に言葉を返してくれる。
俺のメールを、このラジオ番組は拒否しない。そのことを知ったとき、久しぶりに嬉しさと楽しさが、俺の中で蘇った。俺はそれ以来、この番組のヘビーリスナーとなった。
今日は日曜日。今日の仕事が終わってアパートへ戻ったら、すぐにラジオをつけよう。絶対に、聞き逃さないように。