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恋想迷妄(レンソウメイモウ)

作者: 黑田貓丞

 酷暑の盛夏。八月も中旬を迎え、太陽は憎いくらいにギラギラと紫外線を降り注ぎ季節通りのはずが、戦況は引っくり返り瞬く間に鉛色の黒雲に追い詰められる。

 ――季節外れの豪雨。

 畳み掛ける大雨のザーという激しい音に、建物から滴るピチャピチャという音が混じる。

 休日の大学の食堂には人っ子一人居ない。普段は中庭に居るのだが、今日はたまたま中庭の直ぐ左手の食堂に入ってみた。ガラスを流れ行く突然の雨を眺めながら、正解だったと思う。

 誰も居ない、人気のないしんとした構内で、私はコーヒーを啜る。いつもなら甘いカフェオレなのに、今はコーヒーの苦味が欲しかった。

 必要以上に苦味を噛み締めるように含み続け、ゆっくりと飲み込む。

「……にが」

 ぽつりと、呟く。私の独り言を聞く者は誰も居ない。

 何となく、鞄から写真立てを取り出した。可愛らしいデザインでもない、格好いい彫刻もない、銀色の、無機質で味気ないもの。

 その中に収まる私は、幸せそうに笑っていた。

 その隣に映るあの人は、ドヤ顔で顎をしゃくらせ、腕を組んでタチの悪そうな笑みを浮かべている。私の、先輩。共にサークルでお互いを高め合った仲。

 あの超人は殺しても死なない。それが仲間内での先輩への認識だった。

 無茶で無鉄砲でチャレンジャーで。誰もが驚くことを唐突に実行する。有り得ないほど、飛び抜けたことを。斜め上の、発想を。

 死んだかと思ってたら、歪んだ笑みを浮かべたいつものタチの悪そうな顔でヘラヘラ笑って生きて戻って来る。だから、誰も心配しなくなった。

 ――どうせ、またヘラヘラ笑って帰って来る。

 その認識を裏切ることがなかった先輩。当たり前のように居た先輩。

 そんな先輩は、あの日、言った。

「私は今月中に死ぬかも知れない」

 笑った。

 皆、笑った。

「ま、気長に待ってるよ」

 そんな台詞を返した皆。先輩は笑っていた。あの性悪そうな、澄まし顔に悪党面で。

 手を振って、

「さらば」

 と言った先輩。

「またな」

 と返した皆。

 それはいつも通りの日常で、それからいつも通りの日常を過ごし、いつも通りの日常の中に、先輩はいつものように帰ってくる――はずだった。


 帰らなかった。


 裏切られた認識。当たり前なんてものはあるはずもなく、当然の日常なんていつか突然壊れるものだと、分かっていたはずなのに。分かっていなかった。

 幼い頃から、いつ死ぬとも知れないと言われていた、未知の持病。医者にも分からず、博士さえ知らず、何億人に一人という稀有な発症率の低さだけが分かっている、未到の病。

 その極稀な確率に選ばれてしまった先輩。

 見た目に変化は表れず、体内を蝕む悪疾な病。だからこそ隠すには都合が良くて、先輩は最後まで何も言わずに消えていった。

 ……いや、先輩は言っていた。

 ――私は今月中に死ぬかも知れない。

 最後の、サイン。

 それを笑って流してしまった、私達。当然で、最低で。必然で、最悪だ。

 ちゃんと言ってくれなかった。話してくれなかった。いつも一緒に居た、私にさえ。

「…………」

 細かい傷がたくさん付いた写真立てを、窓の近くに置いて、私は立ち上がる。

 コーヒーはほとんど残してしまった。やっぱり私には甘いカフェオレが合っている。

「じゃあ、またね」

 私は写真の中の先輩にそう言って、雨音だけが響き渡る食堂を後にした。



 あの時、「さらば」と言った先輩。「またな」と答えた皆。

 先輩は別れを告げて、

 私達は再会を告げた。

 気付かなかったし、気付けなかったし、気付こうとさえしなかった。

 当然の帰結、必然の結末。

 あの無茶ぶりは、無鉄砲さは、チャレンジ精神は、いつ死ぬとも知れない闘病生活の中で、先輩が“生”を存分に楽しもうとした結果なのか。はたまた、いつ死ぬとも知れぬのだから今死んでも構わないと自棄的に暴れていたのか。先輩がいなくなってしまった今、知る手立ては無い。


 私は、歩く。先輩に別れではなく、再会を告げて。その長い階段を、上り続ける。

 冷たい雨が心地好くて、嗤った。

 あの人に恋をしていたのか、単に先輩として好きだったのか、私には到底判断できなかった。



「やあ、君かい。来てくれると思った。ずっと呼んでいたんだよ」

 ただ、私はずっと会いたかった人と再会を果たすことが出来たのだ。

 目覚めた真っ暗どころか、真っ黒な世界。そこに先輩は居た。

「それでなんだが、早速“人員集め”をしないかい? 何、二人じゃ寂しいだろうからね。ほら、私が君を呼んだように君も……ね?」

 最悪の言葉と共に、差し伸べられる手。

「……ええ」

 それに知らず知らず歪んだ笑みを浮かべて答えた私は、ゆっくりと、先輩の白く繊細な手を取った。



「ほんと怖いわねぇ……。健全な子がいきなり……」

 とある家庭。頭部の後退した男性が晩酌をしている中、白髪混じりの女性は夕飯を運びながら呟く。

 テレビ画面に映るアナウンサーが早口に、最近起きた事件について語っていた。

「女子大生は、“先輩が居る”、“仲間を増やす”など意味不明な台詞を呟き、同じ大学の学生ら二十人を刺し殺したと――」



‐E N D‐

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