不完全性理論
7.
僕は飛び出した。
窓を蹴破った。
走った。
駆け抜けた。
科学者が何か言っている気がしたがそんな物は知らない。
呼吸は忘れた。
痛みは無くした。
危機意識は飛んでいった。
赤信号を無視した。
車は飛び越えた。
建物は壊した。
僕には遮蔽物など無意味だ。
僕は最短距離を行く。
振るう。
壊れる。
疾駆する。
聴覚は心臓の鼓動に支配される。
刻まれるそのビートとシンクし回転数をあげる僕の脚。
感覚などない。
寒くて汗が噴き出る。
熱くて白い息が漏れる。
瓦礫に脚をとられ、転んだ。
痛くは無い。
痛くなんか無い。
頭を支配しているのは彼女だけ。
家に。
家に帰らねば。
確認しなければ。
少女。
お前は今、どこに居る。
家に着いた。
ドアを開けて、家の中に入る。
靴を脱ぐ時間がもったいない。
扉を閉める時が惜しい。
頭を少女が占める僕。
そんなに広くは無い家だ、直ぐに確認できるはず。
――一階。
リビングには居ない。
まぁ、そんな結末では、僕の走りが無駄になる。
――キッチン。
夕食の準備の途中だったようだ。
足りない食材でも買いに行ったか?
――和室。
居ない。
少女はあまり使わなかった部屋だからな。
――トイレ。
居ない。うん、居ない。
――風呂。
居ない……別に変な趣味とかではない。
――二階に昇る。
まだ大丈夫だ。
未だ。
――僕の部屋。
勿論居ない。
でも、未だ……どこかに……。
――物置部屋。
ダンボールしかない。
未だ、未だ、、、
――最後の一部屋。
少女の部屋。
無意識に、確率の最も高い部屋を後回しにしたのか。
そして、やはり。
そこには、影も形も気配も音も姿も色も匂いも何も無かった。
少女は居なかった。
さて、先ずはどこに行くべきか。
研究室を飛び出してきた時よりは幾分落ち着いた。
やはり、誘拐されているとしたら、場所は犯人の拠点である廃ビル。
これは行く以外の選択肢が見つからない。
さぁ、向かおう。
……いや、これは表現に少し間違いがあったな。
僕は既に、走り出していた。
目指すは廃屋。
少女を取り戻しに。
8.
――着きました。
廃ビル。
……ビルというより工場跡のほうがしっくり来るな。
ここに、少女がいれば取り戻す。
居なければ、一安心。明日になれば帰ってくるだろう。
先ずは深呼吸。
落ち着いて、探さなければ。
スー、ハー。
スーー、ハーーーー。
吸って、吐く。
肺胞全てに、窒素80%酸素20%で組成された気体を流し込む。
呼吸で生成した二酸化炭素を呼気に混入させて体外へ押し出す。
そんな作業を繰り返し、繰り返し、歩む。
一歩一歩ビルに近づく。
酸化鉄(Ⅲ)でコーティングされた、赤茶けた色の扉を開く。
そして僕は、不協和音を奏でながら開いた扉の内に入る。
暮れてきた外から一転、建物の中は薄暗く、ここだけ夜が訪れているようだ。
一階には誰も居ず、ただただ鉄の匂いが充満していた。
二回を目指し僕は、朽ちた階段を昇る。
落ち着け、僕。
「――仕事だ。コレは仕事だ。――」
軋む音と僕の呟きが響く。
そして螺旋の先には硝子の嵌っていない窓があり、西日が射していた。
黒い二つのシルエットは……男と少女。
「あ?何か、音がするぞぉ?何だ何だ?Honey、何だと思う?」
逆光で顔が見えない男がこちらに振り向いた。
……今時、Honeyは無いだろ。
「お!お客さんだ。……男か。」
そこまであからさまに落胆するなよ。
「僕は君を殺しに来た。そして……そこの少女を連れ帰りに来た。」
「それは、無理だよ。だって俺様、この子を『魅了』しちゃったから。」
「『魅了』ね。。。そんな事はどうでも良い。とりあえず、奪う。」
「それが無理なんだよねー。」
だよね?
と、男は少女に問う。
「はい。私はあなた様の奴隷にて御座います。」
様子がおかしい。
目に光が無い。
意思が無い。
「『魅了』――異性を無条件に”支配下に置く”能力――だよ。」
「はい。。。あなた様。」
言葉に、感情が籠っていない。
「俺様の能力。感情、意思を剥奪する魔性の能力。どうだ?最強だろう?」
貴様に女の子を救えるとは到底思えないけどな。一般人。
そう吐き棄てる変態。
でも僕は一般人ではない。
というか人ではない。
人以外と共に”人類の集合的無意識が顕現している人でなし”を狩ってきた人未満だ。
舐められても困る。
「もう一度、伝えよう。僕はあなたを殺す。死を持って罪を贖え。」
「罪?ああ、今までの子達の事か。仕方ないよ、だってあの子達はさ、俺様の事嫌いになっちゃったんだもん。」
は?
「嫌われたから……殺した、と。」
「折角この俺様が気に入ってやったって言うのに、泣き出しやがるんだ。仕方ない。」
うん……?
今、この変態自分で自分の弱点を公言しなかったか?
変態で阿呆なのか?
「大丈夫、僕が解いただけだから。いや、恋愛って意思が無いと面白くないでしょ。だから、そろそろ俺様の良さが分かってくれたかなー?って所で解放するんだけど、逆に嫌われるんだよね。俺様を嫌うなら死ね。っていう。」
逆光で見えなかったが、どうやら窓枠に立掛けて在ったらしい日本刀を手に取った。
「俺様の得物だ。さ、かかって来い。早くHoneyと甘い時間を過ごしたいんだ。」
「……良いだろう。僕の得物はこの口だ。この舌が僕の得物だよ。」
「はっ、死ねよ。」
日本刀を振り回す変態。
その切っ先は確実に頚動脈を断ち切らんと襲い掛かる。
視力だけには自信のある僕はその凶刃を回避する。
「一方的な恋。迷惑以外の何者でもありませんよ。」
「迷惑?知った事じゃないね。」
「あなたの押し付けがましい行為は誰も幸福にしない。」
「俺様が幸せならそれでいい。」
「では、あなたはその抑制から成る”恋愛ごっこ”で満足してるのですか?」
「してたら人なんか殺してねぇよ!!」
「では何故その力を使うのですか?」
「便利だからだよ。確かに、本物では無いかも知れないが、本物に変わるかもわからないだろう!?」
魅了。即ち――相手に好かれたいという願望の象徴――。
「充たされない思いを永遠に抱えて生きるというのですか、その力故に。」
「はっ、何を。たとえ充たされなくても思いを抱えながら生きるほうがよほど人間らしい。」
「人を殺した時点で既に人であることを放棄したも同然です。」
飛び回る僕。
まだ、刺斬花は使えない。
万が一でも見切られてしまえば、コチラの負けだ。
「お前も”こっち側”の人間か?」
「”こちら側”は害悪を為す物ばかりだ。人とは呼べない。」
「そうかい?でも一般人には無い”力”を持っているんだ。高等種族だぜ、俺様たちはよ。」
「人間なんかよりハイエナの方がよっぽど高等だ。立場を弁えている。」
「よく言うぜ。お前も立場を弁えて殺されたらどうだ?」
「あなたこそ、少女を返してくださいよ。」
「それは出来ない相談だな。」
日本刀が踊る。
軽い口調と確かな剣筋。
その上に、西日が剣に反射して眩しい。
そろそろ身が持たなくなってきたな。
あの刀……壊すかな?
手を腰に伸ばす。
腰に括り付けた刺斬花を取り出そうとした。
「……ん?」
俺様男の刀の動きが止まる。
「何をしようというんだ?」
「その刀、邪魔なので破壊させて頂きます。」
「はぁ?何言ってんの?」
男は大笑しながら、言う。
「この刀はただの鋼じゃねえ。強度は鉄鋼の比じゃないぜ。」
「いえ。硬さは関係ありません。」
僕は抜いて、右手首を捻った。
「何を……?」
僕の右手から放たれるのは、日を反射して赤銅色に煌く軌跡。
空気を斬る冷たい音と共に刀は脆く、崩れ去った。
金属片が散らばる。
砕かれた粉末は宙を舞い、陽を浴びて落ちる。
さながら、ダイヤモンドダスト。
「……ふーん。能力は『破壊』か『破砕』かそこらか?」
「いいえ。僕は確かに欲望が顕現していますが、あなたを殺すのは僕の能力ではありません。あなたを殺すのは、僕です。これは仕事で、私怨なのですから。」
「そうか、だが。俺様は死なない。俺様は確かな愛を得るその日まで、死なない。」
そう言うと、彼は少女を盾にした。
右手には拳銃。
勿論、撃鉄は起きているし、安全装置は外してある。
「俺様は死なない。こうして生き延びるのさ。」
そうだった、彼は一方的に関係を終わらせる事の出来る人物。
人質程度、考慮してしかるべきだった。
「これでもう、手は出せまい。」
だが僕には、彼の終わりが見える。
確実な死を迎えるビジョンが。
視える。
「さぁ、どうする殺し屋。今なら逃げ帰っても赦してやるぜ?」
「それはこちらの台詞です。今なら、懺悔の言葉を述べる時間を与えましょう。」
「この女の子を傷付けずに、どう俺様を殺すつもりだ?」
「死なないのはあなたじゃない。少女だ。」
僕は、視た。
彼の欠陥がどこに在るのか。
僕は刺す。
僕は突く。
僕は殺す。
「だから僕はこうするよ。」
見る診る観る看る……『視る』。
その罪の根源を。
根本的に根源を脅かす情状酌量の余地無き文字通りに致命的な欠点、即ち――欠陥――を。
『視えた。』
左の脇腹に二重になって視える、交点。
「その罪を見つめながら、崩壊しろ。罪人。」
僕は、刺斬花を振るった。
遠慮無く。
躊躇無く。
「なっ。。。なんだって!?」
少女ごと。
僕の振るった凶刃は、狂い無く目標に向かって飛翔した。
少女の肩と男の左脇腹を貫通した。
「な……こ、これは?――
――なんなんだ?俺様は一体何を……
――違う。
――探求するという行為が何故罪に問われる?
――俺様は、、、忠実に生きていただけ。
――どうして?
――愛されたいんだ。
――俺様は何時になったら、誰かから好意を向けられるようになるんだ?
――わからないだろう。貴様には。
――この力はどんな女をも捩じ伏せる。それが女でさえあれば。
――百人が百人俺様に従う。
――従順だ。
――盲導犬なら高く売れただろう。
――でも俺様は人間だ。
――乾いた心に濁った瞳、無機質な声なんか欲していない。
――そんなものだったら空想世界に逃げ込めばいくらでも手に入る。
――でも俺様には確かに一つ。能力があって。
――それは一見、便利そうで。
――でもこれは、使えば使うほど虚無感だけが残る呪いで。
――でも、俺様は渇いていた。
――どうして現実が遠いんだ。
――欲せば離れていく。
――ずっとそうだった。
――いつかは得られると思っていたのに。
――誰か、俺様の事を理解してくれる人がいるって信じてきたのに!!
――なぁ……
――何故?
――何が間違っていたって言うんだよ!?」
「僕に顕現した願望は欠陥視。あなたの、存在としての欠陥を突き崩す。」
正誤など些細な話だ。
「あなたは殺された。これ以下でもこれ以上でも無い。ただそれだけの話です。」
僕は単にあなたを殺したいだけなのだから。
少女を取り戻すために……待て。
今、何か違った。
違う。
圧倒的に絶対的に違う。
何かが違う。
何が違う。
心を侵すように欠点を意識上に浮上させた。
異常なし。
心に罅が入った。
いつも通りだ。
男に刺斬花を。。。
違う。
…………。
ありえない。
ありえない。
ありえてはいけない。
崩壊点が二重になって視える。
それは。
それは、崩壊点が二つ存在することを意味し。
一つが男の物ならば、もう一つは。
即ち、少女の物。
少女がバタリと……
9.
僕は、少女へと駆け寄った。
うつ伏せに倒れ臥している少女に。
夕日を浴びて橙色に染まった少女に。
僕は問いかける。
「大丈夫か?」
大丈夫な訳無かった。
金属の細い糸が貫通した少女の左脇腹からは、紅の液体が噴き出ていた。
「……」
どうして?
何故だ?
わからない。
わからない。
わからない。
わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない
「不死身だろう。治って、治ってよ。早く。あのぐしゃぐしゃになった時みたいにさ。どうして?どうしてまだ溢れてるんだ?なぁ。はやく笑ってよ。」
「無理です。なんか、治りません。」
能力の消失。
聞いたこと無い。
でも。と少女は言葉を続けた。
「私の望みは叶いました。これでようやく死ねます。」
「待てよ。どうして。どうしてなんだ!」
「……少年さん。初めて声を荒げましたね。」
少女の口は微笑をたたえ、紅に濡れた。
「私は不死身で、死にたくて。でも死ねなかった。」
「やめろ、黙ってくれ。これ以上喋ったら本当に死んじゃう。」
「もう手遅れですよ。」
段々と暗くなる空を背景に、少女は語る。
「私は少年さんに欠陥を貫かれたのですから。」
絶対の殺害能力。
そこには偶然の入り込む余地が無い。
内側から命を削る、その能力を得た代償は……。
「短い命の人は不老不死に憧れる。不老不死の人は短命ゆえの命の輝きに惚れる。
悲観的な人は人を殺したがる。生来の殺人鬼は人を愛したがる。
人生は上手く出来ていますね。」
そうだった。
僕は。
僕が。
一番最初に殺したのは、両親だった。
覆水盆に返らず。
二の轍を踏む。
犯した過ちは取り返しのつかない物だった。
「僕はまだ、君と過ごしたかった、笑いたかった、遊びたかった。なのに。」
「そう落ち込まないで下さいよ。いつものブラックユーモアはどこに行ってしまったんですか?」
尚も少女は、笑みを崩さない。
「あなたは、私におびえなかった。あなたは、私を迫害しなかった。あなたは、私に優しかった。あなたは、わたしを助けに来てくれた。あなたは、わたしを……理解ってくれた。
とっても、とっても短かったけど。私は。」
とそこで一呼吸おいた。
咽た。
気管に血が入ったらしい。
「……っく。」
その姿を見て僕は不覚にも、笑ってしまった。
すると少女は、笑みを浮かべ、言った。
太陽が地平線上に沈んだその瞬間に。
「私はあなたと過ごせて幸せでした。」
――――大気を震撼させる慟哭の声が響く――――
その口からは、声と形容するには荒々しすぎる”音”が溢れ出る。
その両眼からは、透明の液体が湧水の如く滴り落ちる。
その両手には、温度を消失した骸を抱えて。
廃屋の二階に座り込み、慟哭する。
すべてを振り絞って。
まるで、失っていた感情を取り戻したかのように。
いままで叫ぶはずだった声全てを叫ぶかのように振り絞る。
いままで流すはずだった涙全てを流すかのように迸らせる。
声が嗄れ、涙が涸れたとき、少年は鬼となる。
復讐の、鬼となる。
少年はおもむろに立ち上がる。
夜は明けていた。
窓が入っていない窓枠から、青い空へと飛び降りる。
と同時に、廃ビルが倒壊した。
飛び降り様に放った、刺斬花での一撃で。
無傷で着地した少年は、瓦解するビルを尻目に歩き出す。
その足は、直ぐ傍にある住宅地へと向かっていた。
と。まだ少年が敷地を出ない内に、誰かが立ちはだかった。
誰かは問う。
「お前、壊れたろ。」
それは白衣を着た、科学者だった。
「……。」
科学者の崩壊点は右肩。
狙い済まして、放つ。
「やっぱり狙ってきたか。」
平然と立つ。
迫る死を畏れていないかのように。
「無駄だよ。」
刺斬花が襲い掛かり、科学者から約1mの距離で跳ね返った。
「新作、『強制指向』だ。レールガンの原理を応用した電磁結界。刺斬花が導体である限り、強制指向を破る手段は無い。」
科学者は白衣の右ポケットから黒い球体を取り出した。
「これから半径1mにある導体は、ローレンツ力によって外側に弾き飛ばされる。」
そして、と科学者は続ける。
少年は無言で凶刃を振るう。
またも届かない。
「お前はもう、人未満では無くなった。ただの人だ。
いままでのお前は殺人鬼であり、人未満だった。
しかし、お前は既にただの人だ。
お前のパートナーが死んだことは忍から聞いた。お前の声は研究所まで届いたぞ。
無感動で無感情に殺すお前はいなくなったんだ。
感情を持ち、愛を知ったお前は人間だ。
良かったじゃないか、ようやく昇格出来たな。
その一方で私は、能力を持つ人間を殺すことこそが仕事だ。解ってはいると思うがな。
お前の力は害がありすぎる。現に、お前は住宅街へと向かっていただろう。
だからわたしは、お前を殺しに来た。
実に残念だが、此処でお別れだ。」
少年は未だ無言で、刺斬花を振るう。
「成る程。間接的に攻撃するというわけか。」
根元から折れて倒れてくる電柱を余所に、科学者は佇む。
「しかし、レールガンを応用したと言ったろう。聞いていなかったとは。減点だな。」
科学者は、左ポケットから10円玉を取り出し、親指で電柱に向けて飛ばした。
「本当は拳銃が欲しかったんだがな。ま、試験運用だし仕方が無いか。」
跳ね上がった硬貨は科学者から1mの所で急加速、最早肉眼では確認出来ない速度で、電柱に衝突した。
頭上で粉々に割れる電柱。
落ちてくる破片は塵の様だ。
それも当然、運動エネルギーは速度の二乗に比例する。
では、速度が100倍になれば?
――エネルギーは1万倍だ。
高圧電線は弾き返されて、跳ね上がって科学者の背後に落ちた。
「無駄だと言ったろう。聞き分けの無い生徒はあまり好きじゃないんだよ。」
血走った眼で見返す少年。
「悪いが、死んでもらう。」
左のポケットから出てきたのは大量のパチンコ玉。
「散弾だ。ま、時速は500kmを超えるだろうがな。」
パチンコ玉は目の前にばら撒かれると、やはり1m地点で全てが一直線に少年へと飛んでいった。
一瞬で到達する弾。
少年が移動する時間も、刺斬花で打ち砕く暇も与えない。
少年が最期に見たのは、彗星のように、空気との摩擦で燃えながら飛来する弾丸の、赤い軌跡だった。
10.
研究所に帰ったわたしはソファーに寝そべった。
そして思う。
実に後味が悪い事件だったな。と。
わたしの責任もあるところが余計に後味の悪さを増している。
当事者が皆死んでしまって真相を知るのは、最早わたしと忍だけ。
少年の「欠陥視」。
それは欠陥を視る能力じゃなかった。
欠陥視というよりは、「欠陥投影」か。
視た相手に自分の欠陥を投影し、反映させる。
そうでないと「完全」の能力を持つあの女の子が死ぬわけが無い。
そうすればあいつの欠点の多さに、否。
”欠陥”の多さに説明がつく。
突然だが此処で、金属の話をしよう。
通常の金属は一定の法則に従った、秩序ある並び方をしている。
しかし、この構造には勿論欠陥がある。
完璧なものなどこの世には無いのだから。
格子欠陥と呼ばれる、原子の欠如。
その欠陥により金属の”弱さ”が出来上がる。
電気伝導率、熱伝導率、強度、錆易さなどという特性だ。
一方、アモルファスというものがある。
非晶質。
液体金属を急速に冷却、固体にした時にも起こる現象。
結晶構造をとっていないまま固体になるので、原子の並びが無秩序となる。
これを人間になぞらえると。
金属・・・一般の人間。
理想的な金属・・・女の子。
アモルファス・・・少年。
となるわけだ。
一番上の説明は省くとしよう。
普通に強く、普通に弱いだけの一般人だから。
理想的な金属。
これは、格子欠陥の無い金属を示す。
故に、”弱さ”が無い。
但し、留意すべき点は『弱さが無い=強い』では無いことだ。
実際あの女の子は攻撃手段を持たなかった。
しかし、弱さが無いことは強みにはなりうる。
彼女の不老不死はその”弱さが無い”ことの具現なのだろう。
欠陥が存在しない故に、死ぬことはない。
アモルファス。
前述したとおり、無秩序な状態の固体。
秩序ある中の異分子は、ただ弱さとなるだけだ。
しかし、全体が無秩序である場合は“無秩序”という状態がそのまま“秩序”となる。
“全体が無秩序である”という秩序が生じる。
ここでは偶然と混沌すらも調和した秩序に取り込まれる。
即ち、結果的に”全体として欠陥が無い”ことになる。
少年の能力は――仮定だが――恐らく「欠陥投影」。
『自分を理解して欲しい』という思いの顕現。
非晶質になぞらえられるその欠陥の一つ一つを、相手に投射する。
八つの枢要罪と対応させると。
物理的な破壊の場合は”虚飾”若しくは”傲慢”。
両親殺害のときは”強欲”と”憤怒”。
新聞に載った件は恐らく”怠惰”。
そして、今回。
女の子を殺したのは”愛情”だ。
八つの枢要罪以前の根本的に根底的なもの。
愛。
それは強さだ。
何かを守るために出す力は、攻める力よりも格段に強くなる。
それは弱さだ。
想うことで縛られ、制限される。
考えてみれば事の顛末はとても簡単だった。
少女は”愛”し、弱さを手に入れた。
「完全」は不完全となり、死んだ。
少年は”愛”し、強さを手に入れた。
”無秩序による秩序”は崩壊し、死んだ。
少女に自分の”愛”という欠陥を映してしまったことで、少年は自分の”愛”という欠陥に気付いた。
”愛”を手に入れた。つまり、強さを得たことになり、秩序を手に入れたことにより、死んだ。
愛し合って、理解し合って。
……。
「忍。今回もありがとう。」わたしはソファーに寝転がりながら言った。
この事件を思い返すと、それ位してやってもいいのかな。なんて思えた。
忍は目を丸くして。
「今、紅茶淹れますね。」と微笑んだ。
わたし達の平穏もいつかは崩れるのだろうか。
”憂鬱”だ。
わたしも、少年に殺される筈だったのだろうか。
――愛を知り、少年と少女はこの世を追われた。
――殺人鬼と不死身はエデンの園を失った。
それは、殺人少年と不死身少女の原罪だった。――
「殺人少年と不死身少女」……「完」