本当の理由
「いちご、一体どこにいるの?」
三十歳になる桃子は、今にも泣き出しそうな顔でショッピングセンター内を探し回っていた。三歳の娘のいちごが、突然いなくなってしまったのだ。
今日は、バーゲンセールがあちこちの売り場で行われているため、ついつい娘から目を離してしまった。
いちごは人懐っこい子なので、どんな人にも簡単について行ってしまう。先月は、パパに似た人の後を、駐車場までずっと追っていったという事があった。今回も、きっとそうなのだろう。
桃子は売り場の人に頼み、アナウンスでいちごを呼び出してもらった。だが、五分たっても十分たっても娘は現れなかった。
「必ずお子さんを見つけます」と店員が励ましてくれるが、ちっとも気休めにはならない。いち早くいちごを見つけようと、売り場のあちこちを見回す。
その時、桃子のケータイが鳴り始めた。誰かがいちごを見つけてくれたのかもしれない。いちごには、桃子の電話番号が書いてある名刺を持たせているので、それを頼りに連絡してきたのだろう。
「はい、もしもし」
桃子は、すがりつくようにケータイを手に持って耳にあてた。
「桃子さんですか? 娘さんは私の所にいます」
男の人の声を聞いて、桃子は安心してへたへたと床に座り込んだ。やっぱり知らない人について行ったんだ。ほっと胸をなでおろす。
「すみません。ありがとうございます。今どちらにいるんですか?」
「五百万円を用意してください」
男の信じられない言葉に、桃子は顔が引きつった。
「こ、これってもしかして誘拐……?」
心の声がそのまま口から出てきた。
「そうです。明日の十五時にお金を持ってきてください」
そうして、男はある場所を指定した。郊外にあるホテルだった。桃子の額から冷や汗がにじみ出てきた。
「いちごは無事なんですよね?」という桃子に、男は電話を替わった。いちごのあどけない声が聞こえてきた。
「い、いちご大丈夫? 縛られたりとかケガとかしてない?」
「うん、お兄さん優しい人だよ。お菓子をたくさんくれたの」
パリポリという音がしてくる。なんだか娘は楽しそうだ。とりあえず命の心配はないだろう。
警察には言うな、という男の言葉を忠実に守り、桃子は家へと超特急で車を飛ばして帰った。確か金庫に一千万円くらいあったはずだ。
桃子はお金を取り出し、一枚一枚数え始めた。もし一枚でも少なかったら、いちごの命はないに違いない。
二十分後、テーブルに百万円の束が五つ出来上がった。娘の命と比べれば安すぎる金額だ。
翌日、桃子は一時間早く目的の場所についた。彼女の目の下にはくまができている。左手には、お金が入ったバッグがしっかり握られている。
なるべく警察に情報が漏れないよう、単身赴任中の夫にも誘拐の事は知らせていない。一刻も早く娘を取り返すことが第一だ。
夜遅くにかかってきた電話で指定された番号の部屋へ向かい、ノックした。静かにドアが開く。
中に立っていたのはウルトラマンのお面をかぶった男だった。身長は百七十センチくらいだろうか。
「どうぞ。入ってください」
男は桃子を中へ引き入れた。勝手にドアが閉まる。
「あ、ママだ!」
ベッドの横にある丸イスで、いちごがポテトチップスをほおばりながら、大きなくりくりした目でママを見た。口の周りには食べカスがいっぱいくっついている。
桃子はバッグを落っことして駆けより、娘を抱きしめた。いちごは、なぜママが泣いているのか分からず困惑した顔をしている。
「ねえ、ママどうしたの?」
ママは、良かった良かったとしか言わない。ますます訳が分からなかった。
「桃子さん……」
男の声に、桃子は振り返った。すると、男は突然彼女を娘から引き離し、ベッドへ仰向けに押し倒した。
「何するんですか? 条件は満たしたはずです!」
起きあがろうとする桃子に、男は馬乗りした。そしてお面をとる。
「あなたは……」
桃子は、男に見覚えがあった。五年前に別れた彼氏だった。
「そう、オレだ桃子さん。今の旦那さんに君をとられたオレなんだよ。君がよく行くお店で見張っていた甲斐があったな」
「わ、別れたのは、あなたの酒癖が悪いからで……」
うるさい! と男は怒鳴った。いちごがビクンと体を震わせる。男は懐からナイフを取り出した。
「悔しかった。あれほど愛していたのに。別れてから生きてる心地がしなくなったよ」男は続けた。「夫がいなくなっても、どうせ君はオレにはついて来ない。だから、君を殺してしまおうと思う」
男は桃子の口を片手でふさいだ。桃子が目を大きく見開いてうなり、手足をばたつかせて抵抗する。
男は無言で、桃子の左腕を刺した。「ギャー」というくぐもった悲鳴が部屋に響く。
「一回で命を奪ったりはしないよ。いたぶっていたぶって苦しませてから、ゆっくりと息の根を止めてやる」
桃子は両手足を何回も突き刺され、十五分後に致命傷を与えられた。
ふー、と息を吐き、男は桃子だった“モノ”から飛び降りた。彼女の顔を見てほくそ笑む。そして胸に刺さっているナイフを、力任せに抜き取った。
「さて、この子をどうしようか……」
ナイフに付いている血を振り払いながら、部屋の片隅にいるいちごを見つめた。いちごは、ママの悲鳴を聞いて丸くなり、ぐすんぐすんと大粒の涙を流している。
男はナイフをギュッと握りしめ、ゆっくりと歩を進めた。
決してお子さんから目を離さないでください。