ACT.5『black&moon』
ACT.5『black&moon』
何処か、遠くへ。
それが叶わないのなら、君の側へ。
口元の傷が痛む。
指でそっと触れてみる。痛む部分がさっきより広がってる気がした。
痣にもなっていたから、当分治りそうもない。
警察署の入り口に続いている階段に座って、おとなしく迎えが来るのを待つ。
涼しい風が俺の髪を撫でていく。
「…雄平おせぇ」
振り返って少し上に目をやると、『十條南警察署』という文字が目に入ってくる。
目線を少し下げると、警察署の玄関横に制服警官が立っている。
腕を後ろに組んで、背筋を伸ばし、ジッとこっちを見てる。
バチコーン目が合ってしまった。
“こいつこんな所で何やってんだ”
明らかに目がそう言ってる。
さりげなく目を反らしておいた。
ジャケットから携帯を取り出して時間を確認すると、時刻はもうすぐ二時。
携帯をしまうと何となく空を見た。
星一つ出ていない漆黒の空。
なんか、今の俺みたい。
真っ黒で、何にも染まらなくて。
だけど、視界の端に映る三日月の様に確なものが一つだけあって。
俺はそれから逃げるんだ。
膝に顔をうずめて、何も考えないようにする。
頭の中がうるさかった。
――――――透…。
どのくらい時間がたったのか。
しばらくそうしていると、キィ――!というブレーキ音がすぐ側でして、慌てて顔を上げた。
自転車にまたがったスウェット姿の雄平がそこにいた。
少し息が上がってるみたいだ。
とばしてきてくれたんだろうな…。
「…ありがと」
そう言って立ち上がると、
「お前も!今度ぜってーなんかおごらせてやる」
と、力強く言われた。
「"も"って何だよ、"も"って」
あたり前だけど、深夜の道はほとんど人がいなくて、静かで、雄平のこぐペダルの音が妙にはっきり聞こえる。
俺は雄平に背を向ける格好で自転車の後ろに乗って、視線を上げてずっと月を見ていた。
月が追ってくる。
お互いずっと黙ったままだったけど、先に口を開いたのは雄平だった。
「お前なにやってんだよ」
返す言葉が見つからない。
「聞いてんの」
「聞こえてる。…悪かったよ、こんな時間に」
これは本音。
「別にそれはいいんだって。……顔の傷」
「ああ、これ?もう、ほんと綺麗な顔が台無しだよなー」
「ばか」
雄平の大きな溜め息。
真剣にそう言われると、ズキッとくるものがあるんですけど…。
思考回路を数時間前に戻す。
「だから…クラブで女と遊んでたら、わけわかんねーダサい男が絡んできて、うざいから無視してたらいきなり殴ってきたんだよ。
だから俺も殴り返したら相手が気ぃ失って…てか、俺そんな強く殴ってないし」
「いや、お前は昔から力の加減を知らない…」
雄平を無視して俺は続ける。
「で、誰が呼んだのか知んねえけど警官がきて俺だけ連れて行かれたの。俺だけだよ!?おかしくねえ?!先殴られたのこっちだし」
「いや、相手のびてるから…」
気がつくと静かな住宅街を抜けて、大通りに面する交差点に出ていた。
信号待ちなのか、雄平は自転車を止めている。
まばらに車が行き交う。
「お前なにやってんだよ」
「は?」
雄平はさっきと同じ言葉を口にした。
デジャビュだ。
考え込む俺。
「クラブで女と遊んでた、って。由香子ほったらかして何やってんだよ」
またまた返す言葉が見つからない。
雄平の言ってる事は正しいから。
「今までとは分けが違うんだよ。知らない、関係ない女じゃねぇだろ。透の友達だろが」
由香子の顔が頭によぎる。
嬉しそうに俺を見る顔が浮かぶ。
いつか、泣かせんのかな…。
「お前知ってたんだ」
「ん、由香子から聞いた」
「…あっそ」
信号が変わったのか、自転車がゆっくりと動き出す。
交差点を渡りきると右に曲がった。
そのまま真っ直ぐ進んで行く。
さっきまで一緒にいた女。
名前も知らない女。
どうでもいい女。
すっげえミニのスカートにキャミソール。
どうぞ見て下さい、と言わんばかりに露出して俺にすり寄ってきた。
髪も丁寧に巻き髪。最近の女って何でみんな同じ髪型なんだろ。
化粧もばっちりで。
内心うざかったけど、
でも、すぐに思った。
顔つきが――…
「似てるって…」
「あ?慶なんてー?」
無意識に口に出してた。おかしいのかな俺。
…相当きてるかも。
どんだけ好きか思い知らされる。
「んー…何でもない。あ、雄平!コンビニ!とまって、…とまれって!」
足を地面につけて引きずる様に自転車の進行をとめようとする俺。
「だあー揺らすなバカ!通り過ぎてんだろコンビニ!」
格好も髪型も話し方も全然違ったけど―――
「だからとまれって!」
「あ!バカ!揺らすなー!」
似てるって思ったんだ。
透に。
月は雲に隠れて、もう見えなかった。