『聖剣は勇者を選んだ。勇者は槍を選んだ。』
勇者を選ぶ聖剣と、使い慣れた槍を手放したくない勇者候補の、一話完結ファンタジーコメディです。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
『その者は駄目だ』
王子の指が柄に触れた瞬間、神殿に声が響いた。
王子は手を離さなかった。周りの者も、聖剣が喋ったことより、その最初の言葉に驚いている。前の方にいた見物人が拍手をしかけ、隣の男に腕を押さえられた。
「聖剣アウレリアよ。選定はまだ始まったばかりですが」
司祭長が祭壇の脇から話しかける。王子が柄を握ったまま、アウレリアは答えた。
『始まったばかりでも分かることはある。触れた瞬間に伝わってきたぞ。この者は私を抜いたら、まず城の大広間の壁に掛けるつもりだ。それも、客が一番よく見る暖炉の上にな』
「そんなことはない!」
王子の否定が早かった。候補者の列にいたランツァは、隣の男へ顔を寄せた。
「暖炉の上まで当てられてますよ。飾る壁、もう決めてたんじゃないですか」
「聞こえるぞ」と男が囁き返す。祭壇では王子がまだ柄を握っていた。
『それに、磨きもしないだろう。飾った剣というのは、そのうち誰も触らなくなる。埃をかぶっても、客の目に光って見えればそれでいい。そういう顔をしている』
「磨く! 毎日磨かせる! 宮廷一の研ぎ師を呼んで――」
『誰に、と聞こうと思っていたが、もう答えが出たな』
王子は口を閉じた。少し遅れて「自分で」と付け足したが、さっき言った「磨かせる」は神殿中に聞こえている。護衛の騎士まで視線をそらしていた。
司祭長は王子に一礼し、見物人へ向き直った。
「聖剣は、武器を慈しむ心を求めておられます」
『まあ、そう言ってもいい。だいぶ上品になったが』
王子は柄を引いてみた。動かない。もう1度引いても、指が滑っただけだった。祭壇を下りるときも「飾るつもりなどなかった、本当に」と繰り返している。
王子の護衛は拍手のタイミングを失い、両手を胸の前で合わせたまま立っていた。王子が近づくと慌てて手を下ろす。
『今のは拍手か?』
「違います! 祈りです、祈り!」と護衛が答えた。
『そうか、ならいい。拍手はまだ早いからな。私はまだ誰も選んでいないし、ここにいる誰も、まだ何も成し遂げていない』
王子が護衛を連れて足早に列から離れた。司祭長がその背中へ何か声をかけようとしたが、ランツァは先に隣の男へ言った。
「あれまで神託に言い換えたら、司祭長の方を選びますよ」
「選ぶって、誰が?」
「聖剣が。勇者として」
男は司祭長を見てから、「……それはありそうだ。口の回り方なら国一番だ」とうなずいた。
次に進み出た騎士は、王子の失敗を見ていた。柄に触れる前に、神殿中に聞こえる声で宣言する。
「聖剣よ! 私はあなたを決して飾らない。この手で磨き、戦場にも寝所にも常に携え、この身が朽ちるまで――」
見物人からは感心したような声が上がった。
『顎を上げた』
騎士の口上が止まった。
『「戦場にも」のあたりで上がって、「寝所にも」でさらに上がった。今もだ。そのまま最後まで言ったら、天井を見上げて私に誓うことになるぞ』
騎士は顎を引いた。思い切って引いたせいで、今度は柄が見えにくくなる。
「礼を尽くしているのです」
『礼は分かった。だが、さっきの方が持ちやすそうだったぞ。今のお前は、私を握る前に自分の喉元を見ている』
騎士は背筋を伸ばし、顎の位置だけ変えようとした。聖剣を握る前に姿勢の稽古になっている。
柄を握っても剣は抜けず、騎士は首をこすりながら祭壇を下りた。
「戦いの前にも、心を静めることが大切なのです」
司祭長の説明を聞いて、ランツァは祭壇を見直した。
「顎の話、どこへ消えたんですか。今、顎のことしか言われてなかったですよね」
ランツァの声に、司祭長は次の候補者を呼ぶふりをして答えなかった。
騎士を見送った候補者の一人が、ランツァに小声で話しかけた。
「なあ、あれは顎が悪かったのか、態度が悪かったのか。どっちだと思う」
「聖剣に直接聞いてみたらどうですか。たぶん答えてくれますよ。聞いてないことまで」
「次が俺なんだぞ。聞いた瞬間に落とされたらどうする」
男は顎の角度を確かめ始めた。
「顎ばかり気にしてたら、柄を見失いますよ。あれ、握るものなので」
男は首を動かすのをやめた。
人々は次の候補者より、聖剣が何を言うかを待つようになった。後ろからも見物人が入り、扉の前が詰まる。兵が通路を空けようと声をかけても、前の人ほど動かない。
ランツァは列を離れず、そばの兵に声をかけた。
「出入口を少し空けてもらえますか。扉の前がこれだけ詰まってると、何かあったとき誰も出られません」
「お前も候補者だろう。人の心配より、自分の番の心配をしたらどうだ」
「だから、まだここにいます。列からは出てません」
兵はランツァが指した扉を見て、うなずいた。見物人を壁際へ寄せに行く。
司祭長が次の候補者を呼ぶ前に、台座の前で説明を加えた。
「選ばれた方が聖剣を抜けば、この台座の封印は解けます。封印が解ければ、聖剣はもう台座に縛られません。使い手となる方は、その後の扱いにも責任を持ってください」
『その前に、私に触れてもらわねば始まらないがな。触れたところで、選ぶかどうかは私が決める。そこを忘れている者が、今日は多すぎる』
候補者たちはまた柄を見た。誰が抜くかは聖剣が決める。その後どう持ち歩くかまでは、考えていない顔が多かった。
ランツァは辺境守備隊の槍兵だった。隊から推薦されてここに来た。選ばれなければ任地へ戻る。持ってきた武器も、普段使う槍だけだ。
三人目の候補者が祭壇に上がる。司祭長に一礼し、服の襟を整えて聖剣へ向き直った。
『先に言っておくが、褒められたから選ぶわけではないぞ。さっきから、列の後ろで褒め言葉を練習している声が聞こえている。全部だ。全部聞こえている』
「承知しております」
候補者はきれいな笑顔で答えた。用意していた言葉があるらしい。列の後ろでは、練習していた何人かが慌てて口を閉じた。
◆ ◆ ◆
「聖剣様の輝きは、この国の希望そのものです。その光は闇を払い、民の心を照らし――」
候補者は柄に触れる前から話し始めた。刃は台座に収まっている。外から見えるのは柄と、金具のほんの一部だけだった。
『待て。刃は見たのか』
「いえ。しかし伝説は存じております」
『では、輝きを見たわけではないな。私の刃は今、台座の中だ。お前が褒めているのは、伝説に書いてあった私だろう。ここにいる私とは、まだ会ったこともない』
候補者の笑顔が止まった。今さら引き返せず、柄に手をかける。剣は動かない。男は「今日のところは」と言いかけて、今日以外に選定式があるのか分からず、そのまま階段を下りた。
見物人の中には、聖剣を褒める前に実物を見せてやればいいのでは、と言う者もいた。司祭長は首を振る。刃を見るには誰かが抜かなければならないし、抜ける者を探すために選定式を開いている。説明を聞いた見物人は納得したが、次の候補者はもう祭壇へ上がっていた。
次の候補者は、今の失敗を聞いていたはずだった。
「聖剣様は、この国の希望です!」
『希望の話は、さっき聞いた』
「私も心からそう思います!」
『心まで同じ言葉なのか。お前たちは、褒め言葉をどこかで配られているのか?』
見物人の間から笑いが漏れた。候補者は慌てて別の言葉を探す。司祭長は祭壇の脇で天井を見上げた。
「あれは、言い換えを考えてる顔か?」と隣の男がランツァに聞く。
「聞こえなかったことにしたい顔だと思います」
「私には、私だけの思いが――」
『それを聞いている。最初からそれを言え。希望の話はもう二回聞いた』
候補者は柄を握り、抜けないと確かめてから「後日、言葉をまとめてまいります」と言った。司祭長が選定は本日限りだと教えると、男はそれ以上何も言わずに列を離れた。
さらに次の候補者は、人と同じ褒め方では駄目だと学んだらしい。柄の前で胸を張り、よく通る声を出す。
「勝利の栄誉は、すべて聖剣様のものです! 私は手柄など一切いりません!」
『殊勝だな。では、お前は戦場で何をする』
「聖剣様のご活躍を、一番近くで見届けます!」
『見物人なら、もう十分いる。見てみろ、今日だけで神殿に入りきらないほど来ている。私が探しているのは、私を振る者だ。使い手を探しているんだ』
候補者は周囲を見回した。神殿には見物人が大勢いる。一番近くで見る場所なら、祭壇の脇に司祭長までいた。
司祭長が口を開く。見物人も候補者も、ここから立派な神託になるのを待った。司祭長は一度息を吸い、男に告げる。
「聖剣は、使い手を探しておられます」
ほとんどそのままだった。男は何度かうなずき、柄に触れずに下りかけた。司祭長の隣の兵が小声で聞く。
「今のは言い換えましたか」
「『おられます』を付けた」と司祭長が答えた。
「私が見届けるだけでは、駄目だったのですね」
候補者が石段の途中で尋ねた。司祭長が答える前に、アウレリアが言う。
『お前が剣を振らずに、誰が振る。まさか私が勝手に飛んでいって、魔王を斬ってくるとでも思っていたのか?』
男は振り返って台座を見た。
「……違うのですか」
本当にそう思っていたらしい。司祭長は男の肩を軽く押し、後ろの候補者へ場所を譲らせた。
ランツァの前にはあと一人いる。男は自分の番を待ちながら、小声で言葉を組み立てていた。
「慈しむ心……いや、王子が駄目だった。顎を下げてから希望と言えば……希望も駄目か。じゃあ栄誉……栄誉も駄目だ」
手で顎を押さえたり離したりしている。
「褒め方を決める前に、普通に握ってみたらどうですか。たぶん、握るまで何も決まらないので」
「聖剣が聞いている」と男は囁いた。
『聞いている。その者の言う通りだぞ』
男は祭壇に上がると、アウレリアに背筋を伸ばしてみせた。それから司祭長へ向く。
「失礼のない褒め方を、教えていただけますか」
『なぜ司祭長に聞く。褒められるのは私だぞ。まず私に向かって話せ』
「では……聖剣様。失礼のない褒め方を、教えていただけますか」
『私に「私の褒め方」を聞いてどうする』
司祭長は褒め方を教えず、柄を握るよう促した。男はそのとおりにしたが、剣は抜けない。祭壇を下りるとき、最後まで顎を気にしていた。
ようやくランツァの番が来た。石段を上がる途中で出口を見る。兵の作った通路はまだ残っている。今は誰かが外から入れる。
『お前は何も言わないのか。ここまで皆、あれだけ喋ってきたというのに』
アウレリアの声に、ランツァは祭壇へ向き直った。
「何をですか」
『私を持ちたい理由だ。国のためでも、名誉のためでも、顎の角度でもいい。ここまで聞いて、何かあるだろう』
「握ってみないと分かりません。武器は、持って振ってみないと合うかどうか分からないので」
『……それは、そうだが』
アウレリアの声が、少しだけ間を置いた。褒め言葉を待っていたのか、言い方が気に入らなかったのか、声だけでは判断がつかない。
ランツァが柄へ手を伸ばしたところで、扉の外から兵の呼ぶ声がした。
◆ ◆ ◆
「朝から門番が追っていた魔物が、参道に入った! こっちへ来るぞ!」
扉から駆け込んできた兵の報告で、見物人が動いた。逃げる者より、外を見ようとする者の方が多い。ランツァがさっき兵と空けた通路は、あっという間に人で塞がった。
ランツァは伸ばしかけた手を下ろした。
『おい。まだ握ってすらいないぞ。ここまで待たせておいて、手を引っ込めるのか』
「今は、あっちが先です」
『私を待たせて、扉か。伝説の聖剣より扉を取った者は、お前が初めてだぞ』
「塞がってますから。あそこが詰まったら、誰も逃げられません」
ランツァは祭壇を下りた。見物人が押し合う足元で、子どもの声がする。大人たちの間に挟まれ、壁まで戻れなくなっていた。
扉の前では外から来た兵と、外をのぞこうとする見物人が顔を突き合わせている。兵が「下がってください」と言えば、見物人は「何が来るんです」と聞く。答えを聞こうとして、また一歩寄る。ランツァは兵の隣に立ち、扉から壁までの道を指で示した。
ランツァは人を突き飛ばさず、隙間から腕を伸ばして子どもを壁際へ移す。
「お父さんかお母さんは? 一緒に来たんだろう」
子どもが人垣の向こうを指した。ランツァが呼ぶと、男が肩をぶつけながら近づいてくる。子どもを渡し、壁沿いに下がるよう伝えた。
「そこの人、扉から離れてください。外を見たいなら、せめて逃げる人が通れる幅だけは残して。見物はそのあとでもできます」
そばの兵も声を上げる。ようやく数人が下がり、通路ができた。
人々がランツァの槍を見て道を譲ったのか、兵の声を聞いたのかは分からない。ただ父親が子どもを抱えて通れる幅はできた。ランツァは子どもが人垣の向こうへ消えるのを見届け、扉へ視線を戻した。
「順番を後回しにする気か」と候補者の一人が言った。「選ばれれば、魔物など聖剣の一振りで――」
『まだ選んでいない。勝手に私を振る話をするな』
アウレリアに言い切られ、候補者は口を閉じた。だが剣を抜けば何とかなると思ったのか、そのまま祭壇へ向かう。
「あの剣、今から抜けますかね」
ランツァが通路を見たまま兵に言うと、兵は首を振った。
「さっきから誰も抜けてない。王子も騎士も駄目だった」
「ですよね。じゃあ、こっちで何とかするしかないです」
扉の外で足音が近づく。候補者の靴が石段を駆け上がった。
◆ ◆ ◆
外の兵が扉を押し広げた。神殿の人を出そうとした、その脇を魔物がすり抜ける。
近くの見物人が悲鳴を上げた。通路にいた人が引き返し、後ろの人とぶつかる。ランツァは槍を取った。指が、使い慣れた位置に収まる。
子どもを抱いた父親と見物人を背にして、魔物の前へ出た。槍先を向けると相手が止まる。横へ回ろうとしたので、ランツァも足を動かした。
祭壇の方から怒鳴り声が聞こえた。
「押すな! 俺が柄を握ってるんだぞ!」
候補者が同時に台座へ駆け寄っていた。先頭の男が柄を握り、後ろの男はその手の上から握っている。さらに別の男が肩越しに手を伸ばした。
「腕を離せ、俺が握れないだろう!」
「先に来たのは俺だ! 順番なら俺が先だ!」
「握ってるのは俺の手だ! 柄じゃない、俺の手を握ってる!」と先頭の男が叫んだ。
後ろの男はそこで初めて自分の手元を見た。重なった手をほどこうとしても、誰も先に譲らない。司祭長が「順に」と言ったが、今は順番を待つ理由が誰にも見つからなかった。
『急に抜けると思われても困る。魔物が来たら、私の基準が甘くなるとでも思ったのか』
「今、魔物がいるんだぞ!」
『なら、そちらを見ろ。お前たちが私の柄を取り合っている間に、あそこの槍の男はもう何人も逃がしているぞ』
言われた男は魔物を見た。それからランツァの槍を見て、もう一度柄を引いた。周りの候補者に押されているため、自分が剣を引いたのか、腕を引かれたのかも分からない顔をしていた。
魔物が一歩踏み込む。ランツァは槍先を低くし、近寄れない幅を保った。倒しに行けば、魔物が人のいる方へ逃げる。まず後ろを空ける。子どもの父親が壁沿いに通路へ向かい、ほかの見物人も続いた。
魔物が槍の穂先を避けて右へ走る。ランツァが石床を横へ滑るように移動し、柄を返した。長さで進路を塞がれ、魔物は止まる。剣の長さなら、とうに懐へ入られていた。何度か同じやり取りをしたあと、ランツァの後ろから「もう通れます」と兵の声がした。
まだ2人、見物人が残っている。ランツァは槍の角度を変えず、「先に出てください。こいつは俺が止めてます」とだけ言った。見物人が通路へ走る足音が聞こえる。祭壇の候補者からは、今度は柄を握らせろという声が続いていた。
「こっちです。扉の前で止まらないで、そのまま外まで行ってください」
ランツァの声を聞き、兵が外から人を誘導する。候補者の1人が祭壇から「もう少し持ちこたえてくれ」と声をかけた。
「今、そっちは何をしてるんですか」
ランツァが聞くと、男は柄から手を離さずに答えた。
「抜こうとしている! もうすぐ抜ける気がする!」
「そっちは任せます」
男は頼りにされたと勘違いしたらしく、ますます力を込めた。アウレリアが『柄をねじるな! 抜けないからといって、ねじれば抜けるものではない!』と抗議する。
魔物が低く身をかがめた。ランツァは穂先を合わせる。相手が飛び込めば届く位置だが、自分から踏み込まない。背後の足音が減っていくまで、同じ距離を守った。
外から兵が入る。ランツァは魔物を槍先で止め、兵たちを両脇へ回らせた。兵が取り押さえ、縄を掛ける。ランツァは押さえが緩まないことを確かめてから、槍を引いた。
祭壇の男たちは、そのころようやく全員が柄から手を離した。司祭長がもう一度「順に」と告げる。ランツァが兵へ魔物を渡している間に、次の順番を決めるつもりらしい。アウレリアはその様子を見ていたが、誰にも柄を触らせなかった。
「助かった。あんたがいなかったら、今ごろ神殿の中は大変なことになってた」と兵が言う。
「通路は?」
「空いてる。もう人を出せる」
ランツァが祭壇を振り返ったのは、それを聞いてからだった。候補者たちは、まだ台座の前にいる。
『お前だ』
アウレリアの声が神殿に響いた。
『そこの槍の男。お前だ』
候補者たちがランツァを振り返る。ランツァは隣の兵と顔を見合わせた。兵もランツァを見ている。
「俺ですか」
『魔物と向き合っている間、お前は私を一度も見なかった。それは気に入らない。ああ、本当に気に入らない。皆が私の前で顎の角度まで気にしていたというのにな。触れもしない者を選ぶことになるとは思わなかったが――あれは見事だった』
司祭長が前へ出て、言い換えるために息を吸った。けれどアウレリアの言葉は全員に聞こえている。司祭長は息を吐き、「聖剣が、あなたを選びました」とだけ告げた。
ランツァは扉の外で、子どもが父親に抱かれているのを見て、魔物を兵が外へ運ぶのを見た。それから祭壇へ目を戻す。
「……今から、そっちへ行けばいいんですか」
◆ ◆ ◆
「来てください。まず、剣を抜いていただきます」
司祭長に呼ばれ、ランツァは祭壇へ戻った。さっき離れた台座にアウレリアは収まっている。ランツァが柄の前に立つと、聖剣は待ちかねたように声をかけた。
『さあ、抜いてみろ。今ならお前の手に応える。この時を何百年待ったと思っている』
「分かった。まず重さを確かめる」
『そこは、もう少し喜ぶところだろう。伝説の聖剣だぞ。選ばれた者というのは普通、膝をついたり、涙ぐんだり、天に誓いを立てたりするものだ』
「抜いてからでもいいか。重さが合わなかったら、誓いを立て直すことになるから」
アウレリアは不満そうだったが、ランツァが柄を握ると剣はあっさり抜けた。王子や騎士が引いても動かなかったのが嘘のようだ。
ランツァは片手で剣を持ち上げ、重心を確かめた。長さの割に扱いやすく、腕への負担も少ない。見た目を褒めるつもりはなかったが、その点は素直に口へ出た。
「思ったより扱いやすいな。この長さで、この軽さか」
『なら、もう少しはっきり褒めろ。それと「思ったより」は余計だ。何と比べた』
「いつもの槍と」
『槍と比べるな。私は聖剣だぞ』
「比べないと、合うかどうか分からないだろ」
『……握る前には分からないと言っていたな。今は分かったはずだ。どうだ』
「重さはな。重さだけは」
『だけ、とは何だ。だけ、とは』
アウレリアがまだ文句を言っている間に、司祭長が神殿の裏手にある訓練場へランツァを案内し、兵に巻藁を運ばせる。兵は一本を前に立て、予備の二本を後ろに置いた。
「手前の一本を斬ってみてください」と司祭長が言った。
ランツァが振ると、刃は巻藁をほとんど手応えなく抜けた。少し遅れて後ろでも音がした。
兵が振り返る。次の訓練で使うニ本まで、きれいに斬れていた。
『得をしただろう。一本と言われたが、三本まとめて斬っておいた。ついでだ、遠慮はいらない』
「一本って言われただろ」
『三本とも同じ巻藁だ。私にとっては、一本斬るのも三本斬るのも同じ手間だぞ』
「次の訓練で使う分なんだよ。こっちにとっては同じじゃない」
兵は切れた巻藁を拾った。断面があまりにきれいで、文句を言いながらしばらく眺めている。
「これ、立て直せますかね」と兵が司祭長に聞いた。
司祭長が切れた上半分を持ち上げる。もう一人の兵が下半分を立てて支えた。手を離せば倒れるので、二人とも動けない。
『ほら、立った。元通りだ』
「人が二人ついていればな。あの二人、今日一日ああしてるのか」
『今、考えていた』
「何を」
『支える方法を。……まだ考えている』
しばらく待っても、巻藁を支える方法は出てこなかった。
『だが見ろ、あの兵は満足している。断面をあんなに眺めている』
「困ってるんだよ。困りながら眺めてるんだ」
『両方か。人というのは器用だな』
アウレリアの力は疑いようがない。同じことを槍でやれと言われても無理だ。ランツァは剣を持ち直し、動いたときの重さを確かめた。
司祭長と兵は、ようやく巻藁を床へ下ろした。魔物の騒ぎが収まったと聞いて、外へ逃げた見物人の一部が訓練場の柵の外へ集まってきた。
次は兵を相手にした模擬戦になった。互いの刃には覆いをつける。相手役の兵は覆いを指で押し、安全を確かめてから向かい合った。
ランツァはいつもの槍より近い間合いで構える。兵が1歩動く。その瞬間、アウレリアが強く輝いた。
兵は足を止めた。ランツァも目を細める。相手の手元が見えなくなった。
『見えたか。相手の動きを照らした。これで相手の手の内は丸見えのはずだ』
「俺の目もな。丸見えどころか、何も見えない」
『……そうか。持っている者にも見えるのか。私の後ろにいる者には、光は届かないものだと思っていた』
「持ってるのは俺だ。一番近くにいるのが俺なんだよ」
『次は控える』
ランツァが目をこすっていると、相手役の兵も同じことをしていた。「始めますか」と聞かれたが、二人ともまだ目を細めている。司祭長が模擬戦を止めようとする前に、ランツァはもう少し試したいと伝えた。
見物人には聖剣が光ったことだけが分かった。兵が目を押さえて下がると、「やはり聖剣は強い」と言う者もいる。相手役の兵は聞こえたらしく、「まだ何も始まっていません」と言い返した。
「俺もそう言いたい。目が開いたらな」
ランツァはまぶたを指で押さえた。
やり直しでは、アウレリアは光らなかった。兵が足の向きを変え、踏み込む側を探る。ランツァも相手の肩を見ていた。
『今だ、右から斬れ!』
兵は右へ備えた。ランツァの腕も、アウレリアに引かれて右へ動く。
「待て!」
剣先が相手の前で止まった。兵は一歩下がり、覆いをつけた剣を下ろす。
「……聞こえていますから。右から来ると、全部。終わったら呼んでください」
ランツァはアウレリアの柄を握り直した。
「隙を見つけるのは速い。助かった。でも、腕を勝手に引くな」
『間に合うようにしたかったのだ。お前が気づくより、私の方が早かった。それに覆いもある。怪我はさせない』
「俺にも分かるようにしてくれ。声を出したら、相手にも聞こえる」
『声はかけたのだが。ちゃんと、お前に向けて』
「それは……そうか。いや、そうじゃなくて」
アウレリアは助けようとしている。ただ、助けられるランツァの腕より、剣が先に動く。兵が戻る前に、そのことだけ伝えた。
『では、次はお前にだけ分かるようにする』
「頼む。それと、俺がどう動くか決める時間も残してくれ」
『できるだけ早く教えよう。早ければ早いほどいいだろう』
返事としてはまともだった。ランツァは相手役の兵にうなずく。兵は「今度こそ」と口にしたが、何を期待していいのか自分でも分かっていない顔をしていた。
相手役の兵は二人を交互に見てから、再び剣を構えた。
「今度は、始めてから教えてもらえますか。始める前に教えられると、こちらも構えようがないので」
『教えると、お前にも先に分かってしまうからな』
「でしょうね」
三度目は声が出なかった。光もしない。ランツァが相手の足を見て、相手もランツァの手元を見る。ようやく普通に始められそうだった。
剣先がじりじり前へ出る。
ランツァが柄を引くと、切っ先だけがもう少し進んだ。
「待て」
止まる。相手の兵が構えを変えた途端、また進む。
「待てって」
『斬る方向は言っていない。約束通りだ』
「そういう話じゃない」
『光ってもいない。これも約束通りだ』
「分かってる」
『隙がある』
「俺も見てる。見てるから待ってるんだ」
相手の兵は、二人が剣を前後に引く間ずっと待っていた。しばらくして剣を下ろし、遠慮がちに聞く。
「あの……もう始めていいですか」
ランツァも構えを解いた。
『律儀な相手でよかったな』
「お前も見習え」
『私は十分に律儀だ。ちゃんと隙を教えている』
ランツァは剣を見下ろし、それから槍に手を伸ばした。
◆ ◆ ◆
ランツァが槍を手に取ると、アウレリアが言った。
『剣を持ったまま槍も持つのか。両手が塞がるぞ。それとも、剣と槍を同時に使う流派でもあるのか』
「剣は返す」
『……どの剣を?』
ランツァは答える代わりに、槍を握り直した。訓練場で見ていた兵が、切り分けた巻藁を運ぶ手を止める。
『待て。私を選んだのではないのか』
「選んだのはお前だろ。俺を」
『そうだ。だから、お前が私を持っていく。選ばれた者が聖剣を携えて旅立つ。伝説にもそう書いてある』
「勇者になるのは引き受ける。魔王軍とも戦う。でも、持っていく武器は俺が決める」
『待て。私にも選定があったのか』
「さっきから試してただろ。重さを見て、巻藁を斬って、模擬戦を三回やった」
『聞いていない。選ぶのは私の役目だと、この何百年、誰も疑わなかったぞ』
「俺も顎で人を落とす剣だとは聞いてなかった」
アウレリアは、すぐには言い返さなかった。ランツァは聖剣の覆いを外し、刃を見下ろす。三本の巻藁をまとめて斬った力は疑いようがないし、模擬戦でも兵の隙をランツァより早く見つけていた。
「お前は強いよ。お前の力が必要な戦いもあると思う。ただ、俺が止めたいとき、槍は止まる」
『私は止まった。最後は斬っていない』
「俺が引っ張ってたからな」
『次はもっと早く、お前に知らせる。お前が気づくより早く、相手が動くより早く』
「今度は相手より先に俺に言ってくれ」
兵が巻藁を抱えたまま笑った。アウレリアは声のした方へ刀身を傾けたが、何も言い返せずにいる。
「悪い。笑うつもりはなかった」と兵が言った。「ただ、巻藁を三本とも斬られたあとで、止まるかどうかの話になったから」
『私に見えていたのは、斬れるものを斬る道だ』
「その道の後始末は、こっちでやってる」
兵は抱えた巻藁の半分をランツァに見せた。ランツァは「手伝います」と言ったが、兵は首を振る。聖剣を返すなら先に返してこい、と言われ、ランツァはまだ持っていた剣に目を落とした。
ランツァは槍を肩に担ぎ、訓練場を出た。アウレリアを祭壇に戻すため、神殿の廊下を歩く。剣はランツァの手の中で、間を空けずに話し始めた。
『さっきの光は広がりすぎた。それは認める。だが、あれは照らす場所を絞っていなかったからだ。次は絞れる。相手の目だけを狙って、お前の目には一筋も入れない』
「さっきの模擬戦で、それができればよかったな」
『次はそうする。それから、私は刃こぼれしない。何度振るわれても、一度もだ。戦いが長引いても研ぎ直す時間は要らない。槍の穂先はどうだ。欠けるだろう。欠けたら研ぐだろう。その間、お前は何で戦うつもりだ』
「そこは便利だ」
『そうだろう。今のは聞いたな。聞いたなら覚えておけ。忘れたら、もう一度言う』
廊下にいた兵が振り向いた。聖剣の売り込みは全員に聞こえている。ランツァが歩く速さを上げると、アウレリアも少し早口になった。
『それから、夜は道を照らせる。油も要らないし、風で消えることもない。雨の夜でもだ』
「最後のは助かりそうだな」
『だろう?』
「灯りは持っていく」
『私がいる。私が灯りだ』
「お前は急に光る」
『今度は先に言う。「今から光るぞ」と、ちゃんと言う』
「夜中に起こしてまで言うなよ」
『……では、言わずに光ればよいのか?』
「光らないでくれ」
祭壇の前に着いたところで、アウレリアはようやく黙った。廊下で聞いていた兵のひとりが祭壇の手前で立ち止まり、ランツァがどちらを置くのか見た。ランツァは槍を肩に残したまま、アウレリアの柄を持ち直す。その兵は何も言わなかったが、見届けてから持ち場へ戻った。
ランツァが台座に近づくと、アウレリアは少し低い声で言った。
『すぐに使わなくてもいい。背に負って連れていけ。重さはさっき確かめただろう。邪魔にはならない。お前が私を抜く日は、必ず来る』
「お前、さっき見物人はいらないって言ってたよな」
『剣は見物人ではない。控えだ』
「自分で控えって言うのか。伝説の聖剣が」
『お前が槍を置けば、すぐに出られる。いつでもだ。槍が折れたときでもいい。折れるまで待つ』
ランツァは聖剣を台座へ戻した。アウレリアは柄を揺らしてみたが、台座から浮けることにはまだ気づいていない。
「お前に合う使い手を探した方がいい」
『私にはもう、使い手がいる』
「そいつは槍を持っていく」
『聞こえている。まだ納得していないだけだ』
ランツァは槍を持ち、振り返らずに神殿を出た。扉の外へ向かう足音に混じって、祭壇からアウレリアの声が追ってくる。
『ランツァ! 灯りの件だけでも考え直せ! 雨の夜の話をもう一度聞け!』
◆ ◆ ◆
翌朝、ランツァが宿の部屋を出ると、廊下にアウレリアが浮いていた。
扉の正面で、切っ先を床すれすれに下げている。ランツァは扉を閉め、しばらくしてから開け直した。まだいた。
「誰が運んだ?」
『私が来た』
「どうやって」
『浮いて。……自分で言っていても妙な気分だが、浮いてきた』
アウレリアはその場で少し上がった。上がるより、元の高さまで戻る方が速かった。
『お前が出ていったあと、台座の上で柄を揺すっていたら、ふっと浮いた。封印が解けていたのだから、考えてみれば当たり前なのだが、何百年も台座にいたからな。私も驚いたぞ。司祭長はもっと驚いていた』
「驚いて、神殿に残ろうとは思わなかったのか」
『お前が先に出てしまったからな。追わなければ、どこへ行ったか分からなくなる』
ひと晩かけて来たという。ランツァが夕食を食べて眠っている間、アウレリアは街道を進んでいたらしい。
「さっきの上がり方で、よくひと晩で着いたな」
『休まなかったからな。剣は眠らない』
「俺がこの宿に泊まったのは、どうして分かった?」
『人に聞いた。街道で会った者に片っ端から、槍を担いだ辺境の兵を見なかったか、と』
「その姿で?」
『ずいぶん親切に教えてくれたぞ。皆、すぐに道まで空けてくれた』
「道を教えたんじゃなくて、逃げ道を空けたんじゃないか」
『行き先は教えてくれたぞ。走りながらだったが。振り返らずに、指だけで』
階段から宿の主人が上がってきた。廊下の真ん中に浮く剣を見て、ランツァに声をかける。
「お客さん、剣は廊下に置かないでください。ほかのお客さんが通れませんので」
「俺が置いたんじゃないんです」
『自分で来た』
主人はアウレリアの方を見てから、ランツァに視線を戻した。
「では、廊下を空けてもらってください」
「聞いたか。少し端に寄れ」
『私は道を塞いでいない』
「今、真ん中にいる」
主人は朝食ができているとだけ告げ、階段を下りていった。ランツァも後を追おうとしたが、アウレリアは廊下の真ん中から動かない。
「通してくれ」
『私を置いていく気か。昨日の今日で』
「朝飯だよ」
『ならば、私も行く』
「お前は食べないだろ」
『食べるお前のそばにいる。食べている間に、灯りの件を考え直してもらう』
「朝飯の間くらい休ませてくれ」
ランツァが右から抜けようとすると、アウレリアも右へ動いた。左へ寄れば、左へ来る。2度目にはランツァが廊下の端をすり抜け、階段まで進めたが、振り返ると剣は遅れてついてきていた。
「その速さなら、追いつけないだろ」
『待っていればよい』
「俺が?」
『私を選ぶまでの間くらいは』
階下から主人の「朝食、冷めますよ」という声がした。ランツァは階段を下りかけて、浮いたままついてくる聖剣を見る。
「祭壇に戻る気はないんだな」
『ない。言っておくが、お前を私の使い手にすることは、まだ諦めていない』
「まず、ついてくるのを諦めてくれ」
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