無実の罪を着せられたままではすませません。
「やめて!! 来ないで!!」
コの字階段の踊り場にいたわたくしは突然叫ばれて何のことかわからなくて、階段を下りた。
近づいて手を伸ばそうとすると身を躱された。
「え? どうされたのですか?」
「誰か助けてっ!! わたし、この人に突き落とされたの!! 近寄らないでっ!! いやっ!! 助けてっ!!」
一階の階段ホールで蹲って叫んでいる女性はわたくしを指さしていた。
「わたくし?」
「階段の踊り場でわたしの後ろに立ったと思ったら、突然わたしを突き飛ばしたの!!」
周りにいる人たちが「やっぱり」とか「まさかアビエンス公爵令嬢が?!」などと言っているのだけれどわたくしには何のことだかさっぱりわからなかった。
「どういうことかしら?」
小首を傾げて誰ともなく質問を投げかけるけれどそれに答えをくれる人はいない。
そこに「通してくれ!!」という聞き覚えのある声が聞こえてほんの少しだけほっとした。
「ヴィアントゥ様⋯⋯」
わたくしの婚約者であるヴィアントゥ・エシデルカ小公爵がチラとわたくしを見た後、ホールに伏している令嬢の方に手を伸ばした。
「メイベル!! どうしたんだ? 大丈夫かっ?!」
「ヴィアン!! わたし、この人に階段の踊り場から突き落とされたの!!」
あら? ヴィアントゥ様のことを愛称で呼ぶ関係なのね。
知りませんでしたわ。
「なんだと?! なんて酷いことをするんだ!!」
「わたくしは何もしておりませんが?」
「メイベルがお前に突き落とされたと言っているんだからお前がやったんだろう!!」
「なぜわたくしがその見知らぬ方を?」
「はんっ! 自分がやったことの責任も取れないのか!!」
「おっしゃっている意味が分かりませんわ」
「私がメイベルと仲良くしているから嫉妬して突き飛ばしたんだろう?!」
「ヴィアントゥ様とそちらの女性は仲がよろしいのですか?」
「白を切るか?!」
「いいえ。わたくし本当に知らなくて。そちらの女性はどなたなのですか?」
「白々しい!! 本当にいけ好かない女だな!! メイベル。兎に角、怪我を見てもらおう」
ヴィアントゥが床に伏せたままの女性を力強く抱き上げ、わたくしに背を向けて立ち去ってしまいました。
わたくしは何が起こっているのかさっぱりわからなくて、正面にいた伯爵家の令息に尋ねることにしました。
「この状況はどういうことなのか教えてもらえませんでしょうか?」
逡巡したものの伯爵令息は丁寧に状況説明をしてくれた。
メイベルと呼ばれていた女性はメイベル・カーシュ男爵令嬢という方でヴィアントゥと特別な仲だとみんなに思われているのだそうだ。
「本当のところはわかりません。ただの噂なのかもしれません。友人関係なのかそれ以外なのかは私にはわかりませんが、今のやり取りだけでも本当に仲がいいのではないかと思いました」
そう聞かされてわたくしは本気で驚いた。
「知りませんでしたわ。ヴィアントゥ様に仲のいい女性がおられるなんて」
伯爵令息はわたくしの戸惑う様子を見て、少し笑う。そして「そのようですね」と言った。
「私の想像になりますがバーデンホー公爵令嬢に濡れ衣を着せたかったのではないかと思います」
「なんのために? と、お伺いしてもよろしいかしら?」
「バーデンホー公爵令嬢が邪魔だと思っているのではないかと⋯⋯」
「わたくしが邪魔? よくわからないわ⋯⋯」
「えっと、カーシュ男爵令嬢がエシデルカ小公爵と深い仲になるために邪魔になるのではないかと」
「そこがよくわかりませんの。
そのお話のどこにわたくしが関係あるのかしら?
仲良くなりたいのならなればよろしいのではなくて?」
「バーデンホー公爵令嬢は婚約者が他の女性と仲良くしているのに嫉妬なされないのですか?」
「嫉妬? わたくしが? どうして?」
わたくしはますます訳がわからなくて混乱してきました。
「わたくしとヴィアントゥ様は政略結婚ですわ。仲良くなれればそれが望ましいとは思いますが、どうしても仲良くしなければならないというものでもないでしょう?」
ここにいるみんながぽかんとしているような気がしたのはわたくしの気のせいでしょうか?
「そういうものなのですか?」
「違うのでしょうか? では皆様方は政略結婚相手に恋愛感情を必ず持つべきだと思われているってことかしら?」
「あっ⋯⋯いえ。そうは思っておりません。
⋯⋯なぜでしょう? バーデンホー公爵令嬢はエシデルカ小公爵を⋯⋯その、愛されているのだとばかり、思っておりました」
皆様方が首を縦に振っていらっしゃいます。
「わたくし、ヴィアントゥ様を愛しているどころか好ましいとすら思ったこともないんですけれど⋯⋯」
「あっ!!」
当然子爵令息が突然声を上げたので全員の視線が子爵令息の下に注がれます。
一瞬俯いた子爵令息が「あの⋯⋯その⋯⋯」ともじもじしています。
「何か心当たりでもあるのでしょうか?」
「あっ、はい。あの⋯⋯僕、エシデルカ小公爵様がバーデンホー公爵令嬢様の愛が重くて息苦しくて仕方がないと仰っているのを聞いたことがあります!」
「あ、そういえばわたくしも」
そう言ったのは派閥が違うため言葉を交わしたことのない侯爵令嬢でした。
「エシデルカ小公爵様がバーデンホー公爵令嬢様から欲しくもない贈り物をされて迷惑していると。私を愛しているのなら好みぐらいちゃんと知っておくべきだろうに。と仰っていたのを聞きましたわ」
「まぁ。どうしてそんな勘違いをなされたのかしら? 贈り物の定番のハンカチ、万年筆、消え物以外贈ったことはないのですが⋯⋯。それも義務の範囲でしか贈っておりませんのよ?」
わたくしはただただ困惑するしかありませんでした。
「ですがわたくし、男爵令嬢を階段から突き落としたという無実の罪をなすりつけられたということですわよね?」
「⋯⋯そうなるかと思われます」
わたくしはいいことを思い付いたといった風に小さく手のひらを合わせた。
「階段から突き落とすという無実の罪を着せられたままにはしていられませんわね。
だったら無実ではなくなればいいのですわね!!」
「えっ? あ、いえ。それは⋯⋯」
「皆様。お騒がせして申し訳ありませんでした。皆様のおかげでわたくしがするべきことがわかりました。それではここで失礼いたしますわ。ごきげんよう」
後ろで「いや。あの⋯⋯」「公爵令嬢!!」と呼び止める声が聞こえたような気がしましたけれど、わたくしは自分の考えに囚われていて聞こえているけれど、まったく気になりませんでした。
無実の罪を着せられたその夜、両親にこんな面白いことがあったのです。と話すと両親は大激怒。
ヴィアントゥとの婚約を解消させる!! と父は雄叫びをあげるかのように叫んでいました。
そのあたりの手続きは両親に任せることになるのでわたくしが気に掛けるところではありません。
政略のことさえ問題にならないのなら別にヴィアントゥと婚約を続けたいと思っていませんし。
翌日からわたくしは毎日休憩のたびに長階段のホールでメイベル・カーシュ男爵令嬢を待ち構えました。
コの字階段だと落ちる段数が少ないですからね。
やるのならビシッとやり遂げなくてはなりませんもの。
無実の罪を着せられた日にその場にいた方々が通りがかると「お止めになったほうが」とか「考え直したほうが」と言われたのですが、わたくしの考えは変わりませんでした。
待つこと一週間。
やっとメイベル・カーシュ男爵令嬢が長階段の一番上を通りかかりました。
はしたなくも飛び上がって喜びそうになってしまいました。
わたくしがここで待ち構えていたことは気にならなかったのでしょうか? 平気でわたくしに背を向けました。
わたくしは全身の力を手のひらに込めるつもりでメイベル・カーシュ男爵令嬢の背中を押してあげました。
淑女ではあり得ない「ぎゃぁあっああああぁぁぁあああっ」と叫んで横に飛んで落下して長下階段の途中に落ち、勢いづいたまま転がり落ちていきました。
メイベル・カーシュ男爵令嬢の悲壮な顔を見ていると病みつきになりそうな気持になります。
こうやって邪魔者は排除していくものなのでしょうか?
? 邪魔者ってだれかしら?
わたくしは一つ学びました。
人って階段の上で押されたらあんな風に落ちていくものなんですねぇ⋯⋯。
わたくしは落ちたくないのでこれからは階段を侮るのは止めようと思いました。
叫び声を聞きつけた生徒や教師が駆け寄ってきます。前回よりもたくさんの人が集まっています。
カーシュ男爵令嬢の落ち方が悪かったのか腕と足が変な方向に曲がっていてとても痛そうです。
本当に痛いのでしょうね。メイベル・カーシュ男爵令嬢は泣き喚いています。
わたくしは階段を踏み外さないように一段一段ゆっくりと階段を下りていきます。
「カーシュ男爵令嬢。突き落とされるっていうのはこういうことなんですよ?
前回、あなたがわたくしに突き落とされたと言ったのを撤回していただけますか?
聞いたところ、前回は骨折どころか痣一つなかったらしいではないですか」
「いや、こないで⋯⋯こっちに来ないで⋯⋯」
「淑女が人前で涙を流したりしてはいけませんよ」
「いや⋯⋯だれか、助けてっ!!」
誰もカーシュ男爵令嬢に手を差し出そうとはしません。
「ああ。怪我が痛むのですよね? ご安心くださいね。わたくしこう見えても光属性の加護持ちなんですの。わたくしがその気になればこの程度の怪我、すぐに治して差し上げますから。
なので、一週間前にわたくしが突き落としたというのは嘘だと、無実の罪を着せたのだと皆様に説明していただけますか?」
「!! ⋯⋯うそを、わたし、嘘を吐きました!! ヴィアンと特別な関係になるにはバーデンホー公爵令嬢が邪魔になると思って嘘を吐きました!! ほら! ちゃんと言ったわ! 早く治してっ!!」
「まぁ、何だか気に入りませんが、いいでしょう。ハイヒール」
あらぬ方向に曲がっていた手と足が元の通りに戻りました。
なんなら元の体調より元気になられていると思います。
「何があった?!」
今頃になって現れたヴィアントゥが横たわったカーシュ男爵令嬢を見てわたくしを睨みつけます。
「またお前かっ!! メイベルにどれだけ酷い目に遭わせたら気が済むんだ!!」
今回は無実の罪ではないので粛々とヴィアントゥの非難を受け入れることができます。
「カーシュ男爵令嬢。これからも階段には気を付けてくださいませね。背後にわたくしがいるかもしれませんから。
ああ。それからヴィアントゥ様、いえ、エシデルカ公爵令息様。
三日前にわたくしたちの婚約解消が整いましたのでご安心くださいませ。
わたくしがエシデルカ公爵令息を愛しているなんてことはありえませんので。
ここではっきりさせておきますわね。
わたくしたちの婚約はあくまでも政略的な婚約だっただけで、愛も好意も何一つありませんでした」
「婚約解消した?! 父上は私に何も言っていない! そんな話、父上から聞いていないぞっ?!」
「そうなんですか? 小父様に学園での出来事を話しましたらわたくしの両親よりもお怒りになりまして、わたくしの婚約者を弟のカンバルト様に変更する!! と怒鳴られて、新たな婚約者と契約書を交わしましたわ」
「それは⋯⋯! 嘘だろう?」
「いいえ。噓ではありませんわ。あっ、それから小父様が言うには、わたくしの婚約者がエシデルカ小公爵になるということですのでご了承くださいませ。
エシデルカ公爵令息様。小父様はカーシュ男爵令嬢とのご結婚をお許しになるとのことですわ。望みがかなってよかったですわね。おめでとうございます」
「嘘だろう?!」
「あら? なぜ嘘だと思われるのでしょう? 本当のことです。わたくしつまらない嘘は申しませんわ」
言いたいことを言い終えたこの瞬間に現れるわたくしの新しい婚約者。にくい登場です。
「カンバルト様」
「ラズリー。大丈夫かい?」
「はい。わたくしは何ともありませんわ。無実の罪も晴らせましたわ」
「そうか。良かったな」
「はい。ありがとうございます」
「では昨日約束した通り婚約指輪を見に行こうか」
「はい。素敵なものがあればいいですわね」
ヴィアントゥと違いカンバルト様には好意を抱けるのでわたくしたちの距離はとても近いです。
カンバルト様もわたくしに好意を抱いていてくださっているのが伝わってきます。
カンバルトとわたくしは呆然としているヴィアントゥとメイベルとその他の皆様に一礼してその場を離れ、街へと向かうことにしました。
─────
「父上!!」
「ああ。来たのか⋯⋯。喜べ。婚約者をないがしろにしたお前の望み通りカーシュ男爵家の娘と結婚すればいい。
卒業まではお前の面倒を見るがその後のことは自分の責任で好きにすればいい。
カーシュ男爵と話したところ、あちらではお前の面倒は見切れないと言っているが、メイベル嬢がお前を望んでいるのだろう? まぁ、自分で何とかすればいい」
「父上!! 私を切り捨てるというのですか?!」
「そうだ」
「そんなっ!!」
「お前が何を勘違いしたのか知らないが、後継者をお前に決めたことは今までに一度もなかった。
ラズベリー・バーデンホー公爵令嬢と婚約して、その伴侶にお前がなると思っていたからお前が小公爵と呼ばれることを許していただけだ。
お前は後ろ盾となってくれる婚約者を手放したのだから、後継者の立場も手放したということだ」
「カンバルトが公爵になれると思っているのですか?! 今まで嫡男としての教育を受けていないんですよ?!」
「そうだな。だがお前よりいい公爵になるんじゃないか? 夫婦で助け合ういい公爵に」
「父上!!」
「もう、お前は五月蠅いから出ていけ。面倒見るのは卒業までだ。卒業式と同時に家から出ていけ!」
「母上は?! 母上はそんなこと許しているのですか?!」
「当然だろう。泣いてはいたが、それはお前の浅はかさにがっかりしたからだ」
唯一の味方の母にまで切られたのだと知って自分の失ったものの大きさに恐ろしくなった。
先ぶれもなくカーシュ男爵の門前で用件を伝えた。
男爵だというのに公爵家の息子である私を待たせてかれこれ一時間が経っている。
応接室の入り口に立っている使用人に「まだ来られないのか?」と尋ねても「申し訳ありません。ただいま立て込んでおりまして、用向きが終わりましたらすぐに来られますので」の一点張りだ。
それから三十分ほど経ってやっと現れたのはカーシュ男爵一人だけだった。
「メイベルは?!」
「⋯⋯初めまして。ヴィアントゥ・エシデルカ様。
どのようなご用件でしょうか?」
「父上から聞いているのだろう?!」
「公爵閣下からお話はいただいておりますが、公爵閣下にもお伝えした通り我が家はしがない男爵家です。公爵家のご長男と縁を結ぶなど恐れ多いと考えております」
「メイベルは? メイベルも同じように言っているのか?!」
「娘は確かにエシデルカ様と結婚したいと申しておりますが、それはあくまでも公爵家のご嫡男という立場があってこそと申しております」
「嘘だろう?」
「我が家には嫡男がおりますので、エシデルカ様をお預かりすることは出来かねます。
メイベルと結婚するというのなら二人の立場は平民となってしまいます」
「そんなっ⋯⋯」
「男爵といえどメイベルは貴族の子供。平民の暮らしはまず無理かと思います。
エシデルカ様も今後のことをよく考えて行動されたほうがよろしいかと存じます」
「メイベルと会わせてはもらえないか?」
「学園でお会いした時に話せばよいのではないでしょうか?」
「メイベルが会いたくないと言っているのか?」
「そのようなことは申しておりません」
「そうか。⋯⋯突然の訪問を許してほしい」
「お気になさらず」
肩を落として帰り着いた家にはカンバルトとラズベリー、両親の笑い声が聞こえた。
その中に入っていく勇気はなくて自室へと戻った。
どうしてこんなことになったのかと考えて考えて、原因はメイベルだとしか思えなくなった。
メイベルになにがしかの報復をしてやろうと考え、失態に失態を重ねるのは愚かなことだと理性では思ったけれど誰かのせいにしなければ立っていられなかった。
結論が出ないまま朝が来て、カンバルトと同じ馬車で学園に向かうことになった。
どちらも口を開かず無言のまま学園に着いた。
メイベルのクラスに行くと「まだ来ていない」と言われ馬車寄席でメイベルを待ち構えたがメイベルは来なかった。
一週間メイベルを待ったが学園には現れず、そのころになってやっと冷静になれた。
メイベルに会えなくてよかったのかもしれない。
さらに十日が経って父上に面会の申し込みをした。
「父上。卒業後の私の身の振り方についてご相談したいと⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯私が紹介してやれるのは辺境伯の一兵卒だ」
「⋯⋯紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「わかった」
学園の中でメイベルとすれ違うことはあったけれど互いに声を掛けることなく卒業することになった。
メイベルもバーデンホー公爵令嬢へのやり口が酷かったことを学園の皆に知られており、嫁ぎ先は見つけられなかったと聞いた。
いくつか話はあったそうだけど、どれもみな高齢といっていいような人ばかりだったそうでメイベルは結局働くことを選んだらしい。
子爵家の使用人になってそれなりに頑張っていると聞いている。
私も辺境伯の一兵卒として慣れない下積みを頑張っている。




