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悔恨のユウシャ。  作者: 充電6%
2話 それでも明日はやってくる。
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2.2 オナジヨル。


 戻ったのは、街灯に火が入り始める頃だった。

 先にどうぞ。と、宿の扉を開けるアリシア。

 扉が閉まった瞬間、街の音が途切れた。

 祝祭が決まったと浮き立っていた喧騒は、分厚い木の扉一枚で嘘のように遮断される。

 木造建築の軋む音と、廊下に残る夕食の匂いだけが、現実を繋ぎ止めていた。

 

 部屋に戻ったリンカは肩をすくめ、背負っていた剣を外す。

 鞘が壁に触れて、乾いた音を立てた。それだけで胸の奥が小さく跳ねる。戦場では聞き流してきた音なのに、今はやけに大きい。


 鎧を外す指先が、少しもたつく。

 指が痺れているわけでも、疲労が限界なわけでもない。ただ、何をしていいのか分からなくなる瞬間が、唐突に訪れる。


 ――休め、と言われた。


 王の声を思い出し、リンカは唇を噛む。

 戦えとも、行けとも言われなかった。その事実が、まだ体に馴染まない。


 やっとで下ろした鎧の床に触れる音が、思った以上に鈍く、大きく響く。

 アリシアが一瞬、肩を揺らす。

 出会った頃から彼女は音に敏感だった。

 


「……ごめん」


 反射的に出た言葉だった。

 何に対しての謝罪なのか、自分でも分からない。

 音に対してなのか。

 驚かせたことに対してなのか。

 分からない。


 アリシアは首を横に振る。

「構いません、それよりそろそろ夕食です。着替えましょう」


 それ以上、何も言わなかった。

 

 

 部屋は簡素だった。

 小さな卓と、二つの椅子。

 寝台が二つ並び、窓は小さい。


 ――前は、もう一部屋借りていた。


 そんな考えが浮かんで、リンカは無理やり視線を逸らす。

 数を数えたって意味はない。頭では理解している。

 

着替えを済ませたころ、アリシアがベッドにぽん、と手を置き、「リンカ様」と、座る事を促す。

 

「髪――ときますね」

 ベッドへ深く座り、アリシアに頭を預ける。

 その手つきは、優しく、心地良い――

 

 

 暫くすると、夕食が運ばれて来た。

 それは宿の主人が用意してくれたものだ。

 

 固いパンと、温いスープ。

 肉は、少しだけ。


 


 戦場で食べていた保存食よりは、ずっとまともだ。

 それなのに、喉を通るまでに時間がかかった。

 固いパンの歯応えが――生きている、と。

 咀嚼する度に現実を突きつけてきた。


 二人は向かい合って座り、黙って食事をしている。


 スプーンが器に当たる音。

 咀嚼のリズム。

 それだけが、部屋にある。


 リンカは気づいていた。

 自分が、無意識にアリシアを見ていないことに。

 正確には、見られない。


 彼女がそこに“生きている”という事実を直視すると、

 自分が失ったものの数が、よりはっきりしてしまうから。

 今はそれでいいと、蓋をした。


 アリシアは黙って食べていた。

 時折、リンカの器が空きかけているのを見ると、

 何も言わず、パンを半分に割って差し出す。

 アリシアは会話も、食べる量も、昔から少なかった。

 

 旅の最中でも、彼女は何も言わず皿を差し出した。

 そういうことを、何度も繰り返してきた。

 

 今も――その延長線にいる。


「……ありがとう」

「はい」


 それだけ。

 申し訳ないと思う。こんな弱音ばかり吐く私に、まだ気を使ってくれているなんて、と。


 ふと、かつての食卓を、思い出す。

 ノリアはいつも賑やかで、リンカと肉を奪い合い、クラウンは酒ばっかり飲んで、アランは二人には食い過ぎだ、お前は飲み過ぎだ。と注意する。

 その輪の外で、アリシアは静かに微笑んでいた。


 食事をするのは戦うためだと、思っていた。

 本当は、皆でいる時間が好きだっただけなのに。

 あの時は固いパンでさえ、やけに美味しかった。


 


 ――あの時から、アリシアは変わっていない。

 ただそこに、いてくれる。



 今はその沈黙が、食事の味を薄めていく。

 

 腹が満たされると、心の空洞が際立つ。

 胃が重く、息苦しい。

 

 

 食事を終えると、リンカは椅子に深く腰を預けた。

 背もたれに体重をかけた瞬間、骨の奥に溜まっていた疲労が、遅れて浮かび上がってくる。


 身体ではなく、頭が重い。


 息を吐くと、胸の内側が微かに軋んだ。


 そのときだった。


 廊下の向こうから、声が聞こえた。

 扉一枚隔てただけの距離。意識しなければ聞き流せる程度の音量。


「……明後日だっけ、祝賀祭」


 若い男の声だった。

 楽しげで、気負いがなく、ただの雑談。


「そうそう。勇者様のやつ。街を挙げて、だってさ」


「すげえよなあ。魔王討伐だぞ? 物語みたいだ」


 軽い笑い声が続く。

 靴底が床を擦る音。歩きながら話しているらしい。


 リンカは、反射的に呼吸を止めた。


「でもさ、実際どんな人なんだろな」


「そりゃあ、強いんだろ。怖いくらい」


「いや、意外と優しいかもよ? 英雄ってさ」


 英雄。


 その言葉が、胸の内で音を立てた。


 会話は続く。

 酒の話、露店の話、祝賀会の日は宿が混むだろうという話。


 どれも、どうでもいい。

 どうでもいいはずなのに、耳から離れない。


 リンカは卓の上に視線を落とす。

 空になった器。乾いたパン屑。


 手を伸ばせば触れられる距離にある現実が、やけに遠い。


「……楽しみだな」


 最後にそう言って、足音は遠ざかっていった。


 廊下が静かになる。


 残ったのは、耳鳴りにも似た沈黙だった。


 リンカは、ようやく息を吐いた。

 吐いたはずなのに、胸の奥が詰まったままだ。


 顔を上げると、アリシアがこちらを見ていた。


 いつから見ていたのかは、分からない。


 彼女は何も言わない。

 表情も、ほとんど変わらない。


 ただ、ほんのわずかに眉が寄っている。


 それだけ。


 リンカは視線を逸らした。


「……ごめん」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。


 アリシアは首を横に振る。

 否定でも肯定でもない、静かな仕草。


 それ以上、何も言わなかった。


 沈黙が戻る。

 だが、さっきまでとは違っていた。


 祝賀の話題は消えたはずなのに、

 部屋の中には、まだ拍手の残響のようなものが漂っている。


 リンカはそれを振り払うように、背もたれから体を起こした。

 立ち上がる理由は、特にない。

 ただ、座っているのが、少しだけ耐えられなかった。



 

「ねえ」

「……もう眠れそう?」


 リンカの問いに、アリシアは少しだけ考えてから答える。


「眠れなくても、横にはなれます」


 優しい声だった。

 それが、胸に刺さる。


「……ごめん」


 また、謝っていた。


 アリシアは何も言わない。

 否定もしない。

 ただ、リンカの様子を見ている。それが分かる距離にいるのに、視線は重くない。触れられない程度の近さを、正確に保っている。


 それが、かえって辛かった。


 灯りを落とし、二人はそれぞれ寝台に横になる。

 布越しに、隣の呼吸が分かる距離。

 

 今日一日を、頭の中でなぞる。

 街を歩いたこと。

 店先で足を止めたこと。

 誰かと並んで、目的もなく時間を使ったこと。


 ――あれは、デートだったのだろうか。


 そう考えた瞬間、否定が浮かぶ。

 そんな資格はない。

 英雄だとか、勇者だとか、その前に。

 自分はもう、何かを楽しんでいい人間じゃない。


 小さく息を吐く。

 吐いた分だけ、胸が軽くなるはずだった。

 だが実際には、重さが増すだけだった。



 暗闇の中で、リンカは目を閉じた。


 ――すぐに、夢が来た。


 血の匂い。

 鉄の味。


 剣を振るう感触が、掌に蘇る。


 叫び声。

 泣き声。

 怒号。

 


 誰のものか、分からない。


 いや、分かっている。

 分かりたくないだけだ。


 リンカは夢の中で立ち尽くしていた。

 足元には、倒れた仲間たち。


 顔は見えない。

 それでも、名前は浮かぶ。


 呼ぼうとして、声が出ない。


 代わりに、誰かが言った。


 ――哀れだな。


 はっと、目を開く。


 天井が、そこにあった。

 現実だ。


 息が荒い。

 胸が、苦しい。

 汗が寝衣を濡らし、冷たく張り付いた。


 喉から音が漏れそうになって、リンカは歯を食いしばる。


 ――起こしたくない。


 そう思った瞬間、布が揺れた。

 アリシアが静かに起き上がっている。


「……大丈夫ですか」

 囁くような声。


 リンカは首を横に振った。

 言葉にすると、壊れてしまいそうだった。


 アリシアは、リンカの寝台の縁に腰を下ろす。

 触れない。

 触れないけれど、そこにいる。


 それだけで、呼吸が少しだけ落ち着く。


 沈黙が流れる。


 長い、長い沈黙。


 やがて、リンカは小さく呟いた。


「……明後日、祝賀祭だね」


「はい」


「……嫌だな」


 それは、本音だった。

 アリシアは少しだけ目を伏せる。


「……そうですね」


 同意でも、否定でもない。

 それが、今の二人にとっての限界だった。


 外では、夜風が吹いている。

 遠くで、誰かの笑い声がした。


 世界は、何事もなかったかのように回っている。


 リンカは目を閉じる。


 眠りに落ちるのが、怖かった。

 目を覚ますのも、怖かった。


 それでも、時間は進む。


 祝賀祭まで、あと一日。


 何も決まらないまま、

 二人は同じ部屋で、同じ夜をやり過ごす。

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