2.1 タリナイオト。
王城に呼び出されたと聞いたとき、リンカの胸は嫌な音を立てた。
まただ、と思った。
次はどこへ行けと言われるのか。
どの国境か。
どの残党か。
どれだけ死ねば、もう十分だと言ってもらえるのか。
呼び出し、命令、出立。
それを繰り返してきた。
王族は気まぐれで、保守的だ。
魔王を討ったあとでさえ、それは変わらなかった。
玉座の間へ向かう長い廊下は、静まり返っていた。
磨き上げられた床に、鎧の足音がやけに大きく響く。
――前は、違った。
隣ではクラウンが歩幅を合わせてくれていたし、
少し後ろでノリアが小さく欠伸をして、
先頭ではアランが振り返って「早く終わらせて飯にしようぜ」と笑っていた。
五人で並ぶと、廊下は少しだけ狭く感じた。
肩がぶつかって、文句を言って、それでも前に進んだ。
今は、やけに広い。
アリシアとは宿を出てかから一言も会話はなかった。
ただ、彼女は静かにリンカの隣を歩くだけだ。
自分の足取りが酷く重かったことだけ、覚えている。
玉座の間に足を踏み入れた瞬間、リンカは違和感を覚えた。
血の匂いが、しない。
戦場から戻った直後の謁見では、いつも誰かが顔をしかめていた。
血。
汗。
鉄。
それらを身にまとったまま、勇者一行は立たされていた。
だが今日は違う。
居並ぶ王族と貴族たちは、艶やかな衣装に身を包み、
誰一人として、死者の話をしない。
ここに、死者はいないのだから。
王は満足げに頷き、功績を称え、勇者の名を口にした。
魔王は討たれた。
世界は救われた。
王国は勝利した。
「祝賀祭を開こう」
その言葉を聞いた瞬間、リンカの思考は、ほんの一拍だけ遅れた。
祝賀祭。
祝い。
勝利。
――ああ。
この人たちは、戦っていない。
血の重さも、
骨の折れる音も、
仲間が倒れた瞬間に、時間が引き延ばされる感覚も。
命が、尽きる瞬間さえ。
何一つ、知らない。
だから、祝える。
「初日の夜には貴族、要人を招いての席も設けよう。
形式的な挨拶はその場で済ませてくれ」
「祭りは明後日だ」
「それまでは休息を取るといい」
戦え、とは言われなかった。
その事実に、リンカは安堵してしまった。
胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなる。
その軽さに、すぐ罪悪感が追いつく。
戦わなくていいことに、ほっとしてしまった。
――勇者失格だ。
――卑怯者。
リンカは目を背けるように――立ち去る。
城を出ると、空はよく晴れていた。
街は、祝祭の準備で賑わっている。
布が張られ、屋台が並び、子どもたちが走り回る。
笑い声。
音楽。
平和の象徴みたいな光景。
それが、ひどく眩しかった。
前は、この街を見るたびに思っていた。
――守れている、と。
今は、思えない。
誰を、
どれだけ、
犠牲にして、ここに立っているのか。
考え始めると、足が止まりそうになる。
「リンカ様……」
隣を歩いていたアリシアが、静かに声をかけた。
「デート」
「……え?」
「デート、しましょう」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
こんな気分で?
こんな日に?
視線を向けると、アリシアの表情はいつも通り穏やかで、
冗談とも本気とも取れない顔をしている。
――気を遣ってくれている。
それだけは、分かった。
「……いいよ」
リンカは短く答えた。
拒む理由を、探せなかった。
*
ただ、街を歩く。
それだけのことだった。
歩調を合わせて、並んで。
会話は、ぽつり、ぽつり。
五人で歩いていた頃も、こういう時間があった。
討伐の合間、補給のために立ち寄った街。
アランは屋台の酒に目を輝かせ、
クラウンはいつの間にか鍛冶屋に捕まり、
ノリアは菓子を買いすぎて叱られていた。
リンカは、その全部を見ていた。
まとめ役のふりをして、実際には一番楽しんでいた。
今は、笑えない。
それでも、歩いている。
それだけで、胸の奥の張り詰めたものが、少しだけ緩む。
屋台の前で、リンカは足を止めた。
肉が焼ける音。
脂の弾ける匂い。
昔は、五人で並んで待っていた。
それが、当たり前だった。
今、隣にいるのはアリシアだけだ。
それが寂しいとは、思わない。
思ってはいけない。
昔、ノリアが言った。
「リンカ、またそんなに食べるの?」
「そりゃあ戦うからね!体力つけなきゃ」
「でも全部胸に行ってるじゃん」
「そんなだからノリアはつつましいままなんじゃないの〜?」
「言ったな〜?このおっぱい勇者〜!」
「こら!急に揉むな〜!」
くだらない会話。
どうでもいい時間。
今思えば、それがどれほど貴重だったのか。
止まったリンカに視線を移し、一拍、
アリシアが、無言で屋台に向かう。
一本、二本。
気づけば、両手いっぱいの肉串。
「こんなに……?」
「いつもこれくらい食べられていましたよ」
即答だった。
リンカは小さく笑い、一本目にかぶりつく。
肉汁が口の中に広がる。
美味しい。
……ちゃんと、美味しい。
それが、少し怖かった。
二本目。
三本目。
無言で食べ続ける。
五人でいた頃、リンカは誰よりも食べていた。
戦うために。
生きるために。
今は、理由が曖昧だ。
それでも、身体は求めている。
生きようとしている。
ふと、思い出す。
怪我をして倒れた夜。
血だらけで戻ったリンカに、
アリシアは何も言わず、ただ傷を癒した。
アランは冗談を言って、
ノリアは泣きそうな顔で怒って、
クラウンは、少しだけ目を伏せていた。
五人とも、何も正解を知らなかった。
それでも、一緒にいた。
今は、アリシアだけが残っている。
残った、という言い方が、胸に刺さる。
「そういえば……昨日からろくに食べてなかったな」
「……ねえ、アリシア」
リンカは、空を見上げたまま言った。
「私たち……ちゃんと、救えたのかな」
街は平和だった。
少なくとも、そう見える。
これは“結果”だ。
その過程で失われたものは戻らない。
名前を呼んでも、返事はない。
アリシアは、すぐには答えなかった。
リンカの歩幅に合わせ、半歩だけ近づく。
皆で歩いていた頃と、同じ距離。
「リンカ様が選んだ道は……」
一拍、間を置いて。
「リンカ様の道です」
正しい、とは言わない。
間違っていない、とも言わない。
選んだ。
それだけ。
リンカは、その言葉に少しだけ救われ、
少しだけ縛られた。
祝賀祭は、明後日。
また勇者を演じる日。
王族と貴族の笑顔に囲まれ、
勝利の象徴として立たされる。
そこは、リンカを削る場所だ。
それでも。
隣にいる。
アリシアは、そう思った。
五人だった頃のように。
それが救いでも、呪いでも構わない。
夕暮れの街で、二人は静かに歩き続ける。
人数だけが、足りないままで。




