8話 ロマンチックじゃないキス
アジア系の女の人──もしかしてアオイか? ヤバい、動いてるとこを見られた!? 俺はぱたりと台の上に倒れる。まるで天井から頭に繋がってた糸が切れたかの様に。
わ、分かってる! これが無駄な抵抗だと充分分かってるけど、悪あがきせずにはいられない気分だ。俺のチキンな心臓がドキドキ言ってる。水分が足らないせいなのか不整脈みたいになって苦しい。
『“うわぁ!! えっ? ちょっ、ちょっと……”』
……あれ、今聞こえたのって日本語だったよな? ちょっと訛ってるみたいだけど、母国語だ! 初めてこの世界に来た時、公用語が知らない言語だったから、てっきり異世界に来たと思ったんだ。まあ俺は転生者特典みたいな感じで喋る事や読み書きも出来たけど。
考えてみれば今の時代は昔と違ってみんな英語を喋ってる。しかし日本語は良いな〜。久々に聞いた母国語に安心したのか、俺の慌ててた心がちょっと落ち着いた。
『“ちょっと──”』
どうやらアオイも俺と同じくらいテンパってたらしく、咳払いして英語で喋った。
「ゴホンッ。だ、誰ですかこんな事をしているのは! 州の文化財にイタズラをして大変な事になりますよ。見なかった事にするので、直ぐにやめましょう?」
おっかなびっくり俺の方に近付いて来た。ああ〜そういう反応ね。そりゃそうか、ここにいる人間達は科学者だもんな。非科学的な事って信じないか。
それならアオイには悪いけど少しだけ血を分けてもらおう。どうせ大して飲めないだろうけど、せめてちゃんと動けるくらいにはなってくれよ、俺の体。今までは冬眠中の動物みたいに動けない分、エネルギーの消費はほとんど無かったらしい。まだ自我があるうちに、腹ごしらえしないと後々ヤバそう。
よーし、タイミングを見計らって……。
「血イィィィ……血ィヲ……」
ええ……何で声出ちゃうかな……。アオイが目を見開いてこっちを見てるじゃん。ええい、こうなったら──。
俺はガバッと起き上がり、アオイに催眠術をかけて飛び付いた。狙うは首筋だ! だけど体は俺が思ってた以上に血を欲してたらしい。思いっきり力んで、目算つけてた首筋を通り越し……あろう事かアオイの唇を奪ってしまった。
ど、ど、ど、どうしよう、こんな萎びたミイラとキスしたなんて知ったら……。あっ、まだ催眠が効いてるんだから知られるはず無いよな。大丈夫、大丈夫。
俺は不慮の事故を無かった事にして、そのままアオイの肩を勝手に借りてモゾモゾと体制を立て直した。改めて首筋に牙を立てようとアオイに顔を近付ける。
その時アオイの顔も動き、その焦茶色の瞳に俺の顔がうっすら映ってる事に気付いた。普通、催眠状態なら動けるはず無いのに……。何故か催眠は解けてしまっていた。そしてアオイは躊躇なく全力で俺を振り払う。
「イ、イヤァッ!!」
「ヴァァァッ……」
栄養失調で動くとプルプルする状態の俺が、至って健康なアオイの力に適うはず無く、床にトサッと倒れ込む。
ん? この匂いは……。俺はアオイが床に置いたバッグのひとつににじり寄る。
「何ですか!? 何なんですか! こんな事して……って」
『“イヤァーーー!! 私ミイラとキスした!? うわっ汚っ……。 何か変なウイルスを持ってたりしないでしょうね……? あ、ウイルスの研究だったか、って……ウエットティッシュ、ウエットティッシュ! うわっ……何してるのっ!!”』
俺はハッと我に返った。気付けば赤い液体が入ったパックに口を付けてチューチュー吸ってたらしい。口の中に鉄臭い匂いが広がってる。これってまさか──血?
だけどすごい! 普通の血とちょっと味が違う気もするけど、これ全然生臭く無いし、生暖かく無い。これなら飲める!! 俺は感動にプルプル震えながら、空になったパックを置いてもうひとつ開けて飲む。
『“……ちょっと、やめてよ!!”』
って言うか何で? 何で催眠術が解けてたんだ?? 研究室から逃げるまでバレない様にかなり強めに掛けたはずなのに。俺は首を傾げながらもうひと口血を飲む。
『“だから、やめてって言ってるの! ……そうか、日夲語だと分からないわね”』
「──やめてください!」
俺は鋭いアオイの怒声にビクッとなる。
「……ヴォ……めんなザィ」
おお、しわがれてるけど、思ったよりちゃんと声が出る。血を飲めたからか? アオイは俺の声を聞いておっかなびっくり質問した。
「しゃ、しゃ、喋った……。あ、あの、あなたは操り人形とかでは無く、本当にケリー伯爵のミイラなんですか?」
俺は頷きながらもうひと口パックから血を吸った。あ……まずい、ダメだと言われてたのに飢えてる体が勝手に動いちゃう。
「それで……あなたがそれを飲んでいると言う事は……吸血鬼なんですか?」
俺が頷くとアオイはため息を吐きながら椅子に座った。
「そうですか……。それならあなたが持ってるそれは差し上げます。一度開けられた物は使えませんから……」
「ヴォ、ごォ……ゴめんねェ〜」
どうしても化け物チックな発声になるけど……やったぞ! 血を飲むお許しをもらえた。俺もアオイに倣って椅子に座ってゆっくり味わおう。
アオイの隣は……うん、怖がられてるからダメそうだな。ひとつ開けた隣に座ってパックの血液をチューチュー吸いながら、ちらちらとアオイを伺い見る。
小柄な可愛い系美女だ。白衣を羽織り、束ねた黒髪をヘアクリップで纏め上げている。その瞳の奥には隠し切れない好奇心の色が見て取れた。そ、そんなに見ないでくれ、100年以上女の子と関わって来なかったんだ。恥ずかしいじゃないか。
そ、そ、そんな事よりこの血は凄い! やっぱり生臭く無い、俺でも飲めるぞ。この感動はしっかり伝えなくては。血を口に含ませ喉を湿らせて、血液パックを掲げた。
「これ俺、飲める、すごイ!」
しばらく喋って無いせいか、舌が上手く動かなくてカタコトになっちゃったけど、声はだいぶ戻って聞き取りやすくなったはず。感謝の気持ちはきっと伝わったよな。どうだ? 視線をアオイに向けると、何とも言えない微妙な表情をしてた。
あれ……もしかして喋り方キモかった??




