6話 アオイ サトウ
バタン!
…………あれっ? もしかしてあまりの臭さとショックで俺、気絶してたのか!?
うおぉぉー! 今度は何年経った!?
いや、研究室の壁に掛かった時計を見る限りひと晩経っただけだな、良かった〜。どうやら勢い良くドアが閉まる音で目が覚めたらしい。何もされてないよな?? 吸血鬼だってバレてない?
「遅刻して申し訳ありません! 助手として参りました、蒼 佐藤です。今日からよろしくお願いします」
若い女性の声だ。すごい息を切らせてる。
「おおアオイさん、おはよう。大丈夫だよ丁度9時ぴったりだ。流石真面目な日夲人だね。君に来てもらえて嬉しいよ」
日本人!? って言う事はこの世界ってやっぱり──。
「それに謝るのはこちらだ。どうやら知らせを出す相手を君ではなく、トーマス君だと勘違いしていた様で……トーマス君から抗議を受けたよ。こちらの手違いで君にも迷惑をかけて本当に申し訳無い。今日からだけど、よろしく頼むよ」
「あっ……いえこれしきの事、気になさらないでください。教授には在学中、大変お世話になりましたから。こちらこそよろしくお願いします」
……この話ちょっとおかしい気がする。このアオイって人の反応からして、トーマスって奴とグルになって何か隠してるな。トーマスって昨日のコロン男の事だろう。『トム』って呼ばれてたし、間違い無い。
ははーん、さてはアオイに押し付けて逃げたか? そういえば昨日『アオイ』とか言ってたもんな。あの時はそれどころじゃなくて、気にしてる余裕無かったけど。文化財を汚したんだ、わざとじゃなかったみたいだし、逃げたくなる気持ちもちょっと分かる……けど許すかどうかは話が別だ。
何なんだアイツは!! 女の子にチヤホヤされて、羨まっ──じゃなかった。別れた相手に罪をなすりつける最低野郎を許せるほど俺の心は広くないぞ。今も襟元が青臭いんだからなっ! それに人に迷惑かけちゃダメだろ。アオイも教授も明らかに困ったような声色してたじゃん。
「それではまず簡単に、この研究室で行う研究について説明しておこうか。君はこのミイラが吸血鬼だったのではないか、と言う噂を知っているかね?」
「ええ……ですが吸血鬼など非科学的な存在ではありませんか?」
「うむ、その点は様々な意見があるが、私は吸血鬼とは未知のウイルスに感染した人なのではないかと考えている。まあ、実際彼らの様な存在がいたら、ロマンがあるとは思うがね」
教授の笑い声が聞こえる。なかなかお茶目なオッサンだ。
「教授は様々な文献に残る吸血鬼の打たれ強さや怪力、凶暴性などはウイルスに感染した事が原因だとお考えなのですね?」
「ひとつの仮説だがね。そのウイルスを発見して人体に害のある部分を取り除けたら、人々の暮らしがより豊かになるのではないかと思うのだ。改めてよろしく頼むよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
へぇ、なかなか良い研究じゃないか。でも俺はウイルスなんかに感染してないから調べないでください!
「それでは来てもらって早々で悪いけど、このミイラを検査機器にかけようと思っていてね、手伝ってくれ」
「はい」
それから俺の願いは叶う事無く、CTとX線検査をされた。この服はブローチとか金属が付いてるから、X線検査で服を脱がされるかとドキドキしたけど、文化財を傷付けない様にって言う博物館側からの要請で着衣のままで済んだらしい。
人前ですっぽんぽんにならずに済んで本当によかった。くっ……またフィンリーに感謝することになるなんて。
検査されて、いつ生きた吸血鬼だってバレるかの緊張もあるけど、良い事にも気付いた。なんとここの加湿器のおかげか、ほんのちょっと動けるようになったんだ。断じてトマトジュースのおかげではないはず。
まだどれくらい動けるかはよく分かってない。人に見られるといけないから、足の指をほんのちょこっと動かしただけだ。動いてるのを見られたら即刻生きてるってバレて、平穏な展示物ライフとおサラバしなきゃいけなくなるからな。
そんな事を考えてるうちに、気付いたら昼休みになってたらしく、研究室にいるのは俺だけになってた。よし、どれくらい体が動くのか確かめてみよう。
……ふんっ、ふんふん! ふっ! ほっ!
おっ、腕も足も意外と動く。それに口もちょっと動いた。それなら声は?
「………………ヴァ……ァ……ァァ」
うわぁ、我ながら怖っわ……。本当化け物みたいな掠れた呻き声だな。しかもか細いって無いわー。
でも体が動くってやっぱ良いな。そう思いながら調子に乗って手足をモゾモゾと動かしてると、ドアが開く音が聞こえた。
ヤバっ! 元のポジションってこんな感じだったっけ? 動いてたの見られて無いよな……?
息を呑む声がした後、足音が俺の真横まで来て止まった。今見られてる、絶対見られてるよぉ……。やっぱり研究者の視線は遠慮が無い。
俺は調子に乗った事を激しく後悔しながら息まで止めた。俺を見てる人間のちょっと強めの鼓動まで聞こえる。やっぱり疑われてるらしい。
でも俺の心臓だって口から出そうなんだぞ。本当、生きた心地がしない。緊張し過ぎて周りの音がシーンと聞こえるくらいだ。すると足音が遠ざかりドアを開ける音が聞こえた。
……ふぅ、どうにかやり過ごせたみたいだな。元のポジションに戻りながら、そう思ってると廊下から声が聞こえた。
「きょ、きょ、教授っ!! 丁度いい所へ! 今っ、今あのミイラが動いてた気がするんです!!!」
「何ぃ、ミイラが動いた? 本当か?」
げっ! パタパタと慌てた様な足音がこっちへ向かって来る。
「きょ、教授! よしましょうよ……」
「……何だ、動いていないじゃないか」
つまらなさそうな教授の声がした。動いてた事はどうにかバレなかったみたいだけど、心臓がいくつあっても足りない。俺は今後、日中は微動だにしない事を心に誓った。




