59話 裏切り者の言い分4
550年前、仕方なく生き血を啜ってた頃にも多少感じた感覚だったが、当時とは比べ物にならないくらい高揚感が強い。かなり久しぶりの生き血だからなのか、さっきは不快感が弱かったからなのか、それ以外なのかは分からない。
しかし貧血気味でフィンリーに聖水の攻撃をくらい、蒼が美味しそうに見えたあの時の、体が血を欲する感覚とはまた違う。俺の心とは裏腹に体は久々の生き血を喜んでいると嫌でも感じた。
今まで無意識に封じ込めていた、吸血鬼として当たり前に感じるであろう感覚が吹き出している実感と共に、俺が俺では無くなってしまいそうに感じてとても怖い。
俺の異変を感じ取ったのか、フィンリーが蒼を背後に移動させ、警戒の目をこちらへ向けた。そう、それで良い。本当にありがとう。
だが気を抜いた途端、蒼とフィンリーが発する女性の匂いに反応して、体の芯からゾクリと快感に似た震えがはしった。
生き血とはなんと恐ろしい物なんだ。たったあれだけの量でこんなになるなんて。牙の付け根が使えと言わんばかりにむず痒い。間違えても体がこれ以上生き血を求めたりしないように、蒼とフィンリーに背中を向け、後ろにあったクッションを抱いて噛み締める。
生き血は生臭い物だ、俺が飲む物じゃないだろ! 蒼だって見てるんだぞ! 俺は人間なんだ!! 耐えろ、耐えろっ、耐えろッ!
頭の中で渦まき、膨らもうとする欲望を必死に抑え込む。肩で息をしながら力んだ腕でギリギリとクッションを抱きしめ、食いちぎりかけたその時、体の熱っぽさや高揚感がサァッと引いてゆくのを感じた。恐る恐るクッションを離し、大きく深呼吸を3回する。
「ご心配おかけしました。もう大丈夫みたいです」
汗で額に張り付いた髪を手でかき上げながらそう言うと、デボンは自身の指の切り傷を見て興味深そうに呟いた。
「やはり僕の、いいえ吸血鬼の血は美味なのですか? レイラ様も薬として以前に、その味を前に耐えられなくなったのでしょうか?」
「……は?」
「吸血鬼にとって同族の血が最も美味しく感じると以前小耳に挟みましてね。まあそれは道徳的に考えて禁じられた行為なのですが。おや、ご存知ありませんでしたか?」
気付けば反射的にデボンの胸ぐらを掴んでいた。コイツ、あわよくば俺が暴走する事を狙ってたのか? ……いや、コイツは相手の心情や事情を理解する能力が弱いんだ。
思い返してみれば同族の血に関しては元祖ジョージの記憶にもあるんだな。迂闊にデボンの血を口に入れた俺にも非はあるのか。
「……さっさと終わらせましょう」
指先をナイフで少し切り、差し出そうとしたが、あっという間に傷が塞がってしまった。もっと大きく切らないとダメなのか……? 思わず手が止まる。
「さっさと終わらせるんじゃなかったの? もしかして怖いのかしらぁー?」
茶化すようにそう言うフィンリーをキッと睨む。しょうがないじゃないか、自分で自分を傷付けた事なんて無いんだぞ! それに蒼の前でそんな恥ずかしい指摘をするなよ。
「こ、怖くなんかないですよ! 今、精神統一してたところです」
ええい、なるようになれ! 目を背け指を切り付ける。うぅ……凄く痛い、無意識に涙が滲む。かなり深く切ったらしく、血が滴り落ちる感覚を感じた。極力傷口を見ないようにしながら指を振る。
「ほらっ、また傷口が塞がっちゃう前にさっさと飲んでください」
3度も自分で自分を傷付けるなんてごめんだ。デボンは笑いを堪えるような表情で俺の手を取り、滴り落ちる血を舐め取った。そのまま俺の指を咥え、流れ出る血を吸う。しばらくして傷口が塞がったのか、名残惜しそうな表情で俺の手を離し呟いた。
「何と格別の味なのでしょうか。これはレイラ様が夢中になるのも頷けますね」
うわぁ、こっちは男に指をしゃぶられてただでさえ微妙な気分なのに、そんなうっとりした表情で言われてもな……。それに俺はあんな目に遭ったのに何でデボンはケロッとしてんだよ。くそー、何だか負けた気分だ。こんなんでいざと言う時、本当にコイツの行動を制限できるのか?
「それは問題ありません」
デボンが微笑む。へっ? もしかして今の考え口に出してたか? いや、そんなはず無いよな?
「まさか心の声が……?」
「まさか! 純血のジョージさんに出来なくて、元人間の僕に出来る事などありません。ただジョージさんはその……大変真っ直ぐなお方ですから、恐らくそのような事を考えているのではないかと想像した次第です」
「俺って分かりやすい……?」
蒼もフィンリーもコクコクと頷く。嘘……だろ? 俺は口数が少ないから、ミステリアスなキャラで通ってると思ってたのに〜!
「何を驚いておられるのですか? 少々子供っぽい所が見受けられるのは玉に瑕ですが、いつまでも若々しく居られるのは良い事です」
俺が子供っぽいだって!? うぁぁー!! 薄々勘付いてた事を言われると、物凄い恥ずかしんだけど。もう黙っててくれよ!!
「いつまでも少年の心を──」
……あれ、デボンが急に口を閉じたぞ? その様子を見てフィンリーが首を傾げる。
「もしかして今のって不死の王が黙らせたのかしら?」
デボンが頷いてる。無意識にやってしまったらしい。いざという時以外はやらないって心に決めてたのに。デボンは大丈夫だろうか? 苦しかったりしないよな?
だがデボンは俺がそんな心配をしたのが馬鹿みたいに思えるほど、ケロッとした表情でカバンから布の包みを取り出しフィンリーに渡した。何重にも巻かれた布の中から出てきた物は聖書だ。
「こちらはリチャード君のご遺体を引き受けた際に見つけた物です。今まで忘れていて申し訳ありません。しかし刺し傷とは反対側の胸ポケットに入っていたとは言え、このように綺麗な状態だったとは奇跡ですね」
「……貴方よくこれに触ろうと思えたわね?」
「いいえ、流石に無理ですので助手に頼みましたが……ええと、フィンリーさんにとっては大切な物ですよね?」
「……ええそうよ。でもお礼は言わないわ」
フィンリーは優しく撫でていたリチャードの聖書をそっとスーツの懐にしまった。
「結構です。さあ、皆様覚悟はよろしいですか? 協会が動く前にレイラ様を抹殺しに参りましょう」




