54話 折り紙
蒼が呪いを受けてから3日目の晩になった。大丈夫だ、聖水はきちんと効果を発揮してると信じてはいても不安で落ち着かない。2人でソファーに座り、固唾を飲んで時計を見つめる。遂に呪いを受けた時間を過ぎた。
「何とも無いか? 大丈夫か?」
「ええ、特に変化は無さそう」
「良かった、良かったよぅ……」
穏やかに笑う蒼を見てるうちに、緊張の糸が切れ嬉し涙が滲んだ。
「もう、そんなに泣いていたら、いつかミイラに戻ってしまうかもしれないわよ?」
そう言うと蒼は俺の背中に腕を回した。想像もしてなかった蒼からのハグに、喜びと驚きで体がビクッと跳ねる。蒼の背中に腕を回しかけ、どうにか思い止まった。
「……い、良いのか?」
蒼は照れたように俺を見上げ頷いた。
「今回は特別。私がきちんと生きていると確認したくないの?」
「うっ、うんっ! したい!」
涙と鼻水を拭き、遠慮なく蒼の背中に腕を回す。ギュッと抱きしめると、いつも通りの控えめなシャンプーの匂いと、心地良い体温を全身で感じた。蒼の息遣いと、いつもより少し早い鼓動の音を聞いてると、腕の中で確かに蒼が生きてる実感が湧き更に涙が出る。
「うん、ちゃんと生きてる。良かった、本当に良かったぁー」
それからしばらく蒼は静かに、俺を安心させるように、ただ背中をポンポンと叩いてくれていた。
*
翌日の夕方、蒼と一緒にテプンルバーの南端へ来ていた。会議が終わらないと合流出来ないフィンリーの代打で、例の知り合いの医者だと言う、ベテランヴァンパイアハンターが来てくれるはずなんだけど……。指定された待ち合わせ場所で、かれこれ30分以上は待ってるのに全然来ない。
「出来た!」
暇つぶしにキャラメルの包み紙で折り紙を折ってたけど、これで何個目だろう?
「今度は何を折ったの? 暗くて見えないのよ」
「足の生えた紙飛行機」
「へ、へえ……さっき見せてくれた跳ねるカエルもそうだったけど、足が生々しいわね……」
蒼がスマホの懐中電灯で照らしながら微妙な表情をする。ちゃんと立つところとか、結構気に入ってたんだけどな……。
この頃は日の入りが早くなってきてるせいか、もう暗くなってしまった。蒼は何事もなさそうに振る舞ってるけど、吐く息が白く鼻の頭も赤くなってる。
「何か温かい飲み物でも買いに行かないか?」
「とても魅力的な誘いだけど、私達待ち合わせ中なのよ?」
「寒いんだろ? あそこのカフェとか温かそうだ。こんな中で連絡無しに30分も待たせる奴なんか、少しくらい困らせても良いんじゃないか?」
「そんな意地悪な事言わないの。まあ確かに、この場所が見えるあそこのカフェで待つのなら、良いかもしれないわね」
「うん。あそこならホットチョコレートがある予感がするんだ。行こう」
「ええー、どうせホットチョコレートの匂いを嗅ぎつけたんでしょ?」
2人でカフェに向かいかけた時、壮年のくたびれた雰囲気の男が走り寄って来た。そう言えばあの顔、昨日のリチャードの葬式で見たな。俺も蒼も参列せず遠くから見てただけだったけど、間違い無い。男は俺達の前へ来ると、困ったような柔らかい微笑みを浮かべた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません!」
ん? よく見れば、整った顔立ちをしてるし、医者というだけあって白髪混じりの茶髪は、ある程度整えられ清潔感がある。服装や髪型が変わるとイケオジになりそうだ。
「こんばんは、アオイさんとジョージさんですね? 僕はフィンリーさんの代打で来た者です」
もしかして遅れて来たのって、仕事をして直行して来たからか? この男からは、ほんのうっすらだけど血の匂いと言うか、吸血鬼の匂いがする。
……怖っ! 俺にやましいところは無いはずだけど、あまり大きな態度を取ったりしないよう、気をつけよっと。
「寒空の中お待たせしたお詫びと言っては何ですが、こちらをどうぞ。買ったばかりなのでまだ温かいはずですよ」
そう言いながら、両手に持った湯気が上がる紙コップを差し出した。おおっ、ホットチョコレートだ。蒼のは匂いからしてストレートティーだろう。
受け取ろうと手を伸ばすと、さっきキャラメルの包み紙で折った折り鶴が落ちた。たぶん袖口に入ってたんだろう。慌てて拾い、ポケットへ仕舞ってからホットチョコレートを受け取る。
「おおっ、ありがとうございます! 俺ホットチョコレートが好きなんですよ〜」
「良かったわね。私も紅茶好きなので嬉しいです。ありがとうございます」
「喜んでいただけて、買って来た甲斐がありました。ところで今のは折り紙ですか? アオイさんが折られたとか?」
「は、はい!」
否定しかけて慌てて頷く。俺より蒼が折ったと言った方が自然だ。ホットチョコレートを飲んでると、蒼から『私にあんな変なレパートリーは無い』と言いたげな視線を感じた。
「素晴らしいですね! 今度僕にも折り方をご教授願えますか?」
「え、ええ……」
蒼が引き攣った笑みを浮かべ頷く。悪い事しちゃったか? 俺が折ったと言っておくべきだったもしれない。まあ社交辞令だろうけど。
「蒼、悪いんだけど飲み物を交換してくれ。キャラメルを舐めた後で甘さを感じないんだ」
「しょうがないわね……。あの、せっかく選んでくださったのに、すみません」
蒼に脇腹を小突かれ、一緒に頭を下げる。
「ごめんなさい」
「お気になさらず。あっ、自己紹介がまだでした。僕はデボン ファレルと言います。よろしくお願いします」
デボンはやはり少し困ったような微笑みで握手を求めた。
「「よろしくお願いします」」
「しかしレイラ コリンズとは恐ろしい吸血鬼ですね。このような愛らしいお嬢さんに呪いをかけるとは、許せません」
「本当に……本ッ当に許せません」
俺の血が欲しいがために、あの女は蒼の命をいとも容易く踏みつけにしようとした。あの女への殺意は、自分への怒りは、前より弱まりはしたが依然として俺の中にあり、燻り続けている。このようにふとした拍子に思い出すと、心の中でムクムクと膨れ上がり──。
「譲二さん! ……落ち着いて、私はちゃんとここにいるわ。だからそんな顔しないで。……ね?」
気付いたら手袋を外した蒼に手を握られていた。膝の上で握り締めていた俺の手の掌には、爪が食い込んだ跡がくっきり残っている。そして爪には、ほんの少し血が付いていた。
ハッとして両手で顔を覆う。……俺は今どんな表情をしている?
「みっ、見ないでくれ! こんな俺を蒼に知られたくないんだ」
「……『こんな俺』ってどんな『俺』? まさか寒空の下、裸で踊りたくなる癖を必死で抑えているとか? 本当はホットチョコレートより生き血を啜りたいとか?」
「違うよ……」
「じゃあ、実はレイラに気があるとか?」
「違うっ! 本当の俺は凶暴で執念深くて打算的なんだ。…………俺の事嫌いになったか? ……なったよな?」
「なーんだ、どんな告白をされるかと思えば。今更そんな事で嫌いになんてならないわ。トーマスにトマトジュースを掛けられた事をずっと根に持っていたし、よく交換条件とか出して来るでしょ? それに私のために凶暴になってくれるのは嬉しい。…………かもしれないわねっ!」
蒼は顔を真っ赤にして、ひと息でそう言い切った。しっ、静まれー! 俺の胸の高鳴り。これからあの女の信奉者を炙り出さなきゃいけないのに、蒼の恥ずかしさが移ったのか、俺の顔まで熱くなってきた。
「いやはや、お二人共お話で聞いていた通り熱々で初々しい。ですがこの寒さで呪いを受けたアオイさんの体が消耗してしまわないか心配です。ここは僕に任せて、どうぞお二人はお帰りください」
「ええと、お言葉はありがたいのですが、レイラの部下を見つけ出さないと。私は大丈夫です」
「いいえ、アオイさんはお体がお辛い中、こんなに暗くなるまで人目につく場所にいてくれたんです。充分囮役を果たしてくれました。レイラ コリンズの部下は今も間違い無くお二人を見張っているでしょう。主人への報告を考えているか、アオイさんの抹殺を企んでいるかもしれません」
周りの気配を探りかけたその時、デボンが静かに素早く首を横に振った。
「ジョージさん、どうかそのままで! 貴方がいるから迂闊に手を出せない、周りの吸血鬼はそのような状況に置かれているはずなのです。ですからここで僕と別れませんか?」
それで俺たちが家へ帰れば、後をつけて来た奴があの女の信奉者だと分かると言う訳か。確かに囮らしい役割だし、蒼の負担が少ない。
「お言葉に甘えて俺達は帰ろう?」
「分かったわ。断れば貴方に抱き抱えられて強制帰宅する未来が目に見えるし」
うっ、実際ごねられたらそうしようと考えてた。俺の考えは蒼に筒抜けだな。まあそれだけ俺が蒼の事を大切に思ってるのが、伝わってるって事か。うんうん、良い傾向だ。
「お二人共お気をつけて。……ジョージさんがいるのですから不要なセリフでしたね」
「いえいえ」
すれ違い様にデボンの肩をポンポンと叩き、振り返る事なく何事もなかったように2人で家へ向かった。




