51話 聖水
「それで聖水が必要なんだったかしら?」
「はい、蒼に飲ませる分と聖水の風呂に入れるよう、バスタブ一杯分を分けてください」
聖水には邪なものを浄化し、疲弊した体を癒す効果があるらしい。もちろん人間限定だが。その事と蒼が呪いを受けた経緯を、あの女からのメッセージカードを見せながら、フィンリーに説明した。
「分かったわ。アオイさんに飲ませる分だけでも急いで用意するから待ってて」
フィンリーは部屋の奥で聖水を水筒に移し替えながら思い出したように言った。
「ところでレイラ コリンズは退治する事になるわよ。同族の死は覚悟しておいて。まあ、貴方に何と言われようと──」
「確実に息の根を止めてください。あの女は吸血鬼ではなく化け物だ。本当なら今すぐ俺が心臓に杭を突き立てて殺してやりたいんですが、蒼に禁じられてしまって……。フィンリーさんには、汚れ仕事を任せる事になってしまい申し訳ありません」
振り返ったフィンリーは俺の顔を見てため息を吐いた。
「まあ、ずいぶん凄みのある声だと思ったら……顔まで怖くなってどうするの。そんな状態で目を覚ましたアオイさんと顔を合わせるつもりかしら? 早くいつものヘタレに戻りなさぁい」
両手で顔を覆う。いつも表情や感情のコントロールが上手く行っていない気はしていたが、今はそれに拍車がかかっている。
「はは……蒼が呪いを受けたのは、俺が甘い考えで後先考えずにあの女を逃したせいなんですよ。どの面下げて会えば良いのか分かりません」
「急いでアオイさんの呪いを解いて謝れば良いの。第一にアオイさんは貴方を優しい人だと言ったのよね? それならレイラコリンズを逃した時の貴方の気持ちも理解してると思うけど」
「それでも自分で自分が許せない」
「はぁー面倒くさい男ねぇ。せめてアオイさんの前でだけは、いつものヘタレなお利口さんを演じて安心させてあげたらぁ? 今はそんな気分じゃなかったとしてもね」
そう言いながらフィンリーが聖水が入った水筒を押し付ける。
「ありがとうございます」
「さあ、早くアオイさんに飲ませてあげて。昼ごろまでには聖水風呂の用意をしておくわぁ」
「よろしくお願いします」
*
「蒼、ただいま」
頬にただいまのキスをする。聖水を飲ませようと蒼の上体を起こすと、くすぐったそうに小さく身じろぎした。
「……ん、譲二さん?」
「あっ、蒼っ!! 起きたのか!?」
「ちょっと……そんなに大きな声を出してどうしたのよ?」
「だって……だって……蒼が全然目を覚まさないから。心配したんだぞ」
ギュッと抱きしめると、蒼はあやすように俺の背中をポンポンと叩いた。
「ええー私、貴方が驚いて目が赤くなってしまうくらい寝ていたの?」
へっ? 寝てただけなのか……? 8:30を指した時計を見て蒼がケラケラ笑う。
「確かにいつもなら大寝坊の時間ね。だけどまだ期限まで丸2日以上残っているのに、ちょっと慌て過ぎじゃない?」
「そうだ、聖水っ! これを飲んでくれ。あの女の呪いの効果が薄まって、命の期限が伸びるはずだ」
「本当に……?」
訝しむ蒼に早速聖水を飲ませる。どうだ……? ドギマギしながら蒼の手を握る。元祖ジョージの朧げな記憶だから確証が無い。どうか効いてくれ。
「へえ、聖水の効果って凄いのね。だいぶ体が楽になったわ」
「ほっ、本当か!? 良かった、良かったよぉ……」
確かに青ざめたてた蒼の顔に血の気が戻ってる。握った手にも体温が戻り、いつもの心地良い温度を感じた。
「ふふ、いつもの目の色に戻ってる、良かった。貴方は本当に泣き虫ね」
俺の鼻をつまみながら蒼が苦笑した。えっ、俺泣いてるのか? ……確かに。蒼から顔を背け、滲んだ涙を袖口で拭ってから答える。
「泣いてないよ……」
「ええー、昨日は号泣していたし、今までも意外と泣いていたと思うんだけど?」
「昨日のはしょうがないだろぅ」
「それもそうね。ちょっと手を貸して」
まだ少しふらつくようだけど、蒼は自力で体制を整え、俺の手を取り立ち上がった。そのまま部屋から出て行こうとする蒼を慌てて止める。
「おい、どこ行くんだ?」
「どこって、朝食の支度よ」
蒼がキョトン顔で振り返る。いや、キョトン顔をしたいのは俺の方なんだけど……。
「まだ調子が戻り切ってないだろ? 食事出来るのか?」
「あんまり、だけど食べて元気を付けなくっちゃ。呪いに負けていられないでしょ?」
蒼に生きる気力が湧いて、やる気なのはとても嬉しい。だけど無理してないかとても心配だ。
「兎に角、朝食は俺が作るから蒼は休んでてくれ」
ベッドへ戻すため抱き上げると、蒼は顔を真っ赤にして叫んだ。
「ちょ、ちょっと、分かったから! 離して」
「ど、どうしたんだ? どこか痛いのか……?」
「いいえ、ただ……恥ずかしいの」
両手で顔を覆い、消え入りそうな声で呟く蒼をベッドへ下ろし布団をかける。
「あんな熱烈に想いを告げてくれたのに、今更何を言ってるんだ」
「あっ、あっ、あれはもうすぐ死んでしまうと思ったから思い切って……とっ、兎に角! 昨日の事はあまり覚えていないわ!」
へへっ照れちゃって〜、そんなところも可愛いな。蒼の想いは俺がきちんと覚えてるから大丈夫だ。なにせ飛び上がるほど嬉しかったからな。でも、昨日の事をあまり覚えてないと言い張るなら……。
「じゃあ俺は泣き虫じゃないな。朝食が出来たらまた来るから、それまで休んでてくれ」
蒼の頬に軽くキスをする。今まで散々我慢して来たんだ。もう遠慮はしないぞ!
「ちょっ、ちょっと! もう……知らないっ!!」
耳まで真っ赤になった蒼は布団を顔の上まで上げた。




