50話 戻らない
意識を失った蒼を寝室へ運び、ベットに横たわらせ横に腰掛ける。息はしている、まだ大丈夫だ。そう自分に言い聞かせなければ、心が千切れてしまいそうな感覚に陥る。
「頼むから、俺を1人にしないでくれ……」
艶やかな黒髪を指で梳いても、頬を撫でても、やはり蒼は目を覚まさない。まだ充分に若い蒼の命の終わりが、生きながら心は死んでいるような生活へ逆戻りする事が、これほどまでに早く、唐突に訪れるなど俺は認めない。
呪いを解く事は、かけた本人であるあの女にしか出来ないが、呪いを弱める方法なら知っている。聖水を使えば良い。だとしても結局、蒼の死を先延ばしにする事しか出来ないが。
どうにかして蒼の呪いを解く方法は無いのか? あの女からのメッセージカードを何度も擦り切れるくらい読み返したが、言葉尻を捉えて呪いを解かせる事は不可能だろう。そうなれば確実な方法は、やはりあの女を葬り去る事だけだ。
蒼は俺を優しい人だと言ってくれるが、そうじゃない、猫を被っていただけだ。俺の本質は凶暴で執念深く打算的なのだと思う。その証拠に今、あの女を殺したくて殺したくてたまらない衝動に駆られている。いっそのこと今から殺しに行くか?
──ダメだ! そうすれば蒼に嫌われてしまう。恐れや軽蔑を孕んだ目で見られると想像するだけで、心の底から恐怖が湧き上がって来る。好きだと言ってもらえた今、蒼に本気でそっぽ向かれたら、もう耐えられない。
だがこの怒りは、憎しみは、どうにか抑え込む事は出来たとしても、心の中で燻り続け消えてくれない。
俺は今、獣のような怒りに駆られた吸血鬼の顔になっているのか……? 自分の顔に触れてみる。どのような表情だとしても蒼には見せられないな……。
蒼に背を向け立ち上がると、ドレッサーに写った自分の姿が目に入った。眉間にうっすらと皺を寄せ、目を吊り上げて口を真一文字に結んでいる。平静を装ってはいるが、冷徹さを隠しきれていない。あの肖像画と瓜二つだ。
そして温度を失った目は、片目だけ真っ赤に妖しく光っていた。ああ、あの女と揉み合った時にカラコンが片方落ちたんだろう。やはりこの顔は蒼に見せられない。眉間や頬を指で揉みほぐし、目を閉じ深呼吸した。これで少しは落ち着けただろうか?
蒼の前でだけはどうにか、蒼が好きな俺でいられるようにしなくては。蒼と一緒にいる事で、自然とそういられている気がする。やはり蒼を失う訳にはいかない。
先ずは聖水を手に入れよう。そのためにはフィンリーの協力が不可欠だ。例え傷心の最中にあったとしても知ったこっちゃない。朝日が出て吸血鬼が動けなくなったら出かけよう。
それからシャワーを浴び、カーテンの隙間から朝日が差し込む時間になっても、目の色は元に戻らなかった。真っ赤な片目を手で隠し、蒼の頬にキスをする。
「行ってくるよ」
赤く光る目を隠すためサングラスをかけ、メッセージカードをポケットに仕舞い、家を出た。
*
県立自然史博物館の近くにある、フィンリーの家の呼び鈴を押すが出て来ない。……もしかして居留守か? それとも本当に居ないのか? クソッ、時間が無いと言うのに。呼び鈴を連打すると、泣き腫らした顔のフィンリーが出てきた。
「……吸血鬼が何の用かしら? 2度と顔を見せないでって言ったのを忘れた?」
死んだ魚のような目でそれだけ言うとフィンリーは勢いよくドアを閉めようとする。
「ちょっ……閉めないでください」
足を滑り込ませ、ドアを掴んでこじ開ける。だが、力加減を誤りドアを金具ごと引きちぎってしまった。
それを見てフィンリーは目を丸くする。これから頼み事をするのに、これでは良くないか。ドアだった物を両手で掴み、壁にそっと立てかける。だが、はやる気持ちを上手く抑えきれない。
「留守かと思いましたよ? 呼び鈴を鳴らしたら直ぐに出てください」
「居留守を使ってたのよ、普通分かるでしょ? ……で、言いたい事はそれだけかしら? 自らヴァンパイアハンターの家に来たって事は退治──」
「蒼があの女……レイラに3日で死ぬ呪いをかけられました」
「はぁ? それはレイラ コリンズを逃した貴方が悪いんでしょ!? よくアタシの所へノコノコと来れたわね?」
「吸血鬼から人々を守るのがフィンリーさん、貴女の仕事ですよね? お願いです。蒼を助けてください」
ガバッと頭を下げたが、吸血鬼である俺の頼みには頷きにくいだろう。待てども暮らせども何も言わないフィンリーにたまりかねて、ちらっと伺い見る。蒼の事は助けたいが、振り上げた拳を素直に下ろせない。フィンリーはそのような表情をしていた。
「蒼の願いですから死ねませんが、銀の短剣で突き刺されても、日に晒されても、聖水に浸されても構いません。ですが聖水は蒼に使いたいので、無くならない範疇でお願いします。フィンリーさんの気が済むまで俺がサンドバッグになりましょう。その代わり蒼の事は助けてください」
フィンリーは気持ちを落ち着かせるように深呼吸すると頷いた。
「……分かった、上がりなさい。その前に歯ァ食い縛って」
頷いた次の瞬間、左頬に衝撃と強烈な痛みが走った。あまりの平手打ちの勢いに、掛けていたサングラスが吹っ飛ぶ。
あと引く頬の刺すような痛みとヒリヒリに涙が滲みかけ、この状況でも涙が出るものなのかと我ながら驚いた。蒼のためだと心に言い聞かせぐっと堪えながら、サングラスを拾い尋ねる。
「次は……?」
「もう終わりよ。あ、こう見えて無抵抗の相手を意味も無く痛ぶる趣味は無いの。一度で良いからいい男に平手打ちをしてみたかったのよぉ」
満足気にニンマリと笑う様子は、いつもの少し変な怖さを感じるフィンリーに戻っているように見えた。良かった、これで蒼を助けてもらえそうだ。




