35話 招かれざる客
「お疲れ様でした!」
職場のパブからのお裾分けで、今日はビーフシチューの残りを貰えたから、ちょっとリッチな気分だ。まだ温かいし、帰ったら蒼と一緒に食べよう。
……ん? この甘ったるい匂いはトーマスが付けてるコロンか? 移り香じゃない、この濃さは正真正銘アイツのものだ。
そう言えば何日か前にも押しかけて来たんだっけ。その時も俺は留守だったけど、蒼に復縁を迫ったらしい。追い返すのが大変だったってぼやいてた。嫌な予感しかしない、とにかく急いで帰ろう。
「ただいま。……ええと、どちら様?」
ドアを開けると案の定トーマスが立っていた。どんなに恨めしくても、トーマスとは初対面のはずだから知らないふりをする。蒼もそれに合わせお互いを紹介した。
「おかえりなさい。この人が前に話した元シェアメイトのトーマスさんで、こちらが今のシェアメイトの譲二さん」
「うわ、すっげぇイケメン!」
トーマスはヒュウ〜と口笛を吹き、俺を頭の天辺からつま先まで眺め回した。……なんか馬鹿にされてるみたいでムカつく。とりあえず貴族スマイルを取り繕い握手を求めた。
「こんばんは、君が噂に聞いていたトーマスさんですか。こんな時間に一体どんなご用で?」
「ども、僕はアオイに用がありましてね」
トーマスは笑顔で俺の手を握りながら蒼を見る。今は何の関係も無いくせに何が『アオイ』だ。気軽に呼び捨てにすんな! ……あ、俺も同じか。
でもムカつく事に変わりは無いから、トーマスの今カノの馬鹿力を再現して、潰さない程度に手を握る。今こそトマトジュースをぶっ掛けられた恨みを晴らす時!
「イッテェーー!!」
「申し訳ない。シェアメイトの先輩を前にした緊張で、ついうっかり力んじゃいました」
トーマスは引き攣った笑みを浮かべ、蒼に向き直る。
「ほ、本当にシェアメイトがいたのか。前に君の事を嘘吐き呼ばわりしてごめんよ。てっきり僕の気を引く為に見栄を張ってると思ってた。でもね、僕達やり直せると思うんだ。何と言っても僕とアオイは運命の赤い糸で結ばれてるからね」
コイツの言動からは蒼への想いと言うか、気遣いを全く感じられない。自己中だし支離滅裂で本当にムカつく。
でも何よりムカつくのは、蒼の気持ちがコイツに残ってるなら、俺は身を引かなきゃいけないって事だ。まあ身を引くも何も俺は蒼に想いを伝えない事にしてるから、付き合ってもないんだけど。
「あのねぇ、貴方は『運命の赤い糸』って言うけど、浮気したうえ勝手に出て行ったのはそっちでしょ?」
「うん、確かに勘違いしてた僕が悪い。君が社長令嬢だと知らなかったから、ツンツンした可愛げの無い女だと思ってたんだ、本当にごめん。でも過去を見るのでは無く明るい未来、僕達の今後を話そう?」
「はぁ……。馬鹿にするのも良い加減にして。貴方と話す事なんて何もないわ!」
「何を怒ってるんだよ? 僕はきちんと謝っただろ? ……シェアメイトって紹介されたけど、まさかこの男と出来てるのか? 目を覚ませ、このモデル以上のイケメンが君相手に本気になる訳ないだろ? どうせ金か体目当てに決まってる。詐欺師に引っかかったと知ったら君の実家が泣くぞ?」
「はぁ? 譲二さんの名誉の為に言わせてもらうけど、彼には婚約者がいるわ。それに貴方と違って、きちんと働いているの。譲二さんとは正真正銘ただのシェアメイト、お友達よ!」
「そんなに熱くなるなよ。手が届かないものに憧れるその気持ち、よーく分かるよ? でも欲張らずほどほどで諦める事も時には大切だ。僕なら大学から文化財を盗んだと疑われてる君を守る事が出来る。ダリブン大学、学部長の甥の僕ならね」
「ごめん、この男追い出すよ。もう我慢の限界だ」
蒼の気持ちもあるだろうと思い、詐欺師呼ばわりされても、蒼へのあり得ない物言いに腑が煮えくり返っても、我慢して何も言わずにいた。だがこれ以上話を聞いていたら俺はこの男に何かしてしまいそうだ。
蒼の返事も聞かず、トーマスの首根っこを掴み家の外へ引き摺り出した。片手で胸ぐらを掴み塀に押さえ付ける。
「お前は論外だ。金輪際、蒼に下心を持って近付くな! 分かったか?」
「ヒッ……わ、分かった2度と近付かない! だから離してくれっ!!」
道に放り捨てると、尻餅をついたトーマスは俺を一瞥して脱兎の如く逃げて行った。何だよ、化け物を見たような反応しやがって! 確かに怒りの余り、地を這う様な声を出した自覚はあるが、お前よりは紳士的な対応をしただろう?
……ん? 化け物? いやいや、牙はマフラーをしてるから見えるはずがない。 ……ま、まさか! 慌てて家に駆け戻り蒼に聞いた。
「俺の目、赤い?」
蒼は黙って頷く。怒りのあまり目が赤くなってたのか。それに大の男を放り捨てるって、正に化け物だ……。
ま、まあ蒼の側には化け物がいるんだからもう近付かないだろう。結果オーライだ。……普通は赤い目=吸血鬼ってならないよな?
「ありがとう、追い出してくれて。そうじゃなきゃ私がグーで殴っていたところだったわ」
平手打ちじゃなくってグーパンなところが蒼らしいな……。蒼は疲れたように笑って背中を向けた。
「あの人、本当に余計なお世話よね。貴方が雲の上の存在な事も、私に人を見る目が無い事も、言われなくたって分かってるっての。いっときでもあの男を恋人にしていたんだから」
初めて聞く蒼の傷付いた声に、ダメだって分かってるのに体が動いた。蒼の背中にひっ付いてそっと腕を回す。
「そんな事無い、蒼は人を見る目がちゃんとあるよ。ウォルシュ夫妻みたいな良い人達はそうそう居ない。それに俺達、磯友達だろ?」
「……普通の磯友達はこんな事をしないわ」
「そっか、外国人生活が長かったからつい」
「……ん」
いつも力強い蒼が細く弱々しく感じられた。こんな時どうすれば良いのか分からないのがもどかしい。それなのに蒼の匂いや体温、鼓動に息遣い、体の柔らかさを全身で感じ、我慢が効かなそうになる。もう既にこの手を離したくない。
ダメだ、俺は蒼に告白はしない。傷心の隙を突いて行動を起こすなんて最低だ。理性でどうにか手を離し、床に置いておいたビーフシチューを拾う。
「これを食べて精をつけよう。冷めちゃってるけど温め直せば大丈夫、準備するから蒼は座ってて」
「ううん、私も一緒にやる」




