20話 お前は誰だ!?
お……朝か。布団の上で伸びをしてから、もぞりとトーマスのベッドの下から這い出し、大欠伸をする。これからは少しずつ朝に慣れていかなくては。
おおっ! 昨日の夜に飲んだ血が効いたらしく体が軽いし、貧血でクラッとする事も無い。もしかしたら吸血鬼に転生してから、今朝が1番調子良いかも。
それにしても、いや〜朝から起き出す俺って人間らしいな。血を飲んで回復するこの体は、バリバリの吸血鬼だけど……。もう1度伸びをしてリビングへ入ると、エプロンの紐を後ろ手で結ぶ蒼と目が合った。
ちょっと照れくさいけど、今朝は俺から言うんだ。
「おはよ──」
おっ、声は完全に元に戻ったみたいだな。だが目を見開き、身を竦めた蒼に俺の小さな声は掻き消される。
『“え!? な、何なの!”』
蒼は日本語でそう叫びながら、手近にあった包丁を握りしめ俺の方へ向けた。ヒッ! 俺の後ろに誰かいるのか?
……いや、振り返って見たけど誰も居ない。それじゃあ包丁向けられてるのって俺なのか!? 待って、どう言う事? 包丁は俺にとってそこまで怖く無いけど、蒼に敵意を向けられた事が悲しい。
「早く出て行って!」
とりあえず蒼と話をするため、近付こうとしたけど逆効果だった。
「近付かないで! 警察っ! 警察呼びますよ!!」
け、警察は困るな……。大人しくホールドアップする。依然として興奮状態の蒼に落ち着いてもらうため、俺は日本語で返した。
『“警察を呼ぶのはやめてくれ。どうしたんだ? 一旦落ち着いて”』
『“あ、貴方はもしかして──譲二さん?”』
コクコクと頷くと、蒼はホッとした顔で握ってた包丁を下ろし、まな板に置いた。そして驚いた様に俺の事をしげしげと眺め回す。し、視線が痛いし、恥ずかしい……。だけど何をそんなに驚いてるんだ?
「あ、蒼? どうしたんだ?」
「……それはこっちのセリフよ。鏡で自分の姿を見てきなさい!」
「分かったよ……」
鏡は見たく無い物を見せつけてくるから、何となく億劫だ。うっすらとしか映らないのがせめてもの救いかもしれない。俺はしぶしぶ寝室へ戻り、鏡台を覗き込んだ。
なっ……な、な、なんじゃこりゃーーっ!!
昨日まではどうにか肩に届くかくらいの長さだった髪の毛が、かなり伸びて胸の下辺りで揺れてる。でもうねうねしてるうえに絡まってるし、髭もじゃだから見ててむさくるしい。
そしてどう言う訳か、髪の毛がツートンになってた。毛先の方は赤茶色なのに、根本から半分以上はほとんど色を失って、白に近い金髪になってる。よく見ると眉毛とまつ毛まで髪の毛と同じ色になってた。これが俗に言うプラチナブロンドってやつなのか? こりゃ蒼も驚く訳だ。
元々日本人で黒髪だった俺はこんな髪色に憧れた時期があった。お〜いあの頃の俺、憧れだった髪色になったけど特に感動は無いぞ、むしろ怖いくらいだ〜。
それに爪も伸びてるし……やっぱりひと晩のうちにこうなったんだよな? 昨日の夜に飲んだ血が決定打になって、滞ってたのが一気に伸びたって事か? どうなってんだよ、この体は。
蒼のヘアゴムを借りて邪魔な癖っ毛を束ね、髭を剃って顔がスッキリすると、かなり印象が変わった。良い、凄く良い。そうか、半ミイラ状態を脱却して元の姿に戻ったから髪の毛やらも伸びたんだ。
あのイケてる肖像画は嘘じゃなかった! シャープな輪郭に、少し切れ長の目、スッと通った鼻筋に、形の良い唇。そして何より色白だけど血色の良い肌。頬なんて少し赤みがさしてるくらいだ!
へへへ〜、俺って本当にモデルみたいだな。鏡にうっすらとしか映らないのがとても惜しい。痩せこけて洗濯板みたいだった体も無事元に戻ってる。って事は男の大事なところも! おおっ、良かったぁ。
ん? 腕や腰回りが550年前より少し太くなってる気がする。いや、気のせいか? ペタペタ自分の体を触ってみる。やっぱり気のせいじゃない。相変わらず細身で、バランスの取れた体つきだけど、触った感じ全身の筋肉が少し増えてるな。
でも何でだろう? 俺は吸血鬼になってから1度も太ったり痩せたりの経験が無い。そう言うものだと思ってたけど……違うのか?
それはさておき今着てるトーマスの服は、肉が付いたからか少しキツいくらいだ。ふっ、勝った。今までは丈が足りないのに横が余ってて、ガリガリだと言わんばかりだった。そんなの男として情けないからな。
しっかし、見た目だけは理想的な体だな。それだったら、もしかして! いそいそと唇を押し上げる。
……期待した俺が馬鹿だった。相変わらず立派な犬歯が覗いてる。なんだか一気に元気が無くなった。気を取り直して爪を切ろう。リビングに戻って蒼に声をかけた。
「……爪切り貸して」
「机の上に置いておいたけど、どうしたの? 念願のイケメンになれたのに、元気なさそうね」
「えっ、うん……。嫌かもしれないけど見て」
俺は転生してから初めて人前で歯を見せた。自ずと吸血鬼としてのアイデンティティの様な、立派な犬歯が目に入るだろう。
「……どう思う?」
「ミイラだったとは思えないほど、綺麗な歯並びをしているわね」
「違う、牙だ」
「如何にも吸血鬼って感じね」
「だろ。笑う時に牙が見えたらどうしようって不安になって、心から笑えた事が無い。これを見る度に俺は吸血鬼で、人とは違う孤独な存在だと突きつけられるんだ。こんな物今の俺にとっては邪魔でしかないのに」
「だけど貴方は今までその牙に散々お世話になったんじゃないの? 生えてしまっている物を気にしても仕方ないでしょう」
確かにそうだけど、蒼の前で頷きたくない。俯いてると、蒼がそろりと近付いて来た。
「ひゃっ! ハハハッ! アハッ、ヒーッ!! や、やめっ……ヒッ、ヒャヒャヒャッ!」
「吸血鬼もくすぐれば笑うのね。ふーん、良かったじゃない。貴方、笑うと可愛いわよ」
「おっ、おっ、俺は可愛いんじゃなくて……ヒッ! かっ、かっこいいんだっ! アッハハッ!」
「家でくらいそうやって、馬鹿みたいに大口開けて笑っていれば良いのよ」
蒼は意地悪だ。服から出てる地肌を的確に狙うし、全然やめてくれないうえ、逃げても追っかけて来る。俺は吸血鬼に転生して以来、初めての馬鹿笑いをしまくる事になった。




