19話 とあるアンティークショップにて2
男はズボンで手をゴシゴシ擦り、銀色の矢が道端を転がり側溝へ消えるのを見ながら身震いした。まさか自身が誰かを殺した? いや、あれの汚れは古い物に見えた。だとすると、あれは誰かを刺し貫いた物なのだろうか? 自身があそこにいた理由は、まさか呪いの品に引き寄せられたから?
「(い、いやいや、呪いなんて……そんな非現実的な事がある訳ないだろ!)」
やはり一刻も早く人通りの多い場所へ出よう。男は足早に歩き、すぐ目の前に大通りが見える場所まで来た。
車の音、人の声が聞こえる場所まで来て初めて心から安堵したからか、男はアンティークショップの扉を閉めておらず、照明を消し忘れたままだと気付いた。だがあの店へ戻るのはごめん被りたい。それに──。
あの倉庫で見た3つの赤い光は何だったのだろう。
闇の中で光っていたあの色は消火栓のランプとは違い、まるで血の様な赤だった──。
「──っ!!」
その赤い光を思い出した瞬間、心臓をぎゅっと鷲掴みにされた感覚に陥り、足が男の意思とは関係無く動き始める。突然の事に仰天しているうちに勝手に路地裏へ引き返しはじめた。
「え……? なっ、何だ!?」
手で叩いても押さえ付けても、足は男自身の力とは思えない強さで前へ、アンティークショップの方へ進む。半開きの扉を抜けて店内へ歩みを進めた。
「嘘っ!? いっ、嫌だ!」
つけたままのはずの照明が消えている。男は否応なしに直感した。あの倉庫の中にはやはり何かが居て、男の体を操り自分の方へ来させようとしていると。
「いっ……いっ、嫌だぁぁっ!!」
店の入り口の壁にしがみ付いたが、足が進もうとする力は物凄く、直ぐに立って居れなくなった。足は体が床に倒れた状態でも先へ進み、男の腕は少しずつ壁から引き剥がされて行く。
得体の知れない存在に操られた足に対抗するため、男は死に物狂いで壁を掴んだ。それでも足は体中のありとあらゆる関節を軋ませながら先へ、先へと進む。
「グッ……クッ……。ウゥッ!」
関節が歪み、爪が剥がれかける痛みで思わず男が壁から手を離すと、足は上半身を引き摺り奥へ進んだ。不気味な赤い光を見た倉庫の方へ。
「だ、誰かぁ! 誰か助けてくれっ!! 殺されるッッ!!!」
恐怖が滲む裏返った男の声が虚しく辺りに響く。
やはりこの店はおかしい。この様な大きな声を出しても誰も出てこないが、つけたままの明かりは消えていた。先ほどもかなりの勢いで倉庫の扉を閉めたはずだ。
男はほとんど力が入らなくなった腕で必死に床を押さえながら半狂乱で叫んだ。
「や、や、やめてくれっ! そっちには行きたく無いっ!」
だが、あの血の様なおぞましい色を思い出すほど、体の自由が効かなくなる。遂には手と腕も思い通りに動かなくなっていた。腕が勝手に上半身を起こして立ち上がり、ドアノブを引く。まるで吸い寄せられるように手足が滑らかに動き、スルリと倉庫の中へ入っていた。
「うわぁぁ!」
逃げ出す時の苦労が嘘の様に、淀みなく奥へ進んで行く。向かう先には3つの赤い光。近付いて行くうちにそのうちの2つは目だと気が付いた。暗闇の中で血の様に赤黒い瞳が、文字通り眼光を放っている。
「ヒッ! イ──」
男の声がそこでぷつりと途切れる。体全てが自身の意思では動かせなくなっていた。暗闇の中で恐ろしく光る赤い目がフッと移動し、こちらへ近付いてくる気配を否応なしに感じる。
「(い、嫌だ! 死にたく無い!!)」
だが震える事も出来なければ、悲鳴も出ない。瞼さえ自身の意思では動かせないため、目を瞑ることも出来ない。側でしゃがれた声が聞こえた。
「意思が残っておるのか? ……やはり血が足らぬせいで、催眠術を思う様に掛けられぬか。──どれ」
だが男は相手の言語を満足に聞き取る事が出来ず、細く長い指を持つひんやりとした硬い手の感触を頬に感じるだけだ。頭が危険信号を異常なほどに送って来るが、男にその手を振り払う事など出来るはずもない。赤い目の瞳孔が、まるで蛇の様にキュッと狭まる様子をただ見つめている他無い。
そのたった一瞬の出来事も、男には途轍もなく長い時間に感じられた。気付けば頭に霞がかかった様にぼんやりとしている。
「(ああ……遂には思考も奪われ始めたの……か?)」
どうにか自身の意志を保とうと得体の知れない力に抵抗する。だが『どのみち僕は助からないのだろう』と弱った心が囁いた。男はなし崩し的に自身の命に諦めをつけ、得体の知れない力へ抵抗する事を止める。
次第に全身の感覚が薄れ始めた。触れられているはずの頬の感覚すら感じられなくなると、恐怖や緊張もスッと消え心が随分楽になった。だが──。
男は赤い輝きを見失った事が気になっていた。
もはや立っているのか、それすらも分からない中で、男は動かせない目を使ってあの赤い光を必死に探す。やはり見当たらない、とても惜しい事をした気がする。今では男の頭はあの赤で占められていた。
「(あれ……首筋が痛い。もしかして刺されたのか?)」
少しずつ爪先、指先が冷たくなり、次いでその感覚も無くなって行く。だがその様な事など、もはやどうでもいい。自身の意識が薄れて行くのを実感しながらも、不安や恐怖を感じない。男の感情は平坦になっていた。
惜しむらくは、あのルビーの様な深い輝きを放つ、高貴な真紅を見られない事だけだ──。




