18話 とあるアンティークショップにて
皆様久しいな、天の声だ。ジョージと蒼が居る家からそう離れていない場所で、これから興味深い事件が起こる様だ。皆様にも見てもらうとしよう──。
何処までも続く暗闇の中に男が1人囚われていた。
「──うわぁっ!! 何だっ、何だ!?」
男は素っ頓狂な声を上げながら辺りを見回す。真っ暗な中で男の目には何も映らないのだが、その様な簡単な事にも気付かないほど男の気は動転していた。
気が付いたらこの様な場所におり、何の音も聞こえないうえに、どこからとも無く視線を感じる気がしたのだ。視線の主が居るとするなら近寄って来る事も、話しかけて来る事も無く、ただじっとこちらを見つめている。その不気味さが、男の恐怖をより一層掻き立てた。
「(いや、何もいるはずが無い)」
何の物音もしないのだからと、男は頭を振りその考えを追い払う。耳元で自身の脈打つ音がいつもより早く強く聞こえるだけだ。
それだけでも充分怖いが、男は身に覚えのない棒を握っていた。握っていた部分は生暖かく、その他の部分はひんやりと冷たい。恐らく金属製だ。この様な得体の知れない物など、本当なら手放してしまいたかったが、護身用として念の為ベルトに挟んでおくことにした。
男が怯える小動物の様にキョロキョロと辺りを見回すと、光を見つけた。斜め後ろに赤い光が見えたのだ。男は救いを得た気がしてその光に駆け寄る。赤い光は壁際にある消火栓のランプだ。
「(と言う事はここは屋内か?)」
「誰かいませっ……」
男はハッと口をつぐませる。『声を出してはならない、逃げろ』と自身の頭が危険信号を送ってくる気がした。この暗闇の中にはやはり、自身の他に何か得体の知れない存在がいる気がする。あまりの緊張感に喉がくっつき声が出ない。
「(みっ、み、見られてる!? ……いやいや、得体の知れない存在など居るはずが無い。確認してやる!)」
そうでも思わななければ、恐怖でおかしくなりそうだった。男は自身の心を守る為、頭が送る危険信号を無視して、ポケットからスマートフォンを取り出し、懐中電灯代わりにライトをつけた。
明かりを得た事で緊張が和らいだ男は室内を見回す。どうやらここは倉庫として使われている部屋の様だ。ライトで照らしてみれば思いの外こじんまりとしている。
「──やっぱり、何も居やしないじゃないか。それより出口だっ、出口は何処にある?」
スマートフォンを動かすと反対側の壁に扉を見つけた。だが、それよりも気になる事がある。倉庫の小ささに見合わない量の家具や箱が所狭しと並べられているのだ。どれも古びていて、ひとつとして同じ家具は無い。アンティークだ。
男は身震いした。アンティークと言えば、曰く付きの品も多いと聞く。先程まで感じていたただならぬ雰囲気は、やはり……。途端にライトに照らされた目の前の光景が異質なものに感じられる。
「(は、は、早くここから出るんだ!)」
「うわっ!」
気が急いていた男は、躓いてスマートフォンを手放した。床に落ちた衝撃でライトが切れ、何処へ行ったのか皆目見当もつかない。気付けば先程まで見えていた、斜め目の前のテーブルや横にあったクローゼット、足元の木箱などは深い闇の中へ霧散する様に消えていた。
明かりを点ける手立てを完全に失った。
小さな赤い光があるだけの闇の世界に、再び閉じ込められた恐怖が、一気に男の心に押し寄せる。それと同時に再び何処からともなく視線を感じた。まるでこの部屋の暗闇が意思を持っている様だ。
自身の頭の天辺から爪先まで、毛穴のひとつひとつを舐める様に監視されている感覚になった。身体の芯から震えが走る。今まで感じた事が無いほどの恐怖と不安で心が押しつぶされそうだ。
男はたまらず記憶している扉の方へ、脇目も振らず駆け出した。足元の荷物に躓いて脛を打とうが、掌を擦りむこうが、顎をぶつけようがそれを気にしている余裕など男には残っていない。一刻も早くこの暗闇の世界から出る事が先決だ。
立ち止まると何処からとも無く感じる視線の事を考えてしまう。いや、そう思っている時点で考えているのだが。間違えてもその存在の息遣いや蠢く気配を感じる事が無い様、男は手足をがむしゃらに動かし扉を目指した。
とても現実の事だと思えない。これが夢ならばどれほど良かっただろう。だが一見非現実的に感じられるこの状況も、古い物が発する匂いのせいで、現実の事なのだと痛感させられる。
「──っ!」
男はビクッと大きく身を震わせた。背後で何かが動いた気がしたのだ。反射的に振り返ったが、男の目に何も見えるはずがない。ただ消火栓のランプが赤く光っているだけだ。だが──。
消火栓のランプの赤い光が3つ見えた気がした。
そう思った途端に心臓が跳ね、全身が粟立ち脂汗が吹き出る。気のせいだと自身に言い聞かせても、振り返って確認する勇気は無い。
男は死に物狂いで扉があるであろう方向へ駆け寄り壁に激突した。壁をバンバン叩きながら、手探りでどうにかドアノブを探し出し、倉庫から飛び出して勢い良く閉める。
扉を背にして肩で息をしながら今居る場所を見回した。そこもやはり屋内で電気が点いていないが、それでも窓から月明かりが差し込み、充分明るく感じられる。どうやらここはアンティークの家具や雑貨を扱う店らしい。
外へ繋がる扉の向こうから、微かに街の喧騒や車の走行音が聞こえる。扉に駆け寄ると、横に照明のスイッチを見つけた。男が照明をつけると室内が明るく照らされる。
明るい空間とよく知った音に、恐怖と緊張で張り詰めていた心がほぐれた男は、倉庫へ繋がる扉を少し開けてみる。赤い光はやはりひとつだけだった。
「何だ、やっぱり気のせいだ」
ホッと胸を撫で下ろし倉庫の扉を閉める。そして脇目も振らず外へ飛び出し、アンティークショップから足早に離れた。
「やっと外に出られたぁー」
男は安堵の声を上げながら、人気の無い路地裏を歩く。この路地裏に男は見覚えがあった。ここは繁華街のテプンルバー近辺だ。男も毎日通勤のためバスに乗る際に利用している。
その時、街頭の光に反射して腰の辺りで何かがキラリと光った。護身用にとベルトにさした金属の棒だ。
「(そう言えばこれって何だったんだ?)」
男は金属の棒をベルトから抜いて見てみた。銀色の矢の様だが、先端に赤黒い汚れがこびり付いている。これは──。
「ち、血か!? ヒッ!!」
男は銀色の矢を放り投げた。
【今回と次回はいつもと毛色の違うお話ですが、次々回のお話からはいつも通り、笑える系のお話に戻ります】




