16話 大丈夫
腕から灰になって崩れて落ち──あれ? 俺、生きてる? 確かに日光を浴びた地肌の部分は、刺す様に痛くて凄くズキズキする。見た目も焼け爛れたみたいになってるけど、死んでないのは夕方の光だったからか?
気付いたら風が治りカーテンが閉じてた。さっきまで焼け爛れた様だった地肌が、赤く腫れたくらいになってる。鏡に写してみても特に問題無さそうだ。どちらかと言えば、目に見える速度で回復してて気持ち悪い。
それより気になるのは、黒目の部分が真っ赤になってる事。さっきはブルーグレーだったのに。うわぁ……何ならちょっと光ってるし、色が血みたいで気持ち悪い。
あ、目の色に気を取られてるうちに、腫れとヒリヒリも引いて来た。吸血鬼の治癒能力の高さには本当に舌を巻くな。もう肌の赤みも引いて分からないくらいになってる。
弱点の日光で負った火傷がものの数分で治り始めるんだから、こう言う時はありがたい。日光の不意打ちを喰らったショックで、俺のチキンハートはまだドキドキしてるけど。
「ただいま」
おっ、アオイが帰って来た。思ったより早かったな。
「おかえり〜」
「な、何っ!?」
出迎えた俺を見てアオイが身構えて不思議なポーズをとる。えっ、ど、どうしたんだ? 手をクロスさせて、3分で悪を倒すヒーローみたいだぞ?
「えっと……光線でも打つのか?」
「違ーう!!」
アオイは恥ずかしいのか、下唇を噛み頬を赤くしながら腕を下ろして、指を十字の形に重ねた。ああ十字架か。比率がおかしいから全然怖くないし、むしろその表情と相まって可愛いくらいだ。
「また催眠術をかけようとしているんでしょ?」
催眠術? そう言えば、昨日アオイに催眠術をかけようとして失敗した時、目が赤いって言ってたっけ。それに人工血液で咽せた時の俺の顔、怖かったな……。あ、もしかしてまだ目が赤いのか? 俺は慌てて手で目を隠す。
「催眠術じゃないよ。俺の目が赤いのは怖い?」
「べ、別に」
アオイはそれだけ言って、ずんずん歩きながら斜め掛けのバッグを下ろし、ジャケットを脱いだ。目が真っ赤な化け物は怖いだろうに強がってて可愛い。
「そうだ、トーマスの部屋で女物っぽい指輪を見つけたから、テーブルに置いといたよ」
俺がリビングの隅で指の間からチラチラ様子を見てると、むすっとしながらアオイがこっちに来た。
「ありがとう。まさか銀の指輪を吸血鬼の貴方が見つけるなんてね。それで……これを触って大丈夫だったの?」
「うん、最近のシルバーアクセサリーって混ぜ物されてるから、布とかを間に挟めば触れる」
「そう、良かった。あ、目の色が戻り始めてる。そう言えば何故目が赤くなるの?」
それは俺自身も良く分かってない。目が赤くなってる感覚とか無いから。そもそも550年前は話し相手は居ないし、鏡に写らなかったから確かめようがなかった。
「さっき目が赤かったのは、たぶん日光に当たって驚いたから」
「日光に当たったって、大丈夫なの!? どこか異変とか無い?」
もしかして俺の事心配してくれてる? 嬉しいなぁ〜。
「うん、大丈夫」
かなり痛かったけど。
「そう、ならよかった。文化財が灰になって消えていたらどうしようかと思った」
そっちかぁー。自分が文化財なのを忘れかけてた。喜んだ分ショック……。
「ありがとう……。昨日咽せた時も赤くなったから、俺の目は興奮した時に赤くなるんだと思う。それとアオイも言ってた様に能力を使う時も赤くなる」
「もしかして日光に当たったのは、トーマスが使っていた部屋で? 貴方がトーマスの事コロン臭いって言っていたから、換気のために窓を開けておいたの。事前に伝えておくべきだったか。ごめんなさい」
「ううん、火傷もこの通り良くなってるから大丈夫」
「待って、火傷したの!? どこを?」
「顔と腕と首筋」
「それは『大丈夫』って言わないの! ちょっと見せて」
この体はちょっとした怪我くらい直ぐ良くなるから、本当に大丈夫なのに……。でもこんなふうに触れられるのっていつぶりだ? くすぐったいけど心地いい。
「良かった、本当に何とも無さそう。夕飯はお詫びも兼ねて腕によりをかけて作るから。何かリクエストはある?」
うーん、やっぱり家庭料理的なのが食べたいな。肉じゃが……は、いきなり言ったら引かれるか。それならカレー……は、結構ニンニク入ってるよな。それにルーとか売って無さそうだし。
「生姜焼きがいい。ニンニクは入れないでね」
「しょ、生姜焼きねぇ……。それってどんな料理?」
「ええっ! まさかアオイは生姜焼きを知らないのか? 生姜と調味料に漬けた豚肉を──」
「あー、大丈夫。私が知っている生姜焼きと同じね。でも生姜焼きなんて何処で知ったの?」
「そっ、そ、そんな事より材料はあるか? 無いなら別のを考えるけど」
「ちょっと見て来る」
ふぅ〜誤魔化せたか? ここで『俺の前世は日本人なんだ』とか喋ったら、妄想癖のあるヤバい奴だと思われて追い出されかねない。
「材料揃ってるから出来るわ。作るのに少し時間がかかるから、大人しく待っててよ」
「俺も手伝う」
「結構よ。これはお詫びなんだから、貴方はこれでも飲んでゆっくりしていて」
アオイが俺に人工血液のパックを押し付けた。おお〜至れり尽くせりだな。正直まだ血が少し足りて無いみたいだから、ありがたい。ゴチになります。
俺たち吸血鬼は基本的に腹が減って飢える事は無いけど、食事は美味しく食べられるし満腹感だって感じる。けど身にならないから、嗜好品みたいな物だな。逆に血を沢山飲んでも腹が膨れる事は無い。飲み込んだ時点で体に即吸収されてるみたいだ。
130年近い吸血鬼生活で血に全く魅力を感じられなかった俺は、普通の食事が楽しみだった。まあ、眠りにつく直前は食事をする気力すら湧かなくなってたけど。
それに比べて今は、臭くない人工血液を飲みながら、アオイが作る生姜焼きを待っている。しかも出来たての料理をアオイと一緒に食べるんだ。何て幸せなんだろう。この幸せがずっと続けば良いのに。
「痛っ!」
そう思いながら人工血液をチューチュー吸ってると、アオイの鋭い声がリビングまで響いた。……それから血の生臭い匂いも。
「大丈夫か?」
人工血液のパックに蓋をして走り寄る。するとアオイは明らかに挙動不審な様子で手を背後に隠した。
「大丈夫、大丈夫。かすり傷みたいなものだから、貴方は気にせず休んでいて」
「でも血の匂いがする。包丁で指を切ったんだろ? そう言うのは大丈夫と言わないって、さっきアオイが言ったんじゃないか。いいから見せて」
アオイの手を取って見ると、予想通り血が指を伝って流れてた。
「ああやっぱり。豚肉を切ってたんだろ? ダメだよ、ちゃんと傷口を消毒しなきゃ。バイ菌が入っちゃう。人間の体は弱いんだから気をつけないと」
「そ、そうね」
アオイの手が震えてる。それに声もうわずってる気がする。その理由が一瞬のうちにいくつか頭に浮かんだ。
もしかして手を握る力が強すぎた? いきなり触って怒ってる? それとも……俺が吸血鬼だから血を見られるのが怖い? よし、傷付かないための予想はしたぞ。
「救急セットを取って来る。どこにあるんだ?」
パッと手を離すと、アオイはハッとした様に申し訳なさそうな表情をした。もしかして俺、表情に出てた? 隠せてたつもりだったのにな。




