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不死身のチキン 〜ミイラになった最強の吸血鬼は現代社会でささやかな幸せを手に入れたい〜  作者: 甲野 莉絵
秘密の居候生活

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11話 決して乾く事の無い靴と靴下

「シャワーの使い方は分かる? ……って愚問だったわね。ここを──」


「使い方は知ってるから大丈夫!」


 早く、早くさっぱりしたい! シャワーを最後に浴びたのっていつだろう? もしかして人間だった時以来か? 


「えっ、本当に大丈夫? 後から分からなくなって裸で聞きに来られても困るんだけど?」


「大丈夫!」


「それじゃあ着替えはここに置いておくから」


 アオイが脱衣室から出て直ぐに俺は変身を解いてシャワールームに入った。震える手をシャワーのレバーに伸ばす。これは力が入らないからじゃない、期待と小さな不安でだ。


 550年前は水洗技術は勿論だけど、綺麗な水も手に入りにくかったから、偶に濡らした布で体を拭くくらいだった。この体は代謝が異常に悪いからどうにかなってたけど。


 だけど、もし水がダメでシャワーが嫌いになっちゃったらどうしよう……。いやいや、吸血鬼は霧に変身出来るとも読んだ。霧は水だから俺は大丈夫。それにダリブン大学の加湿器は平気だったじゃないか。そう心に言い聞かせながらレバーをちょっと捻った。


 いきなり沢山水を出してダメだったら嫌だから、ほんのちょっとから始めよう。壁に付いたシャワーヘッドから細かい水が流れ出る。おお〜これだよ、これこれ。もうちょっと水を出しても大丈夫そうだな。


 ……あ、少し怖い。でも水圧が弱くてもシャワーが浴びられたぞ! それから俺は頭と体を2回づつ洗った。フッ、今日はこの辺にしといてやろう。水よ、いつまでも俺がお前を怖がってると思うなよ!


 それからモゾモゾとトーマスの臭い抜け殻に着替える。ああ……細身な服だったから普通に着れると思ったけど、身長は俺の方が高いから丈が短いのに、ヒョロヒョロなせいで幅が余って妙な感じだった。くそー、なんだか負けた気分だ。


 リビングに戻るとアオイはソファーで紅茶を片手に小説を読んでた。何々? 『ドラキュラ』……。うん、見なかった事にしよう。


「シャワー浴びれた。水に勝ったぞ!」


「はいはい、やっぱり服のサイズは合わなかったか。でもさっぱりしたみたいで良かった」


 アオイは読んでた本を閉じてテーブルに置くと、小さく笑った。ずっとキツイ表情だったけど、笑うと印象が柔らかくなってますます可愛く見える。


「ありがとう」


「べ、別にあなたのためじゃないわ。全裸の汚い状態で家にいて欲しくないからよ。とりあえず座ったら?」


 へへへ〜、やっぱりアオイってツンデレなんだな。だけどソファーに座ると不快な匂いがもわっと立ち上った。


「もしかしてトーマスと一緒に住んでるのか?」


「……どうして貴方がトムを知っているの?」


 アオイの訝しむ様な視線に俺は慌てて説明した。


「この服とかソファーとか、部屋中トーマスが付けてるコロンの匂いがする。あっ、あっ、吸血鬼は五感が鋭いんだ……」


 は、恥ずかしい……。これだと俺が変態みたいじゃないか。


「そんなに慌てなくても大丈夫よ。確かに彼のコロンの匂いは少しキツイかもね。一緒に生活しているうちに慣れて感じなくなっていたわ」


 アオイがクスクス笑ってる。俺そんなに慌ててたのか?


「彼は1週間前に出ていってもう居ないの。彼とどこで会ったの?」


「一昨日あの研究室で。俺にトマトジュースを掛けて、えっと……逃げた」


 思い出すのもムカつく! アイツにトマトジュースをぶっかけられた恨みは忘れたくても忘れない。今でも青臭い匂い……はもうしないけど、コロン臭い服を着てるんだ。


 だけど……トーマス、お前がいなきゃ俺はすっぽんぽんのままだった。そこだけは礼を言おう。それにどれだけ恨めしくてもアイツはアオイの元カレだ。あまり悪口は言えないな。


「トムから、助手のアルバイトを交代してほしいと言う旨の電話がかかって来た日ね」


「うん、アオイは騙されてるんだと思う。だってトーマスは俺にトマトジュースを掛けた後、『大丈夫、アオイがいる』とか言ってたから」


「そう、電話では『助手のアルバイトを受けてしまったけど思った以上に忙しそうだ。これでは僕自身が所属する研究室に割く時間が無くなりそうだから君に譲るよ。文化財と関われる貴重な機会だ、慰謝料代わりだとでも思ってくれ』とかキザったらしく言っていたわ……」


 アオイはトーマスのモノマネをしながらため息を吐く。意外と似てるな。


「慰謝料は下手したらアオイが請求されちゃうのか?」


「上手い事言うわね。……じゃあ何? 薄々変な話だとは思っていたけど、トーマスは文化財を汚した罪を私に押し付けようとしてたって事?」


「うん……あんな奴、一生靴下が湿ってる呪いにでも掛かれば良いんだ」


「靴下が湿る呪い? それは駄目。……あの男、勝手に浮気して『アオイは愛想が無いから捨てた』とか周りに言いふらしたのよ。その挙げ句、私に罪を着せようとしたですって? 靴までびっちょびちょに濡れている呪いじゃないと物足りない! でも片足だけにしてあげる」


 アオイは言葉を切り、喉を鳴らして紅茶を飲み干す。やっぱりどんなに悔しくても、元カレには優しくなるんだな。そう思ったが、アオイはマグカップを勢いよくテーブルに置いてニヤリと笑った。


「両足分濡れていたら、靴と靴下を変えれば良いだけでしょ? そんなの生優しい、ちぐはぐな足元で公衆の面前を歩いてクスクス笑われれば良いのよ!」


 鼻息も荒くそう言い切ったアオイに惜しみの無い拍手を送る。2人で陰湿な想像をして笑ってると、いつの間にか気分が晴れて、アオイと少しだけ打ち解けられた気がした。


 今度は俺が現実と向き合う番か……。考えない様にしてたけど、いい加減現実を見なくっちゃ。今頃ダリブン大学では、俺が居なくなって騒ぎになってんだろうな。フィンリーなんて……ああっ考えたくも無い。

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